壁の街の娘
「そのカートはどこに集められるの?!」
「収集場所は一階の裏口近くの倉庫です。ご案内します」
さっと、踵を返すフロントボーイを、ギャンガルドが片腕を挙げて制止させた。
「お前さん、さっきから用量が良いが、心当たりでもあるのかい?」
海賊王の言葉に、キャルはハッとした。
そういえば、テキパキとしすぎていると言っていいくらい、このボーイの行動は、こちらに都合がいい。
ホテル側としては、宿泊客が行方不明になったなど、認めたくないはずだし、そもそも、連れが誘拐されたかもしれないなどと、本気で信じる方が一般的におかしい。こういう場合は、騒ぐ客を宥めて、念のために警官か役人を呼ぶのが普通ではないか。
「お疑いになられるのは当然のことでございます。当ホテルからの説明をご希望でしたら、後ほど支配人をお部屋へ向かわせますので、ご安心ください」
フロントボーイは接客用の微笑みを顔に張り付かせたまま、丁寧に答えた。
「ふん。訳ありみてぇだな」
「申し訳ございません」
ギャンガルドの言葉に、もう一度丁寧に頭を下げると、急ぎましょう、と言って、全員を裏口まで案内した。
なるほど、クリーニングの業者に引き渡すためだろう、丈夫な帆布で作られた、車輪付きのカートが何台か並べられている。
リネンや汚れものを一気に回収するため、長身のセインでも膝を曲げればすっぽり入ってしまうような大きさだ。
それらを、ボーイはぶつぶつと呟きながら、もう一度数を確認し始める。
「おかしいな」
眉をしかめるボーイに、キャルが怪訝な視線を向けた。
「どうしたの?」
「いえ、先ほどは確かに一台足りなかったのですが、今はちゃんと数が足りているのです」
言うなり、裏口の外で作業していた小太りの女性に声をかけた。
「マーサ!カートの数が合っているようなのですが。心当たりは?」
洗濯物を仕分けしていたルーム係らしい彼女は、ひょいと顔を上げて、人の良さそうな笑みで返した。
「ああ、さっき外に放置されていたのを見つけたんですよ。これが終わったら報告に行こうと思っていたんですが、丁度良かった」
「見つけた場所はどこですか?」
ジャムリムが何でもないフリをして訊ねる。
ホテルの従業員でもないジャムリムから質問されて、彼女は一瞬不思議そうな表情をしたが、一か所を指さした。
「あの場所です」
全員が、指の先を追う。
そこは、荷馬車の停車場だった。その手前に、まるで置き忘れたように放置されていたという。
「これは」
「決まりね」
表情をゆがめるホテルのボーイと、その一点を見つめるキャルの表情は対照的だ。
「まったく、どこの誰だ?面倒臭いことしやがって」
顎をさすりながら、ギャンガルドだけが言葉とは裏腹に、楽しそうににやりと笑った。その眼光は既に鋭い。
「キャプテン、面白がってる場合じゃねえです」
こっそりタカに耳打ちされたが、ギャンガルドは構わない。
「奇妙な条例の町で、訳ありのホテルに、誘拐ときたら、当然楽しいだろうが」
「まあ、キャプテンの好きそうな事ばかりですけど」
「だろ?」
タカは仕方がないとばかりに、自分の頭をポリポリと掻いた。
荷馬車の停車場に、いかにも不自然に放置されていたカート。
確かに、ホテルの中を怪しまれずに人間ひとり運ぶのに、これほど適した物はないだろう。カートの中にセインを詰め込み、ここまで運んで馬車か何かで連れ去ったと推測される。
しかし、一体何のために?
