第51話 女同士の戦い
一方、レティリエは使用人と対峙していた。扉がしまった瞬間に体が震えるのを感じたが、必死に拳を握ってなんとか落ち着こうと息を吐く。
自分は今からここで、なるべく多くの時間を稼がなければならない。レティリエは心を落ち着かせるように部屋の中をぐるっと見回した。ここはかつてグレイルと関係を持たされそうになった因縁の場所だ。奇しくもここで別の男と対峙することになるとは思っても見なかった。
目の前の空っぽの檻をぼうと見つめていると、使用人が乱暴に肩を掴む。その痛みでレティリエはハッと我に返った。
「おい、俺は持ち場を離れてるんだ。さっさと終わらすぞ」
使用人が苛立ったように声をあげる。その手をレティリエは振り払った。
「待って。そんなに乱暴に触ったら花が崩れてしまうわ。私、この後奥様に呼ばれているのよ。ドレスが台無しになっているのを見たら、奥様に不審がられるわ」
こちらがこの場の主導権を持つために、わざとあけすけな口調で言い放つ。奥様と言う言葉を聞き、使用人がたじろいだ。やはり彼もマダムの存在は驚異らしい。
「チッ。それならさっさと服を脱げ」
「私、脱ぎ方がわからないのよ。ドレスってとっても複雑な構造なんですもの」
「ならば俺が脱がせてやる。来い」
「いやよ、あなたは武骨そうだもの。ドレスが破れたら、あなたこれを弁償できる?」
レティリエの言葉に使用人が不愉快そうに眉根を寄せた。
「ならばどうするんだ」
「ちょっと待って。この花を外すわ」
レティリエが床に座り、ドレスから生花の花飾りを丁寧に取った。花飾りをつけるときに、玉どめはしなかったから綺麗にするっとドレスから外すことができるようになっている。だが、その代わりに一つ一つしっかりと縫いつけてあるのだ。レティリエは時間をかけて糸をほどきながら、丁寧に飾りを外していった。
胸元、腰、背中と順に飾りを外していく。ドレスの裾回りには沢山飾りをつけておいたから、十分な時間稼ぎになるはずだ。
慎重に飾りを外していくレティリエを、使用人は落ち着きなく足ぶみをしながら見つめていた。だが、もとより気が短く、頭がそれほど回らない使用人は、だんだんと苛々してきた。
狼の耳と尻尾はあるものの、目の前にいる女はとんでもない美女だ。陶器の様な白い肌や、ほっそりとした肩や腰、意外と豊かな胸元を見ているうちに、彼の中の欲望が鎌首をもたげてきたのを感じた。
「おい、もうそれくらいでいいだろう」
大部分の花飾りを取った所で痺れを切らせ、レティリエの肩を掴む。レティリエは突然の使用人の行動に目を見開いた。
「待って。まだ花飾りが全部取れていないわ。このままだと奥様に……」
「そんなの、転んだとかなんとかいくらでも理由はあるだろう。俺には時間がないんだ、いい加減にしろ」
そう言うと、無理やり地面に押し倒した。慌てて身をよじろうとするが両腕をがっちり捕まれて身動きが取れなかった。
(とうとうこの瞬間が来てしまったわ……)
この部屋に入った瞬間から、遅かれ早かれこの事態に直面することは覚悟していた。それでも、やはり怖いものは怖い。視界も心も何もかもを閉ざしたくてレティリエはぎゅっと目をつむった。
視界の裏側に、愛しい人の姿が浮かんで消えた。
使用人の手がスカートの裾にかかった瞬間、ガーーンと耳をつんざくような轟音がして、部屋の扉が乱暴に開くのが見えた。
「一体ここで何をしているの!!」
扉の向こうにいたのはマダムだ。ギャスパーと、その他数人の男の使用人も後ろに控えている。
「おおおお奥様!! もっ……申し訳ありません!」
使用人の顔が恐怖に歪む。慌ててレティリエを放し額に頭をこすりつけて許しを乞うが、マダムは冷ややかに視線を投げた。
「こいつを連れ出して」
マダムの言葉に、後ろに控えていた男が前に出てきて使用人を殴り付ける。骨に響くような鈍い音と共に使用人が床に叩きつけられた。そのまま男達に引きずられるように使用人は部屋から消え去った。
「さて、これの理由を説明してもらおうかしらね」
マダムが鍵束を床に投げつける。思っていたよりも薬の効果がきれるのが早い。だが、冷静な口調とは裏腹に、鬼のような形相をしている彼女の顔が、狼達が無事に逃げ切ったことを物語っていた。
「ギャスパーが部屋に来なければ今頃どうなっていたのかしら。メイドを呼びつけても誰も来ない。湯浴みの準備すらできていない。様子を見に行かせたら、使用人は皆食堂で熟睡している……これは皆あなたの仕業なのかしら、レティリエ?」
