魔法使い飼いの魔女
防御のスフィア・ダール。
攻撃のエルネスティ・ライゼン。
そう呼ばれる私たち二人はこの軍事国家、ハイゼールにおいてのパートナーである。
広大な国土と、豊かな自然。恵まれた気候。そして――他国でも類を見ない魔物の出現率。この豊かな国が軍事国家としてあるのは、他国からの侵略対策というよりも魔物が日々出現することに由来する。豊かな土地というのは、魔物も育ちやすいのだ。
この国では平民・貴族関係なく皆一律に学校に通うことが義務化されている。義務期間は三年、以降の進学は個人の自由意志だ。義務期間中の三年間は一般教養のそこそこに教えるが、何よりも教えるのは魔物に対する防衛術である。魔力があるものは魔法学を、体術に長けたものは武術を、目立った適性が見られないものは魔物の生体学を。とにかく全国民、魔物から自身を守る術を学ぶ三年間となるのだ。
私とエルネスティは同い年で、学生の身ではあるが同時に軍の討伐隊に所属している。討伐隊は部隊として行動する者、私たちのようにパートナーとして行動する者や、単身で任務にあたる者と様々だ。個人の適性によって形態は変わる。私とエルネスティがパートナーとして登録されたのは十四歳の頃……つまりもう三年以上となる。
「スフィア、終わった」
「……ええ、お疲れ様」
私たちは有り体に言えば、相性がいいのだ。
私は攻撃魔法はからきしだが、魔力操作が得意だ。防御魔法、結界、拘束魔法に特化している。
対してエルネスティは国内でも随一と言われる爆発的な魔力を有しており、天才的とも言われる攻撃魔法の使い手だが、魔力を抑えることと防御魔法は得意ではない。
私が魔物を拘束し、エルネスティは拘束された魔物を討伐する。もしくは、エルネスティが攻撃し魔物を弱らせたところを私が拘束し捕縛する。
今回の討伐対象であったワイバーンは、今やもう丸焼き状態だ。あらゆる攻撃魔法に特化したエルネスティであるが、討伐の前に使う魔法は火魔法が多い。火、というか、もはや火力があり過ぎてほとんど爆発魔法といっても過言ではないのでは?という有様だ。まあ、時間が短縮できるからいいのだが。
硝煙を風魔法で軽く払うエルネスティに、軽い息をついて近寄る。そうすれば彼は慣れたように私に首を曝け出した。細いが、しっかりと筋肉があるその首を曝け出され、いつものことだが何かとてつもなく後ろめたいことをしている気になる、が、これは仕事の一環なのだ。
浅い息をつき、エルネスティの無防備な首に手をかざす。いつまで経ってもこの瞬間が苦手な私の動揺をエルネスティは敏感に感じ取ってくつくつと喉奥で笑っているが、無視だ無視。
抵抗しないエルネスティの首に、魔力の制限魔法をかける。
「………ん、いいよ」
エルネスティに言えば、顔を上げてにこりと笑った。先ほどまで派手な爆風を巻き起こした人間とは思えないほど、繊細な顔の作りをしているエルネスティがこんな風に人好き良さそうに笑うと、まるで王子様か何かのようだ。手触りの良さそうな銀髪がさらりと風に揺れ、綺麗なグリーンの瞳がキラキラ輝く。本当に、これだけ見ると貴公子のよう。後ろはワイバーンの丸焼きだけど。
エルネスティは私を労るよう、面白みもない私の赤茶の髪を撫でる。子供扱いしないで、という意思を込めて雑に払えばエルネスティはくつくつと笑う、動作をする。先ほどとは違い声は漏れない。
私が制限魔法をかけたからだ。
魔法使い飼いの魔女
私たち、というよりも私を嘲る人間はそう私を呼ぶ。
昔のエルネスティはそれはもう魔力操作が壊滅的に下手で魔力暴発や、魔力を垂れ流してしまうことによる魔力枯渇が多かった。普通に魔法を使っても、魔力調整ができない攻撃魔法はとても危険なのだ。冗談でも誇張でもなく、彼の実家は一度彼の魔法によって一画が焼けこげたことがある。
そんなエルネスティに私が初めて制限魔法を課したのは九歳の頃。決して出来の良いものではなかっただろうけど、魔力の相性が良かったのだろう。彼の魔力を制限することに成功したのだ。彼の魔力暴発にほとほと困り切っていたライゼン夫妻に大変感謝され……そのままの流れで彼専用の制限魔法使いになってしまった。
私に魔力制限を掛けられることによって、エルネスティは魔力を暴走させる危険因子から、見目麗しい貴公子と周りからの評価が変わった。
私によって制限されている魔力は、討伐依頼が入った時だけ私によって解かれる。そうして、制限魔法が解かれればまるで鬱憤を晴らすよう、派手に蹴散らして国へ成果をもたらす。彼の評価は鰻登り、ただの顔のいい貴公子ではなく、素敵で無敵な魔法使いとなった。
彼は顔が良い。顔が良すぎるが故に、いつしか彼の人気は国内でも絶大なものになった。
顔が良くて最強の魔法使いである。そして私は、その彼のパートナーにして普段の彼に制限魔法をかけている魔女だ。しかも私自身の攻撃魔法は役に立たないから、対魔物戦では彼を前線に立たせて討伐させている。故に、彼の自由を奪い顎でつかう冷酷非道な魔女……に見えるらしい。冷酷非道という部分はデフォルトが無表情で無口なためだ。つまり社交性もない私の噂はどんどん一人歩きし、結構露骨に侮蔑の表情を向けられることも多い。主に同年代の女の子に。
そもそもこの魔力制限はエルネスティもライゼン夫妻も、更には国も同意の上なのだ。国が認めてパートナーになっている意味を少し考えてほしい。しかし、上辺だけ見て非難してくる人間に割く時間も勿体無い、と噂を放置している自分も悪いということも分かっている。
