72.完全殺戮細菌兵器と死の王
「世界が滅びるって、そんな大げさな。確かにスバルやカード達の力は強大だが、流石にそれは大言が過ぎる――」
「大袈裟なんかじゃないさ」
エルミアの言葉を遮り、断言する。
俺の推測、なんて曖昧なモノじゃない。
これだけは、確信をもって言える。
このカードは間違いなく、この異世界を丸ごと滅ぼせる。
それだけの力を、持っているのだ。
ウイルス兵器。
生物兵器の一種であり、地球では国際法により使用が禁じられている、最強最悪、禁断の兵器の一種だ。
狂気に駆られたある科学者が、遺伝子組み換えを駆使し、世界最強の細菌兵器を生み出そうと試みた。
BSL-4に分類されるような、史上最悪のウイルスを更に組み換え、組み合わせ、強化するという、狂っているとしか言いようが無い発想。
そして、奇跡と偶然が掛け合わさり。
生み出されてしまった。
それこそが、完全殺戮細菌兵器-E.V.O.L.A.だ――という、フレーバーテキスト上の設定が存在している。
どれだけフレーバーテキスト上でヤバい設定を持ってようが、カード効果としてそれが生きていないのであらば、ゲームバランスには特に影響は及ぼさない。
カードゲーマー達にとってE.V.O.L.A.は、「ほう、強いじゃないか」程度の感想に留まる程度でしかない。
だが、カード達が実体化するようになり、カード効果だけでなくフレーバーテキストで与えられた設定も持ったまま、実体化するようになった今は――危険だ。
モルドレッドも、危険といえば危険だ。
だが例えるならばアレは、滅茶苦茶強い通り魔が大暴れしているようなタイプの危険だ。
危険は危険だが、何とかして殺す事が出来れば、それで収まる。
だが、E.V.O.L.A.は違う。
目に見えず、知らぬ間に心臓にナイフを突き立てられているタイプの、危険。
見えない所でどんどん増えて、世界を侵す。
気付けば吸い込んでおり、自覚症状が出た時には既に手遅れ。
治療法も存在せず、ただ、苦しみの果てに死ぬだけだ。
地球上で最悪のウイルスの一つに数えられる、エボラウイルス。
進化したエボラウイルス、という経緯からE.V.O.L.A.の名が付けられた。
基本的な性質は、エボラウイルスがベースである為、エボラ出血熱と同様なのだが。
あらゆる細菌、ウイルスを掛け合わせられた結果、最早エボラウイルスとは名ばかりの、おぞましい存在となっている。
自力で、恐るべき速度で増殖する。
抗生物質も効かず、あらゆる生物に感染し、殺し尽くし、栄養を吸い上げ更に増殖。
科学と魔法の奇跡のコラボレーション超融合である。
こんな化け物が、フレーバーテキストそのままの性能を有したまま、実体化してみろ。
地球だろうが、異世界だろうが、関係無い。
人の歴史は、そこで終了だ。
この世界では地球に無い、魔法という技術が存在しているようだが……地球が悪い意味で誇る、世界最強のウイルスを更に進化させた設定の細菌兵器に対し、何処まで対処出来るか……まあ、無理だろうな。
「――E.V.O.L.A.が手元に戻って来た以上、不用意にコイツを野に解き放つ訳には行かないんだ。即座に、世界滅亡させかねない」
「……イマイチ、イメージが浮かばないな。要は、風邪を引くだけなのだろう?」
まあ、そうだな。
凄く、物凄く大雑把な言い方をするならば、エルミアの言う通りではある。
「致死率50%から90%だ」
「? 何だその数字は?」
