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61.光芒

 走った。

 走って、走って、走って、走って。

 何処までも見慣れた街並みに、何処までも(おぞ)ましい化け物。

 空には鮮血で形作ったかのような月が、爛々と夜空に輝き、その光が世界を染め上げている。

 地獄の扉が開き、そこから亡者が溢れ出たかのような光景。

 迫り、手を伸ばしてくる、アンデッド。

 それを避けて、走って、逃げ出した。

 何処もかしこも、死が溢れていた。

 余りにも走り辛いカクテルドレスの横を手で引き裂き、無理矢理走り易くする。

 この化け物達は、不幸中の幸いか、動く速度は私よりも遥かに遅かった。

 逃げ辛くなる細道や、溢れ返った大通りを避けて移動する事で、何とか捕まらずに移動出来ていた。


 逃げる。

 でも一体、何処へ?

 城の中も、街の中も、何処も化け物で溢れていた。

 逃げ道など、この街から出る以外、無い。

 そうだ。

 街の外に、助けを求めれば――


 良く知った街並みを、駆ける。

 私は子供の頃から、下町に出て遊んでいた。

 しばしば、御父様に王族としての自覚が足りないと怒られたりもしたが。

 その時の経験のお蔭で、逃げ道を確保し続けられていた。

 この国の中をどんな道が走っているのかは、良く知っている。

 その道を、時には道ではない道を移動し、街を駆け抜ける。


 街の外壁を越えて、街の外へと出た。

 この外には、溢れかえっていたアンデッドの群れは全然存在していなかった。

 何とか、逃げ切れた。


 そう、安堵した。

 そしてそれは、間違いであったと気付いた。

 突然、見えない壁のようなモノにぶつかり、頭と身体を強打した。

 何が起きたのか分からず、もう一度立ち上がって手を伸ばした。


 何かが、ある。


 まるで見えないガラスがそこに存在するかのようだ。

 だがガラスと違う、有り得ない程に硬い。

 握り拳で思いっ切り叩き付けても、まるで岩を殴り付けたかのような感触で、ビクともしなかった。


「こんな所に居たんですね、探しましたよリズリア」


 背後から届く、既知の声。

 振り向けばそこに、奴は居た。


 切れ長の赤い双眸(そうぼう)、やや痩せて頬骨の浮いた頬。

 柔らかい髪質の金髪を、短く削ぎ落したショートヘア。

 この国の軍服を身に付け、その襟元には無数の勲章が飾られている。

 その勲章は、他国の侵攻を退け、強大な魔物を単身で退けたという、英雄に与えられるに相応しい輝きを放っている。

 片手には黒鉄を鍛えて作り上げた、複雑怪奇な紋様が彫り込まれた杖を有しており、これが武器なのだと以前、聞いた事がある。 


「レイウッド……!」


 レイウッド・リインカーネル。

 ある時からこの国に現れ、軍属となった後、目覚ましい勢いで戦果を挙げた男。

 その武名は私の耳にも届いており、彼の戦績を称える祝勝会にも何度か顔を出している。

 アンデッドの坩堝となったこの地で、見知った顔を確認して、少しだけ安堵する。


「大変なの、理由は分からないけど、急に、皆が、皆がアンデッドに――」

「大丈夫、全て分かっているとも」


 私を安心させる為なのだろう、先回りした回答を述べるレイウッド。

 空いている右手が、私の肩に置かれる。

 レイウッドがその顔を私の耳元に近付け――




「いい気味だとは思わんかね?」




「え――?」


 空白。

 何を言ったのか、理解出来なかった。

 今、レイウッドは、何を、言った?


「あの王に言ったのだ。先日のドラゴン討伐の褒章として、リズリアを貰いたいと。だというのに、既に嫁ぎ先が決まっているから駄目だなどと――この私は、この国をドラゴンの脅威から救った英雄ですよ? だというのに、英雄の言葉を蔑ろにする王など、この地には不要です。全員、アンデッドになって貰いましたよ」


 レイウッドの手が、私の髪を撫ですくう。

 そして、ただ一言。


 ざまあみろ。


 そう、レイウッドは口にした。


「一目見て感じたのだ――リズリア、キミとの出会い運命の巡り合わせだ、と。その恵まれた肢体、その美貌。その全てが、私の伴侶として相応しいモノだ。そう、キミは私の妻となるべくしてこの地に生れ落ち、そして私と出会ったのだ」


 少しずつ、頭の中を染め上げていた混乱の色が薄れ、思考が戻って来る。

 レイウッドは一体何を、言った?


