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白銀の狼  作者: 結月 花
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第50話 囮

 扉を開け、カツカツとヒールを高鳴らしながら中に入る。檻の中の狼達が気だるそうに視線だけをこちらに寄越すが体を持ち上げる元気は無さそうだった。朝に見たときと比べると、より状況が悪くなっている気がする。

 檻の前で椅子に腰かけていた使用人が、レティリエを見てニヤリと笑った。


「また来たのか。そんなにこの男が好きなのか? ま、なんにせよこんな辛気くさい所で美人を見るのは気分が良いね」

「いいえ、違うわ。そもそも、もう私は狼に興味なんてないもの」


 つんと鼻をそびやかしながら檻へ歩み寄る。レティリエの言葉に、使用人は不思議そうな顔をしてじろじろと不躾な視線を寄越してきた。


「ここにはね、あなたに会いに来たのよ。さっき言ってたでしょう? 私の相手をしてくれるって」


 使用人の側へ寄り、耳元でささやくと、使用人が弾けるように飛び上がった。


「なに? 本当か!? 今のは俺の聞き間違いじゃないだろうな」

「ええ、嘘じゃないわ。私はね、もう狼として生きるのはやめたの。それに先程あなたが私を誘った時、思ったより悪くないと思ったのよ」


 使用人の頬に指先で触れながら妖艶に微笑む。

 背後で檻が揺れる耳障りな音がした。グレイルが立ち上がり、蒼白な顔でこちらを見ていた。彼の顔を見ていると決心が揺らいでしまいそうだ。レティリエはきゅっと拳を握ると、使用人の男の頬に両手で触れた。


「狼の村では辛いことばっかりだったわ。だからね、私を人間の女にしてくれる?」

「レティリエ、どういうことだ!!」


 グレイルが怒鳴った。心なしか声が震えている。レティリエは使用人から手を離し、檻へ近づくとドレスを膨らませながら優雅に座った。床に座っているグレイルとぴたりと視線があう。


「言ったでしょう? 私は今日から人間として暮らすのよ。人間社会の嗜みは彼から色々と教えてもらうわ」


 口元に笑みをたたえながら、そっと檻へ右手を伸ばしてグレイルの頬に触れる。彼の金色の目が大きく見開かれ、驚愕の表情を形作った。


「レティリエ……何を考えているんだ……頼むからやめてくれ」

「あら? どうしたの? 今更私が惜しくなったの?」


 右手の親指でそっと頬をなぞりながら、素早く胸元に左手をいれた。固い鉄の感触が指先に伝わる。長い髪とたっぷりのフリルで、背後にいる使用人からは見えていないはずだ。

 レティリエはコトを終えると、最後に視界に愛しい人の顔を入れた。


 グレイル。ずっとずっと憧れてきた、私の一番好きな人。

 きっと次に生まれてくる時も、等しく彼のことを好きになるだろう。


「どうかお元気でね、さようなら」


 最後に優しい顔で微笑むとそっと手を離した。うまく笑ったつもりだったが、目尻に溜まっていた涙がポロっとこぼれ落ちた。


「待て! レティリエ、やめろ! お前は……」


 俺達と来るはずだろう、そう言えない悔しさでグレイルが顔を歪める。

 レティリエは使用人にばれないようにそっと人差し指で涙を拭うと、使用人の元へ駆け寄った。


「さ、私たちはあちらで楽しくやりましょう? この匂いを嗅いでいたら、なんだか変な気分になってしまったわ。奥様にばれないうちにさっさと終わらせるのよ」


 使用人の腕を取り、隣の部屋へと誘う。扉を開けた瞬間に後ろでグレイルが咆哮する声が聞こえたが、悲しみの色を纏うそれを遮断するかのごとく、重い扉がけたたましい音を立てて閉まった。


「レティリエ……! くそっ! なんでこんなことに!!」


 グレイルが怒りと共に檻を力任せに揺さぶる。ガシャンガシャンと派手な音をたてるものの、堅牢な檻はびくともしなかった。

 檻の奥で横たわっていたローウェンがよろよろと身を起こし、グレイルの肩にそっと手を置いた。


「見ろ、グレイル……おそらくあれが彼女の答えだよ」


 ローウェンが指差す方に視線を落とす。そこには、鈍い輝きを放つ鍵束が置かれていた。


「レティリエ……あいつは、ここに残るつもりなのか……?」

「おそらくそうだ。多分彼女は囮になるつもりなんだろう」


 ローウェンの言葉に、半ば呆然としながら床に落ちている鍵束を拾う。鍵束には小さな鍵が四つ連なっていたが、右から二つ目の鍵の輪に紐が通してあることにグレイルは気づいた。

 そっと手繰り寄せてみると、それは自分がレティリエに贈ったペンダントだった。銀盤にのった小さな桃色の石が儚く瞬くと同時に、激しい感情がグレイルを貫く。


「……!! レティ、なぜだ……なぜこんなことに……」


 ペンダントを握りしめた拳に顔を埋める。彼女を助けると言っておきながら、結局何もできないまま助けられる自分に憤りを覚える。レティリエの為に強さを磨いてきたはずなのに。これでは本末転倒ではないか。