「元ネタとなった、エボラウイルスによって発症するエボラ出血熱に感染した時の、死亡確率だ。コイツが世界中に広がれば、5割から9割の生物が死ぬ、生き延びても重篤な後遺症を残す、そんな恐るべきウイルスが、進化したんだ。恐らく低く見ても、9割は死ぬ。生き残った1割も、重篤な後遺症に侵される。喋れなくなるか、目が見えなくなるか、半身不随か、それとも植物状態か? マトモな状態では生き残れないのは、確定だろうな」
更に加えて、自力で増殖できるとかいうトンデモ性能まで与えられているときたものだ。
世界流行が起こらない訳が無い。
「この世界にどれだけ人が居るのかは知らないが、そこから突然9割の人々が死んだら、もう体制を保てない。一家全滅、企業は倒産、国も機能停止。当然だ、取り仕切るはずの人々が皆、死んでるんだからな。知識の伝達は行われず、衰退していくのみ。洞穴で石槍持って鳥を追い掛け回す時代に逆戻りするのも、そう遠くないだろうさ」
ゴクリ、生唾を飲み込むエルミア。
このカードの恐ろしさを、段々と理解してきたのだろう。
「そんな……そんな事が、可能だと言うのか……!?」
「出来るよ」
地球ですら、人間が本気で狂って暴走すれば可能なんだから。
その上位互換の細菌兵器が、自立して動き、勝手に増えていくならば、出来ない方がおかしい。
「まあ、そんな感じだから。E.V.O.L.A.には悪いとは思うが……お前だけは、そう易々とこの世界に出してやる訳には行かないんだ。我慢してくれ」
手にしたカード――苦悶の表情を浮かべながら、絶命した人々が多数写ったイラストに目を落としながら、言い聞かせる。
出来れば、カード達には自由に、在りのまま居て欲しいが……この世界の人類を滅亡させてしまいそうな奴を、俺のわがままで出す訳には行かない。
そう簡単には実体化させられないが――カードゲーム上では、存分に活躍して貰おう。
ちょいと重いが、制圧力という意味では手持ちのカードの中でも、最上位クラスと言っても良いハイスペックカードだからな。
―――――――――――――――――――――――
「――初めまして。と、言うべきなのだろうな師匠」
目深に黒色のローブを着込んだ、年季の入った男の声。
目元から覗く、空っぽの眼孔に宿る赤い光が二つ。
全身をスッポリと覆い隠している為、遠目では黒ずくめの不審者のようにしか見えないが――その中身は、人では無い。
永劫を生き続ける、不老不死の超越者にして――白骨のみで生き続ける、俗に言うスケルトンと呼ばれるタイプのユニット。
手には生き血を啜って育ち、数多の人々が絞殺された木から切り出された――という設定を持つ、禍々しいビジュアルの一本の杖を手にしている。
「俺は、お前の事は良く知ってるけどな」
「光栄だよ、師匠」
死霊術士 ビフロンス。
バエルを中心に構成される、72魔将が一柱。
交霊術や死霊術を得意とする、悪魔だ。
ダンタリオンやシャックスのように、人の姿をしておらず、完全にアンデッドの見た目をしている為、あいつ等と比べれば悪魔だという名乗り文句にも説得力がある。
フレーバーテキストなんかを読めば、特にブエル辺りは設定が黒過ぎて悪魔設定も納得なのだが。
それを知らずにビジュアルだけ見ると、72魔将って人間の見た目多いからな。
ビフロンスみたいなのは逆に新鮮だ。
「……もしかして、ビフロンスは死者蘇生が出来たりするのか?」
そして、このカードは墓地からの召喚――蘇生効果を有している。
カードの効果が現実に適用されるようになった現状、墓地から召喚する事が出来るカード効果は、もしかして全てが死者蘇生を成せるのではないか?
