出涸らし聖女様の恋愛事情
「ふぅ、今日の仕事も終わりっと。さて、ギルドに戻るか。」
今日もいつもの通り、無事に医療ギルドからの依頼の仕事を終えたのだ。
何を隠そう、私は聖女だ。隠してはいないのだけどね。
この国、エステルド王国には聖女が多くいる。聖女というのは、治癒の力のある女性で、男性は治癒の力が使えない。そのため、治癒力のある人は聖女となる。この聖女の力は、血筋によるものではない。この国に住む女性に力が宿る。他国に行くとその力は発揮されない。なぜこのようなことが起こるかの原因はわかっていない。そして他国では、癒しの魔法が発展しており、聖女と同等の力まで回復や浄化が出来るらしい。ただ、国に囲われる大聖女程の力まで魔法による実現は至っていないようだ。
この国の聖女の中でも一際治癒力のある女性は大聖女と言われている。大聖女は、広範囲治癒や身体の部位の欠損すら、治癒できる力を持つ。
この国では今大聖女は三人おり、他多数は聖女と言われる。多くの聖女を聖女と一括りに言っても、ピンキリで、擦り傷しか治せない者から重篤な病気や怪我まで治せる者まで幅は広い。
大聖女は王宮に囲われており、国のお抱えだ。その他大勢は、各町の医療ギルドに属し、貴族や平民の治療に当たる。
かくいう私も三人の大聖女のうちの一人として国に登録はされている。え? なんで大聖女なのに王宮にいないで医療ギルドに属しているのかって?
私は、出涸らしなのだ。要は全盛期の時のように広範囲治癒や部位欠損治癒なんて、出来なくなっため、国のお抱えじゃ、なくなったのですよ。だから、大聖女というか(元大)聖女が正しいかもしれない。平均の聖女以上大聖女未満の力があるということで、さらに言えば、大聖女が他に二人もいるしね。
極論、国に捨てられた(元大)聖女と言ったところ。そしてこれも隠してはいないけど、もう二十八歳、結婚適齢期をとうに過ぎている。この国では結婚が平均二十歳だから。
つまり、私は行き遅れの出涸らし聖女って言われる事故物件扱いで、貰い手なんかいるわけがない。
大聖女なんて、十二歳と十六歳。他の聖女の平均年齢も十六歳で、私を覗くと一番上でも二十歳。私がどれだけ行き遅れか判ります?
さらに結婚し、初夜を迎えると、聖女の力は失われる。聖女は純潔でなければいけないらしく、結婚と同時に聖女登録は国から抹消される。
言いたいことはあると思うが、皆まで言わないで欲しい。つまりは、そういうことだから。
私にだって、この歳まで結婚できなかった理由がきちんとあるのだ。決して容姿ではない。そうではない。......はず。
私は十歳の時に聖女となった。十五歳の時には大聖女の力があり、国の唯一のお抱えとなり有頂天。婚約話なんて、幾らでもあった。盛ってないよ、本当だし。
しかし、十八歳の時に隣国との戦争が勃発、当然私も含め聖女も皆、戦地に赴き、治癒を施した。
戦争は二年間も泥沼のように続き、その間私達も永遠と思われる時間、治療をした。怪我をした人を治癒して、また戦地に赴かせ、戻ってきたらまた治癒しての繰り返し。
戦場で戦っている人はもちろん、聖女として治療に当たっている私達も心を病んだ。何度も人を殺し、逆に何度も殺されそうになり、何度も治療されるのだ。戦っている騎士達には地獄にでもいるように思われただろう。そして、治療する私達にも地獄だった。何度も重症となった者を癒し、戦場に赴かせる。同じ顔を何度も見続けていた。
終いには、「殺してくれ、見捨ててくれ」と私達に嘆願してくる。しかし、上官達は、それを許さず、私達に治療をさせ、敵にではなく味方から恨まれることも多々あった。
こんな状況で狂わない方がおかしい。
敵国が諦めたことにより停戦となり、戦争が終わった。私達聖女にもかなりの恩賞が与えられ、半年間の休息が与えられ、私も身も心も疲れ果て、故郷の両親とゆっくりしようと、故郷に赴いたのだが。
両親は戦争中に流行り病で亡くなっていた。戦争がなければ、私が居ればと、出来なかったことを悔やんで、悔やんで、泣き疲れた。とうとう、私は一人ぼっちになった。
