12
「ちょっと、もう少しペース落とそうぜクライヴ、体に障るだろう」
ロックスとじゃれるように前を歩くクライヴを、レフは心配そうに声をかけた。
「もう大丈夫だって、レフの心配し過ぎ!」
クライヴの案内で、レフは先日の塔の階段を登っていた。
意識を取り戻してから数日、アマンダの腕のおかげか本人の回復力故なのか、クライヴのケガは完治していた。骨折や後遺症がなくて良かったと、レフは心の底から安堵を覚えたのも記憶に新しい。
とはいえクライヴが意識を取り戻してからも大変だった。レフの顔を見るなり大粒の涙を流し、レフもロックスもアタフタとしてしまった。騒ぎに気付いたアマンダはレフを叱り、クライヴを宥めた。場が落ち着きを取り戻すと、クライヴはぽつりぽつりと、何が起きたのかを話してくれた。
端的に言ってしまえば、クライヴは強盗に遭った。最近忘れそうになっていたが、クライヴは街の闇の部分に暮らす人間だ。そのため、直接的ではないにしろ、クライヴは襲ってきた人たちのことを知っていた。そして逆もしかり、彼らもクライヴのことを知っていたと思われる。
今までのクライヴは、ただの貧乏な家のない子供だったので、彼らの標的になるはずもなく、特に関わることもなかった。だが、最近になって状況が変わった。クライヴの生活が潤い始めたのだ。言うまでもなく、レフとロックスによって。
今まではそれでもロックスの存在が抑止力となり、何事も起きなかった。しかし、今回決定的に違ったのは、クライヴの持ち物が明確に増えたこと。レフがあげた袋だ。明確な盗みの対象を手にしたことが決定打となり、その晩クライヴは襲われ、袋と金を全て奪われた。
「レフがくれたものを、守れなかった」
そう言ってまた泣き出したクライヴの言葉に、レフはひどくショックを受けた。見方によれば、レフが袋をあげたせいで、レフのせいで、クライヴが襲われたとも捉えられる。幸い、レフが謝罪を口にする前に、何かを察したアマンダに言葉を遮られた。
後になって、自分が犯しそうだった過ちに気づいたレフは、アマンダに深く頭を下げて感謝した。
もしも、あそこでレフがクライヴに謝っていたら。それは、彼らの関係の否定とも捉えかねない。クライヴの開いてくれた心の扉を、閉ざしかねない。そんな悲しい結末を辿らなくて、本当に良かったと、レフは今も前を歩くクライヴを見て、噛みしめていた。
「ほらレフ、早く!」
塔の螺旋階段を登り切った先で、クライヴが手招きしながらレフを呼んだ。
レフは急いで階段を駆けあがり、クライヴとロックスが待っていた頂上の扉の前に辿り着く。
「じゃあ、開けるよ」
そういってクライヴが扉を、押し開けた。
薄暗い塔の中に、眩い光が差し込む。そして、扉の先に広がる景色に、レフは息を呑んだ。人で賑わう市場。赤レンガの中心街。そして遠くの方で見える街の城壁。随分と長く居た街の全貌が、表情が、眼前に広がっていた。
「どう? ここなら依頼に合うんじゃない?」
クライヴはレフの顔を覗き込んだ。
「あぁ。これなら、サンド屋にピッタリだ。ありがとう」
そういうと、レフはクライヴの頭に手を乗せ、クライヴは嬉しそうに頭を擦り付けた。なんだかロックスに似てきたな。
早速とばかりにレフは道具を出し、塔の縁に座り絵を描き始めた。太陽が赤い中心街を美しく照らし、澄み渡った空が城壁の向こうに広がる丘さえも映していた。
うん、いい景色だ。
そうしてしばらくレフが筆を動かしていると、不意に後ろから抱き着かれる。クライヴだ。彼はレフの背中に顔をうずめるようにして、顔を隠しているようだった。そして小さな声で、言葉を紡ぐ。
「あのねレフ」
「うん」
「僕、レフとロックスに出会えて嬉しかったよ。色んなものをもらった。すごく楽しかった。だから、せめてのお返しに、僕の、好きな景色を、見せたかった」
クライヴの必死に涙を我慢する声が、レフの背中へと伝わる。クライヴは知っている。レフ達がこの街の人間じゃないことを。彼らが旅人であることを。そして、知った。彼らがもうすぐ、この街を離れることを。
「クライヴは、この景色が好きなの?」
「……うん」
不自然な間があった。そしてレフは直感を頼りに、クライヴに訊いてみた。
「クライヴは、この景色の何が好きなの?」
再びの間。そして、ゆっくり、ゆっくりと、クライヴが手を前に出し、城壁を指さした。
城壁が好き? いや、違う。レフは気づいた。クライヴは城壁を指してない。その先だ。
「……ここからなら、外が見えるから」
レフの目が、大きく見開く。ここへ案内したいと言われた時から、違和感を覚えていた。最初は単に、依頼の為に協力してくれてるんだと思った。
だが、クライヴは確かに言った。「好きな景色」と。
この街は、決してクライヴにとっては生きやすい場所ではない。こんなにも心優しい少年が、真っ当に生きられないぐらい、彼にとっては厳しい場所だ。そんな街の景色を、彼が好きになれるのだろうか。
そしてレフは知った。クライヴはこの街が好きで、この景色を好んでいるわけではない。彼の好意は、あの城壁の向こうにあった。もしかしたら一生出ることのない、外への、憧れ。
その答えを聞いて、レフは少し前から悩んでいたことを、実行に移した。
「なぁ、クライヴ――」