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 疑り深い視線を向けていると、敏感にそれを察知したのか、清和の視線が再び私へと転じた。咄嗟に身構えたが、清和は婚礼の席で被っていた猫を今日も用意していた。家臣たちの前で見せたような優しい目と優しい声で、私を促すようにして、曼殊院に(のたま)う。


「実を申せば、沙羅姫のお相手をする時間もなかなか無く、姫にはなれぬ細川邸にお一人で、随分と寂しい思いをさせているのではと案じておりました。それが、このように曼殊院様がお相手してくださっていると知り、この清和、心より安堵いたしました。曼殊院様には、深く感謝申し上げます」


 ……なにが、感謝か。


 心の中でケッと毒づく。


 そもそも曼殊院がしているのは、「相手」ではなく「いじめ」だつーの。

 あなたは孫のくせに、それも見抜けない阿呆坊なのですねー。

 とその甚だしい間違いを今ここでびしりと指摘してやりたい。勿論そんなことはしないけど。


 いまだ清和が何しに来たのか分からないし、いらぬ挑発で危険を呼び込むほど愚かでもない。


 でもなぁ……このままこの祖母と孫の後塵を拝するのも御免被りたい。


 清和の腹が読めないながらも、私は僅かな逡巡の後、ここはひとつ『畠山の今かぐや』らしい余所行きの笑顔で、曼殊院への牽制を投げておくにした。


「曼殊院様には、いつも大変親切にして頂いております。今日も珍しい明国のお菓子をご馳走になり、美しい絵巻を見せていただいておりましたの」

「そうですか、それはよかった」


 何も知らない阿呆な清和は嬉しそうに笑んで再度、曼殊院に頭を下げた。


「私からも御礼申し上げます」


 嫁いびりの礼を言われて、曼殊院は乾いた笑いを漏らす。


「ほほほっ……祖母として、当然のことです」


 清和に向けられた目は楽しそうに笑っているが、扇で隠された口元は横から見るとかすかに引き攣っていた。


 嫁いびりが祖母として当然のこととは、どこの世界の常識か。……まあいい。いや、よくはないが、このまま曼殊院には孫との楽しい時間を過ごさせてやろう。私は退出する!


 切り出す頃合い(タイミング)を窺う私の前で、清和はふと何かに引っ掛かったような、釈然としない表情を見せた。

 それを敏感に感じとった曼殊院が、すっと怯えたように笑みを退かせた。

 だが、清和が食いついたのは、私や曼殊院が気にしている嫁いびり(ポイント)ではなかった。


「曼殊院様、『祖母』としてなどと……」


 少し困ったように笑んで、清和は祖母に向けるものでは決してない艶やかな目線を送った。


「たしかに、私や沙羅姫にとって曼殊院様は祖母様に当たりますが、このように若く美しい曼殊院様を『祖母』様とは、ご本人のお言葉でもいささか納得しかねます」

「あらまあ、清和ったら……」

「祖母としてよりも人生の先達として、いつも曼殊院様を頼りにしておりますので、どうぞこれからも我ら夫婦をよろしくお導きください」


 見事というしかないほどの誉め殺しだ。

 娑婆気の強いこの尼君は、清和の言葉に瞬時にして数歳は若返ったように見える。

 私は唖然として、清和を見つめた。


 この曼殊院を前にして、あまりにも老獪だ。一体、その腹の中は何色なのか……。


 ご満悦に頷く曼殊院に、清和はさらにその変わらぬ美貌を厭味なく褒め称えたかと思うと、近況を尋ねたり、他の家族のことや表での他愛のない政治の話をし、はたまた周りの者たちの面白い話などを聞かせたりして、一挙にその場を華やかに和ませた。

 私はというと、唖然としている間にせっかく巡ってきた退出の機会を完全に失って、余所行きの笑顔を張り付かせたまま、成り行きを見守るしかなくなっていた。


 清和中心の和気藹々とした時間が緩やかに過ぎていく。

 そんななか一つ確かなことに気づいてしまった。不愉快ではあるが、状況は清和が現れる前よりもマシだ、という事実に——。


 清和が曼殊院を一手に引き受けてくれているのだから、気持ち的にはかなり楽になりつつある。同時に客観的になって、目の前の清和を冷静に観察することもできるようになっていた。

 そうして、改めて思う。

 目の前にいる清和とはかけ離れた『似非貴公子』——いや、貴公子的身分であることは事実だから、あの冷徹な『氷の貴公子』とでもいうべきだろうか——の清和を、この曼殊院は知っているのだろうか……と。


 おそらく———知らないのだろう、と私は判断する。せざるを得ない。


 それどころか、ここ半月あまりを振り返ってみても、もしかしたら、この細川では、私以外は清和の正体を知らないのかもしれない。


 婚礼の日以来、揃って人前に出ることは今日が初めてといってもいいが、今日の清和は明らかに猫を被っている方の清和だ。そして、それは常に、霞を含めた侍女の前でも同様なのだ。だから、霞は私が清和を嫌う理由を理解できないでいる。

 私の()は、畠山の家族と一部の側近達なら知っていたが、清和は家族ですら騙しているというのだろうか。


 でも、何のために? 面子にこだわる完璧主義者……だから?

 だから、曼殊院の前では、私とも仲のよい夫婦であるように見せようというの?