それでも、生きており、いつの間にか足はまた王都に戻っていた。そして、王城に戻ったが、癒しの力がわずかにしか発動せず、王城での任を解かれ、大聖女のままとなった。大聖女なら王城なのだが、もうすでに私の代わりがいたのだから、王国からすれば力が元にもどらない者をいつまでも養う必要はない。
私は全てに絶望し、もうこの世の中に自分の居場所はないんだと思いながら、街中を浮浪者のように歩いていた。そんな時に、偶然にも久しぶりに戦争時に一緒に聖女として癒しをしたクレアに出会い、ゆっくりとゆっくりと心を癒して、戦争終了後から二年して、医療ギルドに登録していた。
そんなこんなで、私は今、医療ギルドで以前程ではないが、そこそこの力で治癒をしている。
私にもちょっとした慎ましやかな目標ができた。修道院に身を寄せ、子供と一緒に暮らしたいというものだ。ただ、修道院の修繕には結構なお金がいるので、それを溜めて、可愛い子供達と一緒に。
もう結婚なんてできないしね。
「お願いします!お金は何とかするので!」
「医療ギルドでは、受けられないわ。王城の大聖女様にお願いしてみて。貴方は貴族なのだし受けてもらえるわ。」
涙を流しながら、ダークブロンドの貴族らしい少女が顔を悲痛な表情に歪めて俯いて、何かを耐えるようにか細い声で呟く。
「......大聖女様に断られたの。私達には無理だって。以前には治せた大聖女様も居たという話があったので、懇願したけど、無理だって言って、診てももらえなかった。」
「なら、なおさら......」
「だから、死期だけども見て欲しくて...、もう覚悟は...している...。もう、ひとりぼっちだけど......。」
そこにいる少女は、昔の私のように見えた。そして思わず声を掛けていた。
「クレア、私が診るわ。お嬢さん、死期を見ればいいのね。」
「......はい。それだけで。」
「クレア、それだけ医療ギルドで受けてあげて。」
「はぁ~、わかったわ。アリエス。」
クレアにはいつも私の我が儘を聞いてもらっている。心の中で、ごめんと謝るが、やはり彼女の『ひとりぼっち』という言葉が心をチクチクと針で刺されているような感覚が私に依頼を受けさせていた。最後くらいは彼女の我が儘を聞いてあげるのも良いのではないかと考えて。
「私は聖女のアリエスよ。」
「私はカストロフ伯爵の娘イリーゼ・カストロフと申します。無理を言って、しかも受けて頂き感謝します。聖女アリエス様。」
「アリエスでいいわ。ストロフ伯爵令嬢様。」
「では、私もイリーゼでお願いします。今からなら馬車で送り迎えさせて頂きますが、大丈夫でしょうか。」
「わかったわ。少しだけ待ってもらえる? 私は今日の仕事の報告があるし、イリーゼは仕事の依頼をお願いね。クレア、お願い。」
そうして、互いの準備をして、屋敷に向かう馬車で彼女イリーゼと向かい合う。
笑っていれば、とても可愛らしいお嬢様だ。まだあどけなさも残っているし、十五歳くらいだろうか。思わず口にだして聞いてしまった。
「イリーゼは、いくつなの?」
「はい。十六歳です。これから見てもらう父は三十五になります。」
十六歳ということは、貴族学園に通っているのだろうか。
「病名は判っているの?」
「はい。以前聖女様に見てもらったときには、魔巣病と言われていました。」
「そう......。魔巣病なの。確かに難しいわね。」
「難しいということは、治せるのですか!?」
あっ、やっぱり笑った方がこの子可愛いわ。ブラウンの目がクリっとしていて目じりが少し下がり気味で、わんこみたいだ。
「あっ、期待させてごめんね。治せるかは五分五分なのよ。以前見てもらった際に一時的に治って、また再発したんじゃない?」
「は、はい!その通りです。」
「魔巣病は、少しでも残るとそれが、また全身に転移してしまう魔力の病気だから。」
魔巣病か。この世界には魔力があり、魔力のほとんどの生物が持っている。ただし、魔法という力として行使できるのは、ほんの一部の人だけだ。その魔力が体内で身体の彼方此方で貯まり、実際の人体に影響を与えて身体を衰弱させていく。一度できると、小さな病巣でも残れば、どんどん増殖していく。
「そうなんですね。期待してすみません。」
しゅんとした表情もなんとも。そうこうしている間に屋敷に着いたようで、馬車が止まり、扉が開き執事と思われる老紳士が、どうぞとエスコートして降ろしてくれた。
