58.死霊の坩堝
赤髪の女性の案内に従い、草木を掻き分けながら進んで行く。
掻き分けると表現したが、俺は草木に触っていない。
掻き分けるというか……草木が割れる、という表現がピッタリだ。
モーセの奇跡的な感じだ。
バエルが先程から杖を操作しているので、何らかの魔法的効果を使っているのだろう。
奇跡じゃなくて魔法なんだろうな、いや魔法は奇跡だろと言われれば奇跡なのかもしれない。
悪魔の王が起こす奇跡、何かロクでも無かったり途方も無い代償支払わされたりしそう。
バエルにそういうコストは設定されてないけどな。
数分程進んだ所で、一軒の家に辿り着いた。
いや……これは、家と言って良いのだろうか……?
かなり風化が進んでおり、煉瓦と思わしき壁面は至る所にひび割れが生じており、その割れ目からは樹木が天に向けて枝葉を伸ばしている。
壁面にも蔦に苔にミッチリこびり付いており、目に優しい、住むに厳しい。
扉も付いておらず、中の光景が外から確認出来る。
机や椅子なんかがあり、一応生活出来る空間が広がっている。
一応、先程まであった家屋跡地と比べれば家としての体裁を整えてはいるが、これは……廃墟だろう。
屋根こそあるが、吹き曝しと大して変わらない。
「少し待ってろ、中を広くする」
赤髪の女性はそういうと、廃墟の中へと入る。
数秒後、何やら壊れたり倒れたりするような騒々しい物音。
そして入り口から噴出する、淀んだ空気。
入口の近くに立っていたせいで、不意に吸い込んでしまった。
条件反射に抗えず、大きく咳き込んだ。
埃っぽい。
それも、屋内の埃と屋外の土埃の類が入り交じったタイプだ。
咄嗟に舞い上がる埃交じりの空気から退避する。
「失礼。御主人様、しばしあそこから距離を離していて貰えますか?」
音も無く現れるインペリアルガード。
眼鏡とマスクを装着し、ハタキを手にしている。
完全に掃除する気満々である。
何処から持ち出したそんな代物。
それとも常備してるのか?
「申し訳ありませんが、貴女も掃除の邪魔ですので一旦ここから出て下さい」
「誰だお前は?」
「外で待っている者の連れです」
マナ不足の為、バエルは一旦姿を消している。
ダンタリオンが出現している状態なので、余剰マナ数は4。
その4マナを使い、4体になったインペリアルガードが4倍速で掃除を進める。
凄い勢いで家の窓や扉らしき場所、そして壁の割れた隙間から土埃がもうもうと立ち昇る。
どれだけ掃除してないのだろうか。
「彼女は一体、何処から現れたんだ? さっきまで居なかったはずだが。それに、彼女は四つ子なのか?」
「まあ、色々事情があるので深く突っ込まないで貰えると助かります」
現状だと最大七つ子にまでなれますね。
手数が居るのに加え、そこまで内部は広く無かった為か、淡々と掃除を終えたダンタリオンが姿を消す。
その後、インペリアルガードが掃除し切れなかった、舞い上がっている埃もバエルが風で吹き飛ばし、無事綺麗な状態となった。
改めて赤髪の女性に促されるままに、廃墟内部へと足を踏み入れる。
手狭だし、隙間風も入って来るし、正直な感想を述べれば、あまり長居したくない場所ではある。
「そこのソファーに座ると良い」
「こんな薄汚れたソファーに世と盟約主を座らせる気か?」
「嫌なら立ったままでも構わない。それ位しかまともな家具が無いんだ」
座れとは言ったが、無理強いする程でも無いらしい。
扉が一つ無くなった洋服箪笥。
鏡が無いドレッサー。
ひび割れた机。
板のはがれた床。
この辺りと比較すれば、まだちゃんと四つ足があってクッション部分も残ってる、このソファーは家具としてまともな部類だろう。
「では失礼して」
古ぼけた、そのソファーに腰掛ける。
また土埃が立つかもしれないので、勢い良くではなくゆっくりと腰掛ける。
俺は腰掛けたが、バエルとダンタリオンは立ったままだ。
「ここならば、ある程度は大丈夫なはずだ。何時までも長居をすると、レイウッドに察知されるかもしれんが」
ようやく落ち着ける状態になったのか。
赤髪の女性が口を開く。
「そのレイウッドというのは、誰? なんですか?」
先程から女性が言及している、その名について尋ねる。
多分、人物名な気がするが。
訊ねると、目の前の女性はその重い口を開いた。
「――この地を、今の惨状にした、全ての元凶だ」
―――――――――――――――――――――――
かつて、この地にはリンブルハイムという国があった。
この大陸に、グランエクバークという国が生まれるよりも、遥かに昔。
寒さに震え、寄り添い合うように生まれた、小さな国。
外は冷たくとも、そこに住む人々の心は、何処よりも温かかった。
国民は皆、家族のように慕い慕われ、何の憂いも無いはずだった。
そんな小さな国に、悲劇が襲った。
一人の男が、一夜でこの国を死の国へ変貌させてしまったのだ。
男の力は強大で、気付いた時には全てが手遅れであった。
赤髪の女性――リズリアと、レイウッドという男を除き、この国に居る全ての命が、死に絶えた。
それ以外の者は魂を失い、魂を持たぬ、彷徨う亡者となった。
この地はその日から現在に至るまで、生きる者を飲み込む死霊の坩堝となり、訪れた者全ての命を食らい続けている。
調査に訪れた者、迷い込んだ者、名声を得ようと討伐に打って出た者。
「――誰一人として、レイウッドを討てなかった。出る事も出来ず、逃げる事も出来ず、皆死んでいった」
ここで死んだ者は、死して尚安らぎを得る事は無い。
その亡骸はアンデッドとして操られ、この地に迷い込んだ更なる命を貪る、不死の尖兵となるのだ。
ここを訪れた者は理由を問わず、誰一人として例外なく、アンデッドと成り果てた。
何百年間も、ずっと――
ふと湧いた疑問。
リズリアは一体、幾つなんだ?
