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第2話 佐藤はる②

「では、こちらに腰掛けてお待ちください。」

 言われるがまま座ると、タブレットが渡される。

「佐藤様は当店のご利用は初めてでしたよね。お手数ですがこちらの内容をご確認いただき署名いただけますでしょうか。」

 タブレットには、アレルギーの確認や、ネイルに不備あった場合の直し可能期間、そのほかお店のルールが書かれていた。よくあるそれらの項目をざっと眺め、署名しおずおずと話しかける。

「あ、あの、署名しました。」

「ありがとうございます。確認させていただきます。」

「ちなみにこのお店は中村さんおひとりやっているんですか?」

「ネイリストは私一人です。ほかにエステやマッサージをあちらの個室で行っていまして、そちらは姉が担当しています。本日予約もないので姉は休みです。」

 指差す先には白い壁とカーテンで区切られた部屋があった。部屋の上部は空いているのでマッサージ店みたいだなと思ったが、なるほど、エステ用の部屋だったか。

 ということは今日ネイルをやってくれるのは中村さんということ。

 別に男性ネイリストに偏見はない。素敵なデザインを作ってくれるならそこに性別は関係ないことは重々わかっているけど、如何せん女子高、女子大育ちで彼氏もいたことがない私は男性に手を触られることに緊張してしまう。

「あ、もしかして男性ネイリストは苦手でしたでしょうか。」

 私の質問と表情から何かを感じ取ったのか、中村さんが優しく問いかけてくれる。

「一応サイトには注意書きとして書かせてはいただいているのですが、見落とされる方も多くて。苦手でしたらキャンセルでも大丈夫ですよ。」

 そう言って少し残念そうに微笑む。その顔がまるで大型犬がしょげているようで、思わず実家で買っているゴールデンレトリバーの福丸を思い出してしまった。

「あ、苦手とかではなく、男性ネイリストさんって初めてで緊張してしまっただけです。大丈夫ですよ。」

 福丸の影響か、根拠はないが大丈夫だろうと思いそう返すと、途端にパッと笑顔になった。ブンブンと振られてるしっぽが見える気がする。

「よかったです。あ、お飲み物をお持ちしますね。紅茶と緑茶とコーヒーどれにしますか?ホットもアイスもあります。」

「じゃあアイスの緑茶で。」

「承知しました。ちょっとお待ちください。その間にカラーの色味をご覧ください。」

 そういって色を塗ったネイルチップがきれいに並べてある色見本を渡された。色数がとても多いわけではないが、肌馴染みのいい色から差し色、アートに使えそうな色に、マグネットやミラーまで、一通りなんでもそろっていた。

 この色味試してみたいな、なんて思いながらふと仕事のことが頭をよぎりため息を吐く。

 そうだった、今日は“地味な”ネイルにしなきゃいけないんだった…。



 ―4日前―


「それでわからないところって何?」

 会議室に入り、席に着くと開口一番氷川先輩に聞かれた。先輩には他意はないのかもしれないが、時間を無駄にするなと無言の圧力を勝手に感じてしまう。

「あ、初めて任せていただいた企画書の数字部分を作っているのですが、マニュアルを見てもうまく作れないページがあって・・。まず、この参考にすべき競合他社のところなんですが…」

 入社してひと月。氷川先輩が携わっている仕事の補佐をしながら業務を覚えている段階だ。企画書はベースを氷川先輩が作り、私は先輩が作ったマニュアルを見ながら競合他社のデータや自社の過去データをもとに数値根拠を埋めている。

 ただ、マニュアルを見てもうまく出せない数字があり、詰まってしまっていたのだった。

「あーその会社は今回の企画で競合他社には入らないわね。四月から事業を縮小して、この商品は扱わなくなったから。代わりにこの会社を入れて…」

 テキパキと自分のパソコンを操作しながら参考にする他社のホームページを表示してくれる。すかさず自分のパソコンでメモを取りながら、必死に説明についていく。

「自社データは社内システムのアップデートが二月に入ってから使いづらくなっちゃたのよね。その点マニュアルの更新できてなかったわ。この場で一緒に操作しながら説明していい?」

