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84.悪癖

 男は、渇いていた。


 生まれながらにして約束された、勝利と栄光の道。

 その道を、歩み続ける運命を背負った男。


 その男の名は、ヴィンセント・シャール。

 グランエクバークという世界最大の軍事国家、その国を司る五家の一つ、シャール家の長男として生を受けた。

 眉目秀麗(びもくしゅうれい)、頭脳明晰、これら以外に当て嵌まる言葉が見付からない程に有能で、才に溢れていた。

 ロンダーヴ帝国大学を主席で卒業した後、リレイベルに渡航し商才を磨いた上でグランエクバークへと帰国。

 シャール家という燦然と輝く印籠を担保に、有望な企業へと多額の出資を行う。

 莫大な資産を右から左へ移動させるだけで、ヴィンセントはただでさえ莫大な富を更に膨れ上がらせる事に成功した。

 それはヴィンセントからすれば片手間で出来るような、仕事とも呼べないモノであった。

 

 ヴィンセントはどんな難問も、生まれ持った才覚と財力と権力で解決してしまえた。

 その道程に苦難は無く、何処までも起伏の無い、平坦な道が続いていた。

 ヴィンセントは、人生に飽いていた。

 誰もがヴィンセントに平伏し、彼が望めば全てが手に入った。

 金を積めば男は喜んで媚びを売り、女は股を開いた。

 世界中の美味を食し、絶世の美女を飽く程に抱き続け、世を生きる者であらば誰もが羨む豪遊を続けて、ヴィンセントはある時気付いてしまった。


 ――満たされない。


 労して手に入れたという達成感。

 あらゆるモノが容易く手に入ってしまうからこそ、ヴィンセントは齢30を過ぎて尚、"達成感"を得る事が出来なかった。



 そして、転機は不意に訪れた。

 シャール家が所有するドリュアーヌス島で日夜繰り広げられる、乱痴気騒ぎ。

 ここはシャール家が御客人を接待する目的でのみ使用されている土地であり、この場所では全てが合法である。

 正確には、何があってもシャール家とその関係者が握り潰す、と言うべきか。


 その日もヴィンセントは、自室で性行為に及んでいた。

 度の過ぎた、ヴィンセントの性交渉は苛烈極まりないモノであった。

 自らの鬱憤を、目の前の女に吐き捨てるかのような、相手を人として見なさない行為。

 だがそれは、この世界の法においては当然の考え方であった。

 この世界では、奴隷とは人間未満の存在なのだ。

 特に生殺与奪の権利を剥奪された奴隷に関しては、正しく物と呼ぶに相応しい。


 ヴィンセントは、両腕の力を更に強めた。

 女は首を絞めると"締まり"が良くなる。

 何百何千という女を抱き続け、ヴィンセントが発見したものであった。

 目を見開き、苦悶の表情を浮かべながら、ヴィンセントの手を掴み、抵抗する女。

 だが、華奢な女性では成人男性の腕を振り解くには至らない。

 今日はヴィンセントにとって何か嫌な事があったのか、普段よりも更に暴力衝動がエスカレートしていた。

 必然、その手にも更に力が加わる。

 暴力で済む一線を、ヴィンセントは知らぬ内に踏み越えていた。

 暴力ではなく――殺人。

 本人にその気が無いまま、その日、ヴィンセントは人の命を、自らの手で摘み取った。

 そしてその瞬間――絶頂を迎えた。



 余韻も落ち着き、女を蹴り付けるヴィンセント。

 その時になってようやく、気付く。

 息が、無い。

 反応が無い、脈が無い。



 ――殺した、と。



 この奴隷は、性奴隷として使用するのは問題無いが、命の保障はしなければならない契約内容となっている。

 殺す事は、許されない。

 だが――殺してしまった。


 ヴィンセントの胸中に、生まれて初めての焦燥感が生まれた。

 このままでは不味い、と。

 どうにかこの死体を隠し、奴隷契約書を処分せねばならない。

 契約書の処分自体は容易い。

 葉巻に使っているライターで燃やしてしまえば、それで終いだ。

 だが、死体はそうも行かない。

 死体の処理というのは、想像以上に厄介だ。

 バレぬよう、証拠を残さず処分する。

 それを成せる組織にコンタクトを取る。

 公にする事も出来ず、そして弱みを握られる訳にも行かない。

 こちらが弱みを見せるなら、相手の弱みを握らねばならない。

 そうせねば、その弱みに付け込まれて良いように扱われるのが目に見えているのだから。

 それは、ヴィンセントのプライドが許さなかった。


 三日程度で、何とか自分の傀儡として使えそうな裏の組織を見付ける事が出来たヴィンセント。

 元々ある程度の繋がりがあったとはいえ、その掌握速度は流石の手腕というべきなのだろう。

 組織に死体を渡し、無事その目で死体が無くなるのを確認し、ヴィンセントはドリュアーヌス島へと戻った。

 ヴィンセントは安堵した。



 ああ、良かった。

 これで、枕を高くして寝られる。



 ――その時に、気付いた。

 気付いて、しまった。


 これが"達成感"か、と。

 ヴィンセントはこの時初めて、"成し遂げた"という感情を得る事が出来たのだ。

 埋まらなかった心の隙間、そのピースがカチリと嵌った瞬間だった。


 女を犯し、殺し。

 その死体を内密に処分する。

 バレれば破滅という、そのスリルがあるからこそ。

 成し遂げた時の達成感も一入(ひとしお)だ。


 犯し殺さねば満足出来ない、達せない悪癖が、その時からヴィンセントに滲み付いてしまった。


 奴隷という存在は、安いモノではない。

 ましてや命の保障も必要無い、生死問わずの奴隷ともなれば"使用用途"は多岐に渡る為、買い手も数多だ。

 その上で見た目も伴った女という条件になれば、更に数は限られ、値は釣り上がる。

 性的消費目的という、三大欲求に根付いた欲望に絡み付いたそれは、一般人如きには逆立ちしても買えない代物。


 だが、この男には質の悪い事に金があった。

 民から、国から、延々と吸い上げ続けた、金が金を呼び、雪だるま式に転がり膨れ続ける、消費し切れない程の膨大な財が。

 その財と権力を用いて、男は己の悪癖の為、女を買い漁った。

 自国から、自国に居なくなれば他国から。

 そして、他国からも居なくなり――無法に頼ってでも。

 見目麗しい女を"死んだ"事にし、国籍を、奴隷契約書を捏造し、無法の限りを尽くしてでも己の欲望のままに吸い上げ続けた。

 もう既に一線を越えたヴィンセントには、そんな事に後ろ髪を引かれるような良心は残っていなかった。

 だがそれを、止められる者など居ない。

 軍事国家を存続させる為には、莫大な金が必要なのだ。

 その維持費を国の根幹である王族、エクバーク家がシャール家を頼っている以上、その資金を断たれれば、グランエクバークという国が潰えかねない。

 このグランエクバークという国の根幹を担う、シャール家の当主の堕落、腐敗。

 それはこの国自体の根腐れを意味していた。


 だが、それに気付く者はほぼ居らず、そして僅かに勘付いた少数派は、ヴィンセントの手の者により内々に処理された。

 死体の処理も口留めも口封じも手際が良く、"保管"も万全であった。

 実の息子であるオーベルハイムにもバレない程に。



 そして今日もまた、ヴィンセントは己の欲望を発散するべく、奴隷の女を毒牙に掛ける。

 その奴隷契約書も捏造した物である事を考えれば、奴隷の女という表現は適切ではない。


 ――無実の女性を犯し、殺めたのだから。

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