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青と日のテラフォーミング  作者: 藤波
第一章 はじまりのセンテンス
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第二話 混乱と栄華をひと欠片

 膝に載ったまま、借りて来た猫のように動かない青子(あおこ)を乱暴に放り投げた銀髪の若人(わこうど)は、その鋭い瞳で隠すことなく青子を見下ろしていた。人の怒りを物語は時折"烈火の如く"と表現するけれど、まさに、彼は烈火の如く怒っていた。今にも喰らいつかんばかりの勢いで青子を睨みつける彼を宥めることなく、薄い羽衣を幾つも重ね合わせた不思議な和服を着ている美女――美少女と呼ぶには大人びていたので、青子は美女、と表現した――はちらりと此方を見やり、すぐに徳利を傾ける。不憫そうに此方を眺めている青年は、青子の視線に気が付くと、笑って首を横に振った。自分に何を言っても無駄だというアピールだ。困った。このままじゃ殺されるかもしれない、と青子は最後の望みをかけて、先ほど名前を教えてくれた少年を呼ぶ。

「に――日華」

「日華、だあ!?」

 ところが返事をしたのは少年ではなく目の前の男だった。銀色の瞳に金箔が浮かび上がる。目の色が変わったのだと気が付く前に、青子に彼の大きな足が振り下ろされる――瞬間「銀爾」という静かな声が響いた。青子の頭を踏み潰す直前だった右足がぴたりと止まる。左脚だけで容易く身体を支えながら、銀爾と呼ばれた若人は声の主を振り返った。

「……ンだよ、日華」

 日華、と彼の名前を呼ぶときだけ、銀爾は声のボリュームを上げた。まるで間違えたイントネーションを直すみたいに。彼の名前を呼び直すように。青子はなんだか気まずくなる。混乱していたとは言え、うっかり呼び捨てにしてしまったのが気に食わなかったのかもしれない。バカにするつもりはなかったのだが、彼も青子を"青子"と呼んだから、つい――。

 心の中で言い訳を重ねている青子を無視して、新品の剣のような少年は銀爾をまっすぐ見つめていた。

「やめろ。それから、うるさい」

 淡々としているものの、ぴしゃりと言い放った日華に銀爾は大きく舌打ちをし、振り上げた足を乱暴に畳へおろす。柔らかい若草色が歪んだ。それを見てはじめて、ずっと黙っていた美女が「銀爾」と彼を咎める。

「忘れているようだが、此処は俺の家だ。座敷を汚さないでくれ」

「あ? オマエに指図される謂われはねェよクソもりが!」

晦日(つごもり)だ。とうとう人名も思い出せなくなったか? "クソ"狼」

 激高する銀爾をせせら笑う晦日に「まだ煽りますかー……」と青年が力なく声を掛けた。晦日は扇で自身を扇ぐだけで、問いには答えない。

 派手な柄の織物と、生成りの織物、大きな羽が複雑に組み合わされた、和風とも洋風とも言い難い――言うならば民族衣装といったところか――服を翻し、青年が青子に近づいてくる。そして、みっともなく投げ出されたままの彼女に手を差し出した。

(にしき)っていいます。錦でいいですよ。よろしくどうぞー」

 青子を置き去りに喧嘩を始める銀爾らのなかで、彼だけが青子を救い出してくれた……ように見えたけれど、彼のラズベリー色の瞳は冷ややかだった。申し訳なさそうな表情も、差し伸べられた手も敵意は無いのにどうしてか、この場にいる誰よりも青子を拒んでいる気がする。

 とんだ被害妄想だ。根拠のない想像を打ち切って、手を掴もうとすると突然『――僕は信用できませんねー』という吐き捨てるような声が響く。



 警戒心を隠さない鋭い瞳。氷のような視線が、金の装飾を散りばめた、薄い水色と藍色の衣をまとった少女に向けられている。

『僕は信用できませんねー。ひとりの小娘に、何が出来るっていうんですか? 勝てない博打に付き合えるほど、僕らって余裕がある立場でしたっけ?』

 少女の唇が震えている。真珠の瞳と目が覚めるほどの青い髪で、別人の装いをしたその頼りない子どもは、知らない人のはずなのに、良く知っている容姿をしていた。



「――どうして私が」

 手を止めた青子を見て「どうしましたー?」と錦が首を傾げている。間違いない。声変わりが終わっている男の子の声。高すぎず、けれども低くはない独特な声色。間延びした喋り方。八朔(はっさく)色の髪の毛――彼も別人のようだったけれど、間違いなく錦だった。けれどもあの女の子は? 色彩こそ異なれど、あの娘は確かに青子と瓜二つの容姿をしていた。

