2.姫騎士エルミア
私、エルミア・フォン・フィルヘイムはフィルヘイム王家の長女としてこの世に生を受けた。
長女ではあるが三人兄妹の真ん中であり、上には兄が、下には妹が居る。
父は現国王であり、母は私がまだ5歳の頃、妹を産み落としてすぐにこの世を去った。
兄と妹は私と違い、とても賢く勉学に長けており、そして兄に至っては武術にも秀でていた。
実力的にも内外への喧伝でも、王位継承権は間違いなく兄に有る事を物語っており、それ故に王家の血筋的には予備でしかない私は、放任でこそ無いがある程度自由に行動を許されていた。
下町の子供達のように、木の枝を振り回しながら野山を駆け回ったりなどという事は流石に出来なかったが、それでも王家としての役割というものとは余り無縁な生活を謳歌し育った。
そして私が10歳になった時、私は国王である父から母の死因を初めて聞かされた。
――お前の母親は、「邪神の欠片」によって殺されたのだ。
この世界には、天災にすら例えられる「邪神の欠片」と呼ばれる恐るべき存在が蠢いている。
神出鬼没、姿は黒い体色である事を除けば千差万別、そして恐るべき力を内包している。
弱いモノであらば国軍の手で討ち取る事も出来るが、強大な存在が現れれば傾国の危機、最悪亡国となりかねない。
歴史上幾度と無く現れ、国も、人種も問わず、数多を傷付け殺めていく恐怖の象徴。
私がそれを初めて知ったのは、子供の頃に絵本を読んだ時であった。
御伽噺ではなく、歴史上実際に幾度と無く繰り返された、「邪神の欠片」と、それを討ち取ると言われている「勇者」の戦いの物語。
天災とも呼ぶべき邪神の欠片が世界に満ちる時、勇者と呼ばれる存在がこの世界に現れる。
勇者は強大な存在である邪神の欠片を鎧袖一触で打ち倒す程の力を持ち、世界から邪神の欠片を消し去り、やがて何処かへ去っていく。
夢物語のような存在だが、確かにそれはこの世界に存在し、またその勇者が遺したという数々の品は国の根幹を成す財産となり、そこに住まう民に莫大な富として還元され続けてきた。
私の暮らすこの聖騎士国 フィルヘイムもまた、過去に現れたという勇者の遺した品によって国力を伸ばした国であった。
今、この世界に勇者は存在しない。かつて居た勇者は既にこの世界を去った後。
勇者が遺したという遺産の力によって邪神の欠片を倒す手段自体は存在しているが、勇者が居ない今、それを成すのはこの世界に生きる人々の手以外に存在しない。
その危険な存在が、私が5歳の時この国に現れた。
その際の戦いに私の母は巻き込まれ、この世を去った。
母との思い出は、数える程しか存在していない。
元々母は軍を束ねる将軍としての地位も有していたが為に、私と共に家族の団欒というのを取れる時間があまり無かったのだ。
それ故に母の死を、そして真実を打ち明けられたその時も。そこまで悲しみを感じる事は無かった。
父にその事実を知らされたからなのか。
自らの弱さを嘆いたからなのか、母の仇を取ろうと考えたのか、理由は今でも分からないが。
気付けば私はその手に槍を持ち、軍の扉を叩いていた。
母の血故か。私は頭は良くないが、それと反比例するかのように武の才覚は有していた。
王城の広場での稽古では師が舌を巻き、軍に入っても実技演習では常にトップクラスであった。
普通なら驕り高ぶってもおかしくない状況だったが、文武共に私の上を行く兄という存在が居た事で、私は多感な時期を歪まずに過ごす事が出来た。
既におぼろげな母の背中、そして未だ及ばぬ格の違いを感じさせる兄の背中。
その二つの背を追うようにして、私は鍛錬を続けた。
17を過ぎた頃には、軍内部には兄を除けば敵無し……良くて同格程度の人物しか存在しない程に強くなっていた。
そんな時であった。
この国に、再び邪神の欠片が現れたという火急の報が届く。
今回は都市部ではなく寒村ばかりの郊外に現れたらしいが、既に少なからず被害者が出始めている。
それに、邪神の欠片の行動指針などまるで見当も付かない。
突如動きを変え、首都に向かって直進する可能性だって無くもない。
我が国に限らず、邪神の欠片の脅威は世界共通だ。自国の領内に現れたならば、速やかに排除せねばならない。
しかし運悪く、この時は軍における最大の戦力である兄が外交の為に国外に出ている最中であった。
早馬で駆け付けたとしても、数週間は掛かるだろう。
――兄上ばかりに任せてはいられない。
