第29話 ウサギ令嬢も狼皇子を離すつもりはありませんので
帝都を眺めながら、かつてダリルさまと一緒にお出掛けしたお店を探します。あそこはドレスショップ、あっちがレストラン……というふうに。この半年の間にだっていろんなところに行ったけど、彼が一緒というだけでどこも素敵な場所になってしまうんだからすごいわ。
そして、私たちが暮らしたお屋敷――。
陛下が譲位なさるとケネス殿下が皇帝に、ダリルさまとロビン殿下は臣籍にくだることとなります。継承権争い中に各皇子が使っていたお屋敷は、それぞれのタウンハウスとして利用するのだとか。まぁロビン殿下のお屋敷は燃えてしまったので、ネイト殿下のお屋敷をお使いになるみたいですけど。
頬ずりをしていた彼の手がくるっと動いて私の頬のお肉を掴んでしまいました。
「むにむにひないでくだはい」
「なぁにぼんやりしてんの」
「ロビン殿下のお屋敷を見てました。あそこが学校になるんだなーって。あと、帝国の学校作りに関わらせてもらえるなんてありがたいことだなって」
ロビン殿下のお屋敷は石造りとはいえ内装はすっかり燃えてしまったので、建て替えることとなったのですが……学校を造ったらどうかと提案があったのです。
元々ケネス殿下も帝国民と保護国民とで教育に差があることを懸念していました。そこへ身元さえあやふやなバニール族とその子どもが爆発的に増えたものですから、教育環境の整備は急務であろうと。
まぁ中心から外れているとはいえ帝都の一等地ですから、学校といってもあそこは上流階級向けになるのでしょうけど。
「目指してただけあって学校創設の基本的な知識があって、何より熱意があるんだから適任ってやつだ」
「ダリルさまも忙しくなりますよ?」
「それな! 本業のほかに軍学校の講師やれなんておかしいだろ」
十年、二十年先を見越して動こうとするなら、ラガリア共和国の国力が弱るころに合わせて帝国の軍事力を増強しておきたいという考えがあります。
将来的にラガリアとどのような関係になっているかはわかりませんが、第三国がラガリアに侵攻する可能性は十分にあるのです。そのとき、帝国が利を得るためには……ということですね。
「でも歩き続けないと」
「ん。そうだな」
並んで立っていたダリルさまが私の背後へ移動し、私の身体を振り向かせました。至近距離で向かい合うのはまだ少し恥ずかしいのに。でも彼は私の気持ちなどお構いなしに、まるで私を囲うみたいに両手を手すりへつきました。一層近づくふたりの距離に私の心臓が早鐘を打ちます。
「殿下?」
「違うっしょ。名前で呼んで」
「……ダリルさま」
一気に体温が上がってしまった私の口から零れたのは、上ずった掠れ声。ダリルさまは満足そうに「ん」とだけ言って私の首筋に顔を埋めました。
彼の深い呼吸は、吐息はもちろん吸われるときさえぞくぞくさせて、私の息まで乱れてしまいます。
「ダリルさま。そんな、ウサギを吸うみたいなのダメ、です」
「好きなんだ、ミミルの匂い。甘くて爽やかで」
出会った当初から「匂いが」ってよく言ってたので、一時は臭いのかと本気で悩んだんですけど。聞けば「好き」なんだそうで。
「干し草みたいで?」
「そう、干し草みたい」
「んもー! 餌じゃないですか!」
「俺にとって干し草は餌じゃない」
ぜんぜん褒められた気がしない!
クスクス笑いながら顔を上げたダリルさまと、鼻と鼻が触れあいそうな距離で見つめ合いました。
「バニール族だって食べません、あれはペットの餌です」
「そうだったか? でも俺には最高の癒しだ」
私と彼の笑い声はそのうちキスに吞み込まれてしまいました。触れては離れる唇も、そのうち触れている時間が長くなって……。
好きだとか愛してるだとかそんな幸せな気持ちが涙になって目尻から溢れます。
もっと触れていたい、もっとお互いを感じたい、そう思ったとき。
「メイジーさま! ミミルさまここにいました!」
階下から響く幼い声に、私たちは弾けるように身体を離しました。
そっとバルコニーから下を覗けば、元窃盗団だった少年がぴょこぴょこ小さく跳ねながらこちらを指差しています。
「お嬢様ーっ!」
そこへメイジーが小走りにやって来て、あとからロビン殿下がゆっくりとついて来ていました。
んもー、私のことを見つけられないからって子どもに探させるなんて!
「婚約パーティーの夜くらい放っといてもらいたいもんだ」
「婚前に異性とふたりきりになるのはダメって、イスター王国は特に厳しいのです」
私の口から何がって詳しいことは言えませんけど、速いんだそうですよ、バニール族の男の人は。何がかは言えませんけど。だから結婚していない男女がふたりきりになるのは控えましょうって。ダリルさまはバニール族じゃないから大丈夫なのに……知らんけど。
どうしたものかと小さく息を吐いたとき、ダリルさまがそっと私の耳へ口を寄せました。
「逃げようぜ」
「転身はだめですからね。あとで余計に怒られちゃう」
「じゃ、誘拐だ」
ダリルさまは私の背中と膝の裏へ手を回し、軽々と持ち上げます。私が彼の首にしがみついたのを確認するなり手すりへ飛び乗り、隣のバルコニーへ移動。それを繰り返しながら、メイジーの叫び声を背に私たちはパーティー会場から逃亡しました。
夜空には煌々と輝く真っ白でまん丸な月。
「ね、今日は満月だったんですね」
「月には帰さないよ?」
「ふふ。帰りません」
だって私の帰る場所はもう、月でもイスター王国でもなくこの腕の中になったんだから。城の裏庭に降り立ち、二度と離さないとでも言うようにぎゅっと力を込めた彼の腕の中で、私も精一杯伸びあがってキスをしました。
この手を離したくないのは私も同じなんですもの。
これにて終わりです
最後までお読みいただきありがとうございました
この週末には短編をいくつか公開予定ですので
そちらもお読みいただけると嬉しいです
ではまた、何かしらの作品でお会いできますように!!




