とりあえず今日はどうにかなったようです
アルヴァ対ナンガルフ
アルヴァ、ダウ、ビールド、ナンガルフの四人は庭に移動していた。屋敷の大きさに比例し、やはり大きい庭は動き回ったところでなんの問題もなさそうだった。特に殆どが芝で覆われている庭だったが、一部だけが土になっていた。ナンガルフ曰く、「ビールド様の護衛がここで訓練することもあるのです」ということだった。確かによく見れば、弓用のマトを取り付ける場所や、剣の訓練用の人形を取り付けるらしき丸太もある。
ナンガルフとアルヴァはその土で覆われた部分のほぼ中心におり、その近くにダウ、ビールドは少し離れた場所に立っていた。
「それじゃあ、早速やってもらおうか」
アルヴァとナンガルフに聞こえるようになのか、心なしかビールドの声は大きい。それほど町の喧騒は聞こえないので、今まで通り話しても聞こえそうではあるのだが。
「かしこまりました」
ナンガルフは恭しく頭を下げると、アルヴァに向き直る。アルヴァもナンガルフから少し距離をとった。
「両者準備はよろしいですか?」
立会人をしているのはダウだ。もし何かあったらすぐに止められるようにと思ったのか、自らこの役目を買って出ていた。
「問題ありません」
「僕もいいよ」
アルヴァは準備運動を終え、ダウに答える。ナンガルフは未だ執事の服装から変わっていないが、このままやるつもりのようだ。
「それでは、はじめ!」
ダウの声を合図にアルヴァは右手を振り上げ、ナンガルフに突っ込む。アルヴァは日頃こんな戦い方はしないが、ここで実力を見せては元も子もないので、強化も魔法もなしで子どもらしくやるつもりのようだ。
「ふむ……」
ナンガルフは何か言いたげな表情をしたが、何も言わずにアルヴァの拳を受け止め、その勢いを殺さずにすれ違うようにアルヴァを引き、背中を押してアルヴァを倒した。アルヴァはその勢いのまま、土埃をあげながら地面を滑る。
「なんだその動きは! 本当に獣を狩っていたのか?」
ビールドは大人気なさ全開でアルヴァを馬鹿にしていた。しかし、ダウはそんなことよりもアルヴァが心配であり、ナンガルフは未だ何か言いたげだった。
「いっつ……」
何もしていない状態でのダメージのため、アルヴァは少し体力を削られたのを感じた。今回は思いっきりやられるつもりだったので、許容範囲ではあったが。
「アルヴァ様、これで終わりですか?」
ナンガルフは変わらぬ笑みをたたえたまま、しかしどこか挑発するようにいう。それにつられたように見せかけながら、アルヴァはまた同じように殴りかかる。
「ああぁぁぁ!」
たまにアルヴァはこんな風に声を上げて必死さを表現してみたり、悔しそうに地面を叩く演技をしてみたりしていた。やっているうちにアルヴァは少し楽しくなってきていた。
しかし、側から見れば必死に頑張る子どもでしかない。ダウは泣きそうになりながらアルヴァを見ていた。この戦いはビールドが止めるまでやめられないのだ。対するビールドはその光景をニヤニヤしながら眺めていた。
何度目か分からないが、アルヴァは今度は綺麗に後ろに吹き飛ばされる。
(流石に飽きてきたから止めてくれないかなぁ……)
アルヴァは倒れた体勢のまま、そんなことを考える。
ナンガルフが怪我をさせないようにしているのか、目立った外傷はないが、擦り傷は多数できているので、そろそろアルヴァは魔法で回復したかった。
「アルヴァとやら、そろそろやり返してはどうだ?」
(あいつ、まだ飽きてないのか)
アルヴァは体を起こして辛さを演出するために立ったらよろめいて片膝をついて座り込み、心の中ではビールドの言葉に思わずため息をついていた。まだまだ茶番は続きそうだ。
そんな中、ナンガルフは何かを思案するように顎に手を当てる。そして何かを決意したのか、手のひらをアルヴァにかざした。
「申し訳ありませんが、終わりとしましょう」
ビールドとダウはナンガルフの行動の意味がわからなかったようだが、アルヴァは一瞬で察した。ナンガルフは魔法を使おうとしている、と。
「切り裂け【風刃】」
一瞬にしてナンガルフから風の刃が射出され、風の刃がアルヴァに向かう。それと同時に、土ぼこりが舞い上がり、ビールドとダウの視界を奪う。
風の刃がアルヴァに迫る。しかし、アルヴァは避ける気が微塵もなかった。当たっても問題ないわけではない。ただ単純に当たらないことがわかっていたからだ。