私が現在彼に掛けている制限魔法に至っては、余ある彼の魔力の他に声まで奪っているのだから尚更外聞の悪さに拍車をかけている。いやしかし、本当に全部エルネスティに同意を得ているのだ。これでも。
浅いため息をつきながら、エルネスティと共に歩き、帰途を目指す。背の高いエルネスティと平均よりも背が低い私では歩幅に差があるのだけど、エルネスティといて私は歩みを急いだことはない。そういう節々を見てもらいたいのだが、至って良好なパートナーなのだ、私たちは。互いが足りないことを補い合って、信頼しあっている。……いや、やっぱりこんなこと、小っ恥ずかしいから他人に上手く説明できないな。少し火照る頬を俯き気味に隠したはずなのに、エルネスティはすぐに気付いてグイグイと、割と容赦のない力で突いてくる。痛いので叩き落ながらエルネスティを見上げれば、予想通りのニヤニヤとした笑みを向けられていた。
エルネスティと私は相性が良く、仲もいい。しかし、そんなエルネスティは私にだけは結構意地悪いところがあるのだ。
◇◆
「スフィア!もういい加減、エルを解放してよ!」
ワイバーン討伐後、王城へ成果報告をし、やっと久々の学園に戻ってきて一息ついていたところだいうのに、私の平穏は呆気なくも破られる。
エルネスティとのランチも終わり、しかしまだ昼休みの時間は残っていたので中庭の噴水付近でひなたぼっこでもしようと彼と歩いていたところだった。
平穏を引き裂くような高い声の主は、振り返らなくてもわかる。最近学園で遭遇するたびに私へ突っかかってくる女、ユウナ・キリュウだ。振り返る前から顔を顰める私に気付いたエルネスティが少し愉快げに笑う。私の表情が崩れたことが面白いらしい。悪趣味だ。
キリュウという女は、つい最近国に保護された異世界人だ。
この世界へ異世界のものがくることはあるが、それは召喚術を率いての契約召喚だ。契約召喚は召喚される前に契約者と召喚対象の間でしっかりと誓約を結んだ上で召喚される。
しかしキリュウは召喚術もなしにいきなりこの国にポンと現れたのだ。これには国も慌てた。召喚術も無しにくる異世界人……これは見ようによっては誘拐では?と。そんなわけでキリュウは丁重に、おっかなびっくり保護されたわけだけれど、当の本人はいたって図太く「えー!?マジ!?異世界転生最高じゃん!」だなんだとはしゃいだらしい。心臓がオリハルコンか何かでできているんじゃないか。そもそも呼んでもいないのに軽率に異世界に来るな。
……だめだ、落ち着け、落ち着け。
私は眉間の皺をグニグニと揉みほぐす。
あまり人と深く接さないが故、少しの陰口を言われたくらいでは私は興味を示さない。なんだったらあっちが敵意を持ってようと名前も覚えられない。しかし、この女の名前を覚えざる得なかったのは偏にしつこいせいだ。
本当に、学園に来るたびに私に突っかかってくるのだ。私は本来学園に来るのが好きである。特殊な結界が張られているためにここには魔物の脅威がない。安全な場で、好きなだけ知識を学べる。ここ高等部ともなれば、学ぶ姿勢さえあれば魔術でも魔物でも、それこそ政治でも歴史でも、とにかくどんな知識も、できうる限り授けてくれるのだ。知識は財産だ。ただの雑学として得た知識が戦いの糸口になることだってある。私は勉強することが好きだった。
それを、ここ最近キリュウに妨害され続けている。私のことを蛇蝎の如く嫌う女は何かにつけて私に突っかかってくるのだ。嫌いなら放っておいてくれればいいものを……と思うが、私のことは嫌いだがエルネスティは大好きらしい。だから一緒に行動することも多く、パートナーの私に突っかかってくる。
はあ、とため息をついて潔く振り返った。
「……増えてる……」
びっくりした。突撃してくるたびに彼女の取り巻きらしい男たちが一人二人と増えていっていたのだが、今日に至っては六人も引き連れている。
名前と顔の一致まではしないが、学園内でそこそこ有名な者もいた。そして、キリュウ以外は全員男性で、顔が良い。なんだか歌劇団か何かのようだ。
単純に数が増えていることに驚いている私に、キリュウはどう取ったのかはわからないが誇らしそうにフフンと笑った。
「私たちは王命を受けて、魔王を倒しにいくのよ」
「魔王……」
「そうよ、そしてこの大命においてエルは必要不可欠よ!大魔法使いのエル!」
芝居かかった口調でキリュウが言う。なんだか本当に歌劇団みたいだ。そう思っていると、何故かキリュウとその後ろにいる魔王討伐?の勅命を受けたというパーティーが構え始めて、ギョッとした。信じられないことに剣先や杖が私の方を向いている。
まさか学園内で私闘をするつもりか、というか女一人に対して全員でかかってくるつもりなのか?しかし私が目を見開いている内にも、剣士が突進してくる。勿論防御魔法で弾きはしたが。
「な、ちょ……あなたたち、何っ……!?」
「ふん、やっぱり初手は固いわね……まあでも初期の中ボス戦でパーティーはエル以外全員集めてる状態だし、チュートリアルみたいなもんでしょ。楽勝楽勝」
いっている意味がまるで理解できないことをキリュウが不気味にぶつぶつ呟いた。何から何までわからず困惑する。もちろんその間も防御魔法は張ったままだ。いや、本当に六人を相手取るなら簡易結界を張った方が早いかもしれない、と思いながらエルネスティを見上げた。見上げ、後悔する。見なきゃよかった。キレている。明確に、わかりやすく。
感情の抜け落ちた顔で目を見開き、六人を見据えている。この顔は、誰から順番に殺そうか考えている顔だ。私の体からサアッと血の気が引く。絶対にエルネスティの制限魔法を解いてはいけない!
