88.貴様に"敬意"は必要ない
近付く者全てを威圧するかのような、切れ味すら感じさせる程に、鋭く輝く青の双眸。
皺一つ無い、胸ポケットの付いた黒の軍服。
腰に回したベルトにはいくつもの弾薬が納められており、更には両腰で対になるように保持された、二つの武器。
片方に提げたホルスターには一丁の銃、そしてもう片方には鞘に納められたサーベル。
銀色に輝く髑髏のエンブレムが縫い付けられた軍帽を、オールバックに流した銀色の髪の上から被っていた。
ナイスミドルの美形ではあるが、余り御近付きになりたくない雰囲気を漂わせている。
このビジュアルに当て嵌まるカードは、一枚しか思い付かない。
「憤怒の化身 ラース、か……?」
「左様だ、革命闘士」
七罪。
人間の持つ、七つの大罪をモチーフに生み出された、七体のユニット。
その一枚――憤怒を司るユニット。
七罪のカテゴリの連中はどいつもこいつも凶悪な効果を持っているから、カードを確認する際は何時も戻って来ているか確認していた。
だが、今までは一枚も無かった。
このラースはきっと、正に今、手元に戻って来たのだろう。
「私には分かる。今、革命闘士の胸中に渦巻く、全てを焼き尽くさんと燃え盛る、怒りの炎が。何故そのように、抑え込もうとするのだ?」
「――俺は、当事者じゃない。部外者だ。この男の所業に遺族や国民が怒りをぶつけるのはともかく、俺がとやかく言うのは違うだろ。部外者である俺に怒る資格なんて無い、理性で抑えるのは当然だろ」
「何故怒りを抑える必要がある?」
「何……?」
「怒り、そして闘争本能。これこそはありとあらゆる生物が、原初の時代より今も尚持ち続ける、最古にして根幹の感情。それを否定する事は、例え神であろうと不可能だ!」
鍛え抜かれた体躯から放たれるその声量は、耳ではなく身体全体を揺るがすように響いた。
「怒り無くして生物にあらず。存分に、その怒りを発露するが良い革命闘士。義憤もまた、怒りの一つなのだから。その闘争心、私はそれを尊重しよう、抑えるなどそれこそ愚行だ!」
――そうなのだろうか。
関わるべきではないと、そう考えていた。
だって俺は、この世界では何処まで行っても部外者じゃないか。
余計な事をした結果が、エルミアとリズリアっていう現状じゃないのか?
これ以上、俺はこの世界と触れ合うべきじゃないだろう。
だから、俺は――
「怒れ! 昂れ! 怒りこそが我が糧、闘争こそが我が本懐!! その喉笛を食い破らん程の闘争本能こそが、私が見初めた革命闘士の心の輝き! 理性などという小奇麗な理屈で、その輝きに雲が差すような事はあってはならない!!」
――ラースの言葉が、俺の建前をグラグラと揺らし、崩落させていく。
心が、また、波立っていく。
俺の視線が、ラースから、再びヴィンセントへと向く。
コイツは一体、何だ。
死体に鞭打ち、のうのうとこの世に蔓延り、他者の尊厳をゴミのように踏み躙る。
没碑に小便をぶちまけるが如き所業。
「――死んだのであらば、それは死者だ。そこには敵も味方も関係無い」
――それでも、それがこの世界の常識だと言うのなら、我慢もしよう。
だが、違う。
ネーブル村の人達を見た、国を喪ったリズリアを見た。
彼等彼女等は、大切なモノを喪い、そして死者へ哀悼の意を捧げていた。
死者を悼む気持ちは、例え世界が変わろうとも違わない。
だというのに――!
「等しく弔われるべきだ。だというのに、テメェは死者の眠りを妨げるだけでなく辱め、追い討ちを掛けた」
俺は、弔う事も出来なかったのに!
何でそんな事が出来るんだ!
誰かが憎くて殺すのというのなら、理解出来る。
「俺とお前は似ているって言ったな。俺とお前は、全然違う」
だけど、殺した後に更に追い打ちを掛ける必要が何処にあるっていうんだ!