「ありがとう。シュタイン。」
「こちらは聖女様ですか? 来て頂けたのですね。」
「シュタインさん、アリエスです。宜しくお願いします。さっそくだけど、伯爵の所にお願いできるかしら。」
イリーゼが、シュタインさんに頷く。
「はい。承知しました。」
さっそく屋敷に入るが、少し寂しい感じで、侍女も見当たらない。やっぱり、さっきの言葉どおり夫人もいないのかな。きょろきょろと久しぶりの貴族の屋敷を見渡していた。最近、貴族の依頼は避けていたし。
「すみません。お母様は私を産んで亡くなりました。今、この屋敷に居るのは、お父様と執事のシュタインと私だけなんです。」
「ご、ごめんなさい。貴族の御屋敷に入るのが久々で。」
二階に上がり、奥の主寝室に通された。ノックは一応するが、返事はなく、シュタインさんがドアを開ける。病人の部屋特有の薬の匂いと湿気が陰湿さを感じた。そして、奥にベッドがあり、男性が寝ているのがちらりと見えた。ベッドの横まで来て男性を見ると、かなりやつれており、肌の色も土のようでカサカサで、かなり重篤な状態だ。意識も当然ない。
「すみません。布団を避けてもらえますか。」
「は、はい。」
両手の掌を伯爵に翳し、ゆっくりと掌に癒しの力を籠める。手が薄白い光に包まれ、伯爵の身体も光にゆっくりとゆっくりと包まれる。
自分の力をゆっくりと伯爵の身体に流し、魔巣病の場所や大きさなどを把握していく。十五分程度でようやく全身の様子が把握できた。恐らく、意識もほとんどないということだし、あと半月も持たないだろう。
「終わりました。」
「では、別な部屋でお話をお伺いしてもよろしいでしょうか。シュタイン、お茶をお願い。」
「はい。承知しました。イリーゼお嬢様。」
そうして、イリーゼの部屋に通され、シュタインさんが紅茶と菓子を持って来てくれた。
部屋は十六歳の女の子の部屋というには寂しい感じだ。華やかで彩り豊かという感じが全くなかった。
「シュタイン、そのまま居て、一緒に聞いていて。」
「はい。」
イリーゼは、震えており、シュタインさんも顔が青ざめているようにも見える。そうだよね。覚悟しているとはいえ、父親や主人の死期をこれから聞くわけだから。それを言う私も憂鬱だわ。
「今のままだと、死期は後二週間程度ね。」
私は何でもないようにさらっと言う。こういうことは、どうしようもない事だ。
「あ、あと二週間!? そこまで......。」
「でも――」
「でも!?」
「私が、一か月ここに泊まり込みで、毎日癒しの力を使えば、七割の確率で完治できるかもしれない。でも、これだけの金額がかかると思うわ。」
紙に金額を書いて見せると、二人とも愕然としていた。イリーゼは何かを考えてぶつぶつと呟いている。どうせ、ぼったくりだとか、何とか言うのだろう。
私だって、血も涙もない人間ではない。でも、温情だけで聖女を安売りする気はない。また、使い捨てにされる聖女を生まないためにも。
「わかりました。用意します。ですが、分割でお願いします。」
「え!? でも、この金額は伯爵家で、しかもこの家の状況からじゃ、無理じゃないの?」
「もしかして、治療が無理だから、この金額の提示だったのですか?」
少し、怒り気味にイリーゼが詰め寄ってくる。
「ち、違うわよ。本当に七割の確率だけど治せると思う。十年以上前に治療した経験はあるわよ。」
「じゃ、本当なのですね!」
「でも、どうやって用意するつもりなの?」
「爵位と領地の返上、私の結婚の準備金、学園の退学やシュタインの解雇をすれば......。シュタイン、ごめんなさい。」
「私は給金がなくとも御二人に着いて行くので、お気になさらず。」
「まっ、待ってよ。爵位返上なんてしたら、平民よ。三人で生きていけるの?しかも、再発したら......。」
「お父様さえ、少しでも長く一緒に居られれば、いいのです。」
この子もシュタインさんも、本気だ。そこまでさせたら私まで医療ギルドに居れなくなるんじゃ。いや、それよりも、三人を不幸にするだけなんじゃ。
「......、もう一つ案があるわ。ギルド経由ではない方法よ。そうすれば、この金額を払わなくていいわ。条件さえ飲めば、お金はいらない。」