 一体あの子は誰。

 そして錦は何故、あの子にあんなに冷たい態度を――。


「あのー」

 いつまでも手をとらない青子を不思議に思った錦が声を掛ける。銀爾が乱暴に障子を開け、此方に背を向けて縁側に寝転ぶと、晦日の視線が此方へ向いた。

「ごめんなさい、えっと」

 えっと。立ち上がらないと。何か話さないと。その前に手を取るべきで。でもこの人は、あの女の子に――私によく似た彼女を冷遇したひとで、だけど。まず、どうすればいいんだっけ。

 そもそも此処は何処なの。私はなんでこんな場所に?

 錦の果実を煮詰めた双眸がすうっと細められると、青子の心臓は酷い音を立てて主張を始めた。どうしよう。私はあの女の子とは違うはず。でもあの子は私とよく似ていて――そもそもあの映像は何? どうして急に頭に浮かんだの。私は……。


 頼れるものなど何もないと分かっているのに、泳いだ視線が縋るのはまたしても日華だった。

 華奢な右手が湯呑を掴む寸前、ガチャン、と彼の手をすり抜けて湯呑が畳に転がる映像が脳裏を過ぎる。反射的に「危ない」と声が出ていた。

 日華が青子を見る。湯呑がすり抜けて、畳へ落ちた。晦日のため息が空間に溶け込むのと同じ速度で、目に沿って茶が広がり、染みていく。

「青子」

 遅かった、と反応する間も無く、錦と青子の間に日華が座り込み、彼女を眺めていた。青子よりずっと小柄な手が、彼女の右手に重なっている。あたたかいけれど、濡れてはいなかった。茶を被らずに済んで良かった、と場違いなことを頭の端っこで考える。

「――見たな」

「……え?」

 何を、と紡ぐ前に、錦が「まさか」と笑った。朗らかな笑顔のまま居住まいを正し、青子へ伸ばしていた手を引っ込めて「ごめんなさい。意味が分からないこと言ってしまってー」と日華の言葉を謝罪した。確かに分からない。けれども、青子が不思議に思ったのは、日華が理解できないことを言ったからではない。

 どうして、自分が妙なものを見たことを"日華が知っているか"だ。

「どうして」

 思わず呟く青子に、日華が「当たりだ」と答えにならない答えを呟くと、錦の笑顔が崩れた。

「そんな」

「じゃあやはりこの女が」

「アア゛⁉ ンなわけねェだろうが!」

 晦日の言葉を遮って、寝転がっていた銀爾が立ち上がり、青子へ近づいてくる。その前に、日華が繋いだ手を引っ張り上げ、青子を立たせた。とても自然な導きだった。

「いや当たりだ。背格好も悪くない」

 じろじろと視線に晒され、青子が目を逸らすと、晦日の細い指先が顎をとらえた。吐息がかかるほどの距離まで近づいた紫陽花色の瞳が青子を映す。いったい何を見られているのか把握する間もなく、あっさりと顎を手放され、無意識に止めていた息を静かに吐いた。

「まったく似ていないな。どうする?」

「あのひとの顔を見ているのは一部の宮仕(みやづか)えだけだろう。誤魔化せる。お前の養子も居るだろう」

「どうにかしろって?」

「今死なれたら困るといったのはお前だ、晦日」

「だからオレはやめとけつったんだよ!」

「そもそも僕は、いったい彼女が何を見たのか――本当に"見えた"のか怪しいと思っているんですけど、それは無視ですかー?」

 ああダメだ。

 青子を置き去りに会話が進んでいく。何を言っているのかさっぱりわからない。似ていないって誰に? あのひとって誰。どうにかするって、私が? 誰が? やめとけって、なにを。怪しいって、何も言ってないのに疑われてる? 私が? なんで? 