それだけは、俺には到底理解し難い、人を逸脱した行為。
コイツだけが、狂っている。
人の道を踏み外した――外道。
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昴の淀んだ目が、ヴィンセントへと向けられた。
昴は、亡骸を弔う事すら出来なかった。
家族は肉片になり、弟に至っては遺体すら見付からぬ程であった。
故に昴はその反動なのか、死者に畏敬の念を強く抱くようになった。
例え自分と関係無い者であろうとも、全ての死者に対し、まるで旧知の友との死別であるかのように、丁重に弔うようになった。
そんな昴であるからこそ。
「世界が変わろうが何だろうが、関係無い。民族も種族も関係無い。ヒトがヒトである限り、死体に鞭打つ行為が正義である訳が無い。それだけは変わらないんだ……」
死者を悼まぬ者、人道外れし者。
――外道に、敬意は無い。
「俺はお前みたいに、死者に鞭打つような事はしない。俺は、お前が嫌いだ。だからお前の思惑は、全部外す」
昴の選択肢から、相手への敬意が欠落した。
それが一体、何を意味するのか。
――異世界からの来訪者。
それは人知を超えた力を有し、数々の恩恵をこの世界の人々に齎した。
闇を切り裂き、世界の救世主となる彼等を。
この世界の人々は、"勇者"と称えた。
だが、彼等は考えが抜けていた。
絶大な力を有する"勇者"とは、何時でも"魔王"に転じる可能性がある、という考えを。
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昴の雰囲気が変わった事を、機敏に読み取ったヴィンセント。
「交渉決裂、か」
一つ大きく、息を吐いた後。
意を決したかのように、ヴィンセントはその口を開く。
「成程。私では、勇者に首輪を付ける事は出来ないようだ」
絶大な力を有する"勇者"とは、何時でも"魔王"に転じる可能性がある、という考え。
それをヴィンセントは、理解していた。
だからこそヴィンセントは、自らの屋敷に踏み込んで来た者が勇者だと気付いた事で、昴に対して友好的に接するように舵を切ったのだ。
奴隷が欲しいのなら、差し出そう。
自らの財が必要だというのなら、この金庫にある財貨であらば空っぽにしても構わないと考えていた。
それでこの勇者の首に、首輪を付けられるというのなら、それでも安い位だと。
その応対が功を奏した為か、ヴィンセントに対する勇者……昴の反応は、良くは無いが、悪くも無かった。
それが、昴は特に何も興味を持っていない、無関心による物だと気付けたのは、金庫に入ってからであったが。
「だが、良いのか? 私が指示を出せば、私の部下が即座にここの屋敷の奴隷共を殺すぞ?」
しかし、金庫の中に隠された、更なる隠し金庫。
そこに隠していたヴィンセントの"本心"を見てから、昴の反応が変化した。
無関心から――敵意へと変化した。
それを察したヴィンセントは、良い手だとは思わないが、他に手も無い為、その手札を切り出した。
「君達は、ここの奴隷達を救いに来たのだろう? 死んでしまっては意味が無いのではないかね?」
ヴィンセントは、懐から携帯端末を取り出した。
その親指は既に、ボタンに添えられていた。
何かあれば、即座にそのボタンを押す――
「――その指示を送る機械のボタンがコイツ、って事だろ? 迂闊だぜおっさん」
シャックスが、その為の機械を即座に"盗む"。
距離が離れていても、相対していればその手から奪う。
シャックスの能力、本領発揮である。
「それはダミーだ、こちらが本物――そんな訳無いだろう?」
だが、ヴィンセントはシャックスの判断の上を行った。
破壊してくる位はしてくると、予想しての行動であった。
破壊ではなくまさか直接奪われるのは予想外だったが、これまで勇者がしてきた事を考えれば、まだ予測の範囲内の出来事だった為、そこまで動揺はしなかった。
その上で、更に別の携帯端末を取り出すが、それもダミーだと言う。
既にシャックスが再び奪い取っていたが、この感じだとまだ何かありそうだ。
