作業員と子猫とアンドロイド
ミレニアム社が行ったアップデートに、バグが混入していた。パッチをあてるまでに発生したアンドロイドの暴走は三件。
そしてここが、四件目の現場だった。
「あーもう、面倒っすよねえ、なんで俺らがミレニアム社の後始末をしなきゃいけないんすかね。あの会社、戦後からずっと斜陽ですよねえ」
「そんなところからも仕事をもらわにゃならんのは、零細企業の悲しいとこだな」
運転席でぼやく後輩の三河に、森本は慰めとも諦めともつかない言葉をかける。
三河はハンドルを切り、幹線道路の路肩へとパッカー車を停める。灰色の作業着姿のふたりは、後続車が来ていないのを確認し、路肩に降り立った。車両後方の電光掲示板を作業中に切り替える。
死体袋めいたナイロンの大袋を片手に、三河が先に行く。無精ひげを掻きつつ森本は遅れて続く。
「……うわ、グロい」
三河がわざとらしく口元を抑える。
へこんだガードレールを中心に、赤黒い液体が飛び散っている。周囲にはガラス片や樹脂片といった脱落した車の破片。
どう見ても自動車事故の現場だ。
破損したガードレールに身体を沈めているのは痩身の青年――を思わせる、ミレニアム社のカゲロウ型アンドロイドだった。
黎明期のアンドロイドは軍用を出発点とし、タングステン・カーバイド合金の骨格を基本に、関節部のサーボモータを始め武骨な金属の塊だった。重量は自動車ほどもあったそうだ。
民生用の走りであったカゲロウ型は、ご先祖よりもだいぶ本物の人間に近付いていた。低価格化と軽量化のためにチタン合金の内骨格を持ち、駆動系は培養した昆虫の筋肉だ。重量比では三分の一にまで軽量化されたという。
人工筋肉の腐敗を防止するためにヘモグロビン入りの組織液が巡回しているため、ポーラスチューブから液が噴き出すとまるで血そのもののように見えるという欠点はあったが。
三河がグロいと漏らしたのは、漏れた組織液が血だまりに見えたからだろう。たしかに凄惨な事故現場に見えないこともない。特に乗用車と接触したと思われる左わき腹は損傷が激しく、衝撃が内部機構まで達しているのが傍目にもわかった。亀裂が入った左側頭部は、シリコンウェハーの記憶装置が覗き見えている。
でも、森本はなんの感慨も抱かない。
アンドロイドは、しょせん物に過ぎないのだから。
でかいおもちゃが道端に転がっているようなものだ。
「ぶつけれらた運転手には同情するなあ、これは」
森本は苦笑する。
暴走したアンドロイドと接触事故を起こした運転手は、今ごろ自身の不幸を嘆いているに違いない。突然時速70キロで道路目掛けて駆けだしたアンドロイドを咄嗟に避けるなんて芸当は、人間には不可能だ。
事故だが事件性はなし。
現場検証を終えると、人身事故でないという理由で警察はあっさりと引き下がった。保健所も別に動物の死体が道路に転がっているわけではないとし、対応を断った。
あとはミレニアム社と保険会社と運転手の問題だと警察はみなした。
おかげで、道路管理公団の下請けである森本の会社に仕事が回ってきた。
壊れて機能停止したアンドロイドをそのままにするわけにもいかない、という理由で森本と三河は事故の後片付けに駆り出されたのだった。
「死体を片付けるみたいでやだなあ」
「ぐだぐだ言ってないで、さっさとすますぞ」
「はいはい、わか……ってうわあ!」
三河がすっとんきょうな悲鳴をあげて、ダッシュ。森本の背中に怯えて隠れる。まるで幽霊でも見たかのように震えている。
後輩の行動に森本は顔をひきつらせる。いきなりでかい声を出されれば、こっちまで驚くだろうが。
「なにやってんだよ、お前は」
「だってだって先輩、いま動いたんすよそいつ!」
「そんなわけないだろ。ミレニアム社の話じゃあサーバに送られてきた最後の自己診断レポートは機体大破を記していたから、完全にぶっ壊れてるって」
「まじですよ、絶対に動きましたって!」
いつも軽いノリの後輩は、完全に腰が引けている。