 質問したいのに、言葉が出ない。場の空気を乱すのが怖いのではなくて、何か言ったとしても、果たして理解できる内容が返ってくるか保証がないからだ。青子は何も分からない。何故ここにいるのかも、日華たちが何者なのかも、すべてを知らない。理解できない。だから、ただぼうっと、彼らの会話が終わるまで黙っていることしかできないように思えた。青子にこうしろああしろと、彼らが言ってきたときにはじめて、抵抗するなり従うなりアクションすればいい。否、それしかできない。それしか――。


「気に食わねェな」


 繋がれたままだった青子と日華の手を離し、銀爾が青子に詰め寄る。青子が来てからずっと銀爾はこの調子だ。何もかもに腹を立て、青子を嫌悪し、排除しようとする。銀爾がどうしてそこまで何もかもに苛立っているのかも、分からなかった。適当な謝罪を述べたところで無駄だろう。初対面の人間を此処まで不快にさせた経験が無いから、対処法が分からない。銀爾の怒りに怒りをぶつけられたら楽だったかもしれないけれど、生憎青子はそういう気分じゃなかった。ただ混乱しているだけで、怒りたいわけじゃない。銀爾のことをよく知らないし、晦日のことも、日華のことも、錦のことも何も分からない。だから、ただ困惑しているだけだ。何より疲れていた。怒る元気がない。なんでそんなにひどいこと言うの、と銀爾を突き飛ばせたら良かったけれど、不可能だった。

 何の反応もしない青子を見下ろして、銀爾は眉を寄せた。心底軽蔑した視線を向け「気に食わねェ」ともう一度呟く。

「オマエ、黙ってれば誰かが全部説明してくれて、助けてくれるとでも思ってんのか?」

 ただ落ち込んでいた青子の心の中に、土足で銀爾が入ってくる。綺麗な畳をへこませるみたいに乱暴に、嵐が過ぎ去るときをただ待っている青子を糾弾する。

 だって、聞いても理解できると思えない。

 自分を放って、自分たちの会話を広げている人たちに、私に全部説明して、分かるまで向き合えなんて言えない。だって初対面で、何も知らなくて、青子は――。


 本当に?

 黙っていれば誰かがしびれを切らして、議論が終わったら青子の方を向いて、ほったらかしにしてごめんと謝罪して丁寧に説明してくれると期待しなかったか。青子にああしろこうしろと言って"くれる"まで、待っているのは……本当に自分が出来る『最適解』だったか? 怒らないという選択は、只の思考停止じゃなかったか。


 そんなのわかんないよ、と青子は思う。そんなのわかんないよ。だって全部わからないのに。助けてほしいなんて思ってない。そもそも今、自分が危機的状況にいるのか、そうじゃないのかもわからない。判断がつかないから、動くべきじゃないはずで――だって、と何度目かの「だって」を繰り返す。だって。私は一体誰に言い訳をしているんだろう。

「青子」

 この中で唯一、青子の視点より低い位置にいる日華が彼女の名を呼んだ。金の瞳に映る自分は何とも情けない顔をしていて、青子はやっと、自分が泣きそうになっていることに気づく。

 助けてと、言ったら助けてくれるかどうかなんて、博打じゃないか。

 青子には、助けてと口に出して見捨てられるほうが、助けてといわないで放置されるよりずっと悲劇に思える。

「力を貸してほしい」

 だから青子は。

 自分が諦めてしまう選択肢を容易く選んで、境界も障壁もないかのように振る舞う人が気になってしまう。どうしてそうやって、リスクの高い、傷つくかもしれない選択を選べてしまうんだろう。

「青子にしか出来ないことがある」

 うっとりするような甘言に似合わぬ無表情で日華が言う。ただ言葉通りの意味だというように、容易く言ってみせる。青子にしか出来ないことなんて、今まで生きてきた中で一度だってなかった。これからもあるかどうかわからない。あればいいと思ったことはあれど、実際そんな"特別"になれると勘違いするほど思い上がってはいない。夢に描く程度には、青子も理想主義だけれど、それだけだ。妄想と現実は違う。そうやって割り切って来た。

 青子にしかできないことなんてない。

 そう思う一方で――何もかもわからない状況で、唯一はっきりしている"願い"をよりどころにしてしまいたくなる青子が居る。口を開けて待っていれば餌を貰える雛じゃあるまいしと糾弾するのではなく、青子に餌を与えるわけでもなく、青子から餌を貰おうとするこの少年の手に触れたくなる。

 力を貸してほしいというくせに、すべてを諦めているような憂いを纏ったこの子の甘言は、ただのおべっかとは思えない深刻さを含んで、響いていた。


 妄想と現実は違う。

 けれども今見ている"何か"が妄想なら?

 その中で夢を見る、一時の幻に身を委ねる青子を咎められる人間なんて存在しない。


 青子は深く呼吸して、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる銀爾の言葉を初めて遮って、こう言った。混乱と困惑で塗りつぶされた脳内に一滴垂らされた金の絵の具を、掌で伸ばしながら。


「詳しく、聞かせてほしい」

2021/11/12 かなり間が空いてしまいましたが、更新を再開します

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