「ご明察の通りですわ、奥様」
挑発するかのごとく、冷ややかに返答する。その態度に神経を逆撫でされたのか、平静を装っていたマダムのこめかみに青筋が立った。
「まったくもって生意気な犬ね! 恩を仇で返すとは恥を知りなさい!」
「恩? あなたが勝手に私を自分の駒に仕立てあげただけじゃない! 恨みこそすれ恩だなんて感じたことないわ!」
とうとう言ってやった。レティリエの言葉にマダムは憤怒で目を吊り上げる。だが、ここで激昂しては相手の思うツボだと、マダムはふっと一瞬目を閉じると無理やり顔に笑顔を張り付けた。
「そう、そこまで言うならもう命は無いと思いなさい。あなたを蔑んでいる仲間の為に命を賭けるなんて、馬鹿な女ね。きっとあなたの大切なお仲間は、体のいい厄介払いができたと今頃高笑いしているわよ」
マダムが勝ち誇ったように言う。お前の死は無駄死だと言いたいのだろう。だが、それは狼のことを何一つわかっていない発言だ。
「いいえ、奥様。高慢な人間にはわからないでしょうが、私は狼という種族の為に戦っているのです。人間に支配された種族と汚名がつくくらいなら、私の命なんて惜しくはないわ」
狼は群れの為に生きる生き物だ。種の誇りの為に命をかけるくらいわけはない。ぐっと握りしめた拳と共に闘気が胸に宿る。
「それに、どうせ死ぬなら、私はあなたの人形としてではなく、誇り高き狼として死にたいのよ!!」
マダムの目をしかと睨み付けながら力強く言い放つ。
今までずっと、心の奥底で自分は狼じゃないと思っていた。本当の意味での仲間にはなれないと、皆に引け目を感じて生きてきた。
でも、今ここで仲間を守って死ぬことでやっと胸を張って言えるのだ。自分は正真正銘、狼として生きた女だったと。
だからもう、死ぬ覚悟はできている。
目に強い光を灯しながら睨み付けると、マダムはふっと微笑んだ。
「そう、あなたの覚悟はわかったわ。でもあなたは狼としてではなく、私の可愛い飼い犬として死ぬのよ。ギャスパー!」
「はい、奥様」
後ろに控えていたギャスパーがつと前に進み出る。
「この子に客をとらせるわ。手配を」
「かしこまりました」
ギャスパーが薄く笑いながらお辞儀をする。マダムの言葉を聞き、今度はレティリエが蒼白になる番だった。
マダムがつかつかと歩みより、レティリエの顎を掴んでグイと引き上げる。
「あなたを買うのに三億かかっているのよ? このまま死なせたら大損だわ。だから、三億はあなたの体できっちりと返してもらうことにしたの。死ぬのはその後になさい」
そう言って艶っぽく微笑むと、ギャスパーに何事か指示を出す。マダムは、ギャスパーが恭しく手渡すガラス瓶を手に取ると、見せつけるようにゆっくりと持ち上げた。
「狼用の薬もすっかり無駄になってしまったわ。でも、今からあなたにふりかかる恐怖を快楽に変えてくれるくらいの役には立つかしら?」
そう吐き捨てると、高らかに指を掲げてパチンと鳴らした。後ろに控えていた使用人の男達が進み出てきて、がっちりとレティリエの両腕を掴む。
マダムはレティリエの口をこじ開けると、一気に薬を流し込んだ。毒草を凝縮したような苦味が口腔を満たし、激しくむせながら吐き出した。マダムは媚薬を作っているつもりのようだが、これではただの毒薬だ。液体が喉を通る感触がした後、猛烈な目眩と吐き気に襲われた。
「破瓜の値段は高くつくからとっておいて。けれどそれ以外は好きにしていいわ」
「かしこまりました、奥様!」
目を爛々と輝かせながら男達がレティリエの肩を掴んで床に引き倒す。
死ぬとしたら今ここしかない。自分の身が汚される前に、舌を噛みきって死んでしまえば自分の勝ちだ。三億のおもちゃが壊れてしまったと精々後悔するがいい。
口の中で自分の舌に牙をあてる。あとは勢いよく牙を突き立てるだけなのに。
だけど……ああ、できない。
だって死んでしまったら、もう二度と彼に会えない。
死ぬことはとうに覚悟したはずなのに。生かされることを知った瞬間、自分の中の弱い心がじわりと滲み出てきてしまったのだ。
生きていれば、もしかしたらまた会いに来てくれるかもしれない。どんなに惨めに生きることになろうと、彼にもう一度会えるならば自分は生にしがみついてしまうのだ。
(やっぱり私は狼になれなかったわ……)
レティリエの両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。