しかしこの歌劇団にはこんなにわかりやすいエルネスティの怒りがわからないらしい。
「ああ!可哀想なエル!幼少期に暴発した魔力のせいであなたの両親は不幸にも……、その罪の意識から制限魔法を自らへかけるよう願ってしまった……、けれど気がついた時には声まで取られて魔女の人形になっていた……」
「いま助けてやるからな!ライゼン!」
「絶望を逆手にとってやることが狡猾だ……心底軽蔑するぞ、ダール」
いややはり私は彼女たちの演劇の練習にでも巻き込まれているのだろうか?だってキリュウが言うことがまるでわからない。
エルネスティの両親は不幸にも……で濁すのをやめてほしい。まるで死んでしまったかのように。普通に健康に生きている。私は二週間前にも彼ら夫妻に会ったし。
しかし、まるでキリュウの言葉が突拍子もない作り話かと言うとそうとも言い切れない。確かにエルネスティは幼少期に一度、実家の領土で魔力を暴発させている。
「………貴方がどこで、エルネスティの過去を知ったのかはわからないけれど。一つ聞かせて。貴方はエルネスティの過去を知りながら、以前私に魔物を見逃せといったの?」
「魔物を見逃せ……?は?」
「グリフォンの子供よ」
「………ああ、そんなこともあったわね。けど、それは当たり前じゃない。あんな小さな、私たちを害すこともできない魔獣一匹、見逃してやればよかったのよ。あれを殺すと言うなんて、やはり貴方は血も涙もない魔女だわ」
キリュウはわざとらしく重い息をついて、首を振る。
血も涙もない、そうと言われればそうだろう。私は、この世の全ての魔物を憎んでいるのだから。
私はキリュウという女が心底苦手だ。私に執拗に絡んでくるところ。けれど、一番は彼女とは話ができないからだ。
彼女は異世界人。故に常識の土台が私とは違う。
彼女とのファーストコンタクトは、彼女が正式に学園に入学する前だ。あの時は魔物討伐を終え、王都に戻り一人買い物へ出掛けていた。そして私は、路地裏に紛れ込む仔グリフォンを見かけたのだ。何故こんなところに、と目を見開き、しかしこの程度だったら容易な捕縛魔法で捕えられる。捕え、すぐに軍の殺処分場に持っていく予定だった。そこで悲鳴をあげて私を止めたのがキリュウだった。
こんな小さな魔獣を殺すだなんて可哀想だ!と。叫んだ彼女に捕縛済みのグリフォンは取り上げられた。返してと叫ぼうとした時に、ちょうどよく学者風の男が来て、グリフォンを逃がそうとするキリュウに感動していたのだっけ。キリュウはグリフォンを庇った割には、学者風の男がキリュウを褒めちぎることに悦を感じたらしく、手の内のグリフォンには興味を失い「やった!スチルゲット!」だの、やはりその時も私には理解できない言葉を呟きながら、男と共に去っていったのだけれど。
そういえば、その時の学者風の男が六人の中の一人としてそこにいる。あの時はわからなかったけれど、今まじまじと見ればあれは魔物学者のユーデルだ。変人と名高い、魔物を愛していることを自称する研究者。
あの時の彼がユーデルだとわかって納得した。この世界においてどんなに小さな魔物であろうと、保護をしろだなんていう人間は『変わり者』に属される。だって皆学ぶのだ、魔物がいかに恐ろしいか。幾度この国が魔物の脅威で落ちかけたか。そして、その脅威から身を守る術を義務として習うのだ。
幼いエルネスティが魔力暴発を起こしたのは、彼らの領地にグールの大群が押し寄せたからだ。グールはあの地域独特の魔物で、そして幾度となく領地はグールによって荒らされ何人もの犠牲者が出ていた。前当主夫妻、エルネスティにしたら祖父母も、その内に含まれる。だからグールを討伐した際に憎しみが余って、魔力を暴発させたのだ。
私も、エルネスティも魔物の恐ろしさをわかっている。たったひと吹きで村を焼き尽くすドラゴンを知っている。食事目的や縄張り争いなんかではない、魔物にとってみたらただの遊びで殺された命を、私は知っている。言葉が通じず、共存なんてできない命。それが魔物だ。
大切なものが魔物で殺される、そんな世界を生きていなかったキリュウにはわからないだろう。安全な、優しい世界にいたらしい彼女には。
「………やっぱり私、あなたとは相容れないわ」
「何それ、当たり前じゃない。貴方はしょぼい悪役で、私はヒロイン。相容れないわよ」
そう、彼女がクッと口角を上げて笑う。それこそ、貴方の方が悪役っぽい笑い方だけど、と呆れる間もなかった。今度は四人一気に切り掛かってきたから。
近距離の剣、援護の射撃、それと援護魔法に中距離射程魔法。ああもう、一つ一つはそれほどなのに、全部一気に来ると分が悪い。結界魔法に潔く切り替えて自分を囲む。
エルネスティが私の腕を掴んだ。目が切実に制限魔法を解けといっている。しかし、しかしだ……こんな殺気だったエルネスティが魔法を放ったらどうなるかわからない。冗談じゃなく死人が出る。それをさせないために私がいるにも関わらず。
最後の手としてエルネスティ……いやそれは本当に無理……と思い直し、ならばこのまま持久戦しかないのかとうんざりする。彼らが倒れるまで結界で保つか、あとは騒ぎに気づいた誰かが止めてくれるのを願う。
「クッ……本当に硬い!」
「防御の腕だけは一人前だな……っ!」
「執念深い女っ!」
口々に文句を言う彼らにムカつかないこともないが、何を言い返してもきっと話は通じない。そんな無駄をするくらいなら、もっと硬く、もっと強固な防御を貼り続ける。その硬さに、剣士が潔く弾き返され始めた。
もっと、もっと強くすれば!と更に力を込めようとしたところだった。舌打ちしたキリュウが大声で吠える。
「雑魚のくせに鬱陶しいわね!本当に!エルにみっともない片思いしてるから隣に居座ってるだけのくせに!」
「えっ……な!」
キリュウのその言葉に、思わず結界の手が緩む。
か、片思いって大声で吠えられた!ほんとうにこの女、なんなの!?人の感情に土足で踏み込むのにも程がある!誰にも……、それこそエルネスティにも伝えてない思いをどうしてこんな形で暴露されなくちゃいけないんだ!