「リズリアは、誰にも渡さない。私の側で、永遠に(かしず)くのだ。これから何度でも、キミを愛してやろう」


 ――もう、邪魔者は誰も居ないのだから。



 レイウッドの言葉を受けて、反射的に身体が動いた。

 目の前の、見知ったはずの男。

 目の前に居る男が、まるで得体の知れないナニカに思えて。

 その手を振り払い、逃げ出す!


 だがその足は、右手首を掴まれ容易く止められる。


「逃げても無駄だよ。連魂包縛(れんこんほうばく)呪印(じゅいん)がある限り、キミは決してここから逃げられない。だが何も心配は要らない。何しろ、ここには私が居るのだから。キミの夫である、この私が、ね。それに、この地に居る限り、キミは決して老いる事も無く、死ぬ事も無い。むしろ、良い事尽くめだ」

「お前が――お前が! こんな風にしたのか!? 御父様の国を、こんな――」

「それは違う。ここは、私とリズリアだけの国だ。あんな分からず屋の国なんかではない」


 ――ふざけるな!


 アンデッドの群れから逃げる最中。

 護身の為にと、家屋の中から回収していた短剣。

 大腿に忍ばせたその短剣を、レイウッドに向けて振り抜く!

 だが、所詮は小娘の、余りにも真っ直ぐな攻撃。

 ドラゴンすら単身で退けた、そんな規格外の男に対して通る訳が無い。


「フフッ。分かっているとも。女心と秋の空、という言葉があるからな」


 その一振りは、簡単に止められた。

 魔法なんかではなく、単純に、その刃を指で、摘まみ上げられた。

 柄に力を入れても、まるで万力に締め上げられたかのように、ピクリとも動かない。


「今はまだ、気持ちの整理が付かないのだろう。それを待ってやるのが、男の度量というものだ」


 こちらはしっかりと短剣の柄を握っているのに。

 摘まみ上げたその指だけで、私は短剣をその手から取り上げられた。

 短剣が、遠くへと投げ捨てられる。


「リズリア、キミの気持ちが変わるまで、私は待っててあげよう。何、心配する事は無い。私もキミと同様、老いる事も死ぬ事も無いのだから。時間はたっぷりとある――そう、永遠に等しい程に、な」


