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 だらだらと時間だけが過ぎていった。限りある時間を無為に消費したから勿体ないと思う。ただ限りがあってもなくても似た感想をもつかもしれない。限りなくともその中に限りを条件づけてあるものとしてしまう。いや、やめておこう。やめたいと思う自分の心に従おう。

 

 ベッドに横になり、瞼を閉じる。指先や足先に集中して、そして感じ取れはしないが体中に流れ続ける血液を想像してみた。体のどこに意識を向けてもそこには細胞がある。細胞の塊だ。どこまでミクロにかんじとれるか試してみたが、一つの細胞だけを感じ取ることはできやしない。認識できない。体の一部分に意識を向けた時、その際の認識できる最小の範囲は人によってどれほど変わるだろう。表面を円状に感じ取るか、あるいは一部に針が刺さっていると考え、刺さった点を感じればより小さく認識できるか。

 意識を肉体から離してみる。机、壁、ベッドの足。これは少し難しい。うまく感じ取れない。頭の中でその対象に触れて、硬さや重さ、その質感から匂いまで感じられる。ただこれは感じているというより想像しているだけなのだが。

 部屋の中にいる。今ベッドに寝転がっている自分はこの空間の一部分である。全てが部屋の中のものとして同化している。どんなものでも一つの存在に思える。この状態が全てで完璧なのだ。一つの存在は、それとしてそこに在るだけで、意味は何も有しない。

 部屋を俯瞰する視座から今度は街を見渡してみてはどうだ。やはり欠落のない完璧さが、自身やその他の全てが、人も自然も人工物も、巨大なジオラマのように見えてくるではないか。

 ただの一人遊びだった。暇で仕方がなかったのか、ほかに何をするやる気が出なかったのか。未来へ意識を持っていきたくなかったのか。過去に、誰かに、出来事に関心を持ちたくなかったのか。理由はわからない。もしかしたらいつも理由を探していたのかもしれない。

 自分の気持ちも「かもしれない」と曖昧さの中にあって、まるで自分の軸がないようだ。しかしながら多くの人々は自分の気持ちを確かに完璧に理解しているものだろうか。

 などと考えて、ふと気持ちの理解は頭でするものではないと思った。気持ちの理解は心でするもので、言語化する必要もない。


 


 思いを彼方に馳せ、眩しい三角水晶。泥土に萎れた花は一つ寂しく風に揺れ、風鈴が鳴らす音色は微かに染み入りて、野良猫がすまし顔で泰然と歩みゆく夕焼け空の下。曇りのち晴れ。華奢な美少年の長い睫毛に水滴が乗って震えている。海辺の白い砂を救い上げさらさらと零れ落ちる水平線の手前。石の階段、ガードレール、アスファルト。セーラー服の地面に掠るほどのさらりと揺れる黒き長髪の少女の裸足で舞い踊る夢幻の、…夢幻の…?



 脈絡なくただ映像が飛び飛びに頭に浮かぶ。こういうことがたまにあるんだ。浮かばせているのは一体誰なんだろう。自分か誰かか、誰でもないのか。このような結論を敢えて出さずに曖昧に、わざとこんがらがった糸を作り出すような考え方で自分自身を誤魔化した。これが思考停止。時々に、適当に、無意味に。ただただこれが癖になる。考えるようで考えない。なんでそんなことをするんだ?なんでもいいだろ?気にするな。

 

 

 独り言にも飽きてきた。飽きたところで会話をしてくれる某はいないのだ。ならば何をしよう。貴重な休日の大切な時間を棒に振ってしまっている。独りぼっちは寂しくはないが、することが何も思いつかず能動的になれない時には外からの刺激を欲してしまう。こういった際に他者の存在のありがたみを噛みしめられる。そこにないから、ありがたみがよくわかる。要は災害が起きてから水や食物など普段の当たり前の幸福に気づくというものだ。知っていること、慣れてしまっていること。目を向けるべきは、見落としがちな日常にある。 

 幸福でだけにまみれた、そんな世界では幸福を確かに感じることは難しいのかもしれない。いやきっと難しいのだ。だから幸福を感じさせてくれるための艱難辛苦はありがたい出来事なのか?

 

 日々におもしろみを与えるために、「あえて」の精神を忘れないようにしているのだが、例えば普通は寒いとき背中を丸めて体を縮こまらせるものだ。しかしあえて、胸を張り体を大きく広げる。辛いとき苦しいときにあえて笑う人は少なくないと思う。腹立たしい嫌いな人間がいれば、あえてそいつの幸せを願ってみたり、つまらない漫画やゲームを見て否定意見を口に出したくなった時、あえてよかった部分を熟考して言語化してみたりと、その時々反射的に生まれる行動の逆をしてみるのが「あえて」の精神と勝手に名付けている。

 今回ありがたいと思えるかもしれない不幸、自身に起きてしまえば悪態の一つもつきたくなるであろう様々な不幸にもし、感謝することができたら…… 

 

 



 

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