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「うーん、もっと街を感じられる絵か……」
先ほど女店主が申し訳なさそうに言った要望を反芻しながら、レフは中心街を歩いていた。一度街の外に出て丘からまた街を見下ろしてみようかな?
そんなことを思っていた、その時。
「アオオオーーーーーーン」
突如、それは街中を走り抜けた。
「なになに?」
「遠吠えだよな、これ」
「やだ、街の外に狼でもいるのかしら」
「アオオオーーーーーーーーーーーン」
再び鳴り響く音に辺りがざわつく。
だが、さすが城壁のあるこの街なのか、大きな騒ぎに発展することはなかった。街を警備する衛兵たちの存在も大きいだろう。既に安心を促すように巡回中の衛兵たちが声を掛けている。
徐々に街が平穏を取り戻す中、ただ一人、レフは冷や汗を滲ませながら、音の方へと走り出していた。
今のは、野良の獣の声なんかじゃない。今のは間違いなく、ロックスだ。
レフはしっかりとロックスに街中では遠吠えをしないよう、言いつけてある。以前にお互いそれでひどい目に合っているので、ロックスもこのことは分かっている。
だが、それにもかかわらず、ロックスは遠吠えをしたのだ。それは決して、ただ約束を破ったからなどというくだらない理由ではないことぐらい、レフには分かっていた。
これは、報せだ。遠くにいる仲間を、遠くにいる相棒を、レフを、呼ぶための遠吠え。今ロックスは、緊急事態に陥っている。
旧市街の方か!
ここで何かの拍子でリュックを落としてしまったとしても、レフは足を止めないだろう。例え今まで露店で稼いだ金銭を全て失おうとも。例え大事な絵の道具を全て失おうとも。
それらは全て、相棒の危機に比べれば、些細なことだ。
「ロックス! どこだロックス!」
塔の近くへと辿り着き、レフは整わない息で必死にロックスを呼びかけた。もし、ロックスに何かあったら。もし、見つけられなかったら。
「ヴォフ!」
そんな不安を払拭する声を耳が捉えると、レフはすぐに声の方へと走り出した。
「ロックス!」
腕へと飛び込んできたロックスを、レフが受け止めた。安堵する心を抑えつけるように、レフは状況把握のために頭を必死に動かす。
ロックスは、ケガをしている。だが走れるぐらいには軽症のようだ。それよりもロックスは何か注意を惹こうとしている。向こうに何かあるのか?
ロックスの後を追って角を曲がる。そして息を呑む。クライヴが地面に横たわっている。
「クライヴ!」
レフは倒れているクライヴの元へと走り寄る。
「クライヴ! おいクライヴ! 何があった!」
クライヴの様態を見る。息は、ある。脈も、ある。だが呼びかけには反応しない。気絶しているようだ。
視線を動かし、クライヴの体を注意深く観察する。体中に傷がある。大きく出血している所はない。これは打撲痕? 襲われたのか。
今度はロックスの方を見る。ロックスの毛で分かりづらいが、恐らくクライヴと同じ時に受けたケガだろう。ロックスの口回りに血が付いている。ロックスの血ではないな。やはり襲われて、応戦したのだろうか。
「ヴォフ!」
思考の海から引っ張りだされる。そうだ、今それはどうでもいい。とにかく、早くクライヴを。
「ロックス、アマンダさんの所に行くぞ」
軽い応急処置の知識はあっても、レフはこの状況における正確な処置方法を知らない。なのでとにかく、一刻も早く知っているであろう人に、アマンダに診てもらおうと判断した。
リュックを前に掛け、後ろに背負う形でクライヴを持ち上げる。骨折しているかもしれないので、なるべく動かさないように。
これも正しいかどうか、レフには分からなかった。それでも、とにかく早く診てもらわないと。グルグルと回る思考をなんとか抑えながら、アマンダの店へと走った。
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「とりあえず、これで大丈夫だよ」
アマンダのその言葉を聞いて、レフは脱力するように床に座り込んだ。
「……ありがとうございます」
「いいのさ。この子がこの前言ってた友達かい?」
「……はい、そうです。大切な、友達です」
アマンダはもう一度ベッドに横たわるクライヴを見てから、道具を片づけ始めた。
「とりあえず、このまま安静にしていれば大丈夫だよ。意識もいずれ回復する。その間、あんたはソファーでも使って寝な。ひどい顔だよ」
「……はい、ありがとうございます」
すっかり夜になり、月明かりが部屋に差し込んでいた。脱力した足になんとか力を入れ、レフはベッドで横になっているクライヴを見る。小さく寝息を立てているその姿に、レフは安堵の息を漏らし、彼の髪を手ですく。
「それじゃ、あたしゃ自分の部屋にいるけど、何かあったら叩き起こしてもらって構わないから。あぁ、ロックスのケガも大丈夫だから。この子は随分と頑丈だね。だからレフ、あんたは心配しすぎないように」
ロックスを撫でてから、アマンダは部屋を出て扉を閉めた。そんなアマンダに、レフは扉越しに頭を下げた。
「ロックス、ありがとうな。クライヴを守ってくれて」
「クゥン……」
ロックスと目線を合わせるようにしゃがみ、レフは彼の頭を優しく撫でる。ロックスはひどく落ち込んでいるようで、尻尾を足の間に挟んでいた。
「ロックスがいなければ、クライヴはもっとひどい目に遭ってたかもしれない。ロックスがいなければ、俺はクライヴの元へ辿り着けなかった。だから、ロックス、ありがとう」
「……ワフ」
弱々しく、ロックスが返事をした。
「――それで、ロックス」
アマンダに聞こえないように小さな声で、しかしはっきりとした声で、レフはロックスに訊いた。
「一体誰が、こんなことをしたんだ」
その表情に浮かんでいたのは、怒り。もう、レフにこの感情を抑えることは、出来なかった。
「ヴォフ」
ロックスがそう答えると、扉へと向かった。レフは後を追うようにして扉を開け、静かにその扉を閉めた。