顔がかあっと熱くなる。否定するだとかの言葉は、息が浅くなって全くできない。言い返せない。情けなくもジワリと涙が出そうになったのを、エルネスティが凝視しているのが分かる。しかしそっちには当然目なんか向けられなかった。だから、先ほどからこちらに切り込んできている剣士達の方を見るしかない。戦いに!集中するのだ!
顔は熱いし、涙目になりながらも、それでも八つ当たり気味に剣士を睨む。そうすると、相手がハッとした顔になった。よくわからないが睨んだことで動揺を誘えたのか四人ともの攻撃の手が緩む。ほっとしたのも、束の間。
「っ今よ!やっと隙を見せたわね!エル!魔法を今解いてあげる!」
そういって、キリュウがエルネスティに手を伸ばす。それは光魔法を……いや、違うこれ聖魔法だ。すごい、生で見たの初めて。そして私の今まで誰にも破られたことのない制限魔法がパキンと音を立てて解除されるのを感じる。
あー、……私の制限魔法って聖魔法には弱かったのか。これはまた改良の余地があるな、今まではエルネスティが破れないことを特化してばかり作ってたから………とか、半ば意識を飛ばして魔法のことを考えていたら体がふわりと、浮かんだ。体の拘束とともに。
しかしこの拘束というのは私の得意とする拘束魔法ではない。単純に、私の体をエルネスティが抱きしめている。その上で浮遊魔法で飛んでいるのだ。
エルネスティの匂いが広がって、エルネスティのちょっと低めの体温が伝わる。ヒュっと息を呑み、今度こそ顔どころか身体中が真っ赤になるのが自分でも分かった。
エルネスティの胸元からそっと顔を上げる。ものすごく離してほしいが、しかしその前に私のパートナーが人殺しにならないか不安だったのだ。おずおず視線を合わせると、エルネスティは、笑った。壮絶な色を帯びた顔で。
「ああ、……可愛い」
エルネスティは私に聞こえるだけの声でいう。壮絶な色気だ。口をパクパクすることしかできない私を、エルネスティは上機嫌に笑う。
それから私の頭を胸に押し付けるように抱え込んで、それからまさに文字通り、片手間に手をかかげた。
「殺そうと思ったが、今は最高に気分がいい。半殺しで勘弁してやる。………しっかりさっきのスフィアの顔は忘れろよ」
見なくてもわかる、あのいつもの嗜虐に満ちた顔で笑ったんだろう。下からヒッと引き攣った声がしたと思ったら、そのまま大きな悲鳴へと変わった。そろそろと下を見たら、大小さまざまの氷がものすごい勢いで落ち続けている。殺傷力のありすぎる雹だ。一生懸命彼らの中の魔法使いが対処しようとしているが、スピードも範囲も威力も全く追い付いていない。私だったらこういう状況、どうやって切り抜けようかな、とまた魔法のことを考えそうになった時だった。
「スフィア、この、魔法バカめ。………今の自分の状況、わかってるか?お前にいま逃げ道はないぞ」
呆れたようにそういうエルネスティに無理やり思考を戻された。エルネスティは、私の顎を掬って、視線を合わせる。にやりと笑うエルネスティが小さい声で「どうしてやろうな」とひどく楽しそうに呟いた。
そもそも。そもそもだ。
私の制限魔法によって喋れないエルネスティは、その王子様のような外見から学園内では色々勘違いされているが決して皆が思うような性格ではない。あんなに攻撃力にばかり特化し、殺傷力ばかり高い魔法を使うエルネスティが穏やかで温厚、素敵な貴公子……なわけがない。
わりと微笑みを浮かべてることが多いからか、勝手に勘違いするようだが私からしてみればエルネスティが浮かべるほとんどの笑みは愛想笑いか嘲笑だ。だからこそ、たまに本気の笑顔を向けられると心臓に悪いのだけれど。
エルネスティと私の出会いは九歳の頃。
エルネスティが魔力暴発を起こした日、私たち家族は実はただの旅行であの地にいた。本当にただの偶然の話だ。
領地内でグールが発生した際に積年の恨みと憎しみから殲滅後も暴走し、魔力暴発を起こして自我が保てなくなったエルネスティをライゼン夫婦は必死に抑えようとした。けれど、その頃から魔力量が半端なかったエルネスティは止まらず、領地から飛び出して今まさに魔法を放つというところで私と対峙したのだった。頭から血を流し、瞳孔が開いたエルネスティは、その美貌も相まってすごい迫力で、ものすごく怖かった。そのエルネスティと私は一対一、その場にいた誰もが助ける手が届かないと息を飲み込んだ時だ。
火事場の馬鹿力。私は泣いて悲鳴をあけながら迫り来る彼に魔法を放った。あの当時、一番自信を持って打てた魔法。――制限魔法だ。
驚くことに。当時の稚拙な私の制限魔法はエルネスティにクリティカルヒットだった。首にびしりとはまった制限魔法にエルネスティは苦しそうに呻き、それから膝をつく。
あまりのことに皆固まった後、いち早く正気に戻ったのはライゼン夫妻だった。