女性に歳を聞くのは失礼とか言うが、何だか話の節々で数百年前とか聞くんだが、人間の寿命の規格じゃないぞ?
そんな疑問を、リズリアに投げ掛けるのだが。
それに対する回答は――ただ、手を差し伸べただけであった。
手を握れという意味なのかと思い、その手を取ろうとして――横入したダンタリオンが代わりにその手を握った。
「――そう、貴女もアンデッドの一員って事ね」
リズリアの手は、とても冷たかった。
そう、ダンタリオンが告げる。
「そういう事だ。恐らく、私は享年18歳、そう名乗るのが正しいのだろうな」
この国が滅んだ時、リズリアもまた、共にその命を落としている。
だが、何故か死ぬ事は許されず、死の安らぎも得られず。
自分は何故か自我を失う事無く、こうして今の今までここで生きてきた――いや、死んでいた、と言うべきなのだろうか?
自然ではなく、これが何らかの魔法的要素を伴った現象である事はすぐに理解出来た。
原理は不明だが、状況証拠的に、この事態を引き起こしているのはレイウッド以外有り得ない――という事だ。
リズリアから話を聞き、この土地の状況を知った俺は、一度ダンタリオンと共に外へと出る。
ダンタリオンが二人きりで話したい事があるそうだ。
その間、バエルはリズリアと一緒に待っている事にした。
バエルはまだ、リズリアの言葉を信じておらず、監視目的だそうだ。
「あのリズリアって女は、嘘は吐いてない」
開口一番、ダンタリオンがそう言った。
リズリアが事情を話している最中、ダンタリオンは何度か質問を投げ掛け、やりとりをしていた。
その時、その言葉が嘘か真実かを確認していたのだろう。
「でも主人、私の力を信用してくれるのは嬉しいけれど。私は『勘違い』を見抜けない。それだけは、覚えておいて欲しい」
勘違い。
そうだと自分が確信し、それが真実だと誤認している相手には、ダンタリオンの能力は通用しない。
ダンタリオンの能力は、万能ではないという事か。
ダンタリオン曰く、嘘を吐いた時の揺らぎのようなモノを見る事で、ダンタリオンは相手の言葉の真偽を測っているらしい。
たまに言動の微妙な違いで嘘を見抜いている勘の鋭い人とかが居たが、ダンタリオンの能力はそれが更に先鋭化したモノの類なのだろう。
「現状、余りにも情報が不足してます。物事を多角的に見る事が出来ず、あのリズリアって女の言葉を全面的に信じる他無い。赤の他人の言葉を鵜呑みにするのは危険です」
何でこんな場所に厄介な場所が存在しているのか。
何が原因なのか。
それを一応、リズリアは説明してくれた。
ダンタリオンも、それに嘘が含まれていない事も確認した。
だが、その全てがリズリアの個人的な視点からの見解だ。
個人的見解であり、客観的事実は、これらの内容に一つたりとも含まれていない。
確実に分かる事は、ここがそう簡単には出る事が出来ない、厄介な難所だという事。
それだけが真実。
「まあ、一番確実なのはレイウッドっていう人に会って、ダンタリオンに話して貰うのが良いんだろうな」
「それは危険です」
「だろうな。でも、真偽を確かめるなら一番確実だろ?」
ダンタリオンならば、相手が嘘を言っているかどうかが分かるんだろう?
本人曰く勘違いは見抜けないって話だが、レイウッドという人物もリズリアも皆して勘違いしてるパターンはまず無いだろう。
リズリアの話を信じるなら、会うのは危険そうだが。
何が俺達にとって最善なのか、今は分からない。
ただ、今日は長距離移動で疲れて頭が回らない。
少し考える時間も欲しい。
それに、日も傾いてきた。
危険かもしれないが今日は一旦ここで夜を明かし、明日どうするかを決めるとしよう。




