7話 Q
晴天が甦る雨上市。
退屈するほど見ていた。
澄み渡る蒼い世界が帰ってくる。
見慣れた景色に手を伸ばしてみると何処までも遠くて。
最も近くにある境界線は太陽の日差しに照らされている。瞳に映る透徹した夜空の狭間は再び静寂と共に当たり障りのない日々に戻る。そして、忘れていく非常識の欠片は風化する運命を受け入れた。
真実の結晶は。
熱のない雑音によって掻き消されてしまう。
「……夢を見ている気分だ。胸を締め付ける悪夢みたいだった」
一筋の物語を静観して見送っていた夜弦は我に返るが、心に残る喪失した感覚が未だに拭えていない。他人事なのに。赤の他人なのに。関係非ずだとは思えない。そんな身に覚えのない憂悶が意識し続けていた。
憎悪を孕んだ怪物に情けは移らない。
だけど、未練の中に詰め込んだ、拙い悲壮は胸を差すものがある。
「まるで『子供』だった……」
あの時。ハッキリと聞こえた。
交戦中怪物から放たれる金属音の中に苦しそうな子供の声。まだ自覚をしてない幼年期のような無邪気な心。それも親の愛情を知らず玩具だけを与えられて。
「……いや、それだけじゃない」
心の何処かでは。
未練がましいというか。
いかにも幼稚な要素が強すぎるバケモノだった。
「これは、弱みを付け込む為のまやかしなんだ。心を堕落させる、悪魔の囁きだ」
対峙を繰り返す度に募る疑念が何度も邪魔をして。
迂闊に。過る不安が煽り、怪物だったものは元々人間なのかもしれないと。
飛んだ発想が本能に迸る。
だがしかし、突き付けられた真実の差異に。
目の当たりにした夜弦は堕落という罠を掻い潜る。従来の意識が凌駕した瞬間、自身の危機に直面しても、壮大な規模の憎悪が抗う心を強くさせた。
勝るのは自分の命。それが夜弦にとって至高の答え。
エゴが誘惑を断ち切り、悪魔の囁きを否定した結果。夜弦は目の色変える。
そして怪物の性質を見破る―――。
「……大人なのに内面が子供。精神年齢の低さを浮き彫りにしている。外見だけを諂う、あのおぞましさを体現させていたのか」
目を背けたくなる。現実という名のグロテスク。
美化した様式美とは裏腹に覗いてはいけない暗黙の了解がある。触れるのを躊躇う魑魅魍魎の醜態は表の舞台ではごく一部だけ。実際は見えない所に隠されているだけで、混沌めいた衝撃の事実が、今日もどこかで繰り広げているという。
嫌気が差す拒絶感は想像しただけでも反応を起こす。
それが、怪物に例えると。
「……まさに、現代社会の膿みたいだ」
厭忌たる部分が集合し、蓄積した因子が正体不明の怪物を生み出す。
嘘のような話だ。誰も信用に至るハズがない。
信じられないかもしれないが。
どんなに否定したって。
―――目の前で繰り広げた違和感の衝突は、真実であり、あれは本物だった。
乗り越えるしかない。
「もし、そうだとしたら、相次ぐ失踪事件は怪物の仕業……」
苦悶の表情を浮かべる夜弦を露知らず。
激闘に幕を閉ざした少年は音を立てずに爪先で路地裏に降り立つ。
緩やかな微風が路地裏を通り過ぎる。日差しが照らす路地裏は季節通りの冷え込んだ気温を取り戻しつつある。
炎の渦に囲まれて焦げた場所は一切見られず、普段から汚れた薄気味悪い雰囲気を取り戻す。人気の無さが相まってより一層と陰気臭さを加えた場所では、人々の通行の架け橋にならない。
迷い込んだ者が神隠しに遭遇するのに相応しい。
まさに蟻地獄のような、屈辱的な罠だ。唐突な胸糞悪さで埋め尽くす。
―――禁足地だ。
本来の本質を見抜いた気がして。下劣で出来た悪夢の爆心地に。
夜弦は苛立ちで言葉が止まらなかった。
「こんな、人間みたいな感情を抱えた怪物が、人間を襲うだなんて……」
「奴等は人じゃない」
振り返ることもなく。
二つに割れた蝌蚪の玩具を拾う少年は告げる。
片手で握る日本刀。その柄には錫杖みたいな遊輪が付いており、壮重な煌めきを放つ。銀色の光沢を持つ日本刀は発光と共に風に乗って消えていく。
「ど、どういうことなんだ……?」
手に乗せた蝌蚪の玩具は光に包まれて消えた。
容易くこなす様は練達している。熾烈な修羅の道を潜り抜けてきた技術の数は、並の人が持ち得ない『非常識』の領域を踏み込んだ証明。憎悪を断つ手段を携えた日本刀を身構える透明な志は、過去に生きた侍とは違う。
同年代だとしても。
大人びた彼に勝るものが一つも無かった。
何せ。
―――生きている世界が違いすぎる。
「……奴等は、負の感情で形成された、存在してはいけない存在。人間に成りきれなかった中途半端な存在。其の名は、―――マガイモノ」
「紛い物……」
人とは異なる概念。物質や構造。
そして、人間である存在価値。
これらを全て欠落した生物未満の存在こそ、負の感情によって形成された悪しき怪物。透明な現世に具現化する瑕疵の醜態は、怨嗟のままに人間を蹂躙しようと目論み、神隠しといった超常現象を引き起こす。
今日まで未解決なまま風化していった事件の中に。
明確にならない何かの仕業で、命を落とす原因をもたらした正体がいることを。
限りなく説明出来ない現状が起きていて。
一般人には到底辿り着けない、都市伝説が蠢いているとしたら。
それはまさしく。
人類の呪いそのものであり、―――敵だった。