ビフロンスや、死者蘇生の書なんかがそうだ。
現代地球の常識で考えるならば、一笑に伏して終わりの妄言、なのだが。
カード達は、俺の常識をあっさりとひっくり返す、世界の理と真っ向から喧嘩した挙句勝利して帰って来るような連中ばかりだ。
そんな奴等ならば、死者蘇生の奇跡すら、あるいは……
もし、それが出来るのなら――
「うーむ、師匠の抱く死生観がどのようなモノなのか、明確に分かっていない状況で、その問いに安易に答える訳には行かないな」
自らの顎に白い指――白骨なのだから白くて当然なのだが――を添えつつ、カチリと歯を鳴らすビフロンス。
「仮に、死者の蘇生が可能だとして――何を成したいのだ?」
「エルミアとリズリアを、蘇生出来たりしないか?」
そもそもこの二人は、完全に巻き込み事故の被害者だ。
何も知らなかったエルミアと、知ってはいたが、そこまで判定が強いとは思わなかったリズリア。
それで、何もかも無かった事になる訳ではないが。
元に戻せるのであらば、そうした方が良いだろう。
「この二人は、私達と同じカードとなった身。この異世界とやらの理を離れ、師匠の世界で在り続ける存在となったのだ。これを再びこの世界に戻すというならば、本当の意味でこの二人を殺す以外に道は無い」
対するビフロンスの回答は、希望の欠片も無い内容であった。
元の世界に戻すのであらば、魂を魔力という形になるまで破壊し、この世界に放流する事。
それはつまり、魂の宿るカード――それを破壊する事。
だが、それは魂の永遠の消滅を意味し、死ぬという事は何も変わらない。
「師匠がこの二人を、カードになる前――リズリアという者に関しては、アンデッドの身になる前に戻したい。そういう事ならば、不可能だ。私の結論は、死者はどうあっても、蘇らない」
これだけファンタジーの塊であるこの世界。
そして、理不尽すら感じさせる力を持つエトランゼのカード達。
その力を以ってしても、死者の蘇生は――不可能。
……ん?
「じゃあ、ビフロンスが行っている事は死者蘇生では無いって事か?」
墓地からの召喚。
死者蘇生の書、そしてビフロンス。
他にも墓地からの召喚をやってのけるカードは無数に存在するが、これがやっている事は、死者の蘇生ではないって事か?
「――ふむ、成程。コレは、師匠にとっては死、なのだな」
瞑目するビフロンス。
まあビフロンスに瞼は無いから、眼孔の赤い光が消えるだけなのだが。
数秒の間の後。
「一つ、例え話をしよう」
ビフロンスが、その口を開く。
「例えば、人が事故で四肢欠損の傷を負ったとしよう。だがそれでも、その人物は生きている。この結論に否と答える者はほぼ居ないだろう」
「……まあ、そうだな」
片手片足、それを失っただけでその人が死んだとは言わないだろう。
時々、テレビとかで両手両足全て失ったにも関わらず、普通に生きている人が映っていたりする。
そんな人が居るにも関わらず、手足を失ったから人として死んでいる、などと言うのは失礼極まりないだろう。
「では臓器の一部を失ったら? 普通は死ぬが、師匠の世界では人工的に生み出された、臓器の役割を果たす機械が既に存在している。それと繋がっていれば、その人物は例え臓器を失ったとしても生き長らえる事が出来る。この場合でも、その人物は生きている。この意見に否を述べるのは少数派だろう」
それも、確かにそうだな。
医療技術の発達により、昔では死を免れなかった人でも、代替臓器により命を繋ぐ事が出来るようになった。
人工透析なんかがその代表例なんだろう。
不都合な事も多いだろうが、少なくとも死んでいる状態とは言わない。
「ではこの延長線上で、その人物が魂のみを残し、それ以外の全てを失ったら?」
ビフロンスは、ここから更に先へ進む。
「最早生前の顔とは似ても似つかぬ顔になり、身体も全てが別物。だが、確かにその人物は死んでおらず、記憶も心もそのままだ」
それは、地球上では現状有り得ない状態。
ファンタジーのみでしか存在しない、普通ならば死んでいる状態。
「この場合、その人物は生きている。と、呼べるのだろうか?」
その仮定は、俺の居た日本では不可能な前提。
だが――現代地球の常識を置き去りにした、カード達の力であらば――それは、可能な前提、なのだろう。
「更に言えば、例え肉体のほとんどが無事だったとしても、その人物が記憶喪失によって記憶の一部を失ったら? 肉体は無事なのだが、意識が戻らずに植物人間になったら?」
――ビフロンスの考え方を、少しずつ理解する。
それは、確かにそうかもしれない。
"生きている"というのは、細胞が活動を維持しているという事なのか、己の意思で動く事が出来る状態を指すのか――
「それでも、その人は生きている。そう言えるのだろうか? ここまで来ると、人によってその状態を"生きている"と述べたり"死んでいる"と述べたりで、意見が分かれるのだろう。では、腕を切り落とし、足を切り落とし、臓器を取り換え、次々に人の身体を別の代替組織と取り換えていく。それを繰り返して、何処までが人で、何処までが命だというのか――」
地球の常識では……脳さえ維持できていれば、それは同じ人――なのだろうか?