風の刃はアルヴァの右側を通り過ぎて、霧散する。理解できない行動に、アルヴァは疑問に思いながらを立ち上がった。
「やはり避けませんでしたか。当てるつもりがないと見切られたようですね」
確かにあれは驚いて体を縮めるのが正解だったかと、アルヴァは自分の反応に反省する。今までにない危機を感じる攻撃に、思わず真面目に反応してしまったのだ。
「なぜこのようなことを?」
「なかなか本気を出されないのがもどかしくありまして。この中なら存分に力がふるえるでしょう?」
確かに土埃はまだまだ晴れそうにない。この中なら確かに問題ないとアルヴァも判断した。
「子どもに向けて何をおっしゃっているんですか?」
ただ、本気になるかどうかは別の問題だったが。
「それはもう子どもの態度ではないでしょう?」
アルヴァの言葉にナンガルフは苦笑する。確かにそれはそうだと、自分の行動に苦笑した。ここまでばれているなら隠す意味もないかと、アルヴァは開き直る。
「ただ、土埃もじきに晴れます。機会はまたあればでどうでしょうか?」
「今日は何処かにお泊まりですか?」
アルヴァの言葉に頷くことなく、ナンガルフは質問を投げかける。そこまで戦いたいのかと少し呆れながら、ダウから聞いていた宿を伝える。
「かしこまりました。あとでお尋ねします」
ナンガルフは恭しく頭を下げる。その好戦的な態度とのギャップに笑いがこみ上げてきた。
「土埃が晴れそうですね。ま、後は少し誤魔化しておきます」
そう言ってアルヴァは魔法を発動させる。もちろん使うのは先ほどと同じ魔法【風刃】である。それを向けるのはナンガルフではない。風の刃の狙いはアルヴァだ。魔法の発動に無駄はなく、余計な風はほとんど起こらなかった。
(少しそよ風は吹いたか。まだまだ魔力操作は甘いな)
「なにを!? そして今のは無詠唱!?」
「これで退場しやすくなります。これぐらいの汚名は受け取ってください」
ナンガルフの驚きなど気にせず、アルヴァは伝えたいことだけを伝える。そこで土埃は晴れ二人の姿はダウとビールドから見えるようになる。
「ナンガルフ、一体何を……」
「アルヴァ!?」
現状にいち早く気づいたのはダウだった。まだ土埃が舞っているとはいえ、ダウにはアルヴァの状態が見えたのだ。
本来ならビールドの許可が必要だが、そんなことも気にならないほど気が動転したのか、ダウはアルヴァに駆け寄る。
「ダウ、何をして……」
現状をあまり確認できていなかったビールドがそこまで言葉を口にし、アルヴァの現状を見て言葉を止めた。アルヴァの右腕には深くない傷が刻まれていたからだ。
「ナンガルフ! なんてことをしてくれたのだ!利き腕を傷つけるとは、その者が勇者であった時どう責任をとるつもりだ!」
流石にやり過ぎだと感じたビールドは声を荒げだ。何も見えていなかった二人にはナンガルフがアルヴァを傷つけたようにしか見えないのだ。ただその内容はアルヴァを心配してのものではなかったが。
「申し訳ありません」
ナンガルフは言い訳することなく頭を下げる。
「アルヴァ、大丈夫か!?」
ダウはアルヴァを抱き抱える。その拍子に右腕から流れ出た血が、地面に数滴落ちた。
「ん? 回復魔法を使えるか確認するにはよい機会か?」
ビールドは聞こえないように小さく呟いたつもりだったのだろう。しかし、その言葉は確かにダウの耳に届いた。
「魔法はすごい集中力を必要とするんですよ! 子どもがこんな状態で使えるわけがないでしょう!」
その叫びにも似た声に流石に不謹慎だと思ったのか、ビールドはダウから目線をそらす。しかし、その表情はどこか不服そうだった。
「……申し訳ないですが、失礼させていただきます」
ダウはビールドの答えを待つことなくアルヴァを抱き上げてその場を後にする。ナンガルフだけが頭を下げ、それを見送り、ビールドは何かを考えこむようにぶつぶつと呟いていた。
「アルヴァ、すぐに医者か回復魔法士を探すからな」
基本的に医者とは体調が悪い者を診察するものであり、回復魔法士は外傷を治すものである。ただどちらでも処置できないわけではないので、ダウはすぐにでも傷の処置がしたいと考え、その二つを同時に言ったのだろうと、アルヴァは推察していた。