森本はため息をつくと、機能停止しているアンドロイドをまじまじと見つめた。
いくらなんでもここまで損傷してれば、壊れているのは間違いがない…ってたしかに動いた! 原型を保ったままの右腕が、震えるように上下したのだ。
思わず身構える森本。
生身の人間が、暴走したアンドロイドに勝てるわけがない。さっさと逃げ出すべきかと逡巡していると。
にゃあ、という小さな声がしアンドロイドの右腕がもぞもぞ動く。黒い毛玉がひょっこり現れ、ブルーの瞳で森本と三河を不思議そうに見た。
はああと森本は息を吐く。驚かせるなよ、まったく。
「子猫だな」
「子猫っすね」
ふたりは頷きあった。壊れたアンドロイドを動かしたのは、子猫の仕業だったのだ。もぞもぞとはい出るときに、腕を揺らしただけだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、というやつだ。
「なんだってまあ、このアンドロイドは子猫なんざ腕に抱いてるんだか」
「まあ、そうだな」
顎に手を当てて森本は考える。
カゲロウ型アンドロイドは、もともと独り暮らしの老人用や共働きの両親の子供用の、見守り型アンドロイドとして登場した。基本性能として、体温を感知できる赤外線センサーを搭載している。人間の物理的特性を熱感知し、さまざまな状況への対応を判断するためだ。
だとすると。
「アップデートのせいでカゲロウ型はバグってた。おおかた、轢かれそうになった子猫の熱源を人間と誤認して、助けに入っちまったんだろう。で、かばって自分が轢かれた」
「ありゃりゃ」
三河は頷くと、憐れむ視線を向ける。
「かわいそうなヤツっすね」
「たしかにな」
かつてカゲロウ型は、人類繁都領域の『外』との戦争に狩りだされた。
昨今、人命は貴重すぎる。不足する大切な戦力を少しでも補うために、軍は民生用アンドロイドまでプログラムを書き換え戦争に徴用した。
このカゲロウ型も、そうした『外』との戦争に引っ張り出され、殺して殺されて壊して壊されたのだろう。
戦争が終結すると、今度は大量に戦時徴用されたアンドロイドの余剰問題が発生した。軍の予算では膨大な量に膨らんだ機体すべての維持ができず、大部分のアンドロイドを再度プログラムを書き換え放出品として売りに出したのだ。
だがアンドロイドたちに居場所はなかった。
民生用のアンドロイドは戦時中に、よりコンパクトでシンプルな方向に進み、保守が複雑なカゲロウ型は敬遠され需要は少なかった。
本来の役割を離れ、人がやりたがらない危険で疲れる仕事へと彼らは割り振られていった。それならまだマシな方で、スクラップになったカゲロウ型も少なくない。
人の見守りから戦争へ。
人の命を守るためにずっと稼働してきたのに、ついには彼らは人に必要とされなくなったのだ。
「最後に小さな命を守れて、こいつは満足だったのかもしれんな」
嘆息する森本。
三河は先輩の話なぞ聞こえぬように、アンドロイドの手から子猫を引っ張り出した。組織液で汚れてはいるが、洗えば引き取り手には不足しない美猫に思えた。
毛玉のような子猫は、また小さくにゃあと鳴く。
「お前、その子猫をどうするつもりだ」
「え、飼おうと思ったんすけど。同棲してる彼女がずっと猫をほしがってましたし」
「本気かよ」
猫は法律上なにになるんだ? 物だろうか。仕事中に見つけた取得物を勝手に持ち帰ったら、業務上横領になるのか?
いろいろ考えて、森本は面倒臭くなった。
身寄りのない猫一匹、ひきとるのは社長も世間様も許してくれるだろう。
「このこは俺に任せて、お前は静かに眠れよー」
子猫を抱き、空いた手で拝む三河。アンドロイドは物だ。供養なんてものに意味はない。
そう言いかけて、森本は口をつぐんだ。
機能停止し沈黙したアンドロイドがほほ笑んでいるように見えたのは、たぶん、きっと、目の錯覚なのだ。そうに決まっている。
でも。
人型のものに心が宿るなんてのは、いかにもありそうな話にも思えたのだった。