56.包縛の印
グランエクバーク領へと到達し、人気の無い海岸で一夜を明かす。
明朝、ダンタリオンに抱えられたまま空を飛んで移動を開始する。
今回は陸路を移動するので、今現在取れる最大効率の移動手段を取る事にした。
相も変わらず、空の上でお姫様抱っこ状態である。
移動中に出来る事など、精々周囲の景色を眺める程度だ。
見渡す限りの、湿地帯。
自然に溢れた豊かな地、とでも言えば聞こえは良いのだろうが。
実際はただの無法地帯である。
無造作に伸びっぱなし生えっぱなし。
我先にと枝葉を伸ばし、鬱蒼と生い茂る木々。
濡れ落ち葉の散乱したぬかるんだ地面、無作為に散らばった、点在する池。
その地面も、もしかしたら柔らかい泥みたいなもので、一歩足を踏み入れたらそのままズブリと沈んで行ってもおかしくないかもしれない。
地上に降りれば、湿っぽくて青臭い臭いが立ち込めているであろう事が容易に予想出来る。
「そろそろ、一回地上に降りて休憩したいな」
「分かりました。なら、良さそうな場所を見付けたら降りますね」
ガッシリとした、幹の太い樹木の側に着陸するダンタリオン。
確かにここならば、ぬかるんだ地面に足を取られてそのまま沈んでいく……なんて事は無さそうだ。
降ろして貰い、その場に立つ。
案の定、大自然の臭いが立ち込めていた。
ただまあ、嫌いな臭いではないのでその場で大きく伸びをしつつ、深呼吸をする。
やはり同じ体勢をずっと続けるから身体が凝るな。
……あ、蓮だ。
蓮が生えてるって事は、あそこに足を踏み入れたらアウトだな。
底なし沼だったら笑えない。
「しかし、見渡す限りの原野だな。本当にこの世界の都市部に向かってるのか?」
「そのはずなんですけど……確かに主人の言う通り、若干不安になってきますね。図書館で吸収した知識が間違っていたら、誤った知識である可能性もありますし……それを確かめる術も、無いですね」
グランエクバークという、この世界を構成する六大国家の一つ。
その首都に向かおうとしているというのに。
ここには人の手が入ったような痕跡が何処にも見られない。
道も無い、柵も無い、案内看板も何も無い。
首都のすぐそばに、こんな未開拓地があるものなのか?
余らせておくのは土地が勿体無いと思うのだが。
いや、でも確かアメリカとかだと平気でゴーストタウンとかがあるんだったか?
土地がデカければそういうのは気にならないのかもしれない。
それに、日本にも廃村が無いでもないし。
見るからにココの開拓は難所っぽい雰囲気があるし、避けたのかもしれない。
こんな沼だらけの場所、地盤の改善から取り掛からないといけないだろうしな。
「さて、こんな場所で足止めとかなっても嫌だし。休憩はこの位にしておくよ」
「なら、そろそろ出発しますね」
嫌いな臭いではないが、この場で就寝するにあたっては不快な臭いだ。
ここで寝泊まりは出来れば避けたいので、休憩もそこそこにして再びダンタリオンに抱えられて空の旅を再開するのであった。
―――――――――――――――――――――――
代り映えのしない風景が続く。
樹木、沼地、雑草、絶え間なく蛙や野鳥の鳴き声が響く空間。
鳴き声に関しては、空を飛んでいる際の風切り音で聞こえないが、臭いは相変わらず立ち込めている。
「ん……? 何あれ?」
「どうかしたのか?」
「あそこに何か、人工物みたいなのが」
丁度それは、飛行ルート上に存在していた。
ダンタリオンが飛行を続けていると、徐々にそのぼんやりとした輪郭が鮮明になっていく。
成程、確かに人工物だ。
というより、人の集落――だったのだろう。
「ここが、ロンダーヴって場所なのか?」
「いや、そんなはずは無い。そもそも、首都の周囲にこんな湿地帯なんて存在しなかったはずだ、地形も位置も全然違う」
着地すると、俺の疑問に対しエルミアが答える。
割れた石畳の隙間から木の根や雑草が生い茂り、元々は家屋だったであろう壁面には大量の蔦。
その元家屋も、積年の浸食によって崩落してしまってる。
何もかも、完全に自然に浸食されていた。
そんな、時の重みに押し潰された集落の中。
ただ一つ、存在感を放つその楼閣が、形容しがたい違和感を示す。
遠目ながらも、そこだけは自然に浸食されずに姿を保ち続けていた。
まるでそこだけ、時間から切り離されているような、そんな感じだ。
城、だろうか?