だが、臓器移植や大量の輸血によって性格が変わってしまった、という話もしばしば見る。
性格が変わってしまったのなら、前と同じ人と言うのは、苦しい気がする。
ビフロンスであらば、この脳すら別に置き換えたとしても、同じ人を維持する事が出来る……らしい。
どんどん身体を取り換えて――
「……ん? 何だ? 何か、こんな例に近い事を何処かで見た気がする……何とかの船とかそんな感じの」
「"テセウスの船"ですね」
「そう、それだ」
インペリアルガードから受けた補足で思い出した。
アレも確か、船のパーツを次々に取り換えて、全て取り替えたらそれは元の船と言えるのか、という内容だったはず。
「腕を失ったから義手を付けた、足を失ったから義足を付けた。このまま骨を、臓器を、次々に置き換えて。最終的に脳すら置き換えたとしたら――それは、同じ人と呼べるのだろうか?」
ビフロンスの言う、何処からが"死"なのか。
それは完全に、哲学の内容に足を踏み入れていた。
「人によって、何処からが"生"で何処からが"死"なのか。死生観で容易に意見が分かれる。だから私は、私なりの死生観で行動する。私の基準では。死者は、蘇らない。そして死者というのは"魂"を失った者だという事だ」
ビフロンスの基準では、記憶喪失とは魂に刻まれた記憶が何らかの要因によって欠損した状態。
植物状態とは、人の身体から魂が欠損、または失われてしまった状態。
死とは、人に宿る魂が完全に失われてしまった状態。
それが、ビフロンスにとっての死という概念。
「逆に言えば、魂さえ失われていなければ。例え見てくれが何処まで異形になろうとも、その者がその者であるという事には代わりは無い――と、私は考える」
故に、肉体こそ持たないが、完全な状態で魂の保全が成されている、今のカード達は生きているのだ。
魂さえ無事ならば、その者という個は死んでいないのだから。
と、ビフロンスが弁じ立てる。
「私もかつては人間だったが、見ての通り身体は異形そのものだ。だが、それでも。私は生きており、私は私なのだ」
そういやビフロンスも元々は人間だった、って設定があったな。
まあ、完全にアンデッドの見た目状態になってるから、種族として人間は設定されていないが。
「だから、私の死生観では師匠の持つカードは、本質的には死んでいないのだ。例え戦いの最中、身体の全てが塵一つ残さず消し飛んだとしても、最も重要な魂は、そのカードに宿ったままなのだから。いくらでも、再生が可能という事だ。師匠も、そして私も、な」
……何だか哲学的な方向に話が脱線してしまったが。
エルミアとリズリアは、生きている。
生きており、そもそも死んでいないのだから、生きている人物に対し死者蘇生というのはそもそもがおかしい。
そして、彼女達を生前――今でも生きているから少し変な感じがするが――その状態に戻す事は、不可能。
それだけは確かで間違いなく、動かし難い事実。
捨てる事は許されず、背負って生きねばならない。
その事実を改めて、認識するのであった。
"生"と"死"って何処からが境なんでしょうね?
因みに私は脳死判定が出たならそれが死だと思っています。
もっと医学が進歩したらもしかしたら意見が変わるかもしれないけどね。