「「そんな方法あるのですか?」」
私は、もう一つの方法について、説明した。私が医療ギルドで働いた後の残りの力で癒す方法だ。
残りの力を使えば、医療ギルドに迷惑はかけない。そして、私がここに住み込み、食事の用意をしてくれることで、力を限界まで使える。
後は口外しないこと。これは聖女の力の悪用を避けるため。二人にもかなり負担をかけるはずだ。
ただし、数か月はかかる。
出涸らしと言われる私のさらに出涸らしの力を使う方法。自分で言って情けない。ぐすん。
そして、二人に尋ねる。
「どう?」
二人は驚きの顔を見合わせる。
「「本当に、それで良いのですか?」」
「しょうがないじゃない。お金を貰うわけにはいかないし、折角助けても三人が不幸になるかもしれないんだから。」
「でも、それだと、貴女が不幸で辛いだけじゃ。」
「それじゃ、伯爵が完治したら、特別報酬として......」
私があと数年したら、医療ギルドをやめて、孤児院で働こうと考えていることを話し、孤児院への寄付を少しばかりでも良いから定期的にして欲しいことを頼むと。
そんなことであれば、貴族として当然の務めだからと、イリーゼからも父親に約束してくれることとなった。けれど、それより二人は欲と言う物が全くないことに首を傾げていた。し、失礼な! 私にだって欲はあるけど、結婚したいから誰か紹介してなんて口が裂けても言えるわけないじゃないか! どの道、事故物件紛いの年寄り紹介された相手の方が可哀想だしね。
三人で契約を取り交わして、早速シュタインさんにお願いをした。
明日は医療ギルドの仕事があるから、明日の夜から泊まること、明後日から五日間は休みをもらって、集中的に治療をすること。
そうすると、イリーゼも三か月は父親の容態が悪いから学園を休むこと、そして家事や私の世話を手伝うと言い出した。
それは....とやめさせようとしたが、実際に私も力が枯渇して倒れる可能性もあるし、伯爵の身の回りを清潔に保つ必要もあるので、彼女の意志に任せた。
こうして、翌日から伯爵の治療に臨むこととなった。
翌日、私は朝いつものように医療ギルドに立ち寄り、クレアに状況を説明した。そして、ありがたくも予想通り怒られることとなった。
「どうして、そうアリエスはお人好しなのよ! もっと自分を大事にしてよ!!」
その一言でしゅんとしてしまうが、眉を吊り上げているであろうクレアの顔をチラリと見て、一息ついてから理由を話した。
「イリーゼが昔の自分と重なって見えてね。あの子まで私のようにならなくて済むなら、いいかなって。」
「アリエスは、いつもそうやって他人ばかり幸せにして、自分を雑に扱うんだから。」
「あっ、でもね。上手くいけば、伯爵家で孤児院への寄付もしてくれそうなの。たぶん、イリーゼさんや執事の人ならきっと信じて大丈夫だと思うし。私のためでもあるのよ!」
両の掌をパチンと合わせて、自分の特になることもアピールしてみたが、これもクレアに一蹴されてしまった。クレアは両腕を腰に充てて。
「はぁ~、あのね。貴族なら奉仕は義務なんだし、当然でしょ。そしてね。孤児院は貴方のものじゃないし、そもそも、貴方が医療ギルドを止めて結婚も諦めて、孤児院で働くこと自体、私からすれば自己犠牲の何物でもないんだけど!」
「うん、結婚はもういいよ。折角、紹介してくれたりもするけど、何かその気になれないし、紹介してくれた人にも相手にも悪いから。」
「ごめん、言い過ぎた。」
このやり取りも何度目だろうと思うが、いつもクレアには申し訳なく思うとともに、気にかけてくれていることをとても感謝している。そうでなければ、私は何時までも宙ぶらりんで、ふらふらしていたことだろう。
「話を戻すけどね。明日から五日程お休みさせてほしいのよ。」
「わかったわ。明日から五日ね。それとその後の依頼も、軽い依頼を取っておくようにする。私にはそれしかできなくて、ごめん。」
涙を堪えて悔しそうに手をぎゅっと握っているクレアの手を取り、「本当にありがとう。」と言って、クレアを抱きしめた。
その日の仕事を終えて、カストロフ伯爵家にと向かった。伯爵家に行くと、イリーゼとシュタインさんが出迎えてくれた。ありがたいことに食事も用意してくれていた。