 私の疑問をどんどんさばいていく。

 とはいえ、私の脳みその容量じゃ一度に言われても飲み込めず、メモを取るので必死だ。

 自社システム、あとで操作練習しよう…。

 そんなことを思いながら、置いていかれないよう必死で話についていく。

 会議時間も残り5分となったところで、もう一つ大事な質問を思い出した。

「あ、最後に見積りの内容を確認させてください。吉田さんに先日言われたA社の見積り、マニュアルを見て作ったのですが、こちらであってますでしょうか。」

 吉田さんは同じ課の先輩だ。うちの課では見積りは基本企画担当が自分で作るのだが、時間がない時など、周りに振ることも多い。

 人件費や運用費などの項目は単価が決まっているし、資材を使うものならその単価も決まっている。

 吉田さんに頼まれたのは3か月に1度実施する企画なので、見積り内容の変更もほとんどない。過去の見積書をもとに作ってと、訓練的に降られた仕事だ。

 パソコンを操作し見積りを出して、会議室のモニターに映す。先輩はざっと見てから「問題ない」と一言言ってくれた。

 それにホッとして、ではこちらで先方に送りますね、と伝えて怒涛の会議は幕を閉じたのだった。

 30分の会議だったはずなのに情報量が多くて疲労感が強い。

 けれども休憩している暇もなく、仕事はまだまだある。先輩たちに比べたらとても少ないのに、1つ1つに時間がかかる自分が情けなくなる。


 席に戻り、さっき見てもらった見積りのデータを吉田さんに送る。

『氷川さんにも見てもらい問題ないとのことでした。こちらでよろしいでしょうか。』

 とメッセージを添えて。

 すぐに吉田さんから『ありがとう。』とメッセージが届いて、1つのタスクが終わってよかったとほっと胸をなでおろしたのだった。


 二日後の朝、出社すると吉田さんと氷川さんがバタバタしている。いや、氷川さんが吉田さんに頭をさげているようだ。

 私の出社に気づいた吉田さんが私に呼びかける。

「あ、佐藤さんきた。今から会議室に来て。」

 有無を言わさぬ態度に嫌な予感がする。荷物を置いてパソコンを持って急いで追いかけると、会議室には吉田さんと氷川さんがいた。

「あの、何かあったんでしょうか。」

 恐る恐る尋ねると、氷川さんが苦虫を嚙み潰したよう表情をして、吉田さんは深いため息を吐く。

「どうもこうも、一昨日出してもらった見積書に間違いがあったんだよ。」

 そう吐き捨てられた一言に一気に血の気が引く。

「資材の単価が4月から変わってるのを見落としたでしょ。結構合計金額に影響が出てるんだよ。しかも見積書の金額で契約も交わしちゃってるから、先方も今更金額変更は受け付けられないって。氷川さん単価変動のこと注意してって伝えてないの?」

「すみません。私の確認不足です。」

 氷川さんが深々と頭を下げる。

 急いでマニュアルを確認すると、該当ページに「資材は月単位で単価が変わる可能性あり。必ず最新の単価を確認すること」ときちんと書いてあった。

 完全に自分のミスだ。

「申し訳ございません。見積書の作成マニュアルに書いてあったのを見落としました。」

 頭を下げる。怖くて顔をあげられない。ミスした金額差は私のひと月分の給与を超える額にもなる。

「しっかりしてよ。学生気分じゃ困るんだよ。氷川さんも教育係でしょ。ちゃんとチェックしてよ。」

 吉田さんのイライラは止まらない。

 私のせいで氷川さんが責められるのは申し訳ないが、だからと言って何かかけられる言葉もなくひたすら「申し訳ございません。」を繰り返す。

 吉田さんがもう一度ため息を吐いた。

「俺に謝られても意味ないから。氷川さん、この後A社に謝罪に行くから見積書を至急作り直して。あと、A社の担当と氷川さん仲良かったよね。」

「はい。新人時代お世話になりました。」

「じゃあ謝罪も一緒に来て。」

「わかりました。今回は確認不足で本当にすみませんでした。」

 二人は話をまとめてそそくさと会議室を出ていこうとする。

「あ、私のミスなので私が作り直します。謝罪も・・」

「今度の見積書はミスできないし、佐藤さんが来ても先方との関係性がないから謝罪にならないでしょ。」

 それだけ言って吉田さんは会議室を出て行ってしまった。役に立たないから来るなということだ。

「気にしないで。確認時に気づかなかったのは私だから。すぐに謝りに行った方がいいから私が作り直した方が早いし、その爪じゃ謝罪につれていけないから。」

 氷川さんもそれだけ言って足早に去っていく。

 残った私はパソコンを抱きかかえる自分の爪を見ながら、しばらく下を向いて唇を噛みしめるしかなかった。


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