第23話 リンゴならなんでも美味しいです。そう、お酒でもね
庭を出て、皇族のために用意されたと思われる休憩室へ。
汚れたドレスを着替えたりお化粧を直したりする間も、エリザベスさまと黒ウサギが傍にいてくれました。このウサギは首回りにもちもちの肉垂もあるし女の子で間違いないです、大丈夫。
身だしなみを整え終えてからも気を遣ってかエリザベスさまと黒ウサギだけが静かに寄り添ってくれて、メイドの淹れたお茶が冷める頃には呼吸もすっかりいつもの調子を取り戻していました。
「わたくしは詳しいことは何も知らないの。ただダリルさまが傍にいてやってくれと」
ソファーの対面に座るエリザベスさまが、お茶を淹れなおしながら小さく首を傾げます。その清らかな笑みが羨ましくて私は微かに視線を落としました。
「ありがとうございます」
「落ち着いたら話がしたいとダリルさまが仰っているのだけど、大丈夫?」
膝の上で思わず両手を握り合わせてしまったのですけど、その手を黒ウサギがペシペシと叩きました。そのまま上半身を私の膝に乗せて伸びをします。なんて自由なの。でもそうですね、あんまりどんよりしていたら皆さんに心配をかけてしまいますよね。
「はい、もちろんです!」
私が力強く返事をすれば、エリザベスさまはふふっと笑ってお部屋を出て行きました。変わらず私の膝で伸びている黒ウサギのもちもちを堪能していたら、エリザベスさまと入れ替わるようにダリル殿下がいらっしゃいました。
「落ち着いた?」
優しい声でした。
黒ウサギにペシペシされたり、エリザベスさまに背中を撫でてもらったり、温かなお茶を飲んだり。それらのどれよりも、ダリル殿下の穏やかな声を聞くほうが不思議とずっと安心感を得ることができたのです。
「はい。おかげさまで」
「馬鹿な弟が色々と酷いことをして悪かった。アイツはこれから相応の報いを受けることになる」
襟元にメダルを付けたダリル殿下はソファーのほうへ近づくこともなく、扉の前を右へ左へゆっくり歩いています。多分それは私への気遣いだと思うのですが、腫れ物のように扱われることでより自分が汚れた存在のような気がしてしまって……ちょっとだけ辛い。
また滲み始めた涙を誤魔化すように何度か瞬きをして、勢いよく立ち上がりました。黒ウサギが転げ落ちそうになってソファーへ飛び降り、タシンと後ろ脚を叩きつけます。ごめんて。
「彼のことはお任せします。それより、ダリル殿下はそろそろ夜会に戻らないといけないのでは?」
「ん。戻るときはミミルも一緒にと思って」
「え、でも私はもう……お役目も終わりましたし」
私はネイト殿下の意識を引き付ける役でした。あんなにも彼が執念深く私を狙って来るとは誰も思わなかったでしょうけれど、結果的には全て上手くいったのです。彼が捕まった今、もう私がダリル殿下の隣に立つ理由はありません。
けれどダリル殿下は躊躇いがちに右手を差し出しました。
「もちろん無理にとは言わないけど。特製のリンゴタルトでもどうかな」
「リンゴタルト……!」
「よし、決まりだ」
ウサギをメイドに任せ、お菓子に釣られて戻った夜会の会場では驚くほどたくさんの人に囲まれました。どうも、入場時には持っていなかったメダルを取り返したことで人々の注目を集めたようです。
事件前、たくさんの人に挨拶していたのはこれが理由だったかと合点がいきました。メダルを持っていないことを印象付けておいてその場で取り返して来たら、最初から持っているよりずっと心を動かせますものね。
一方、私は私でドレスを着替えているので、女性たちの興味を隠さない不躾な視線が集中して居たたまれない気持ちです。
とはいえ心無い言葉に辟易している場合じゃありません。ただでさえ、今はちょっと精神的に余裕がないのです。タルト食べて元気出していきましょうー!
「どう?」
「美味しいです、すごく。バターとか焦げたお砂糖の香ばしい香りはすごく食欲がわくんですけど、やっぱりリンゴ! これミツリンゴですよねぇーこの甘さがもう最高で」
「いつになく饒舌だ」
「……そうですかね。やだなぁ私はいつだってこれくらいの語彙力ありますケド」
ちょっとだけ嘘です。タルトは本当に美味しいんですけど、やっぱりちょっとだけ気分が上がりきらないというか。だからって心配をお掛けしてはいけませんからね!
そっかと笑うダリル殿下はふと視線を上げて一点を見つめました。その視線を追うと、それはホールの中心で踊るケネス殿下とエリザベスさまで。
「ダリル殿下は踊らないんですか?」
「ん? あーそうだね、どうしようかな。いや、今夜はやめとこう。疲れたろ?」
ダリル殿下の瞳が一瞬だけこちらを向いて、でもその視線はぶつかることなく窓のほうへと逃がされて。気持ち悪いくらいよそよそしい彼の態度に気付かない振りをして、私は給仕の持つトレイからリンゴジュースを取りました。
リンゴにリンゴを合わせるのはさすがの私もどうかと思うのですけど、目に付いたのがこれだったから仕方ありません。
薄い琥珀色の液体を一気に喉に流し込んでから気付いたことには。これお酒ですね! まぁいっか! 甘いのに喉の奥に絡みつく微かな苦みが癖になって、二杯三杯とグラスを空けていきます。
楽団の奏でる音楽もまた数曲が過ぎた頃、ダリル殿下が慌てたように私を覗き込みました。
「えっ……。ミミル、飲みすぎじゃないか?」
「らいじょうぶれす! まだいけます!」
口から出た言葉は思っていたのと違う発音になったけれど、まだ飲めます。飲めるというか、飲みたいというか。だっていくら飲んでも、胸の痛みはちっとも和らがないんですもの。
「ぜんっぜん大丈夫じゃないだろそれ」
グラス、取り上げられました。そのまま手を握られて、引きずられながら会場を後に。横暴だ!