壁面と門は材質が分からぬ程に蔦で覆われているが、門の隙間から見える向こう側は、緑の侵略を拒み続けているようだ。
普通に考えれば、あそこに誰か住んでいて、その者が居住区内を整備しているのだろう。
――突如、視界が地面へ向いた。
ぐえっ。
腹に急に力が掛かり、変な声が漏れた。
身体にGが掛かり、どんどん地面が離れて行く。
ぐええ。
どうも、状況的に突然抱きかかえられて空を飛び始めたらしい。
誰に?
横を見ると、整った美形の男性。
バエルであった。
急加速し――突然、また空中で急停止する。
ぐえっ。
「おのれええぇぇぇ!! この世を罠にハメただと!!? 盟約主の眼前でとんだ失態を晒させおって!! 舐めたマネを!!」
逆鱗に触れられた竜の如く、怒り狂うバエル。
折角の美形がステキなお顔になってしまっている。
何時も側に居る、本体である王冠を被った猫もキシャーとマジギレしている。
これ、手を出したりしたら爪で引っ掻かれたり噛み付かれたりするヤツだ。
「……ダンタリオン、何か気付いたか?」
「気付いたらアンタより先に行動してるわよ」
バエルの効果で呼び出された、ダンタリオンが答えた。
これ以上空中に留まる意味は無いと判断したのか、バエルは俺を抱えたまま地上へと降りる。
「何? どうかしたのか?」
「結界だ。端的に言うならば、閉じ込められたという事だな」
結界?
「何も見えないけど」
「世には見える。盟約主は結界に触れるなよ、世や他のカードがどうなろうとも構わんが、盟約主に何かあっては一大事だ。そういうのは、世達の仕事だ」
バエルが、ダンタリオンに視線を向ける。
無言で頭を振るバエル。
行け、という意思表示だろう。
それに従い、ダンタリオンは何もない空間――恐らく、結界があるという場所に向けて歩を進めた。
そこに手を翳し、黙し――口を開く。
「これは……」
「どうだ? 破れそうか?」
「……不可能ではないけど、事実上不可能かもしれない」
バエルの問いに、ダンタリオンは答える。
「小細工でどうこう出来るタイプの結界じゃない。物理的に、ぶっ壊すしか無いタイプだね」
「壊せるのか?」
「私じゃ、無理」
ダンタリオンは答える。
ダンタリオンで無理なのか。
「私なら無理、って事は他のカードなら可能なのか?」
「分からない。私には主人と違って、他のカードの知識が無いから。これは、純粋なパワーで叩き壊さないと突破出来ない」
「どれ位、必要なんだ?」
「……多分、主人の基準で言うなら……パワー10000以上で殴り付ければ、壊せる……かもしれない」
「……10000か……」
手持ちのカードを、思い浮かべる。
最初に思い付いたカードは、当然。
「じゃあ、モルドレッドなら行けるんだな?」
「行けると思う。でも、駄目」
ダンタリオンは、それを否定する。
モルドレッドのパワーは、12000ある。
パワー10000でその結界とやらを破壊出来るなら、モルドレッドであらば破壊出来るのだろう。
だがその場合、またモルドレッドを表に出す必要がある。
俺の持つ、余剰マナ全てを使い切った状態で、言う事を聞かないモルドレッドが、だ。
別に俺はそれでも構わないのだが、ダンタリオンもバエルも駄目だと口を揃えてきた。
モルドレッドが駄目で、それ以外の手段でパワー10000以上にする手段。
使えるマナ数は、7。
この条件で、ユニットを召喚し、パワーを呪文等で補助し――そういった方法を考慮に入れても、パワー10000という数値は、遠い。