食後に、これからの治療について話をした。これから、六時間の治療と睡眠を繰り返すので、睡眠後に食事を用意して欲しいことと、治療に集中すると時間感覚がわからないので、ひっぱたいても良いから強制的にでも治療を終わらせて欲しいことを伝えた。
「流石に、叩くのは出来ないよ。」
治療をしてくれているのに心苦しいとイリーゼが話すが、そうしないと、私が限界まで力を使い切り倒れてしまい、その後の治療が出来なくなるからと二人には何とか同意してもらえた。
そして、私が治療していない間に、伯爵の水分補給、部屋の掃除、換気、シーツ等の代え、身体を拭く等の世話を二人に交代して行うようにお願いした。
「睡眠時間などがおかしくなるから、辛いだろうけど、ここ四日が勝負なの。意識を取り戻して少しでも自分で食事を取れるようにならないと。それと、何でも良いから声も掛けてあげてね。」
「「はい。」」
いい返事だ。
「それじゃ、私も身体を清めたらすぐに治療を始めるわ。治療を始めたら、そこから開始よ。」
グッと拳を握り気合を入れると、イリーゼまでも真似をした。
「伯爵令嬢がやっては駄目よ。」
そう窘めると。
「聖女様もね。」と返されて、いつの間にか三人で笑いあっていた。
治療を開始して三日目の早朝に治療を終える間際、私は疲れにより、意識を失い、ベッドに横たわっていた。
「あぁ、イリーゼ。看病しててくれたんだね。すまないな。でも、もういいんだ。」
その声にふと私も意識を取り戻した。気付くと、私の手がぎゅっと握られていた。
「イリーゼ、最後に少しだけ私の話を聞いておくれ。」
「......」
声を掛けて、娘ではないことを言おうとしたが、それよりも早く伯爵の声が続く。
「私は、お前の母アリーシャとお前に謝らないといけない。十年前の戦争時に六歳のお前を一人置いて私は戦争に行ったね。その時に、治療をしてもらった聖女様に心を惹かれてしまった。とても慈悲深く、とても悲しみに暮れていた女性だったんだ。なぜ、悲しみにくれていたのか後で判った......」
私は戦争と聖女の話になり、聞いてはいけないと思いつつ、声を出せずにいた。手はしっかりと握られており、その場を去ることも出来ずに固唾を飲んで伯爵の話を聞いていた。
「聖女様達は、騎士達を治療し、戦場に送り出すことを繰り替えしていたんだ。治療して、また死地においやるんだ。辛かっただろうに。それでも、優しく声をかけ、皆に死なないでと声を掛けていたよ。純白のローブに身を包み黒髪の聖女様は凛としていたが、儚げだった。」
純白のローブ......、大聖女のことだ。普通の聖女は薄い灰色のローブだった。そして黒髪って私のこと?
「私は戦争中だったが、父が病気で亡くなり爵位を継ぐために、途中で戦場から戻ったんだ。彼女達を置いて。私は、戦争後、彼女を探した。六歳のお前を一人置き去りにしなくて済んだことに感謝したくて、彼女を戦地に置き去りにしたことを謝りたくて、そして心惹かれていることを告げたくて。実際には会うことは叶わなかった。そんな私だ。お前の母親から心が虚ろいだ私だ。そんな私だ、もう捨て置いて構わない......よ。」
「......死なないで」
そのまま、また眠りについた伯爵を前に、手を握られたまま、そう呟いていた。涙が止まらなかった。私達聖女のことを判ってくれている人がいたことに、そういう私達に生き延びて感謝してくれる人が居たこと聞けて、報われたと思えた。
そんな想いに耽っているとドアをノックする音が聞こえ、イリーゼが入って来た。
「伯爵が先程、意識を取り戻したわ。また直ぐに眠ってしまったけど。私を貴方と間違えるくらい、まだ虚ろだったけど。」
「本当! アリエス様? でも目が赤いわ。何かあったの?」
「意識が戻ったことに安堵して、涙がでてきたの。ごめんね、心配させちゃったみたいで。大丈夫、回復してきているから。」
笑顔を向けると、イリーゼも安心したようだった。そして、私は倒れた。癒しの力の枯渇ではなく、肉体の限界によるものだ。やっぱり歳? いやいや、まだ二十八だし! この時代アラサーなんて言葉はないのだ。まだ二十代!