「お、おどろいた。お嬢さん、すごい腕だ……。息子は魔力量が多くよく暴走を起こしていたが、どんな質のいい制限魔法も効かず、我々も頭を抱えていたのに……」
「スフィア!だ、大丈夫か!?」
慌てて私の親も追いかけてきて、腰を抜かした私の背を撫でた。ライゼン夫妻は私と両親に何度も詫びた。私が無傷であることを知ると、涙が滲む目でよかったと言ってくれる。いい人たちだな、といまだにバクバクする心臓を押さえながら思った。
「いやしかし……お嬢さんは本当にすごい……魔力の相性だろうか?ずっと息子についていて欲しいくらいだ……」
「え、いや……そんな立派なことじゃ……そもそも私が使ったの、一般的な獣へ向けた制限魔法ですし……」
「はぁ?」
そこで、エルネスティが初めて声を上げた。彼は血に塗れながらも私を睨み上げる。先ほどと違い瞳孔は開いてはいないが、怖さはそのままだ。ヒって小さく悲鳴をあげる私に、エルネスティはフンと皮肉げに嘲笑した。
「お嬢様にはこの俺が手負いの獣に見えたってことか?ハッ……」
「バカ息子が!その通りだろうが!」
血みどろの我が子へ、エルネスティのお父さんは容赦なく拳骨を落とした。怪我を思いやるという姿勢がまるでない。それも怖くて父の後ろに思わず隠れると、エルネスティがさもおかしそうに笑った。頭はどうやら痛くないらしい。頑丈すぎる。
エルネスティは立ち上がり、私の方へ来た。しげしげと私を上から下まで眺めてから、すっと私の手を取る。それだけ見ると、王子様のようだった。血みどろだけど。
そうして私の指先へ口に寄せ――噛んだのだ。ガブリと。
「ヒッ!?」
「獣に首輪つけたなら、最後まで面倒見ろよ。ご主人様?」
そういって、ニタリと笑う顔は言葉とは反対に酷く反抗的なものだった。し、男の子とこんな触れ合いしたことなんてなかった私は混乱しきり、後ろに大きくのけぞってそのまま倒れる。エルネスティはそんな私を大笑いして、エルネスティのお父さんに――今はもう、おじさんと言っているが――張り倒された。
そんな色んな意味で忘れられない初対面となったライゼン一家との出会い。散々謝罪され、感謝され、私たちはライゼン領を出たのだが。
エルネスティを止めた魔法を私から聞いたおじさんはこれでもう一安心だと胸をなで下ろしたが、おじさんや腕のいい魔法使いが同じように魔法をかけてもからきし駄目だったのだ。解けてしまう、というより魔法を解かれた側からしたら食いちぎられてしまう感覚に近いらしい。おかげで魔法使いの間で狂犬エルネスティと噂が広まってしまい、おじさんがいくら頭を下げてもエルネスティへ制限魔法を施す魔法使いはいなくなってしまった。
そんなわけで、おじさんは程なくして私の前にまた頭を下げて現れたわけだ。なぜか一人満足げに笑うエルネスティを連れて。そこから今まで、ずっと長い付き合いになる。
エルネスティと私は魔力の相性がいい。だから名の知れた魔法使いでもできない制限魔法を私はエルネスティにかけられる。といっても、今でこそほぼ完璧にかけられるが、最初の頃は失敗もした。生半可な魔法だとエルネスティに解除されてしまうのだ。不思議なことに他の魔法使いが感じるような食いちぎられるような感覚というのはなかった。だが、解除をするとエルネスティは物理的に私を噛んでくる。あの初対面の時のように。エルネスティは甘噛みだと言い張るが、私からしてみれば結構痛いのだ。
あと、時折鼻とかを噛んできたりするから単純に近さにドギマギして心臓に悪い。だから私は、いかにエルネスティに解かれない制限魔法をかけるかを常日頃から一生懸命考えている。
「そうやっていつも俺のことだけ考えてればいーんだよ」
そう言うエルネスティは意地悪な顔だけれど、上機嫌でもいてくれるので。
一度おじさんがエルネスティが不在のおりに、私の両親に深々と頭を下げながら「スフィアちゃんを生贄のようにしてしまってすまない……しかしもうスフィアちゃんじゃないとうちのバカ息子がどうにもならないんだ……本当にすまない……」と言ってきたことがあった。いくらなんでもエルネスティを悪く言い過ぎでは?と思ったが、口を挟めるような感じではない。父はエルネスティに対してフォローをしようと言葉を探したようだったが、うまいこと言えず閉口していた。私と同じであまり口が上手くないのだ。
代わりに、とでもいうように母が「でも娘はエルネスティくんが大好きみたいで。無表情のスフィアが、エルネスティくんの前だとよく表情を変えますし……」と、たどたどしく言う。私はいきなりの暴露になんと言ったらいいのか分からずにただ顔を赤くして俯いた。ちなみにエルネスティに恋していることも、よく表情を変えることも本当だけど、必ずしも笑顔なわけではない。エルネスティは意地悪なことばかりいうので。
