第6話:ナンシーとナタリエ
俺と入れ替わったということは俺の身体にはカインがいるはずだ。
あいつは俺の身体に何を思っただろう。日本で生まれてぬくぬく育っただけの、大して強くもない「京」の身体。すぐに風邪引いたって文句言われそうだな、なんて思うとちょっとだけ笑えた。
あいつはちゃんとやれているといい。戻った時に明らかに違う人生になっていたらどうしてやろう。俺達が戻れるまでになくなっていたら。片方だけでもなくなってしまったら。その時、お互いの意識はどうなるのだろうか。
考えても答えがわかる訳もなく、戻れるかどうかさえもわからない。あいつと入れ替わってまで、この世界に居る意味は一体なんだというのか。そんなにもカインは、俺は、生きることに執着していたのだろうか。
ぼんやりと影が消えた方向を見ながら考えていると再びノックの音が聞こえた。どうやら俺の返事を待っていたようだ。どうぞ、と声をかけると静かにドアを開き、ナンシーが部屋の入り口で一度だけ会釈をするとその後ワゴンを押して入ってきた。どうやら朝食の時間になったらしい。無言で室内へと入ると中央に置かれていた二人がけのテーブルの傍へワゴンを止め、食事をトーブルに並べ始める。俺は黙ってそれを見ていた。見慣れぬ料理。知らない香り。それはここが日本ではないことを俺に突きつける。わかってはいても少しだけ落ち込んでしまう。
「ナンシー」
俺は何故だか無意識に彼女を呼んでいた。しかし彼女は俺の方をちらりと見るだけで、すぐに食事の準備へと戻る。全てを並べ終えたところで再度ワゴンを押し、部屋の端へとつけるとこちらへ戻ってくる。テーブルに置かれたティーポットを手にし、紅茶をカップへと注ぎ入れる。彼女なりの時間配分なのだろうその一連の動作に無駄がなく感心してしまった。
「ナタリエ…」
ガシャンッ!
ティーカップとソーサーが乱暴にぶつかる音が響く。彼女の手元を見れば置いた拍子に溢れた紅茶がカップを伝い、ソーサーに小さな溜まりを作っていた。
『ナタリエ』
その名前は、俺の中でも膿を溢れさせるようにぐずぐずとした何かを生んだ。そして確信する。曖昧さを帯びた記憶は意図的に封じられたもので、そしてそれはお互いに触れてはいけないものなのだと。俺と、彼女だけが知っている何かがある。
食事の用意が終わったのか、汚れたカップは一度下げられ別のカップがテーブルの上に並んでいた。彼女は椅子を引くと俺を促す。俺は少し躊躇いながらも大人しく席へと座った。そして目の前に並べられた豪華な食事にため息が出る。こんなにも豪華なものを並べ立てられても食べきれる気はしないし、味の想像さえつかなくて食欲なんて湧かなかった。
「なぜ、」
どうしたものかと考えていたところで彼女が口を開いた。
「?」
「いいえ」
最初に聞こえた声は低く痛みを孕んでいるようだったのに、次の瞬間には何もなかったような音で、表情も捉えようのないものへと変わっていた。そして俺を見ずに部屋を出ていく。作法という言葉を忘れたようで一礼もなく足早に去った彼女に俺は更に食欲を無くしていた。
ナンシーとナタリエ。彼女達は見た目だけはとてもよく似ている。双子なのだから当たり前なのかもしれないが。それでも気性の激しさは大違いだ。ナンシーはとても穏やかな女性だった。一方のナタリエは感情があまり読めない。ひょっとしたら最初からああではなかったのかもしれない。きっかけがあったのか。そこまで考えた時、俺は一つの疑問にいきつく。この屋敷で彼女達は一緒に働いていたのだろうか、と。
働いていたならばセインはナタリエのことも知っているはずだ。しかし彼は知らない様子だった。ナンシーが亡くなったことも知らないのだろう。でなければ彼女をナンシーと呼ぶはずはない。
『お前のせいだ…!お前が、あの子を殺したんだ!お前のせいで。お前なんかの!』
『その顔で、その声で僕を呼ぶな。僕にその顔を見せるな』
叫ぶ女性の姿。その姿は、誰のものだった。あの恨みが籠った強い瞳は。拒絶するのは、拒絶したのは。頭痛に阻まれ思考が鈍くなる。結局この日は丸一日食事が摂ることはできなかった。こんなに豪華な食事を一口も食べないのは申し訳なかったけれど。