「…………」


 ———清和が何を考えているのか、本当に分からない。

 そもそも、なぜ今日、ここにやってきたのかも………。


 分からない以上、決して油断は出来ない。が、かといって最初に危惧したほど危険な状態とも違っている。今のところ、あの狩での出来事などを話し出して、私の正体を晒すような気配もない。

 安全なのか危険なのか分からない中途半端な状態は、一旦落ち着いたはずの私を次第にそわそわさせた。

 とにかく出来ることなら、一刻も早くこの場から立ち去りたかった。


 胃の痛みもひいてきたし、やっぱりここは祖母と孫を水入らずにしてやろう!


 再び退出の隙をうかがっていると、ひとしきり場を賑わわせた清和が、目敏くも部屋の隅に片付けられた絵巻物を見つけた。

 すぐに、それが何かを把握したらしい。ああ、そういえば……ときりだした。


「絵巻とおっしゃっていましたが、なるほど源氏絵巻をご覧になっていたのですね?」


 長らく沈黙の殻の中にこもっていた私を引きずり出すように、清和は不意に私を話の輪に引き込んだ。全くもって余計なことで、頬が引きつりそうになるのをこらえながら、かろうじて応える。


「ええ……」


「たしかに曼殊院様の源氏絵巻は素晴らしいですからね。男の私ですらついつい見入ってしまうほど見事ですから、女性の貴女には格別でしょう」


 私に話を振りながらも、さりげなく曼殊院の誇り(プライド)をくすぐるあたり、本当に祖母をよく分かっている孫だ。

 得意満面な曼殊院に、しかし清和は一転、それまで見せたことのない残念そうな表情を浮かべた。


「……ですが、絵巻の気持ちを考えると私は少々複雑です。いや、同情するというべきか」


 曼殊院の台詞ではないが、ここまで誉めることしかしていない清和らしからぬ言葉に、私もそれ以外の侍女もドキリとする。

 何を言うつもりか、皆がハラハラしながら清和を注視するなか、


「付喪神ではないが、絵巻はへそを曲げずに素直に開きましたか? 或いは逃げ出したりは? ここは絵巻にとって有難くも残念な場所だ。どんな絵巻も色褪せてしまうでしょう。なにせここには、絵巻の美女達も我先にと逃げ出したくなるような、当代でも指折りの美女が……」


 言いながら、清和は曼殊院をはじめとする一人一人を目で捕まえて、


「……こんなにも揃っているのですから!」


 と真顔で言ってのけた。


 一瞬の後、部屋は侍女達の悲鳴にも似た嬌声に包まれた。

 曼殊院も破顔して、清和を抱きしめんばかりに愛おしそうに見つめている。

 私はその有様を、ただひとり、すこーし引いたところから眺めるばかりだった。


 なぜ清和がここに来たのかは分からない。だがこれは、そう……奴の独り舞台だ。


 清和の、清和による、清和のための舞台———清和、恐るべし……。


 だが、奴の舞台はまだまだ始まったばかりだった。

 清和は居並ぶ曼殊院と侍女たちをぐるり見渡すと、


「現実の美女には、絵巻の名だたる美女たちも勝ち目はありませんね。今まで想像をしてきましたが、もしも『源氏』がこの世のものであったなら、さしずめ、曼殊院様は『藤壺』でしょうか」


 おもむろに、この場にいる者たちを源氏絵巻の登場人物に(たと)え始めた。


「——いつまでも美しく、源氏が恋焦がれた高嶺の花、永遠の憧れですね」


 藤壺に譬えられて、まんざらでもない顔をしている曼殊院を見て、私は再び心の中でケッと毒づく。


 どうみても、このババアは『六条の御息所』だろう。生霊となって人を崇り殺すくらいのことはやってのけるに違いない。


 清和はさらに曼殊院のそばに控える腹心の侍女たちをも、次々と源氏に登場する女人たちになぞらえていく。


「……そうだな、松尾は『朧月夜の内侍』ですかね。洒落もきくし、芯の強い、よい侍女ですから。小菊は……控えめですが仕立ても上手く、しっかりしているところが『花散里』のようですね。お滝は『玉鬘』かな……」


 俄然、盛り上がる侍女達の熱気に、対岸にいてなお私は圧倒された。それと同時に、清和のその如才のなさに本当に感心する。

 清和が源氏物語に詳しいのにも驚きだが、曼殊院の侍女達についても、その人となりをそれなりに理解しているようなのだ。そうでなければ譬えようがない。また、けっして不快な譬えは用いない。基本的に誉め殺しだ。


 そこにいる清和は、私の知る『氷の貴公子』とはあまりにもかけ離れていた。周囲の者たちを微笑ませるそれは——今日の萌黄色の衣装と重なって『春の貴公子』とでもいうべき存在だった。

 侍女達は、今か今かと自分の番を固唾を飲んで待つ。

 ふと気づいて隣を見れば、私の背後に控えていたはずの霞までもが、今や私のことなどそっちのけで、自分が誰に譬えられるのか期待をこめて、じりじりと身を乗り出して待っている始末だ。


「霞……あんたまで……」


 知らず大きな溜息がこぼれた。

 それが聞こえたわけではないだろうが、またしても不意に、清和が曼殊院とそれを囲む侍女たちから対岸の私へと視線を転じた。

 茶番はもう終わらせろ、と言いたいところだったが、奴に先導されるように曼殊院達の視線までもがついてきて、私はやむを得ず例の笑顔を纏う。

 清和はそんな私に、はんなりと微笑んだ。出し抜けに言う。


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