二十代! でもなかったようで。半日ほど倒れていたとのことだった。起きたら、もう日が沈んでいた。
「どうして、六時間で起こしてくれなかったのとは言えないわね。十分休息をもらったから、また治療を再開するわ。」
「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。アリエス様。それとイリーゼと私からも伝えておくことがあります。」
もしかして、伯爵の体調が悪くなったってことはないわよね。嘘でしょ。有り得ないことではない。いくら魔巣が減っても、生身の身体が持たない可能性もある。
「何? もしかして伯爵の身が......」
「あ、いえ、意識がかなり戻って来たみたいで。食事も僅かですが、取れるようになってきています。」
「よ、良かった。じゃ、食事をしたら、また治療開始するわね。」
びっくりした~。でも、良かった。まずは第一段階クリアね。あともう少し、魔巣の大きさを小さくしておかないと、昼間は、治療できないし、無理できないからなぁ。頬をパンと気合を入れて叩く。
伯爵の横に来た時に、伯爵の言葉が蘇る。『そして心惹かれていることを告げたくて。』 あれって、告白ってことは無いよね? 流石にもう七年近く前の話だし。イリーゼと勘違いしてだもんね。や、やばい緊張する。いやいや、まぁ子持ちだしね。うん、深呼吸、深呼吸。良し! 大丈夫!
そうして、また治療を再開したのだった。
そうして、私の治療中に伯爵は意識を取り戻すことはなく、休みを終えた。
その後も昼間は起きている時間が多くなり、夕方には体力が尽きて寝ていた。治療は順調そのもので、昼間の様子を聞く限り、意識もはっきりしているようだ。
「今日は三時間ほど、私と話をしていたのよ。」
「そう、顔色も大夫良くなってきたし、そろそろ筋力を戻さないと。」
「筋力?」
「ここからが大変だと思う。ずっと寝ていたから、足や腕や身体に力が入らず、うまく歩けもしないと思うの。だから、腕や足を寝たままでもいいから動かすようにして欲しいのよ。」
「わかった。でも、アリエスさんの時に起きていることが全くないのも変よね~。昼間話すと、お礼を言わないとっていつも言っているに。」
何故か、不満顔のイリーゼだが、まだ病人だし、五割ほどしか回復していない。全体的に魔巣の大きさを調整して、一気に消せるように、小さくしていかないと。焦りは禁物だ。
「まだ、体力が完全に戻っていないしね。少しずつ起きている時間も長くなると思う。無理はしないでね。少しずつだからね。」
イリーゼもシュタインさんも最近は表情が明るくなった。良かった。余裕ができたのか、イリーゼもいたるところに花を飾ったりしている。うん、うん、これなら、あと一か月もかからないかもしれない。
それからも昼は医療ギルド、夜は伯爵家で治療を続け、一か月半が経ち、二人の話からすると、伯爵は立てる程までになり、支えがあれば歩けるようになったと教えてもらえた。教えてもらって判ったのだが、昼間はかなり活動的になったので、その反動で私が治療している夜は疲れて眠っているようだった。
治療もほぼ終わりつつあり、全体的に魔巣の大きさも全体的に大分均等に小さくなりつつある。あと一週間で限界まで感知できるまで小さくしたら、一気に消し去るだけだ。また、三日くらい休まないとな。
治療の話を二人にすると、とても喜んでいた。
「イリーゼもそろそろ学園に復帰しないといけないだろうから、メイドや従者でも探した方が良いわ。もう少しね! 頑張りましょう。」
明るい声でそう話すと、イリーゼは少し浮かない顔をしていた。どうしたのだろうか?
