6.とんぼ返り
ぼんやりと車窓の向こう側に意識を飛ばしていると、馬の嘶きと共に馬車が停車した。
ここで待っているようにエルミア姫に言われ、エルミア姫はやって来た二人の兵士と共に足早にこの場から去っていった。
馬車から降り、しっかりと踏み均された感じのする地面へと立つ。
何時の間にか随分と開けた土地に移動していたようだ。
先程まで車窓から見えていた街並みが向こう側に小さく見え、反対側には巨大だが先程までの街並みと比較して質素な外観をした無骨な建物が目に入った。
そういえば、駐屯地に向かうってエルミア姫が言ってたな。ならば、あそこは恐らく宿舎とか武器庫とかそういう類の場所なのだろう。
飾りっ気のある駐屯地とか聞いた事無いしな。
特にする事が無いので、よく整備された芝生の上に腰を下ろして座り込む。
「スバル殿……」
空や、遠くの街並みや、駐屯地の外観を眺めていると、数十分程経った頃にエルミアが浮かぬ顔で戻ってきた。
「どうかされましたか?」
「……助けて貰って、こんな事を頼むのも何だが……」
視線を横に逸らし、奥歯に物が詰まったような言い方をするエルミア姫。
言い出し辛そうにしていたが、間を置いてエルミア姫は本題を口にする。
「これから遺体の回収をしに部隊を向かわせたいのだが……出来れば、スバル殿にも同行して貰いたい。また、邪神の欠片が現れないとも限らないし、それに、先程の戦いで戦闘能力のある兵の多数が失われた。今の状況では、魔物から不意の襲撃を受けただけでも瓦解しかねない」
エルミア姫の話によると、このフィルヘイムにはまだ予備兵力は残存している。
しかしその兵はこの都を守る為の人員であり、それを使ってしまえば一時的とはいえこの首都の防衛力が低下する。
死体を回収するのに、生存者の命を危険に晒す事は出来ないという事だ。
「同行しても、俺は何の役にも立ちませんよ?」
エルミア姫は妙に俺の事を持ち上げているが、その評価は余りにも過大評価だ。
だって、俺はどうしてエトランゼというカードゲームでの戦いが実際の現象として起こっているかが分かっていないのだ。
何故起きているかが分からないモノは、突然使えなくなってもおかしくない。
――夢なのだからそんなものだ、と言われてしまえばそれまでなのだが。
「そんな事は無い。事実、スバル殿のお陰でこの身は救われた。謙遜する必要は無い」
エルミア姫は俺の手を取って、力強い口調でそう言った。
俺は、何の役にも立たないよ。
俺は、何もしていない。
――だって、エルミア姫の敵を倒したのはカード達であって、俺じゃ無いんだから。
「なら、どうするかはリッピに聞いてください」
先程から頭上に居るリッピに案件を丸投げする。
リッピはこんな見てくれだが鳥頭ではなく、ちゃんと自分で考えて俺と受け答え出来るだけの知識があるようだ。
後、何故か知らないが俺の言葉を理解してるし。
俺はどうすれば良いかも、何をするべきかも分からない。
だから、判断はカード達に委ねようと思う。
カード達が決めた答えであらば、その先が俺の死だったとしても、納得して受け入れられるだろうから。
「リッピ、とはその頭上の鳥の事だったか?」
「あ。でも、はいかいいえでしか答えられないみたいなので、選択肢で答えられるように問い掛けて貰えると助かります」
「分かった。……ではリッピ、問おう。死体の回収を行いたいのだ、協力しては貰えないだろうか?」
エルミア姫がリッピにそう問うと、リッピはくぐもったような鳴き声を小さく上げ、その数秒後にその頭を縦に振った。
「……そうですね、リッピが行くと言うなら、俺も一緒に行きます」
「本当か!?」
エルミアの顔が綻ぶ。
「それに、死者を早く弔ってあげたいという気持ちなら、俺にも分かりますから」
――遺体を、家族の下に返してあげたいというエルミア姫の気持ちは、俺にも良く分かるから。
遺体があるのならば、遺族達がその遺体を自らの手で弔ってやりたいと考えるのは当たり前の考えだ。