しかしおばさんには衝撃だったらしい。驚いた後、何か気の毒なものを見る目で「スフィアちゃんはこんなにいい子なのに、男を見る目だけはないのねぇ……」と悲しそうに言った。だから、エルネスティのことを悪様に言い過ぎでは?おじさんもなんとも複雑な顔をしながら「世界平和とは絶妙なバランスで成り立ってるものなんだな」と遠い目をした。
ちなみに一人不在だったエルネスティはその時何をしていたかと言うと、騎士団による取り締まりを受けていた。街中で絡んできた不良崩れを煽りに煽ってから先に手を出させ、あとは正当防衛だといって相手の顔の形が変形するほど殴り返したらしい。ちなみに制限魔法はかけられていたので、素手での犯行だ。
帰ってきて、エルネスティは魔法だけではなく言葉を発せなくなる制限まで付与された。お前の口は災いだとおじさんに断じられて、おばさんは私に一思いに魔法の封印と一緒にやってほしいと縋ってきた結果だ。当のエルネスティといえば、やはりあまり応えた様子はなかったが。エルネスティが十二歳の頃の話である。
エルネスティは私が制限魔法を掛ける時、意外にも嫌がったことはない。もう彼には制限魔法はいらないはずなのに。
というのも、彼の魔力量は増え続け、本当に底なしなのでは?というくらいになっていたが、魔力暴走を起こさないような術はやろうと思えばできる、はずなのだ。はずとつくのは、彼がやろうともせず、私にやらせ続けているからだ。しかし、彼ほどの才能ある魔法使いが、幼少期はさることながら、今もできないはずはない。
しかしエルネスティはできないと一貫していうし、私に首を晒しては制限魔法を掛けさせる。十四の頃、彼本人に魔力制御を覚えたらいいと言ったことがあった。しかし、彼は鼻で笑うだけ。
「ふるふる真っ赤になりながら、俺に制限魔法をかけるご主人様を見るのが好きなんだ」
「………趣味悪い」
「忠犬だろ?自分から首輪をもらいに行ってんだから」
首輪をされてる間は従順でいてやるよ、とエルネスティは低く笑って言った。じゃあ、制限魔法をつけていない時は?と聞き返したかったが、何やら聞いたら最後、底なし沼に引きずられそうだっから、私は黙って制限魔法を掛け直す。彼は、やはり笑っていた。
首輪を嵌めているのは確かに私のはずなのに、私の方が首輪を嵌められている気分になるのは、なぜなのだろう……。
「首輪、外れちまったなご主人様」
「あ、えっ、と。首、出して……」
ぎゅうと私を抱き締めるエルネスティは喉でくつくつ笑いながら「やだ」といって私の肩口にぐりぐりとじゃれるように顔をひっつける。……ひ、肩口から見上げてくる顔がとんでもなく綺麗だ。心臓に悪い。顔の赤みが引かず、冗談じゃなく溶けるんじゃないかと危惧する。けれど腰を引こうとすれば、逆にエルネスティの腕が私の腰に巻き付いて引き寄せられてしまう。
もうどうしたらいいか分からず、エルネスティの胸元の服を握る。そうすると、エルネスティがピクリと反応した。
エルネスティの顔が少し持ち上がった、と思ったらそのまま私の首筋に唇を寄せてきたので、体がビョンと伸び上がる。そんな私の様子に彼が低く笑う。その、笑った吐息が首筋に振動して、またびくりと揺れてしまう。彼の顔が這うように上がっていき、チュ、チュ、とわざとらしく小さなリップ音を立てて唇を落としていく。硬直するどころじゃない。
ど、どうしたらいいかわからない……。
擽ったくて、変な声が漏れそうになるのを堪えるので精一杯だ。恥ずかしすぎて、訳もわからず涙が滲んできた。
しかし私の動揺なんてどうでもいいと言うふうに、エルネスティの唇が私の耳まで到達して、耳を――舐めた!
「ひゃっ、っふ……!」
さすがに、予想外すぎて変な声が漏れる。エルネスティはいつものように笑うかと思いきや、一瞬息を詰めたようだった。
こちらを向く。獰猛な、本当の獣のような目だった。射抜くように私を見て、そのまま唇に噛みついてこようと――
「だ、だめ!」
ばちん、とそんなエルネスティの唇を両手で止めた。途端、エルネスティは不満そうな顔をする。顰めた顔は色気があるが、……!いや!この人、人の押さえてる手!舐めた!また!
私は慌てて手を引いた。そうすると、エルネスティはフンと笑ってから、コツンと額と額を合わせた。
「だめってなんだよ」
エルネスティは少しだけ、拗ねたようにいう。う、ぐ……。その顔もなかなか心臓に悪いな、と思いながら、私は負けずに口を開く。
「え、エルネスティの気持ち、聞いてない……」
そう、蚊の鳴くような声で言えば、エルネスティが虚をつかれたように目を大きく開いた。
それから、一回息を吐き、口を開く。
「スフィア、俺は、」
「ッ隙あり!」
しかし、言葉なんて言わせるものか!