「イリーゼ、伯爵の容態で、気になることでもあるの? あったらきちんと話してね。」
「う、うん。でも、あと一週間でアリエスさんと一緒に居れなくなるの? ねぇ、このまま、ここで一緒に暮らそう。寂しくなるよ。」
「二人の作るご飯も美味しいから、離れがたいけど、そうもいかないわよ。寂しがり屋ね、イリーゼは。もう十六歳なんだから、しっかりしなさい。お父様も元気になれば、楽しくなるわよ。」
それでもイリーゼは、寂しそうな表情だった。私も一か月半も一緒に居れば情が湧かないはずがない。でも、私もここ一か月の稼ぎはかなり減ったので、また、クレアに頼んで少し仕事を増やしてもらわないと。怒られるだろうなぁと思いつつ、背に腹は代えられないので、素直に怒られる覚悟だけはしておこう。
そして、最後の伯爵の治療をする為、三日間の休暇を取得した。
今日の治療で最後だと、二人に告げた。
「今日、全ての魔巣を一気に消失させば、治療終了よ。後は、一週間に一度、四度だけ定期検査をクリアすればいいだけ。多分、大丈夫。」
「ありがとございます。アリエスさん。今日は私達も立ち会って大丈夫ですか?」
「えぇ、問題ないわよ。」
そして、三人で伯爵の寝室に向かった。ドアをノックすると、伯爵の声がした。今日は伯爵も起きているようだ。三人で部屋に入る。
伯爵はベッドの上で上体だけ起こして、窓の外をぼんやりと眺めていた。最初に会った時よりも顔色も良くなり、声にも張りがあった。この調子なら復帰もかなり早く出来るだろう。
「初めましてかしら、伯爵様。アリエスと言います。」
そう声を掛けると、伯爵もこちらを見て返事をする。
「初めましてアリエスさん、エルク・カストロフです。今まで治療をありがとう。二人から話は聞いています。」
優しい声で、目付も柔らかく、長くなっていた髪も切り揃えられ、髭も剃られていた。
とても三十五歳には見えず、痩せこけてくぼんでいた頬も肉が付き、まだまだ痩せているとはいえ、精悍にさえ見えた。身なりを整えると、やはり貴族なんだと思わされた。いつの間にか、彼に見入っていたようだ。
「娘やシュタインまでいろいろと世話になったようで、感謝の言葉もない。」
「お二人には私の方が、お世話頂いて感謝しています。それじゃ、早速治療をしましょうか。二時間ほどで終わるはずですから。」
「よろしく頼みます。」
横になってもらった伯爵にいつものように、掌を当てて集中する。今日は根絶が目的なので、胴体の方から一気に癒しの力を流し込む。その間、額に汗をかきながらも休むことなく頭、足、腕などの胴体から末端に癒しの力を解放し、治療した。全身の治療が完了し、最後にもう一度、癒しの力を一気に注ぎこみ、治療は終了した。
「終わりました。これで治療は完了です。油断はできませんが、後は三人で体力の回復に務めれば、直ぐに日常生活を取り戻せますよ。」
額に汗をかきつつも、完璧に処置できて満足した。ここまで治療が上手くできたのは、伯爵自身はもちろん、イリーゼとシュタインの御陰だろう。そして、ここにはいないクレアが影ながら支えてくれていたためだ。
満足していつの間にやら笑顔になっていた。
「ありがとう。一気に身体が軽くなったようだ。」
「お父様!」「旦那様!」
イリーゼとシュタインさんが、伯爵の傍によると伯爵も二人に感謝の言葉を伝えた。
「三人とも無理はしないでくださいね。週一程度、医療ギルドに検査の依頼はしてください。私ではなくても検査なら大丈夫なので。」
「もう、来てくれないんですか?」
イリーゼが私にそう問いかけてきた。
「そうなるわね。今日が最後。時間が会えば、検査に来ることもあるかもしれないけどね。」
別れが辛くないようににっこりと笑って、「それじゃ」と声を掛けた。
「そんなに慌てなくてもいいじゃない! 明日もまだ休みなんでしょう? 今日は食事して休んで明日の朝でも......」
「イリーゼ、我が儘を言うな。アリエスさんも困っているではないか。」
イリーゼが窘められると、父親であるエルクさんに視線を落とし、睨むように見ていた。おや? やっぱり父親というのは、可愛い娘には弱いのだろうか。
そしてエルクさんがその視線を向けられて観念したかのように口を開いた。
「判ったよ、イリーゼ。すまんがイリーゼ、シュタイン席を外してくれ。アリエスさん、少しだけ二人で話をさせて欲しい。」
「はい。私は構いませんけど......」
そう言って、二人を見ると何故か満足したような顔つきで、部屋の外に出て行った。
「改めて、アリエスさん、ありがとう。」
「イリーゼさんとシュタインさんの二人が一生懸命お世話していましたし、これほど早く回復するとは私も思いませんでした。」
「恥ずかしい話だが、娘と勘違いをして貴女に話してしまったようで......。」