「更に付け加えれば、私に何かあれば即座にこの屋敷を爆撃するように既に指示済みだ。私が死んだ後に、こんな屋敷を残していても仕方ないからな。お前達諸共、瓦礫になって貰おう」
「爆撃? そんな程度で我を殺れると思っているのか?」
ヴィンセントを見下した態度で、鼻を鳴らすバエル。
バエルは、単身で都一つを灰に出来る程の破壊力を有している。
その攻撃力は既にこの世界で実証済みではあるが、防御力に関しては不明だ。
だが仮に、その力が防御にも転用出来るというのであらば、この自信は虚栄ではなく実力による物だという事になる。
「思ってないさ。そんな程度で殺せないからこそ、勇者なのだからな」
バエルの挑発に乗らず、淡々と続けるヴィンセント。
「――だが、勇者を殺せずとも。奴隷達が無事でいられるかな?」
――ここまで昴達は、館には当主が居るとか、当主の貴重な財があるからという脅しで、館諸共、という発想を封じていた。
狭い室内、屋内戦を強要し、永久凍土の皇女で封殺した。
だが、この屋敷諸共吹き飛ばすという発想が解禁されてしまうと、厄介だ。
ハッタリではなく本当にそう指示されているなら、外の兵力がその火力をこちらに向けてくるだろう。
当初は隠密行動を心掛けていたので、外の兵力に関しては、屋敷に入って来た分以外の戦力は完全に無視している。
それが一斉にこちらに向けられる訳だ。
昴の手には、無垢の大結界がある。
これさえ使用すれば、お互いにだがユニットが破壊される事は無い。
人質は死なないが――問題は、昴自身だ。
昴は、プレイヤーであってユニットではない。
無垢の大結界の防御効果の守備範囲外だ。
相手が砲火を屋敷諸共降り注がせるなら、全て昴自身に直撃という事になる。
それ自体は、カード達が身を挺せば十分に守り通せるだろう。
だが、それまでだ。
このグランエクバークの科学技術は、地球となんら遜色が無い。
つまり相手取るべきは、現代地球の軍隊に等しい。
核兵器までは流石に使って来ないだろうが、それ以外は全部有り得ると見るべきだ。
それに対し、昴が切れる手札は――少ない。
無垢の大結界で昴の持つマナ数を削られ、昴自身を守る為に使えるマナ数は4まで。
それだけで、昴自身を守らねばならない。
更に言えば、無垢の大結界は確かにユニットの破壊――死亡から守るが、それ以外は素通りする。
その点を利用して永久凍土の皇女で制圧したのだが、これが仇となり得る。
更には、無垢の大結界――この効果の範囲だ。
カードゲームをプレイしているならともかく、ただカードをこの世界のルールで使っているこの現状、効果範囲は世界全体だ――とは、とても思えない。
そう、昴は考えていた。
カード達が昴を中心として、離れられる距離限界があるのと同様に、恐らく、この効果にも効果範囲に限りがあるはずだ、と。
この屋敷位なら包み込めるだろうとは思っているが、昴から距離が離れればどうなるかは分からない。
確かに、屋敷諸共爆撃されたとしても、奴隷達は死なないだろう。
だが、死なないだけで爆風によって吹き飛ばされる位はするはずだ。
そして吹き飛ばされた結果、無垢の大結界の効果範囲外に散らされてしまえば――
昴は、カードに守られて動けない以上、もうどうする事も出来ない。
「どうやら私の趣味は、勇者様のお気には召さないようだ。なら、今後は控えるようにしよう。だから、その矛を収めては貰えないかね? 争うよりも、友好的に進める為の努力をしようではないか。互いに、ね」
ヴィンセントは、自分の命すら交渉の手札として場に置く。
その判断をこの立場から下せるのは、確かに手強い相手なのだろう。
ヴィンセントが指示を出しても、ヴィンセントに何かあっても、奴隷達に危害が加わる。
この状況を打破する手段は、あるのか?
一つだけ、ある。
昴はとっくに、その結論を出していた。
「インペリアルガード」
「はい、ここに」
「――"代償プラント"で行くぞ。死ぬ気で働け」
――インペリアルガードの目が、僅かに見開く。
その緋色の瞳に、光が宿る。
「よろしいのですか?」
「こんな奴に"敬意"は必要ない」
そして、それを成す事も決めていた。
これから昴がしようとしている事は、カードゲームではない。
「――交戦」