私は無防備だった首目掛けて、いつも掛けている声の制限魔法を掛ける。高速詠唱ではあったが、あの時以来の火事場の馬鹿力であり、私自身にも信じられないくらいの完璧な制限魔法だ。
さすがにエルネスティにも予想外の展開だったらしい。ぽかんとした顔をして、それから……エルネスティは壮絶な顔をして笑った。今まで見た中で一番綺麗で……一番魔王のような顔だった。
エルネスティは全てを理解したように自身の喉を摩る。目は、据わっている。
「……今までで一番丹精込めた、声の制限魔法………」
エルネスティが何も言わない、もとい何も言えないので、私はカラカラに乾いた声で呟く。先ほどの体の熱は、今や氷点下にまで落ちていた。
ダラダラと冷や汗が落ちる私に、何か深い考えがあったわけではない。ただ、今あの場を切り抜ければどうにかなってしまうと思ったのだ。あと多分、やられっぱなしだったからちょっとやり返したかった、のだと思う。深層心理としては、多分。
しかしこうなってしまうと、自分がなぜこんな暴挙に出たのかわからない。重要な選択肢を間違えた気がしてならないのだ。
エルネスティはしばし口を閉じてから、私の顎を掴み無理やり目線を合わせた。
それから、口パクで分かりやすく伝えた。
『上等だ』
こんなに綺麗に笑いながらキレる人、初めてみた、と、私はさながら氷魔法を直で食らったかのように凍りつきながら思った。
◆◇
「空中のラブロマンスって初めて見たなぁ」
そう、とぼけていってみたスフィアとエルネスティと普段から親交がある学友――王太子デリックは上空をオペラグラス片手に見上げていた。
さっきから堂々と上空でのロマンスが繰り広げられているが、その下は正しく阿鼻叫喚の地獄絵図である。降り止まない狂気的な氷魔法は、最早エルネスティの八つ当たりまで追加されて酷いことになっていた。そろそろ助けをやらないと、半殺しどころか十分の九殺しになりそうだ。それは困る、先ほど彼ら自身が言った通り魔王討伐隊のパーティーなのだ。これでも。
氷魔法から死に物狂いで抜け出したユウナは息も絶え絶えになりながらも頭上を見上げた。未だ浮かび続けるスフィアとエルネスティを。
こんな目にあってもスフィアに反抗的な目を向けられるのは、なかなか根性がある異世界人だなと、デリックは少しだけ彼女を見直した。
「な、なんなのよあいつら!こんなの【聖女と七人の勇者】と全然違う!こんなシナリオじゃなかった!スフィアは悪役魔女で、エルは悲劇の魔法使いのはずなのに!スフィアをここで倒してエルはパーティーに加わるのに!」
ぎゃーぎゃー喚くユウナを少し引いた目でみた。よくわからない単語のオンパレードだ、さすが異世界人。
そもそもこの決闘騒動を割と早い段階から見ていたデリックとしては、スフィア一人相手に堂々と七人がかりで倒しに行こうとしていたユウナという女の人間性を疑っていた。が、止めなかったのはそれくらいの卑劣さがないとこれから先、過酷になるであろう旅も切り抜けられないだろうという心からだ。
あとは……彼なりにエルネスティのことを考え、ガス抜きさせてやろうかななんて思ったからなのだが。
ここ最近のエルネスティはいよいよ行き詰まっていた。何をと言えばスフィアへの思いを、である。
エルネスティは長年(彼なりに、とつくが)大事に抱え込んでスフィアを慈しんでいたのだが、そろそろ限界に近かった。彼にしては殊勝にも、男として踏み出しても怯えなくなる程度には彼女の気持ちが育つのを辛抱強く待っていたのだ。
当のスフィアもエルネスティを憎からずは思っているようだが、彼が抱えるおどろおどろしいほどの執着と比べると、まるで種類が違う。綺麗で温かく、陽だまりのような好意。俗物的な話ではあるが、彼は多いに悩み、困った。彼女のその思いは……情欲を孕むものなのか?真剣に分からなかったのだ。無欲な好意など、エルネスティからしたら一番タチが悪かった。下手に裏切れないではないか。そんなエルネスティの生殺し期間は長かった。
加えてここ数年で密かにスフィアの人気が上がっていることも彼の不機嫌に拍車をかけた。スフィア自身は思い違いをしているようだが、スフィアの評判は全体からしたら悪くはない。むしろ尊敬されているレベルだ。子供が多い学園内ならいざしれず、一般の評価としては学生の身分で討伐指令を受け、鉄壁の防御を見せてほぼ全ての指令が無傷帰還。加えて、彼女単独としては国境付近の防御結界の司令を請け負っている。
防御のみだ、と彼女は謙遜するが防御魔法がこんなにも卓越している魔法使いは他にいない。
彼女は自分をエルネスティのおまけ程度に考えてるようだが、そもそも彼のパートナーということも彼女の人気に繋がるのだ。二人は凹凸のように互いの欠点を補い合って討伐を完璧にこなす……というかあのエルネスティに着いていけるのがまず信じられない、そんな風に。
ちなみにデリックの個人的な見解としては、エルネスティが防御魔法関連を学ばないのは分かりやすいにしても、スフィアが攻撃魔法が得意ではないというのも疑っている。裏でエルネスティが操っているのではないだろうか。「このくらいの攻撃魔法じゃまだ前線には立てない」だなんだと吹き込まれている、だとか。素直なスフィアが攻撃魔法の天才にそんな風に言われてしまえば、自分は攻撃魔法ができないと思い込むのは道理である。
そう、無口無表情、人への興味がない割にどこかあどけなく素直なのだ、スフィアは。そもそもスフィアはあまり派手ではないが美人な部類だ。アーモンドのような綺麗な形をした目は大きく、シュッとした猫を思い浮かばせる。誰にもツンとして、懐かないような。しかしそんな彼女はエルネスティの前ではやや表情が豊かになる。目を潤ませたり、困ったように眉を寄せたり、何よりも顔色がよく変わり、隙を見せるように真っ赤に染まった照れた顔を見せられると男女問わず胸を押さえたくなるのだ。あまり見すぎると隣の男から射殺さんばかりの視線が送られてくるので、大っぴらにはできないのだが。ちなみに友人のカテゴリーにいるデリックに対しては、言葉は僅かに多くなるし控えめな笑顔もくれたりする。こんな妹いたらいいのになぁとデリックは常々思いながら、癒されていた。
