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ウォーウィック侯爵

「新婚の妻の部屋へ了承もなく立ち入ろうとするなんて不敬ですよ」

「久しぶりだね、ソーニャ!」


扉を開けたミランダなど目もくれず、私を見据えながら三日月のように細めた瞳に肌が粟立つ。


チロ、と覗いた赤い舌が唇を舐める。不快さに拳を握った。


背後でメイドたちが身を竦めていることが気配で分かる。

侯爵とは思えない立ち振る舞いをするこの男に、恐怖を抱くのは当たり前だ。


ミランダの脇をすり抜け廊下へと出れば、頬を高揚させ「僕のソーニャ」と手を広げた。平静な振りでその手を軽く振り払う。


「ウォーウィック侯爵、私に用があるのでしたら応接室へ」

「君に会いに来たというのに、バレット卿に邪魔されるからね」


アシュレーが私の事を好きだと、勝手に勘違いをしてくれるのはありがたい。白々しく吐き捨てる。


「でしょうね、新婚ですから」


目を鋭くさせた目前の男が首を振った。


「君の口から新婚なんて聞きたくないよ

そろそろ僕を焦らすのもやめてくれ」

「いつ、誰が、貴方を焦らしたと?」

「僕がソーニャの許嫁になった時からさ」

「破談になったでしょう」


「ほら」と眉を顰める目前の男が、何をどう解釈して私が奴に好意を持っていると勘違いしているのか。


話の通じない目前の蛇のような男に殴り掛かりたい衝動に駆られる。殴ったところでそれすらも奴の良い様に解釈されるが。


怒りを鎮めるように目を瞑り、深呼吸を1つ落とした。


「随分綺麗になったね」

「そうですか」

「ほら、髪もこんなに伸びた」


するりと髪を指に絡めとられ、心音が上がった。体が強ばる。ざんばらの頭になった姿が脳裏に蘇る。


口を開いたミランダに視線を投げれば、察したように唇を噛み締めた。

ミランダにとって幾度となく見た、主を侮辱する光景で、幾度となく無言で耐えるよう伝えた視線のやりとりだ。


本当に癪に障る。が、それを悟られてはいけない。少しでも隙を見せれば、奴は確実にそこを突いてくるような男なのだ。


影を纏うような薄い笑みを浮かべる。


「…それは掴みやすい、と捉えても?」

「まだ根に持ってるんだ?」


嘲笑に近い笑い声を上げたウォーウィック侯爵の指先に力が入る。先程よりも力を込めて振り払えば、数本の髪の毛が抜けるチリ、とした痛みが走った。


ウォーウィック侯爵が振り払った手を擦りながら、大袈裟に肩を竦めてみせる。


「あれは君が悪かっただろ?

社交界で僕に恥を掻かせた」


ねぇ、と同意を求める奴を見ながら、内心ミランダに謝罪する。今から彼女にとって酷なものを見せるかもしれない。


分かった上で、意図的に引き起こす未来の奴の姿を想像し―――笑んだ。


きっと今までの中で最高の笑顔だろう。ゴクリと生唾を飲んだ音が聞こえた。


「……あぁ、まだ根に持ってるんですね」


その言葉を聞いた途端、カッと朱を走らせた奴が拳を握る。自尊心を傷付けられ、心底心外だと目を血走らせた。煽ればすぐに乗ってくる。全く分かりやすく扱いやすい男だ。


つい口元が緩んだ。怒りに任せて殴ってしまえばいい。


衝撃に身を任せるように目を瞑る。


バチ、と肌が激しくぶつかる乾いた音と、ジンとした痛みに生理的な涙が浮かぶ。

涙でボヤけた視界に片方の口角を歪に上げた、高慢な男の顔が映る。


「僕を弄ぶからだよ」

「ソーニャ様!」

「…殴りましたね…?」


ミランダが私を抱きとめ、奴を睨み付けた。


笑いが込上げる。それを隠しもせず、私は腹を抱え高らかに笑った。

初めて見せる姿に、ウォーウィック侯爵は身を竦めた。


それを慈しむかのように柔らかく笑う。ミランダの動揺が指先に伝わった。


「公爵の妻に手を上げるなんて、侯爵の名折れですね」

「…これは旦那様に伝えさせていただきます」

「…ソーニャ、流石に限度を超えてるよ」


心底不快そうに歯を食いしばったウォーウィック侯爵は、ミランダの腕を掴み上げた。


「っ、ミランダ!」

「…何してる、貴様」


パチ、と目を瞬かせる。ミランダに絡みついた気持ちの悪い腕を掴みあげる骨ばった細い指。

指の先を追えば額に汗を滲ませた、この屋敷の主がそこにいた。


「ば、バレット卿…」


目を細め、ウォーウィック侯爵を睨みつけるアシュレーの背後が黒いオーラを纏っている。春一番の暖かな空気が冷え切っていくのを肌で感じ、身震いした。


耳鳴りのするような沈黙を割ったのは、アシュレーの底冷えするような声色。


「お手洗いにと伺ったはずだが?」

「え、えぇ、そしたらこの女に難癖を付けられまして…

指導をしていたまでです」

「なるほど…?」


冷えきった視線にウォーウィック侯爵は口角をひきつらせる。掴み上げられた腕を振り払おうと力を込めるものの引きはがせず顔を青くさせた。


「それは指導が行き通ってないと、そういうことか?」

「旦那様…!」

「ま、ままさか!そういう訳では…!」

「いい加減にしてください」


3人の瞳がこちらを射抜く。困惑と驚愕が入り交じった視線を振り切るように髪を振り払った。


「うちの家の者に手を出したのはそちらでしょう?」

「ソーニャ!君まで何を…っが!」


衝撃音と共にウォーウィック侯爵が廊下に無様に転がる。先程とは別人のような怯えたような瞳で、アシュレーを見上げた。


「この件は然るべき所に報告する」

「は…?」

「さっさと屋敷から出ていけ」

「…こっ!こちらの言い分も聞かずにそんなことがまかり通ると?!」

「お前の言い分がまかり通ると?」


嘲笑うように吐き出したアシュレーの吐息混じりの笑い声に、体を震えさせるウォーウィック侯爵は貴族と思えないほど情けない。


余程キレているのか、女性の口振りはなりを潜めている。そこに居るのは確かにバレット家の当主だ。


「バレット公し」


ここまで追い詰められたことがないのだろうか。転がったまま未だ苦言を呈そうと声を荒らげる奴に、アシュレーは胸倉を掴んだ。


「よく口の回るガキだな」

「ひっ…」


ウォーウィック侯爵は今にも泣き出しそうに喉をひくつかせている。その姿を見て「ざまぁみろ」と、言葉が溢れ落ちた。

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