墓に入れてやるという――遺族からすればごく当たり前の、弔う事すら出来ないというのは、遺された家族にとって余りにも……辛い事だから。
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着いて早々、とんぼ返りで遠征先……俺からすれば出発点へと舞い戻る事になった。
戻る時は遺体の回収の為に人手に水と食糧や資材、それらを輸送する為に多数の馬車を用意した為、かなりの大所帯となった。
以前エルミア姫から聞いた通り、2日程度の日程を経て広場へと戻ってきた。
移動の間、エルミア姫から食事として瓶詰めを提供して貰ったのだが、この食べ物は一体何なのだろうか? 材料は不明だが、食べて何も問題無いから気にする意味は無いか。
俺は特に何も出来る事が無いので、広場脇の比較的大きく滑らかな岩の上に腰掛けて、ぼんやりと広場を眺めていた。
周囲を木々に囲まれた、広場はあの時のままであった。
遺体が野犬等に食われた様子も無く、一箇所に遺体が固まっているにも関わらず、血の臭いこそすれど腐臭は特にしない。
あの時、エルミア姫が遺体に振り撒いていた聖水というのは想像以上に強力な効果を持っているようだ。
遺体の回収指示を出すエルミア姫の顔には陰りは無く、王族らしい堂々たる振る舞いを見せていた。
同乗していた人員に適切な指示を飛ばし、次々に馬車へ遺体を収容し、積載が終わった馬車は邪魔にならないように一度、広場から離れていく。
事前に遺体の位置を一箇所に固めていて、入念な準備を重ねていた甲斐も有り、どうやら遺体の回収は一日で終わりそうであった。
一通りの指示が終わったエルミア姫は、大きく溜め息を一つ付き、俺の腰掛けていた岩の隣に座り込み、俺の方へと視線を向けた。
「スバル殿、ありがとう。貴方のお陰で遺体の回収もすぐに済みそうだ」
それは淀みが一切見えない、心の底からの謝辞であった。
だけどその言葉は向ける相手が間違ってる。
「俺は何もしてないですよ。そもそも魔物とやらも出て来なくて実に平和な片道でしたしね」
「だがそのリッピという鳥や、巨大な狼を使役しているのはスバル殿だろう? ならばスバル殿に礼を言うのは間違っていないはずだ」
使役……してるのだろうか?
エトランゼというカードゲームの最中であらばそうかもしれないが、普段は使役というより勝手に自分の側に居るだけというイメージが強い。
リッピは何かやたらと頭の上に止まろうとしてくるし。せめて腕にしてくれ。
「――あの遺体は、エルミア姫の知り合いだったりするんですか?」
「……そうだ」
俺が来た時に、どうも一緒に戦っていたように見えたからそうかもしれないと思ったのだが、やはりそうだったのか。
知人の死体が目の前にあっても、こんなに気丈でいられるのか。
「辛くは無いんですか……?」
「正直言うと、今でも死んで逝った友の顔が頭から離れない。だが、悲嘆に暮れていては前には進めない。私に出来る事は、彼等の死を無駄にしない為、前を向いて進む事だけだ」
粗方遺体の収容が終わった広間の方を見据え、エルミア姫はまるで自分にそう言い聞かせるような強い口調で断言した。
「……強いんですね」
「ご謙遜を。私なんか、まだまだだ。勇者様に比べたら――」
そういう事じゃ、無い。
俺は、ちっとも強くない。
強いのはカード達であって、俺自身はただの一市民にしか過ぎない。
俺にとって、エルミア姫は余りにも眩し過ぎた。
どうしてエルミアは、そんなにも強くあれるのか。
俺には、そんな風に前を向く事は出来ない。
前を向いても、そこには何も見えない。
「――どうやら遺体の収容も終わったようだ。今日はここで一夜を明かして、早朝に出発しようと思っているが、それで構わないか?」
「お任せします」
夜間の番といっても、それを行うのはカード達であって俺では無いので、この道中も結局夜は普通に寝ていた。
この日も今まで通り、カード達に警備を任せ、俺は夢の中で眠るという馬鹿馬鹿しいまどろみの中へと落ちていくのであった。