 勝てない。

 逃げられない。

 英雄に等しい男の前で、ただの小娘である私に、抗う術など存在しない。


 リンブルハイムという国は、この日から地獄へと変わり。

 私は、死ぬ事すら許されない、籠の中の死鳥と成り果てた。



―――――――――――――――――――――――



 ――どれだけの時間が、流れたのだろう。

 もう、何年経ったのか、まるで分からない。

 アンデッドは私を見付けると追い掛けて来て、私を捕えようとする。

 恐らく、レイウッドがそうするように指示を出しているのだろう。

 そのアンデッドの魔の手から逃れ続ける日々。

 変わらぬ日々。

 だが時折訪れる、救いの手。


 最初は、数十人の兵だった。

 リンブルハイムからの連絡が途絶え、様子見に来たのだと言う。

 事情を話したが、それが事実ならば自分達の手には負えないと、引き返そうとした。

 呼び止めたのだが、聞く耳は持っていなかった。

 だが、結果として彼等の足は止まった。

 何しろ、彼等もここから出られなくなっていたのだから。

 入る事は出来るのに、出る事は出来ない。

 そんな事が出来るとしたら、あの男――レイウッド以外、考えられない。

 レイウッドを倒せば、きっとこの地獄も終わるはず。

 そう考え、彼等にその事を伝えた。

 結局、倒さねば出られないというのであらば、彼等は剣を抜くしか無かった。

 彼等の剣は、容易くアンデッドを切り裂き、倒す事は出来た。

 きっとこのアンデッドも、元々この国に住んでいた、何の罪も無い国民の一部なのだろう。

 それを思うと、少しだけ心が痛んだ。

 だが、もう彼等は助からない。

 こんな腐敗した身体が、元に戻せると希望を抱く程、私は子供ではない。

 戻せぬのであらば。

 これ以上苦しむ事が無いように、せめて、葬ってやりたい。

 私も、非力な身体ではあるが、兵達と共に戦った。

 アンデッドを倒し続け、少しずつ城まで近付いて行った。

 このまま、行けると思った。

 だが、その希望はあっさりと潰えた。

 この心音の止まった、冷たい身体に成り果てて、何時の間にか気付かなくなっていたのだ。

 周りの兵達が疲れ、息を荒げているのに。

 私は、呼吸一つ乱れていない。

 否、呼吸をしなくとも、苦しくなかった。

 疲れも、まるで感じていなかった。

 そして、私が疲れなくとも、兵達には疲労が溜まる。

 やがて、集団という多勢に無勢に押され、兵が一人、また一人と、アンデッドの歯牙に掛かり、その命を散らしていく。


 ――そして、最後の一人が斃れ。

 今まで倒れた兵達も全員、アンデッドの群れに加わってしまった。



 私のせいだ。

 彼等が死んだのも、あの兵達が、こんな姿になってしまったのも。

 まるで私が唆し、死に追いやったようなものだ。

 以前の兵達が戻らない事に不審に思ったのか、外界から更に膨大な軍勢が来た事もあった。

 恐らく、その数は千を下らないだろう。

 これならば、きっとレイウッドを討てる。

 そう考えて――その希望も、潰されていった。

 数と練度を兼ね備えた兵達は、見事城の前にまで辿り着くが――


 白い閃光が、兵達を貫いた。


 あれはきっと、レイウッドの仕掛けた罠だったのだろう。

 その罠が、門の前に居た多数の兵達の命を、一瞬で奪っていった。

 動揺と混乱が兵達に蔓延し、更には一気に兵の数が減った事で、軍団は一気に瓦解。

 その後は、疲れを知らぬ不死身の群に押し潰されていき……一人残さず、全滅した。


 何百、何千。

 私が死に追いやったのだ。

 逃げろと伝えた所で、出られないのは分かっている。

 だがそれでも、あれだけの数の人達が、力を合わせれば。

 もしかしたら、どうにか逃げられたかもしれない。

 その後悔が、責が、私の心を砕いていく。



 そして――私は、諦めた。

 短剣を自らの首に当て、自らを責め立てる悔いの勢いに任せるまま、その刃で首を切り裂いた。




 死ななかった。

 死ねなかった。

 気付けば、切ったはずの首には、傷一つ残されていなかった。


 自分の物とは思えぬような、酷く乾いた笑いが出た。

 そうか。

 そうなのか。

 私もまた、(ひし)めく化け物と同じなのか。

 命を投げようにも、投げ捨てる命など持っていない。

 救済も眠りも与えられず、終わる事が許されないのか。


 涙が零れた。

 泣いたのは、一体何時振りだろう。

 命無きこの身体から流れる涙は、酷く冷たく感じた。



 助けの声は、届かない。

 救いは、現れない。

 死の安らぎは、永遠に訪れない。



 それからは、私はレイウッドを殺す事だけを考え続けた。

 レイウッドこそが、この地に災厄をもたらした元凶。

 あの男こそが、御父様と御母様、そしてこの国全ての――仇。

 希望を捨てて、怒りと復讐の火だけで、それからを耐え続けてきた。

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も!

