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白銀の狼  作者: 結月 花
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第11話 重なり合う心身

 全てを片付け、レティリエ達は村の外にある自分達の家へ帰る。彼らの家で療養していた狼は、グレイルに運んでもらって無事に彼の妻子の所へ送り届けられた。

 

 レティリエは寝台にあぐらをかくグレイルの傷の手当てをしていた。上半身だけ服を脱いだ彼の正面に座り、傷口を清潔な布巾で拭いていく。幸い傷はそれほど深くなく、傷口は既に乾いていた。

 包帯を巻くために彼の懐に入り、正面から背中に手を回す。普通の狼より恵まれた体格を持つグレイルと並ぶと、小柄な自分の体がすっぽりと収まる。頭上に彼の視線を感じ、四方を彼の体に包まれる感覚に、レティリエの胸が少しだけ高鳴った。

 もう夫婦になってから随分経つが、こうやって彼が男である事実を目の当たりにすると、未だに胸のときめきを感じるのは我ながら呆れてしまう。なんだか急に気恥ずかしくなって少しだけうつむくと、静かな息遣いと共に動く彼の胸板が目に入った。

 月光に照らされて浮かび上がる筋肉の影が石造りの彫刻の様で、レティリエは暫し見とれてしまう。小さなものまで含めるとあちこち傷だらけだ。だが、自分を、村を守る為の盾となるその体はとても美しかった。

 思わず手を伸ばして指でそっと腹筋の溝をなぞる。そのまま下に滑らせると臍の左側にある古い傷に指先が当たった。かつて自分が人間に拐われた時に、助け出そうとして奮闘した彼が負った傷だ。あの時から時間は経っているが、それでも傷跡はまだ生々しく、赤黒い筋を残している。


「傷、残っちゃったのね」


 ポツリと呟くと、グレイルが頭上で微かに笑った。


「かつてのドワーフの医師には、お前を守った勲章だと思えと言われたぞ」

「うん……でも痛かったのかなって思って」


 言いながらそっと傷跡を指でなぞる。

 指先に伝わるくっついた肉の盛り上がり。怪我を負わされた時はきっと自分の想像を越えるほどの激痛だっただろう。今までも、今回も、いつでも痛い思いをするのは、自分ではなく前線に立つ彼なのだ。きっと今後起こりうる戦いの場でも、彼は先陣を切って戦い、その身を危険に晒すのだろう。

 今朝の戦闘場面が脳裏に浮かび、レティリエが悲しげに瞳を揺らす。


「私、あのあとすぐに木の影に隠れていたの。離れた所からあなたのことをずっと見ていたわ。二対一であなたが戦わなきゃいけなくなったのを見た時は心臓が止まるかと思った。私、あなたの狩りをする姿もそんなに見たことがなかったから……」


 その時の記憶がよみがえり、レティリエが口をつぐむ。初めてみる狼同士の死闘。三匹がもつれ合い、互いが互いを殺そうとする気迫は、遠くにいるレティリエをも圧倒していた。今回は決着がつく前に敵が退いたものの、一歩間違えればもう彼と言葉を交わすことは無かったかもしれない。


「私、すごく怖かった。あの牙が、爪が、少しでも届いてしまったらどうしようって。あなたが目の前で動かなくなるのを見てしまったらって。ごめんなさい、本当はこんなこと考えちゃいけないのに……」


 レティリエの目からポロリと涙がこぼれ落ちる。せきとめられていた堤防が決壊するかのように、まばたきと共にこらえていた涙があとからあとからあふれでた。


「……生きててくれて、ありがとう」


 嗚咽と共に言葉を吐き出して顔を覆うと、グレイルが右手を伸ばしてレティリエの頭をそっと撫でる。目に涙を溜めながら顔をあげると、自分を見ている優しい眼差しがそこにあった。


「レティリエ」


 静謐な闇に低く響く声が耳朶をうつ。自分の頭を撫でる彼の手が首もとまで滑りおり、そのまま前に引き寄せられる。同時にゆっくりと近付いてくる唇に、彼の意図を察してレティリエは静かに目を伏せた。唇に柔らかいものがふわっと押し付けられ、そのまま体がゆっくりと後ろに倒されるのを感じ、レティリエは目を見開いた。

 

 目の前に見える、白い天井と精悍な顔立ち。衣服がスルリと体を滑る感覚に驚いて彼の目を見ると、請うように自分を見つめる金色の瞳が揺れていた。グレイルの指がレティリエの滑らかな肌を滑り、意思に反して体がピクリと反応する。


「グレイル、待って」


 レティリエの静止の声は強引に唇を塞がれることで闇に溶ける。そのまま彼の鼻先が首筋を通って肌を滑り、所々に落とされる唇の感覚に、レティリエは思わず彼の頭にすがりついた。短い髪の毛がチクチクと素肌を刺激し、その感触がくすぐったくも心地よい。

 グレイルがそっと顔をあげると、精悍な顔立ちと至近距離で視線が交わる。その瞳は切なげに、どこか悲しそうな色を称えていた。


「レティリエ、戦いの中に生きる俺達は、常に生死と隣り合わせだ。俺はその覚悟ができていなかった。いや、わかっているつもりだったが、本当の意味では理解していなかった。戦いがどういうものであるのかを」


 グレイルの鼻先が首に触れ、レティリエの体が甘い悲鳴をあげる。そっと彼の名前を呼ぶと、グレイルが顔をあげてふっと微笑んだ。


「レティは柔らかいな。女の子だ」


 固くてゴツゴツとした右手が頬に添えられる。


「ふわふわで、柔らかくて、甘くて、俺とは全然違うんだな。でも、死んでしまえばもう永遠に感じることができない。この感触も、温もりも」


 ──だから、触れられるうちに沢山感じさせてくれよ。


 グレイルの声色に哀情の色を感じてハッとする。

 ああ。きっと彼は覚悟を決めてしまったのだ。前線に立たねばならない彼は、きっといつか自分を置いていくのだということを。この触れあう一時が、常に最後であるかもしれないということを。


(そんな、いつ死んでしまっても良いようなことを言わないで……)


 胸がつんとして涙が一筋こぼれ落ちる。だが、喉からでかかった言葉は飲み込まれた。その言葉を口にしてはいけない。彼の覚悟を揺らがせてしまうから。自分達は、個々ではなく種族の為に生きる者なのだから。


 だから、やがて死が二人を分かつまで、この甘美な悦びを、互いを触れあう感触を、記憶に刻みこもう。何度も、何度も。


 身を起こして彼の体にすがりつく。

 重なりあう甘い吐息は夜の闇に溶けて消えた。



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