第8話 お客様がいるうちはおとなしく読書をしようと思います
ホームシックになろうが時間は過ぎて行きます。また新しい朝を迎え、前払いでいただいたドレスに袖を通して一人ぼっちの朝ごはんを食べました。
警備の兵が増えたこともあって、ダリル殿下とは最初の夜に共寝をしてから一緒に寝ていません。
ん、違います。一緒に寝たいとかじゃなくて。普段あまり寝れないと言っていたからちゃんと眠ってるのかしらって気になっただけです。色々とお忙しいみたいだし。
今朝もまだ起きていないらしいと耳にしましたが、昨夜は一体何時までお仕事をしていたのかしら。
そういうわけで特にやることもないため、図書室へ来ています。
ここは成人を迎えた皇子に一棟ずつ与えられた屋敷なのだそうです。皇子に城の外で生活させるというのも我がイスター王国では考えられない風習ですが……。ベースは純人間とはいえ、あらゆる種族が混じってできた皇統だからかもしれないですね。
何が言いたいかというと、この屋敷の図書室には私の好みの本がないのです! んもー、時間を潰すことができないんですけどー。なんで剣術指南書ばかり数十冊もあるのかっていう。
本を探すことにも少し疲れてしまって、窓から外を眺めます。読書ではなくてメイドさんから刺繍の道具をお借りするのもいいかもしれませんね……あら? どうやらお客様がいらしたようです。微かに門の開く音がして、次いで馬車の音が近づいて来ました。
さすがに先触れはあったでしょうに、ダリル殿下はまだ寝ていらっしゃるんですよね。大丈夫かしら? と思っていたら予想通りバタバタと慌ただしい音がし始めました。ふふ、慌てるお顔が目に浮かぶようです。
うーん。それでは当初の予定通り何か時間を潰せそうな本を探しましょうか。メイドさんはお客様の対応で忙しいでしょうからね。
整然と並ぶ背表紙を、少しでも興味の持てるものはないかと眺めていましたら。
「えっと……『混血における隔世的遺伝』?」
ここが帝国だからこその本ですよね。ほとんどがバニール族である我がイスター王国では、混血を対象とした調査や研究は行われませんから。
それでも近年では平民の中に混血の割合が増えて来たというような話を聞きます。ちょっと目を通してみてもいいかもしれません。……ふむふむ、なるほどわからん。
羊獣人と鹿獣人の間にできた子なのに猫獣人が生まれたって……ほんとにそんなことあるんでしょうか。過去に一例報告があるって書いてあるだけなので、信ぴょう性が微妙な気がします。
えっと次の章は混血の転身、ですか。バニール族ならウサギに、猫獣人なら猫そのものの姿に変わることのできるこの転身が、混血でもできることがあるのだと述べてあります。うーん? まぁ確かにそんな話は聞いたことがありますので、体感としても無いとは言えないって感じでしょうか。根拠となる論文は――。
と、思っていたより興味深く本を読み進めていると、メイドさんがこちらへやって来ました。なんと、ダリル殿下がお呼びだとか。
お客様がいらしてるはずなのに、どういうことでしょうか。でもお待たせするわけにもいきませんし、メイドさんの案内で急ぎ足で応接室へ向かいます。
お客様はダリル殿下でした。っていうと語弊がありますね。
ダリル殿下を優等生にしたような方でした。髪色はダリル殿下より薄いグレーで、瞳も彼とは違って昨日の空みたいな澄んだ青だけど。眼鏡は知的な印象だし短く整えられたヘアスタイルに乱れはありません。
私が部屋へ入るなりお二人とも立ち上がり、ダリル殿下は私のほうへとやって来て腰に手を回しました。
「ミミル、兄のケネスだ。兄上、こちらはミミル……えっと伯爵令嬢」
ダリル殿下のお兄様ということは第一皇子殿下です。けれど彼は「兄」とだけ言い、私への紹介を優先しました。だからこの場は皇子としてではなく兄として訪問なさったのだと考えられます。
「初めまして、可憐なお嬢さん。ミミル嬢とお呼びしても?」
「はじめまして、ミミル・ラ・ラバッハと申します。ええ。もちろんでございます、ケネス殿下」
小さな頃から高位の貴族の基本として教え込まれた通り、右足を後ろへ引き膝を曲げて腰を落とす淑女の礼でご挨拶です。この腰を落とす深さと丁寧さが相手への敬意を、安定感が本人の品性を表すと言われますから気を抜けません。
「ラバッハ家というとイスター王国でも要職を歴任する大貴族ですね。そのご息女がなぜここに……」
「とりあえず座ろうぜ」
ダリル殿下に促されて席へ着くと、メイドさんが三名分のお茶を淹れなおしてくれました。それに美味しそうなサンドイッチも。挟まってるのはクリームと……リンゴのジャムだわ!
いの一番にサンドイッチに手を伸ばして口に運びます。美味しいー! ひとりの食事に慣れていないせいか、朝ごはんはほとんど喉を通らなかったのでお腹が空いてて!
甘さの中にちょっぴり酸味があるリンゴを堪能して、んふーって満足しながら目を開けたらケネス殿下とバッチリ視線がかち合いました。
「可愛らしいひとだね」
「ウサギだからそう見えるんだろ」
ケネス殿下の言葉にふんと鼻を鳴らしたダリル殿下。なんか機嫌悪くないですか、寝不足だから? 大丈夫?
なんて心配もそっちのけでお二人はすぐに本題に入りました。
「人身売買組織が我が国にあるとか?」
「そ。ミミルがここにいるのが証拠ってわけ。しかもネイトがそれに噛んでると思う。少なくともウサギ窃盗団はネイトの手中だ」
腕を組んだケネス殿下の胸元で、兵士の勲章とは違う銀色のメダルが輝いていました。皇家の紋章が彫られたうえに宝石も嵌まっているようです。つまりあれが……。
「確かに今はそれを叩く時期ではないね」
「だろ、やるなら決闘のあとだ」
この二人は一体なんの話をしているのかしら。一を聞いて十を知るみたいなリズム感で話題が流れて行くのでついていけません。サンドイッチ美味しいなー!
でも、そっか。ダリル殿下とケネス殿下は同じお母様から生まれたご兄弟なんですよね。だから分かり合えているし、それに下のお二人とは溝があるのかもしれな――。
えっと。第四皇子のお屋敷を燃やしたのは誰? ケネス殿下? それとも、ネイト殿下?