兄の代わりに、などと言える程の腕前ではないが。
それでも、兄の代わりに空座を守る位は出来るはずだ。
母も使っていたという、最早完全に私の手に馴染んだ愛用の槍を携え。
手勢を率い、私は邪神の欠片が現れたという報告のある森の近くまで馬を走らせるのであった。
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目撃の報があった地までやって来た際、休息中の私の元に奇妙な鳥が飛んで来る。
その鳥は孔雀か何かを思わせるような極彩色の羽根を持つ派手な見た目であり、私の鎧をコツコツとクチバシで叩き、まるで森の奥に来て欲しい素振りを見せた。
もう何時邪神の欠片が現れてもおかしくない状況であり、集団行動の輪から外れる行為は余り褒められた事ではないが。
鳥の様子が気になり、少し森の中へ踏み込む。
そして鳥の案内に従い先へ進むと、そこには一人の男性が倒れていた。
年齢は若い。恐らく二十代から三十代程度だろうか。
あまりこの辺りでは見掛けないような服装をしており、見た所どうやら意識を失っているようだ。
首に手を当て脈を診る。
脈はある。
外傷も無さそうだし、単純に気を失ってるだけらしい。
念の為あまり頭を動かさないように、慎重に担ぎ上げて森から運び出す。
休憩の為に陣取っていた場所は元々村として機能していた場所であり、そこには家屋もある。
邪神の欠片が現れた事で疎開した為、既にこの村の住人は居ない。この家の住人には悪いが、少し使わせて貰う事にした。
私と共に同行していた術者にも見せた所、回復魔法が必要な容態では無いらしく、しばらくすれば目を覚ますとの事らしい。
ベッドに寝かせると、その男性の頭の上に鳥が止まった。
きっと、この鳥はこの男性の飼っている鳥なのだろう。
恐らく主人が倒れた事で、近くにいる人物に助けを求めた、そんな所か。随分と賢い鳥らしい。
しばらく室内で様子を見ていると、意識を取り戻した男はその身体を起こす。
男の意識が戻ったのが嬉しいのか、先程まで男の頭上に止まっていた鳥は狭い室内を旋回し始めた。
「――良かった。身体は大丈夫ですか? 痛い所があったりはしませんか?」
「……えっと」
状況を飲み込めていないようなので、男に対し現状を説明する。
森の中で気を失っていた事、そこの鳥が助けを求めて来た事。
それを聞く男は能面の如く無表情であり、生気が感じられない。
受け答えこそ普通にしているが、目には光が宿っておらず、ドロリと濁ったとでも表現するべきか。
まるで世界全てに絶望しているかのような、暗く淀んだ印象を感じた。
――もしかして、邪神の欠片の被害者なのだろうか?
家族を目の前で殺されて、命辛々逃げ出した。そう考えれば、この様子も状況も辻褄も合う。
もしそうならば、この話題にこれ以上触れるのは避けるべきか。
寝た子を起こすなという訳ではないが、仮にそうなら遺族の心を他者に癒す事など出来ない。
心の傷は、時間が癒してくれるのを待つ他無い。
ただ少し気になったのが、ショックを受けている割には会話の受け答えはしっかりとしている点だ。
心に衝撃を受けて言葉を失っている、という状況は割りとあるが、強いショックを受けているにも関わらず会話は普通にしているというのは違和感があった。
ただ、気になるだけでそれに意識を割く訳にはいかない。もしかしたらそういう人も居るが私が知らないだけかもしれないしな。
それに、今の私はこの国の姫ではなく一人の軍人としてこの場に立っている。
民を守るのは軍人として、騎士としての勤めだが、それだけにかまけている訳にも行かない。
見送りは不要と男は言うが、この辺りは既に邪神の欠片の勢力圏内。
そんな状況で一般人を放り出す訳にも行かないので護衛を付けようと思ったのだが。
男は何故か断固として拒否してくるので、早めにこの場所から立ち去るよう警告し、私は家を後にする。
「――姫様! 出発の準備は既に完了しております! 御指示を!」
「分かった。では、これより邪神の欠片の討伐を行う! 見付けた班は即座に他の班全てに合図を送れ! くれぐれも功を焦って単身飛び出すなよ! 見付け次第、全員で突撃する!」
同行した兵を率い、私は邪神の欠片の索敵を開始する。
もし、私が邪神の欠片を討ち取ったなら、兄は褒めてくれるだろうか?
兄の隣に並べたと、胸を張って言えるだろうか?