 レイウッドを殺すべく、その刃を振るい続けた。

 だがレイウッドは余りにも手強く、何度刃を手に襲撃しても、容易く組み敷かれる。


 奇跡的に一度、不意を突いた事で、致命傷の傷を与えられた時もある。

 だが、それだけだ。

 一度、殺した。

 そして、蘇る。

 それで、終わり。


 以前、私が自死を計った時の事を思い出した。

 もしや、レイウッドも――


 それに気付いた私は、奇妙な音を聞いた。

 いや、その音は幻聴なのだろう。

 だが、確かにあの時は、良く聞こえたのだ。


 アレはきっと――私の心が、砕ける音だったのだろう。



 駄目なのか。


 耐えてきた。

 それでも、それでも何時かと。

 私の両親の、国の仇を取れる時が来ると。

 その怒りの火だけを頼りに、ここまで耐えてきた。


 だがもう、駄目なのかもしれない。


 何度も救いの手が差し伸べられ。

 そして、目の前で消えて逝った。


 やがて、その目の前に現れる救いの手を掴む事に、億劫になりつつある自分があった。

 迷い込んだ人達には、逃げろと、半ば事務的に伝えるが――それが成し遂げられた事は、一度も無かった。

 投げ掛けられた質問には、答えられる範囲で正直に答えた。

 この国で起きた顛末を伝え、怯えた迷い人達は皆、逃げようとし、それが出来ない事を察して、絶望の中で死んでいった。



 どうせ、最後は死ぬのだ。

 誰も助からず、その全てが命を落とし、そして……この地を跋扈するアンデッドの群れの一部と成り果てる。



 あの男の言葉を受け入れれば、楽になれるのだろうか?

 私に、希望の光が差す事は、永遠に無いのだろう。



 もう、疲れた。



―――――――――――――――――――――――



 また一人、この地に迷い込んだ哀れな犠牲者が現れた。

 スバルと名乗るその男は、今まで出遭った人々とは違い、奇妙な人物であった。

 その男の周囲には突然、今まで居なかったはずの人々が現れ、スバルの手助けをしていた。

 何らかの魔法なのだろうとは思ったが、最早興味を持つ事は無かった。


 ――どうせ、この男も最後には死ぬのだ。


 しかも、私の忠告も聞かず。

 よりにもよって罠が仕掛けられているのが確定しているであろう、正面からの強行突破を図ろうとする。

 これでは、ただの自殺者だ。

 色々言ってやりたかったが、言うだけ無駄だと諦め、巻き添えになっては御免とばかりに、距離を置いた。



 多勢に無勢を強いる、アンデッドの群れ。

 数多の人々を死に追いやった、数々の罠。

 その全てを、涼しい顔で、まるで子供が路傍の石を蹴り飛ばすかのような気軽さで、踏み潰して行く。

 乗り越えるのではない。

 踏み潰すのだ。

 一つたりとも無視せず、全て、叩き潰していた。

 そんな事をすれば、例え無事でも、体力の消耗が激しくなるだろうに。

 全く、意に介さない。

 底なしの如き、戦闘能力。



 声が、出なかった。

 遠目でそれを、見ていた。

 もう駄目だと、諦めたのに。

 その光が、私の闇を切り裂き、手を差し伸べる。

 "可能性"という手を、伸ばしてくる。


 身体が、勝手に動いた。

 その足が、スバルという男が居る、その城へと向けて駆け出していた。

 諦めたはずなのに、それでも求めた。

 奥底では、諦められなかった。

 悔しかった。

 苦しかった。

 仇も取れず、死に逃げる事すら許されず。

 閉じ込められ、停滞したこの鳥籠に、押し込められ続けた。


「――待ってくれ!!」


 悲痛な声。

 だがそれは、こんな声を出せたのかと自分で驚く程の、大きな声だった。


「……どうかしましたか?」


 酷く他人行儀な男――スバルが、そこに居て。


「――君達なら、レイウッドを殺せるのか……? 私を、楽にしてくれるのか?」

「……私を楽にって、どういう事ですか?」


 両頬に、冷たいモノが流れた。

 涙を流したのは、一体、何百年振りだろうか。

 その涙には、熱は無い。

 あの日から、私は鼓動も体温も、奪われたままだ。


「お願い、します……お願いです、私を――レイウッドを、どうか――殺してくれ――ッ!」


 スバルの側に駆け寄って――そこで、足から力が抜けて、膝から崩れ落ちた。


「私では、アイツを殺せない! 私の力じゃ、御父様や御母様、皆の仇を討てない! 私に出来る事なら、何だってする! だから! だから――どうか――!!」


 何もかも奪われ、力も遠く及ばない。

 私に出来る事など――誰かに縋る事だけだった。

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