というか今現在、手持ちに居るカード達の素の状態でのパワーが全体的に低い。
アルトリウスやらダンタリオンやらブエルやらシャックスやら、効果が強い代わりにパワーが低めに設定されている奴等ばかりだ。
モルドレッドのみが唯一の例外だが、それが使えないとなると、パワー不足という事実が浮き彫りになる。
ユニオンダガーも結構破壊力が出るのだが、あれ発動するのに2マナ使うしな。
インペリアルガードとのコンボで打点を伸ばしても、やっぱり10000という数値には足りない。
「……お前しか、居なくね?」
そのカードに、視線を落とす。
マナ数が足りていないので一旦バエルには引っ込んで貰い、その可能性を召喚する。
「……結界ぃ? 良く分からねぇけどよぉ、要はぶっ叩いて壊せば良いんだろ?」
手にした木刀で、草に蝕まれた石畳を叩きながらそう言い放つ。
連合総長 龍。
このユニットの効果は、現実でも有効になっている。
その事実は、以前木刀で鉄檻を容易く打ち砕いた事で証明済みだ。
龍は、攻撃後に自身のパワーを倍にするという効果がある。
そしてこの効果には、回数制限というものが存在しない。
初期パワーは1000と貧弱なのだが、バトルすればする程、この数字は際限なく上がり続ける。
一回攻撃して、2000。
二回攻撃したら、4000。
五回目の攻撃時にはパワー16000となっているので、ダンタリオンの見立てが正しければ、その段階で結界とやらが破壊出来るはずだ。
「でも主人、これも時間は掛かるんだよね?」
早速結界に木刀で殴り掛かる龍を眺めつつ、ダンタリオンの問いに答える。
「攻撃後、っていうのがカードゲーム上じゃなくて現実での判定だとどの位の時間が掛かるのか、なんだけど……なあ、龍。パワー上がった感じがしたら教えてくれ」
返事が無い。
結界に向けて木刀で滅多打ちだ。
聞いてんのかコイツは。
でもどうやらちゃんと声は届いていたようで、龍からの返答は帰って来た。
自分数えで、185秒。
「……誤差はあるけど、もしかしてこれも180秒か?」
1ターンの思考時間、180秒。
公式ルールで定められた、1ターンに設けられた思考時間だ。
それを過ぎるようであらば、ターンエンドせねばならない。
現実に置き換えると、180秒経つと1ターン経過する……という訳か。
まあでも、180秒なら問題ないか。
5ターンで900秒、15分あれば破壊出来る計算だ。
それ位、待つさ。
「それじゃ、遅い」
呟くダンタリオン。
「……部外者を追い出すんじゃなくて、閉じ込めた。相手さんも敵意悪意アリアリね」
「…………これじゃ、駄目か?」
「とっくに気付かれてる。時間を掛け過ぎると、刺客を差し向けられる」
刺客、ね。
結界なんてのは俺には見えないけど、カード達がそう言うんだから、結界とやらに閉じ込められている状態なのは確かなのだろう。
そうだとすると、だ。
結界とやらが発動したタイミングが、余りにも出来過ぎている。
俺達が偶然訪れたタイミングで、たまたま機械の誤動作やら何やらの要因で結界が、偶発的に発生した?
そんな馬鹿な。
こっちを狙った攻撃だと考えた方が自然だ。
「来たよ」
そう、ダンタリオンが告げた。
ダンタリオンが視線を向けていた、何も無い場所へと目を向ける。
雑草が生い茂る地面が、水面に浮かび上がる水泡の如く盛り上がり、弾けた。
中から現れたのは、人であった。
頭部に積もった土が、頭をもたげると同時に下へと落下していく。
人……いや、あれは、人なのだろうか?