と、そういう前置きがあり。エルネスティは行き詰まっていたということである。
そろそろ齧り付きそうだ、と魔物討伐中にスフィアをまっすぐ見据えながら低い声で呟いていたという旨を、青い顔をした部下から報告されたのだ。だから今回の馬鹿騒ぎ、もとい学内の決闘というのを黙認して、派手に暴れさせてやろうと思った、友として。エルネスティは仕事として魔物を狩るが、趣味としては人間の悲鳴の方が好きなので。
しかし何やら友人への気遣いは失敗だった気がした。ガス抜きさせるどころか、今が一番暗黒面に落ちている。そしてスフィアの方も完全に自業自得ながら、地獄への一歩を踏み出していた。
頭はいいはずなのに、スフィアはたまに選択肢を絶望的に間違えることがある。
なんでわざわざ、腹を空かせた狼に待てをさせるんだろう。待てを解いた時にどうなるかなんて想像に容易いだろうに。
デリックは今後のことに少しだけ身震いしながら、切り替えるようにユウナを振り返る。
「よくわからないですけど、まあパーティーなんて一人足りなくても大丈夫でしょう?」
「だめよ!エルの魔力がないと火力切れでこの先のボス戦勝てっこない!」
「それはあと六人の方にも頑張ってもらって……。と言うかそもそもですけど、エルを旅に同行なんて王宮が許可しません。エルが不在の間、この国が魔獣に攻め入れられたらひとたまりもないし。そもそもそうなるとスフィアもいなくなる事になる。スフィアは国境付近の結界番もやってもらってるので困ります」
「スフィアなんかいらないわよ!欲しいのはエルだけ!」
「………いや、だからエルが欲しいならばスフィアがセットになるでしょう?」
何を言っているんだ異世界人。一足す一が二だというような簡単なこともわからないのか?本気で訝しがるデリックに、ヒステリックにユウナが吠える。
スフィアとエルネスティが二人で一人みたいな扱いすることのほうがおかしいでしょ!と、……そう言った瞬間に見事なコントロールで氷塊がユウナの頭に落下した。今度こそユウナは気絶する。
おお怖、よくもまあこっちの話まで聞いているな。
そういえばこの異世界人、さっき仔グリフォンを逃したとか言っていたな。魔獣を故意に逃すのは立派な罰金刑だ。昔同じように甘い気持ちで仔の魔獣を秘密裏に民間で飼い、成獣になった頃に村が半壊した事例がある。あとで聴取をとらねば。
そんな明後日の心配をしながらも、もう一度デリックは数少ない心許した友人らを見上げた。
まあしかし、見ていて飽きない二人だ。
一番は勿論国のためではあるが、そもそも友人として彼ら二人に旅立たれてしまったら日常がつまらなくなってしょうがない。異世界人の要望なんて当然却下だ。あと一人パーティーが欲しいならどこかそこらへんの美形を捕まえてどうとでもしてくれ。六人もたらし込んでいると言うことは、おそらく得意なんだろうから。
「最強の矛と最強の盾の対決ですねぇ。どっちが勝つのやら」
攻撃は最大の防御なり。では、防御は最大の攻撃になりえるのだろうか?……今回のスフィアの行動は、エルネスティにとってみたら、最高のカウンターだったろう。
けれど、結局スフィアのそういうところがエルネスティは好きなのだ。素直でまっすぐなのに、一筋縄ではいかないところが。
デリックはいつスフィアのことを好きになったのか聞いたことがある。そうしたら意外にもエルネスティははっきりと答えてくれた。「魔力暴走起こした俺に、プルプル震えながら魔法で対抗してきた時。あいつ、自分が思ってるより根っからの魔法使いなんだよ」……そういって、常ならず穏やかに笑った友人。結局、ああ見えて一目惚れかと驚いたのは、昨日のことのように思い出せる。妙にエルネスティのことを気に入ってしまった日だ。
今も昔も、傍迷惑な最強魔法使いペアを眺めながら、デリックは苦笑した。
お読みいただきありがとうございました。
以下蛇足の設定。
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ユウナは異世界既知転移です。(本人は転生と言ってますが、別に転生ではない)
アプリゲーム【聖女と七人の勇者】の世界のヒロイン枠。友情あり恋愛要素ありのゲームで、魔王を倒しに行くのが最終目標で、いまは一章の仲間集めのところ。
ゲームの中のエルは、ユウナが言ってるよう、魔力暴走で自らの両親を亡くしてます。防御魔女スフィアを頼って自身の魔力に制限を作って自罰的に生きていく。防御魔女スフィアは最初はエルを良いように扱おうとするんだけど、段々エルを恋慕うようになり、暴走していく……ところをヒロインたちが救出していくストーリーです。ゲームではバーサーカ状態をヒロインと共に克服して常識人なクーデレ化しますが、現実では両親の死亡回避に成功してバーサーカの自分を受け入れる道を選んだ影響でこんな性格になってます。
ユウナが本編途中でスフィアの片思い云々をいうのは、ゲームの中でヤンデレ気味にエルへ恋してたから。一側面ではあるのでヤンデレになる要素もきっと持ち得ているんだろうけど、エルが上記の状態なのでヤンデレへのフラグが立たない。
最後に出てくるデリック王子は隠しキャラで条件満たすと途中で仲間に加わるキャラです。ただしゲームじゃない世界では絶対に仲間に加わりません。ヒロインに興味がないから。
ゲーム通りにはならないけど、ユウナ以外に既知転生者は一人もいません。