「理由はいろいろ考えられるが、まあ、賢者が賢者だとバレたって事はなさそうだし。俺たちは旅の途中の、要するに旅行者だ。そんなヤツを攫って、誰が得をする?」
「そうですよね。旦那、足が今動かせねえから不自由だし。余計に謎っすね」
海賊二人が話し込んでいるのに気づいたキャルが、じっとギャンガルドを見つめる。
「なんだ?お嬢。俺様に見惚れてんのか?」
言った途端に、足を踏みつけられて、ギャンガルドが飛び跳ねた。
痛む足をさするギャンガルドを尻目に、キャルは考え込む。
「そうよね。事情を知らない連中から見たら、私たちは普通に旅行者だわ。でも、あの馬車で乗り合いになった乗客は、少なくともセインが剣の使い手だっていうことは知っているわね」
「それに、お前さんが銃の使い手で、二人ともに桁違いに腕前が良いってことも、俺たち二人が拳銃持った奴と素手で渡り合えることも知ってる」
確認するように呟くキャルに、ギャンガルドが追い打ちをかける。
「俺たちが戦い慣れしているのは実戦を見せちまったから、そりゃもう、話のタネにはなるだろうな」
にやりと、ギャンガルドが牙を剥くように笑った。
「もちろん、あの爺さんはそれを知っている」
では。
「腕が立つ人間が欲しかった?」
「多分な」
それで、剣の達人ではあるが、足が不自由で、人や馬の助けがないと満足に動けないセインを、比較的連れ出しやすいと狙ったのか。
しかし、腕の立つ人間が何故必要なのか。
「それについては、わたくしからご説明致します」
唐突に、少しトーンの低い女性の声が響いた。
「皆様方には、大変な失礼とご迷惑をおかけ致します。わたくしがこのホテルの支配人、パムル・ヴェータ・デュナスと申します。以後、お見知りおきを」
丁寧に頭を下げ、こちらをまっすぐに見据える彼女は、美人、とまでは言い難いが、何か印象が強い。それは、平凡な彼女の顔立ちの中で、一際暗く光る瞳のせいだと気づくのに、さほど時間は必要なかった。
身に着けたロングドレスも、単調なものでフリルもレースも無い地味なものだったが、逆に彼女に似合っている。
しかし、そんな事などキャルにはどうでも良かった。
「説明してくれる、って言ったわね」
「はい」
鋭いキャルの声音にも、パムルは顔色一つ変えずに頷いた。
「ここでは何ですので、よろしければ移動しましょう」
キャルが彼女から視線をそらすのを合図に、パムルは立ちつくすボーイに指示を出し、セインが居たはずの、キャルとの客室へと向かった。
「申し訳ございませんでした」
目的の部屋の内部に全員が納まると、まずは深々と頭を下げられる。
「潔いのね」
半ば呆れたようにキャルが唸った。
「当ホテルは、実を言いますとこのような事態が起こることを想定して、わたくしが運営しておりますので」
下げた頭のまま、パムルが言う。
「は?そりゃどういう事だ?」
ギャンガルドの眉がはねた。
人が誘拐されることを前提としてホテルを作ったとでも言うのか。
「正確に言えば、優れた人物の誘拐事件が起こりうる状況が、この街の中では日常化している、という事です」
顔をあげたパムルの顔色は、先ほどと打って変わって青白い。
「優れた人物が誘拐される理由は?」
ジャムリムが先を促す。
「わたくしの弟の、家庭教師を務めさせるため」
全員が、一瞬聞き間違いかと思った。
「は?」
「ですから、弟に優秀な家庭教師を付けて、教育をさせるために、旅行者の中から目的に合った人物を選び出し、誘拐するのです」
突拍子もない話だ。
全員が全員、もう一度、パムルの言葉を、頭の中で整理する。
「待って。優秀な人物を攫って特定の人物の教育をしているっていうことよね?」
聞いた方が早いと判断したのか、キャルが口を開いた。
「はい」
パムルは、素直に応える。
「その特定の人物が、あなたの弟?」
「はい」
「あなたの弟にそこまでする理由は?」
「・・・・・弟は、少し精神的な成長が遅く、知能の遅れを心配され、また、それを不憫に思ったのでしょう。わたくしたちの母が、弟に少しでも良い教育を、と」
「あなたのお母さんって、もしかして・・・?」
パムルはこくりと、小さく頷いた。
「この壁の街の領主。パンナです」
ギャンガルドは眉間にしわを寄せ、タカは頭を抱え、ジャムリムは大きく息を吐き出し、キャルは怒りで顔が真っ赤になった。
「馬鹿な領主を持つと、その下で暮らす街の人たちは大変ね。それで?うちのセインが、あなたの母親に誘拐されたっていう確実な根拠はあるの?」
肩を震わせながら、キャルがパムルを睨む。
「ホテルの従業員から聞き出した、あなた方を訪ねて来たという男は、母付きの執事で間違いありません。それから、新しい剣術の教師が見つかったのに、足が不自由らしいと城の使用人がこぼしておりましたので、間違いないかと思われます」
パムルの声音は、少し震えているようだった。