光の無い目――否。
目が、無い。
がらんどうの眼孔。
浮浪者より酷い、ボロボロの衣服は最早衣服の体を成していない程に大きく裂けている。
肌は土気色をしており、およそ血の通った生物だとは思えない。
不気味な、地の底から響く呻き声のような空気の振動。
一つ、二つ、三つ――
大小入り交じり、やがて数え切れぬ程に増殖する。
背後には結界、そして目の前には丁度こちらを包囲出来る、弧を描くように現れた、人型の何か。
手足も頭部もあるが、アレは人と言うより――
「……なあ、ダンタリオン。聞きたい事があるんだが、大丈夫か?」
「何でしょうか?」
「アレは、ゾンビか何かか?」
「……そうですね。ゾンビで合ってます」
「つまりアンデッド、俺が想像しているような、元人間――死体が動き回っているって事で合ってるのか?」
そう、人と言うよりはゾンビだ。
人が動いているというより、死体が動いていると例えた方がしっくりくる。
そして、鼻を突く――死の臭い。
平和な日本ではまず遭遇しない、異臭。
俺はそれを、知っていた。
覚えてしまっていた。
「ここに居る人達は、"死んでいる"んだよな?」
「……そうです。アレは、人ではありません。何らかの魔力的要因によって、操られている……魂の抜けた、亡骸の傀儡人形。生きる人々全てに仇成す敵です」
死んだ。
にも関わらず、その死体は安らぎを得る事が出来ず、外的要因によってその眠りを妨げられ続ける。
その外的要因というモノには色々あるのだろうが、本人に何の問題も無いというのに、死して尚、眠る事が許されない。
「多分だけど、俺達に敵意向けてるんだよな?」
「そうですね。逃げるか、戦うかのどちらかしか無いです」
「アンデッド、か――」
俺の居た世界には存在しない、架空の現象。
だが魔法という概念がある、この世界では現実に発生し得る。
そんな、魔法現象。
酷い光景だった。
土に埋没してたのを掘り起こしたから、遺体は土まみれで。
遺体を洗って清めてやる余裕なんか何処にも無くて、至る所で混乱と悲鳴と怒声が噴出して――
「…………ダンタリオン。俺は、それだけは、絶対に許せない」
彼等彼女等が、一体生前、どのような人物だったのか。
そんな事は、分からない。
「死んだのであらば、安らかに眠らせてやるのが、死者に対する敬意だと思うんだ」
だけど、生前どんな人物だったとしても。
死んだのであらば、静かに眠らせてやるのが、今を生きる者の役目だと思う。
無垢な赤子も、世紀の大悪党も。
死ねば等しく、仏なのだから。
「俺には、それが出来ない。だから、俺に力を貸してくれないか?」
だが、そんな俺の願いや信条など、何の力も持たない。
思いしかない俺の、何と無力な事か。
結局、誰かを頼る他無い。
そして俺が頼れるモノなど、ただ一つしか無い。
「私達に、許可なんて必要ありません。主人が望んだ道を、私達は何処までも付いて行くだけです」
「――ありがとう」
その感謝の言葉を、ダンタリオンに、そしてデッキ――カード達に送る。
何の力も無い、何の役にも立たない俺に、付き添い従ってくれる。
自分より遥かに強大な力を持つカード達に、俺が出来る事など殆ど無い。
「私達を何処までも信じ、我道をひた走る、そんな主人の姿に。私達カードは、信を置いたのですから」
だから。
だから、せめて。
彼等彼女等に、見限られないような在り方で居よう。
「――私達の望みは。何時だって、主人の側に共にある事、それだけです」
塵は塵に。
別に俺はキリスト教徒でも何でも無いが。
死んだのであらば、元ある姿へ帰るべきだ。
即ち、土へ帰り、灰は灰へ。
間違っても、自然の摂理から外れた、こんな状態などではない。
俺は目の前の彼等彼女等の関係者でも何でも無いが。
彼等達の関係者に代わって、弔辞を述べよう。
「――交戦」
死んだのに、弔う事すら出来ないのは、余りにも――辛い。