「グレイル、行こう。ここで誰かに捕まればレティの努力が水の泡になる」


 ローウェンがグレイルの肩を力強く掴む。だが、そう言うローウェンの目にも悲しみの色が宿っていた。



 レティリエのペンダントが結ばれている鍵を手に取り、檻の内側から錠に差し込む。カチリと固い音がして、錠が開いた。


「扉が……開いた? 俺達出られるのか……?」

「早く! 早くここから出よう!!」


 扉が開いたことを目の当たりにし、元気を取り戻した狼達が次々に立ち上がり始める。体はふらつき、気分は悪そうだが、扉を潜り抜けた狼達は皆一様に顔を輝かせた。


「まだ安心するのは早いぞ。喜ぶのは逃げ切ってからにしろ」


 ローウェンの言葉に狼達がうなずく。だが、グレイルはレティリエが消えた扉をじっと見つめたまま動かなかった。


「グレイル、何をしているんだ。早く行くぞ」

「ローウェン、鍵が開いた今、もう人間を欺く必要はない。俺はレティリエを連れ出しに行く」

「何を言っているんだ! もしあの人間が大声で危機を知らせたらどうする? 脱出口を塞がれたらおしまいだぞ?! 早くここから出るんだ」


 グレイルが隣の部屋に続く扉に向かって走り出そうとするのを、ローウェンが腕を掴んでとめる。


「離せローウェン!! このままレティリエを置いていけるかよ! 仲間を見捨てるなんて、お前はそれでも狼なのか?!」

「俺もレティリエを連れ出したいのはやまやまだよ!! だけど今ここであの女が来たらどうするんだ? お前はレティリエの覚悟を無駄にするのか!」


 ローウェンも怒鳴り返す。激しい剣幕で睨み付けるグレイルに、ローウェンは悲しげに首を振って檻の中を指差した。


「……それに、動けないやつらもいる。こいつらは俺達で担いでいかなければならない。レティの望みは、狼が全員無事にここから出ることだからな」


 檻の中には、ぐったりとして動かない狼が数匹横たわっていた。薬の影響で気絶しているのか、ぴくりとも動かない仲間を見て、グレイルは自分が取るべき行動がひとつしかないことを悟った。


「……レティリエ……何もできない俺を許してくれ……」


 グレイルの悔恨の言葉は霞のように消え失せた。



 皆一様に狼の姿になって檻を出る。グレイルやローウェンなど、体力のある者は、気絶している仲間を背負った。

 部屋を出て廊下に出ると、ピリッと張り詰めた緊張感が狼達を襲う。今ここで誰かに見つかれば、途端に脱出までの難易度はぐんと上がるだろう。人間に見つからないうちに一刻も早く逃げなければならないが、同時に、慎重に逃げ道を探らなければならないという状況下に置かれているのだ。

 グレイルは部屋の前でキョロキョロと辺りを見回した。


(右か……左か……くそっ屋敷の構図が全くわからない……)


 焦燥感が体中を支配しそうになったその時だ。

 この場にそぐわない、甘く華やかな香りがフワッと周囲に漂った。これは……レティリエがつけていた香水だ。先程自分の頬に彼女が触れた時に、同じ匂いがしたのを覚えている。香水の香りは屋敷の奥に続いているようだった。


「皆、こっちだ! 行くぞ!」


 グレイルが先頭を切って走り出す。ここで人間に見つかれば、もはや狼の脚力で逃げ切るしか方法がない。だが、不思議なことに、廊下には誰一人として歩いている者がいなかった。


(レティリエ……お前がやったんだな)


 匂いを辿っていくと、やがて細い通路の前までたどり着いた。匂いは中まで続いている。通路の中は灯りがない為に真っ暗で何も見えなかったが、レティリエの香水が狼達を導いてくれている。

 脇目もふらず一目散に通路を駆け抜け、扉を開けると、そこは月明かりに照らされた屋敷の庭園だった。狼達の目に希望の色が宿る。そのまま屋敷の門までたどりつくと、内鍵を中から開ける。門が開くと同時に屋敷の外に出ると、狼達は歓喜の咆哮をあげた。


 屋敷を出てからも走り続ける。他の狼達は喜びの声をあげているが、グレイルの心は悲しみに支配されていた。

 人間達の街から離れた森までたどりつく。ここまでくれば、例え追っ手が来たとしても狼に地の利がある。自分の責務は果たした。あとは自分の好きにさせてほしい。グレイルは隣を走るローウェンに視線を投げた。


「……ローウェン、俺は」

「ああ、わかってる」


 最後まで言う前にローウェンが返事をする。グレイルに視線をうつしたローウェンがふっと笑った。


「ここまでくれば十分だ。さっさと行けよ」


 きっとローウェンもタイミングを見計らっていたのだろう。彼もレティリエを見殺しにする気はなかったということだ。

 グレイルはローウェンの目を見ながらしっかりと頷いた。歩みをとめ、背にのせた仲間をそっと地面におろすと、踵を返して街の中へ跳躍していった。

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