国を治める頂点としての責務を、兄ばかりに押し付けていた私だが。
私にだって、少し位は兄を手助けする事だって出来るはずだと。
この邪神の欠片討伐に名乗りを挙げたのも、その気持ちが強かった。
無論、軍の中でも上から数えた方が早い実力を持つ私が、国難の現状に立ち向かわなければ示しが付かないというのもあるが。
私としては、兄に対する感謝の意の方が勝っていた。
我等は騎士、この身は敵を討つ剣、この命は民を守る護国の盾なり。
力無き者の為、その魂を捧げよ。
邪神の欠片は、間違い無く強敵だろう。
だが、人には困難に立ち向かわねばならない時が存在する。今がその時だ。
戦える力がある者が剣を取らねば、この国は邪神の欠片によって容易く無に帰すだろう。
萎縮しかねない心を、騎士の格言で鼓舞し、私は森の奥へと馬を走らせるのであった。
―――――――――――――――――――――――
「――戦線を下げろ! 早くしろ!」
「後退だ! 魔法部隊何やってる! 援護早くしろ!」
「んなもんとっくにお釈迦だって言ってんだろ!」
悲痛な叫び、悲鳴、嘆き、呻き。
錬度も指揮も、高かった。武力でしか解決出来ない国難に抗う為、文字通り血を流す鍛錬を続けて来た。
戦場に立つ以上、死と向き合う事になるのは覚悟していた筈だった。
だが目の前に広がっているのは、阿鼻叫喚の地獄絵図。
戦いですらない、一方的な殺戮。
「退避だ! 避け――」
「姫様! お逃げ下さい! ここは我等が――」
こちらの剣が、槍が、弓が、魔法が。
その全てが通らず、弾かれる。
邪神の欠片に傷一つ与えられず、まるで丸太の如き触手で薙ぎ倒され、斃れていく兵達。
少しでも良い。掠り傷でも与えられるならば、命を投げ出し立ち向かいもしよう。
傷を与えられるならば、後に繋がる。その傷を積み重ねれば、邪神の欠片も何時か倒せるのだから。
だが、これだけの被害を出し、挙句傷一つ与えられない。
これでは、犬死ではないか。
私の考えが甘かった。
今の私の力量ならば勝てると、邪神の欠片にも立ち向かえると考えてしまった。
驕っていたつもりは無かったのに、私も知らない心の内では、浮かれて調子付いていたのかもしれない。
――死ぬ。死んでいく。
昨日、食堂で無邪気に笑い掛けてきた同期の騎士が。
苦手な修練を克服する為のアドバイスをくれたあの先輩騎士が。
姫という身分に囚われず、訳隔てなく接してくれた厳しくも優しい騎士が。
果敢にも剣を振るい、既に腕が折れているにも関わらず仲間を守る為に立ち向かい、果てに私を庇ったせいで。
邪神の欠片によって、羽虫を潰すかのように、その命が刈り取られていく。
気付けば、周囲から声が聞こえなくなっていた。
苦痛に歪んだ、呻き声すら聞こえない。
「――私では、駄目なのか……?」
邪神の欠片の前では等しく無力で。
私もまた、絵本の中で語られる哀れな被害者の一人でしか無かった。
私は勇者に、英雄になんてなれなかった。
息は荒れ、紙一重で邪神の攻撃をかわし続けているが、それも何時まで持つか分からない。
仲間は、皆斃れた。応援も、仮にやって来るにしても私がそこまで生き延びられる訳が無かった。
勇者は現れない。
現れる事を祈っても、その祈りを捧げている間も邪神の欠片によって人々の命は失われていく。
ならば自分が勇者となろうと、民を守る剣になろうとした。
だが、私の力は余りにも無力で。
心血注いで培ったその力の全てが、邪神の欠片の前では塵に等しかった。
「私は、英雄譚に名を連ねられるような存在では無かった、という事か――」
だが、私の行動に悔いは無い。
私が、私達がやらねば。戦う力の無い多くの民が犠牲になる。
そんな事は、あってはならない。
民を守る盾となれ。それこそが、騎士のあり方。
存在しない勇者になど、頼れない。
今ここで、私が立ち向かわねば。
手にしている槍が、酷く重い。
手が震える。今にもその場に倒れ込んでしまいそうな足。
折れそうな心を無理矢理鼓舞し、荒れた息のまま邪神の欠片と対峙する。
邪神の欠片を視界に入れるべく、視線を動かしたその時であった。
その背後に見えた人影。そこに思わず目を奪われる。
「なんで――」
それは、先程保護した民間人であり、避難するよう伝えた筈の人物であった。
どうしてこんな所に。迷い込んでしまったのか?
こんな事なら、人員を割いて無理にでも安全な場所に避難誘導しておくべきだった。
そんな、今考えてもどうにもならない考えが脳裏を過ぎる中。
「――交戦」
男は、ただそう一言。
ポツリと呟くのであった。