「ダウおじさん、とりあえずもう降ろしてくれる?」
屋敷からそれなりに離れたところでアルヴァは声をかける。そもそもアルヴァは今まで演技していただけであり、全く問題を感じていないのだ。血が垂れてぽたぽたと地面に落ちているので軽傷には見えないが、
「大丈夫だ。そんな傷、すぐに治る」
「うん、わかってる。だから早く降ろしてくれない?」
「そんな傷、俺が冒険者の頃にはよくあった。だから問題ない」
「うん。とりあえず僕の話を聞いて?」
「ギルドに行けば冒険者はいっぱいいる。回復魔法士もすぐ見つかるはずだ」
「ダウおじさん!」
流石に耐え兼ねてアルヴァは大声を出しながらダウの頬を左手で軽く叩く。ダウは何が起こったのかわからなかったのか、その場に立ち止まり、アルヴァをしっかりと見た。
「落ち着いて僕の話を聞いて」
「そ……そうだな。いきなりのことで慌てすぎていたようだ」
そもそもこの程度の怪我ですぐにどうにかならないことはダウは分かっていたはずだ。自分のことならば冷静に判断できただろう。ただ、アルヴァが傷つけられるという予想外のことに気が動転してしまったのだ。
「とりあえず歩けるから降ろしてくれますか?」
「あ……あぁ」
ダウはゆっくりとアルヴァを下ろした。アルヴァはすぐに自分の右腕に回復魔法をかける。
――――――回復魔法【治癒】
左手が淡く輝き、右腕の傷にかざすと傷口が徐々に閉じていき、すぐに元通りになった。血さえ洗い流せば、傷があったことなど分からなくなるだろう。
「アルヴァ、大丈夫なのか?」
「このくらいなら治せるよ」
「そ……そうか」
ダウはじっと治ったアルヴァの傷を眺めている。その瞳は戸惑ったように揺れているのをアルヴァは見逃さなかった。それは前世で子供の頃に向けられた瞳によく似ていた。
「ダウおじさん、僕が怖い?」
アルヴァは不安になってきていた。自分では持っている力を隠しているつもりなのだが、先ほどまでのことを考えるとそれも怪しい。話し方も途中から自分らしくないと思っていたので、ダウにおかしいと思われても仕方がなかった。
(もしまた恐怖されるようなことがあれば、大人しくどこかに行こう)
アルヴァは密かに心にそう決める。前世のような過ちは犯さないと前もって決めていたのだ。
「……すまない、アルヴァ」
そういってダウは膝をつき、アルヴァと目線を合わせた。やはりそうかと、アルヴァは心の中で今世の平穏を諦める。特別な力が恐怖される。それが仕方がないことなのだと、今のアルヴァには嫌というほどわかっていた。だからダウを責めるつもりは全くなかった。
「別に、怖かったんじゃない。お前の才能がどれほどなのか戸惑ったんだ」
そういってダウはアルヴァに言い聞かせるように話しだした。ここは往来なので他の人の邪魔なのだが、ダウはそんなことは些末なことなのか、アルヴァと話すことを優先したようだ。
「俺は人生でお前ほど才能に恵まれた人を見たことがない。先ほどの領主様とのやり取りも今の回復魔法も本来なら誰かに師事して身に着けられるのがほとんどだ。それをお前は一人でやり遂げた。そんなお前を俺はどう導けばいいのか、それが不安になったんだ。決してお前が怖いわけではない」
「そうなの?」
「もちろんだ。お前が村にいれば助かるとは思うが、世界のためには村から出て世界を知った方がいいんだろうなぁと思う。どちらがいいのか、どうしても迷ってしまうんだ」
そう言いながらダウはアルヴァの頭をなでる。確かにその手からは震えは感じられず、ただただ慈しむ心がアルヴァに伝わった。
「ならしばらくは大丈夫だよ。僕は母さんを助けていきたいから」
それこそがアルヴァの本心だ。今のところの最大の目標でもある。それよりも優先されることは今のところアルヴァにはないほどだ。
「そうか。本当にお前は優しい子だな」
そう言っていつもは浮かべない微笑みを浮かべたダウは、一回乱暴に撫でるとアルヴァの頭から手を放し、立ち上がった。
「よし、とりあえず宿に向かうか」
「うん」
(僕は気を使いすぎてるのかなぁ)
そんなことを思い、確実に軽くなった心を感じながら、アルヴァはダウと当初の予定通り宿に向かった。
ただ未だにどこまでの力が大丈夫なのか、アルヴァは測りかねているのだった。
領主は予定通り、わかりやすいやられ役です。今後出てくるかどうかは未知