行き先を決めよう 1
「だいたい、何で窓にぶら下がっていたのよ?」
もっともなことを、キャルが聞く。
セインはちょっと天井を見上げて、ずれた眼鏡を直そうとして失敗しつつ、指を一本立てた。
「例えば」
「?」
「捕らえた相手が、放り込んだはずの部屋から消えていたら、どうする?」
急な質問に、応えたのはギャンガルドだった。
「ま、普通、逃げたと思うだろうな」
面白そうににやりと笑うギャンガルドにタカが相槌を打つ。
「逃げたと思ったら、追いかけるわなあ」
「ってことは、この部屋にいちいち鍵を掛ける必要もないわけで…?」
今度はセインが満足そうに続けた。
「このとおり、部屋の扉は開けっぱなし。僕は誰にも見られずに脱走出来るでしょ?」
えへへ、と笑う。
「まあ、君らが来てくれるなんて思いもしなかったから、助かったよ。とにかく、この部屋に長居は無用。早く出よう。僕、こんな所はもうこりごりだよ」
言いながら、ジャリジャリと鎖を引き寄せた。
「ちょっと待って」
鎖をまとめるセインの手を、キャルが止めた。
「何これ?」
「へ?」
小さな指が示したのはセインの足首。
そこには枷が取り付けられていて、鎖は枷から延びている。
「何って、なんか気が付いたらあの柱に鎖で繋げられちゃっていたから」
ぶらりと、ちょうど手繰り寄せたらしい鎖の端を掲げて見せた。
セインの手からぶら下がる鎖には、先ほど窓の桟につっかえさせていた壁の残骸らしきものが、鎖の金具ごと揺れている。
セインが示した柱をみやれば、床に近い部分に、削られて抉りとられたような痕跡。
あの凹みと、この残骸とを合わせたら、ぴったり合うのだろう。
「ふーん。足の悪いあんたを、わざわざ鎖で繋いだってのね?」
表情を変えずに、キャルはパムルを見上げた。
「そういう事しそうなのって?」
「え?はい、あ、あの、先ほどのうちの執事だと思います。こんな、足の悪い方を鎖で繋げるなんてひどい事…。申し訳ありません!」
セインの足の状態に呆然としていたパムルが、キャルの言葉に慌てて頭を下げた。
「君は、ここのお嬢さん?」
「はい。パムル・ヴェーダ・デュナスと申します」
パムルは屈みこむと、セインの足をそっと取り上げて、先ほどのこの部屋の鍵を取り出した。
「兄妹から預かった鍵に、小さな鍵が括りつけられていたのですけど、多分、この枷の鍵ですわ」
予想通り、枷に空いた穴と、小さな鍵は合致して、かちりと小さな音を発てて枷が外れた。
「助かったよ。何とも重くてね」
「礼なら、私ではなく、貴方のお世話をさせていただいた兄妹に。わたくしは貴方に謝らなければならない立場ですから」
自由になった足をさするセインの前に、タカが車椅子を立て直して引いた。
「さて。早くこの部屋出ようぜ、旦那」
床に座ったままだったセインだったが、ふらふらとよろけつつ、何とか立ち上がって、タカに手伝ってもらいながら車椅子に座る。
ようやく落ち着けると、肺から空気を吐き出して、セインはパムルを見上げた。
「自己紹介が遅れたね。僕はセインというんだ。よろしくね」
改められて名乗られ、パムルがあわててセインに頭を下げた。
「す、すみません。お察しの通り、わたくしは城主の娘です。この度は大変な失礼を」
深々と頭を下げる彼女に、セインは眉尻を下げて顔を上げるように促した。
「苦労しているみたいだね。君も、僕たちの脱走に協力してくれるの?」
パムルはハッとして、セインの眼を見つめた。
たった今会ったばかりで、名乗りはしたものの、お家の事情など説明もしていないのに、この男には既に見通されているようだ。
「何故、苦労しているなどと?」
「身内を悪く言うようで悪いけれど、君の母上に弟と、僕は会っているからね。あの二人に比べ、言動から君はずいぶんと常識があるように見える。それに、こうして皆に着いて来たってことは、キャル達に協力してくれたんでしょ?なら、君自身は家の事や領内の制度の事とか、いろいろと何とかしたいと考えている。そうでしょ?」
言いながら、セインは車椅子を動かし、廊下へと移動する。全員がそれに合わせて動き、ジャムリムが車椅子を押し始める。
「良く、お分かりで」
車椅子の横に並び、セインを見下ろせば、にこりと微笑まれた。
「伊達に、君より長くは生きてないからね」
パムルはきょとんとする。
セインは確かに自分よりは年上だろうけれど。あと数年もしたら、自分もこんなに物事を見通せるようになるのかと考えて、とても無理だと溜め息をついた。
一見頼りなさそうに見える細身のこの青年を、彼の何倍もたくましく見えるギャンガルドが一目置くのが、なんとなく分かったような気がした。
「さて、この城は丘の上に坂を利用して建てられているだけあって、ちょっとややこしい作りのようだけれど…。僕らはまず、どこへ行ったらいいのかな?」
セインに訊ねられ、パムルは全員が廊下へ出たことを確認すると、再びセインの閉じ込められていた客室の扉を閉めて鍵を掛けた。少しでも時間稼ぎにするためだ。
「ここは、造りとしては四階になります。セインさんを連れて逃げるとしたら、車椅子を持ち上げて階段を下りなければなりません。このまま廊下を進めば前庭に出られますが、目立つので諦めた方がよいと思います。中間地点にある、使用人用の階段なら荷物用のスロープ付きですので、車椅子での移動も可能ですし、そこからなら地上に出るには二階分で済みますけれど」
走り出しながらパムルが説明する。
この城は丘陵を利用して、正面から奥に行くにつれ、傾斜を利用して階数が増える仕組みになっている。正面から入ると一階だが、そのまま真っ直ぐ突き進むと、いつの間にか二階になっているのだ。
丘の斜面を平らにせず、てっぺんを正面玄関にして下り坂の上にそのまま城を建てたため、奥に行くにつれて下に階が増えるのだ。
「足の不自由な人間なら、スロープ付きの方が移動しやすいと気付かれていれば、そこで待ち構えられている可能性があるってことか」
ギャンガルドがにやりと笑う。
「ふん。なら、このフロアの階段を下りちまおう。城の中を進むのも面倒だしな」
「その意見は賛成だけれど…」
セインの眉間に皺が寄る。
「階段で、誰が僕と車椅子を運ぶのさ」
じろりと睨めば、
「俺様」
と、あっさりと予想どおりの答えが返って来た。