第1話 佐藤はる①
暖かい太陽、柔らかに注ぎ込む日差し、清潔に磨き上げた店内、きれいに陳列された商品とサンプル。
「こんにちは、お待ちしておりました。」
今日も笑顔で帰っていただけるよう、ネイルサロン「ひだまり」開店です。
―…新しい環境は苦手だ。
春、皆が新しい出会いや新生活に心躍らせるこの季節が苦手だった。
何とか就職活動を乗り越え、志望していた業界の会社に入社でき、一人暮らしを始めたまではよかった。
「あの、今お時間すこしよろしいでしょうか…?」
自分の教育係の先輩に恐る恐る声をかける。
「今無理。今日忙しいから質問あるなら会議依頼入れてそこで全部聞いて。」
「あ、はい・・。わかりました。」
私の悩みの種。それはこの教育係の先輩、氷川さんとうまくコミュニケーションをとれていないことだ。
かなり仕事のできる方で、入った当初周りの人にあの人に教えてもらえるならラッキーと言われた。
なんでも、うちの会社では新人の育成は基本三年目以上の先輩が行うものだが、氷川さんは一年目でしっかり成果を出したことが見込まれ、早めに出世コースに乗せるために二年目で新人育成を任されることになったらしい。
すごい人なのは一緒に仕事をしていて本当に思う。指示は的確だし、仕事は早い。上の人と話すときでもおどおどすることなく堂々としており、話す内容もわかりやすいうえに、論理的だ。
対して私―佐藤はるーはと言えば、物心ついた時から周りの評価は
「おっとりしてて、のんびりした子ね~。」
というものだった。
一人っ子で、両親共働きだったこともあり、一人で遊ぶのが好きでマイペースに今まで過ごしてきた。
人と話すのも苦手で、会話の間や空気を読むのが下手なので、しゃべろうとすれば誰かと被るし、タイミングを見ているとただにこにこして何も話さない人になってしまう。
テキパキ鬼のように仕事をさばいていく氷川さんとおっとりマイペースな私。一緒に仕事をしていて合うわけがない。
毎日必死についていこうとしているが、如何せん入社してひと月。業務内容は一度全体説明を受けているとはいえ一度で頭に入るはずもなく、先ほどのようにしょっちゅう確認のため話しかけている現状だ。
もう呆れられているんじゃないかと毎回びくびくしながら話していたら、ついに今日まとめて聞いて怒られてしまった…。
凹み下を向いているとふと自分の爪が目に入る。
オフィスネイルだからとシンプルに春をイメージした薄紅色のワンカラーをベースに、左右に1本ずつ、チューリップを描いてもらった。濃いピンクのチューリップが指先に散らばるデザインはかわいく、見ているだけで少し心が軽くなる。
凹んでいても仕方ないと気持ちを切り替えて、言われた通りに氷川さんの予定表を確認し、午後に空き時間を見つけ「ご相談」と予定を入れると、そのことをチャットする。
即座にチャットに「了解です」のスタンプがついたので一安心し、まずはわからないことをまとめて聞けるよう、説明時にもらった資料と手元にある実際の仕事を突き合わせて、疑問点を書き出すことにした。
集中していたらいつの間にかお昼になっていた。
とはいえ氷川さん以外は仕事上そんな頻繁にコミュニケーションをとることもない。たまにランチに誘ってくれる課長や別部署の同期も今日はいないみたいで、朝から見かけていない。
氷川さんはと言えば一緒に仕事するようになってすぐに
「私お昼は仕事しながら食べるタイプだから気にしないで。」
と言われてしまい、私の歓迎ランチ以外でご一緒していない…。
一人ごはんに抵抗はないし、氷川さんと一緒は緊張するからそれはそれでいいのだけど。
私はおにぎりを食べながらキーボードを操作する氷川さんに「お昼行ってきます」と小声で声をかけ、いそいそと会社を後にした。
