第33話 三億の愛玩動物
次の朝から、マダムの屋敷での生活が始まった。
朝起きると、メイドが部屋に朝食を持ってくる。狼の村にいた頃はまず台所に立つことから一日が始まっていたので、何もせずご飯が出てくるのは不思議な気持ちだった。
朝食を食べた後、レティリエは何もすることがないことに戸惑った。狩りができない負い目から、村にいた頃は果物の採取や子供達の世話、その他村の細々した雑用を朝から晩までやっていたのに。
レティリエは屋敷の四方に広がる美しい庭を散歩したり、気まぐれで部屋にやってくるマダムの相手をしたりすることで一日を過ごしていた。
マダムの家に来てから数日経ったある日のこと。朝食を終え、部屋の窓から見える庭の景色を楽しんでいると、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。はいと返事をすると、扉の向こうにはニコニコした顔のマダムと大勢のメイドが立っていた。
「レティリエ、あなたのドレスができたわよ。今日のお昼のパーティーであなたを皆にお披露目するの。さ、早く着替えなさい」
お昼のパーティーなのに今から仕度ですか? と問い返す間もなく、メイドが一斉に中に入り、レティリエを取り囲んだ。一人のメイドが深紅のベルベットのドレスを彼女にあてがう。
「あら、赤は大人っぽくて良いわね。でもちょっと大人っぽすぎるかしら。もう少し色合いは薄いものでもいいわね。次を持ってきなさい」
メイドが赤のドレスを外し、次に黒いレースがたっぷり入ったモスグリーンのドレスをあてがう。
「悪くないけど、ちょっと地味かしら。次は青いのを持ってきて」
マダムがあれこれと指示する通りに、何着ものドレスがあてがわれる。やっとドレスが決まったのは、試着が始まってから一時間も経った後だった。
「これがいいわ! やっぱり白が一番可愛いわね。これにしなさい」
マダムが選んだのは、フリルがたくさん入った真っ白のドレスだ。胸元はスッキリとしたデザインだが、腰の切り替え部分から裾にかけてたっぷりのフリルが使われており、全体的にふんわりとしたシルエットになる。前後で裾の長さが異なっており、後ろは引きずるほど長いが、正面は膝の辺りでカットされている為に、レティリエのほっそりした足を魅力的に際立たせていた。
「白は映えないかと思ったけど、髪も銀だし肌も白いから逆に魅力的に見えるわね。やっぱり最初のお披露目はこだわらなくちゃ」
メイドにドレスを着せてもらうと、マダムが満足そうに微笑んだ。レティリエからすると、こんなに動きにくそうな服を着るのは初めてで違和感しかなかったが、それでもマダムが喜んでくれているのを見るのは悪い気はしない。
「はい、素敵な服を買っていただいてありがとうございます。大切にします」
やっと終わったドレス選びに内心でほっとため息をつきながらお礼を言うと、マダムはにっこりと笑った。
「まだ終わりじゃないわよ。この後小物を合わせて髪の毛も結うわ。化粧もしなくちゃ。まったくもって時間がないわね、さっさとやりなさい」
何人ものメイドが一斉に動きだす。帽子やリボン、手袋などを何回もつけたりはずしたりし、髪も結い上げられたと思ったらまたほどかれて別の形に結われる。あちこちいじられて、レティリエは目が回る思いだった。
お昼のパーティーが間もなく始まるという頃になって、やっと彼女の着替えは終わった。
仕度を終えると、メイドに連れられて広間へ向かった。重厚な大扉を開いて中に入ると、もう客人は集まっており、皆グラスを片手に思い思いの場所で談笑していた。
メイドが指差す方を見ると、大きな丸いソファが置いてあった。ソファの上には金糸で刺繍をしたクッションがいくつも置かれている。レティリエはメイドに言われるがままにクッションの山の中に腰をおろした。
「おや、この子が例の狼ですな。お聞きするところによると何億もはたいて買ったとか。いやはや、噂に違わず美しい」
腰を据えた途端に、客人が噂のペットを一目見ようと集まってくる。マダムは自慢のペットを誉められ、得意気につんとあごをすました。
「ええ、レティリエ、と申しますのよ。ごゆっくり見ていってちょうだい」
四方八方からじろじろと不躾な目で見られ、レティリエは緊張で体を縮こませた。この会場においての自分の役割が全くわからない。ただ座っているだけでいいのだろうか……助けを求めようとマダムをチラと盗み見るも、マダムは客人と話しておりレティリエを見ていない。
客人の一人が前に進み出て、レティリエを指差す。
「失礼……触っても?」
「ええ、どうぞ」
マダムは二つ返事で了承した。身なりの良い男性が手を伸ばし、レティリエの頭をゆっくりと撫でた。
「ほう。本当に大人しいな。この容姿でこの性格は確かに稀少だ。これは良い買い物をしましたな、マダム」
客人に誉められて、マダムは満足そうに微笑んだ。
「マダム、わたくしも触っていいかしら?」
それを皮切りに、他の客人も次々とレティリエを触り始める。この「お触り」を見越してなのか、結局髪は結われず、サテンの白いリボンを両耳の下で結ぶだけに留められた。波打つ銀色の髪が、川のせせらぎのように背中を流れる。
「あら! 狼の毛ってもっとチクチクしてるのかと思ったら、真綿みたいにふわふわなのね。ずっと触っていたくなるわ」
「見て! 撫でると耳がペタンって垂れるのよ! とっても可愛いわ!」
「お人形さんみたいな顔だけど、やっぱり人間とは違うのね。目が金色だわ」
主に女性客が口々にレティリエを誉めそやす。狼の世界では無価値だったレティリエは、人間の世界では唯一無二の存在だった。
「ねぇお母様。私も触りたい」
誰かの娘なのだろうか。幼い少女が母親にねだる。マダムの返事を待たずして、レティリエは少女に近づき、その小さい手に頭をすりよせた。
「わぁ! とっても可愛い! お母様、私も狼が買いたいわ」
「まぁ、ジュリアナ。こんなに大人しい狼はなかなか買えないのよ。わがまま言わないでちょうだい」
少女が母親におねだりをはじめ、少女の母親らしき女性が困った顔で少女を諌める。マダムはそのやり取りを満足そうに眺めていた。
(私の役割はこれね、マダム)
心の中で呟く。従順で、か弱く、美しい。誰もが羨むペットを演じてマダムの自尊心を満たす。それがレティリエに与えられた役割だった。正直に言うと、見世物の様にされたり、自分の意思に反して体を触られるのはあまり良い気持ちがしない。それでも、自分を見て喜んでくれる人がいるのであれば、自分はその役割を全うするだけだ。レティリエは目の前の少女を見つめながら思った。
レティリエは気づかれないようにドレスの上から自分の太ももをそっと触った。ドレスに合わないからと、グレイルからもらった首飾りは外されてしまったが、こっそりと太ももに巻いて持ってきたのだ。彼からもらったこの大事なお守りは、片時も離したくない。
(グレイル……私、もう少し頑張ってみるわ)
ドレスの上からでも微かにわかる固い石の存在を感じながら、レティリエは遠い故郷に想いをはせた。