最初に意識を取り戻した時の話か。
「すまない。その後、娘と話した時に聞いていないと言われて、流石に焦ってしまった。それで、貴女に顔を合わせるのが気まずくて、昼間頑張って、夕方から寝るようにしていたんだ。」
顔を少し赤らめながら指で頬を掻いて、恥ずかしさを誤魔化していた。大人の男性でもそんな仕草が可愛く見えて微笑ましくなった。
「でも、御陰で良いこともあった。いつも、癒されていると夢で貴方と会えた。夢の中の貴女は、いつも微笑んでいるが、悲しそうでもあった。夢の中では健康で、貴女を抱きしめてあげられた。でも、人の欲とは際限がないもんだね。現実に横に貴女いる。」
「一か月で良いんだ。私に貴方と一緒に居る時間をもらえないだろうか。アリエスさん、やっぱり私は貴方を愛している。」
彼への返事には困ってしまった。彼の事は嫌いではない。いや、不思議だが、寧ろ受け入れたいとさえ思えている。どうしよう。でも、やっぱり......。
「イリーゼさんがいるでしょう。自分の父親が他の女性と仲良くしているのを見るのは辛いんじゃないかしら。」
「イリーゼは......、貴女となら、母親でも良いと言ってくれている。というか、そうして欲しいとさえ、言ってきたよ。今まで母親が居なかった分、母親の愛情を欲しているようで。貴女にそれを求めているのかもしれない。私やイリーゼの気持ちが、貴女に負担を掛けるようなら、断ってもらっても構わない。でも、私は貴方を幸せにしたい。お互いを知る時間があってからでも良いと思うだが、どうだろう?」
「...わかったわ。私のような行き遅れでも良ければですけど。」
「ははっ、それは私も同じだよ。こんな年寄りからの求婚で申し訳ないけどね。」
きゅ、求婚!? 改めて言われると、そ、そうだよね。
それからの一か月は、早かった。まさにあっという間という言葉が相応しいくらいだ。私は日中はいつも通り仕事をすると、伯爵家に戻るの繰り返しなのだけど。
伯爵家に戻ってからが凄かった。何が凄いって、イリーゼが甘えてくる。お菓子を一緒に作りましょ、勉強を教えて欲しいとか、恋の相談に乗って欲しいとか、一緒に寝ていいですか? などなど、先日までしっかりしていたイリーゼの幼児返りが激しかった。これはこれで可愛いから許してしまう私も私なのだが......。
そして、それを上回るようにエルク様が、食事中にあーんしたい、させたいと強請る。自分の膝の上に私を乗せたり、髪を撫でながら愛を囁いたりと、歩けるようになると、至る所に連れて行って、服などもプレゼントしてくれた。まさか、これが普通じゃないよね? じゃないと、私溺愛されて溶けそうなんですけど。エルク様にお金は?って聞いたら、仕事に復帰して、一週間で大きな仕事を終わらせて報酬を頂いて来たから大丈夫だと言ってくれるが、本当に大丈夫だろうか?と疑念を抱いていると、シュタインさんまで、復帰できれば元々高給取りだから問題はないでしょうと言ってくれたので、一先ず気にしないことにした。
あっ、でも四人で孤児院にも行って子供に勉強を教えたり、作ったお菓子を一緒に食べたりもしてくれたんだよね。きちんと貴族としてビシッと決めるところは決めていた所は素敵だった。
えぇ、もう降参です。イリーゼは可愛すぎて娘でも抵抗全く無いし、エルク様なんて、歳の割にはベタベタするけど、嫌じゃないというか嬉しくて、絆されてしまった。私まで甘えてしまう始末。シュタインさんはもう、呆れを通り越して、羞恥の感情を極め、平常運転が出来ている。す、凄い。
そして、私は返事をした。
「エルク様、私も貴方が好きです。私と一緒になって欲しいです。」
我ながら、恥ずかしいが、ありきたりの言葉しか出なかったのが、さらに恥ずかしく俯いてしまう。恋愛初心者の私にはこれが精一杯の言葉だ。
「知れば知るほど、触れれば触れる程、私も好きになったよ。愛しのアリエス。結婚しよう。」
「イリーゼ、こんな私だけど、母親として受け入れてくれる?」
「もちろん、お母様!」
今まで恋愛ごとには自分には遠いものだと考えていて、夢中になると周りが見えなくなるというけど、本当かもしれないなぁとぼんやり思いながら二人の返事に満足している私がいた。
「シュタインさんもよろしくね。これから四人で幸せな時間を一緒に過ごしましょう。大変なこともあるかもしれないけど、四人なら頑張れるわ。」
いつも冷静なシュタインが横で号泣しているのを三人で見つめながら、笑い合っていた。
- fin -
如何でしたでしょうか。
最後まで読んで頂けた方に感謝です。
短編で書いてみましたが、少し続きが書きたくなりそう。
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