ランチは近くの野菜がたくさん食べられることを売りにした定食屋に。
一人暮らしで自炊が楽しかったのなんて初めての1週間だけで、それ以降はめんどくさくて数日分のご飯をまとめて作ったり、デリバリーや冷凍食品のお世話になっている。
まさか自分ひとりでご飯を食べるとなるとこんなにも適当になるとは。
なのでランチの選択は、日ごろ食生活が偏っている自分へのせめてもの罪滅ぼしだ。
注文し、待つ間再度手元に目が行く。
気に入っているデザインだが前回ネイルサロンに入ってからもうすぐひと月。そろそろオフして新しいデザインにしなきゃと思った。
ネイルアートは趣味の一つだ。メイクとかファッションにはあまり興味を持てなかったが、初めて母にマニュキュアを塗ってもらったときは、キラキラになった両手を見てはしゃぎまわっていたのを覚えている。
「いつものネイリストさん家族の都合で実家帰っちゃったしな…。新しいネイルサロン探さないと。」
大学時代から担当してくれていた方が前回の施術を最後にお店を退職されてしまったのだ。ずっとやってもらっていたからとてもショックで、新しいサロンを探す気にもなれずにいたが、さすがにこれ以上放置するのは爪の状態的にもよろしくない。
「家から通いやすくて、手書きアートが描けるネイリストさんいないかな…」
何の気なしにスマホを開き、ネイルサロンの予約サイトをポチポチする。
「うーん、ここはニュアンスが得意か、こっちは持ち込みデザインはあんまり対応してなさそう、ここはサンプルがあんまり好きじゃないな・・・。」
家の近くで今週末に予約が取れることを条件に検索をかけ、上から見ていく。
自分のひと月のテンションがかかっていることだ。それに安いものでもない。慎重にもなる。
「あ、ここ。店内の雰囲気もサンプルも好きかも。値段も今までと同じぐらい。」
スクロールしていきふと目に留まったのは、木材を使った柔らかい外壁に、花がたくさん飾られた外観。路面店のようで、ガラス張りの店内には明るい光が降り注いでいた。
「雰囲気もおしゃれなカフェみたい。家からも近いしここにしてみよ!」
そのまま予約に進み、オフと持ち込みデザインのコースを選ぶ。ネイリストを選ぶページに進むと、ここのお店にいるネイリストは1人だけのようだ。
その人を選んで予約が完了したちょうどその時、店員さんが料理を運んでくる。
さて、楽しみな予定も入れたことだし午後も頑張ろう!と私は手を合わせるのだった。
怒涛のように平日が過ぎ、週末。
春にしては少し熱いくらいの晴れやかな天気に反して、私の心はどんより暗かった。
仕事ですっかり気分が沈み、昨日にやっと明日が休みだと喜んだと思ったら、いざ土曜日になったらあと二日で休みが終わってしまうと考えてしまう。
ネガティブな思考がぐるぐるする頭を振る。
「今日はネイル予約してるし準備しなきゃ。ネイルが新しくなれば少しは気分転換になるはず‥。」
自分に言い聞かせるように、ここ数日の出来事を忘れるように、いそいそと支度を済ませ私は家を出た。
カランー…
開けた瞬間ドアについていた古ベルが鳴る。
「いらっしゃいませ。」
奥から店員さんが出てくる。
「あ、予約してた佐藤で…」
そこまで言ってびっくりして言葉が続かなかった。出迎えてくれたのが男性だったからだ。
エプロンをしているから受付専門とかでもないだろう。店内はそこまで広くなく、見える範囲では施術台は1つしかない。
もちろん世の中にいらっしゃるのは知っているが、今までネイルしてきた中で男性のネイリストに会ったのは初めてだ。
どぎまぎしている私をよそに、ネイリストさんは爽やかな笑顔で挨拶した。
「ご予約の佐藤はる様ですね。お待ちしておりました。ネイリストの中村と申します。よろしくお願いいたします。こちらへどうぞ。」