35.異邦人の優雅な朝
古書の匂いが、鼻をくすぐる。
ゆっくりと身体を起こし、大きく息を吸い込む。
寝惚け眼でぼんやりと、視線を無造作に投げる。
特に見る物も無い、仮眠用の小さな個室。
部屋の外には壁面いっぱいに書物が並んでおり、古書の匂いはそこから漂ってくるものだ。
「おはようございます、御主人様」
俺が起きたのとほぼ同時に、インペリアルガードがすぐに姿を現した。
「おはよう……」
「本日は、如何されますか?」
一つ大きな欠伸をし、寝起き頭をゆっくりと動かしていく。
確か、ガラハッドとジャンヌが邪神の欠片捜索に出てるんだったな。
「ガラハッドとジャンヌから何か連絡はあったか?」
「今の所、何も連絡は届いていません」
そうか。
じゃあ今日も今の所、俺がするような事は無いという事か。
「なら、何時も通り朝は軽く散歩でもするかな」
「畏まりました。では、食事を用意してお待ちしております」
インペリアルガードが姿を消す。
最初は着替えを手伝うとまでインペリアルガードが申し出ていたが、それは辞退させて貰った。
何か、落ち着かないし。
着物とか着替えるのが手間な服なら手伝って貰うのも分かるが、自分一人で一分未満で着替えられるような服でそれは大袈裟だ。
着替えを終え、仮眠室から出る。
食卓――では本来ないのだが、席に付き、インペリアルガードが用意していた食事を口に運ぶ。
この机は元々、壁面の書物を広げる学習机だったのだが、今は机上にあったインク瓶やペンを避け、食卓として利用している。
そのすぐ側には、インペリアルガードが控えている。
別にわざわざ立ったまま待ってる必要は無いと言ったのだが、本人がそうしていたいと言ったので好きにさせる事にした。
食事を終え、外へと出る。
湖畔に立てられた――ではなく、発動してある伝本の蔵書庫が視界に入った。
蔵書庫ではあるが、ここには仮眠用の施設や、屋内活動が出来るある程度の広さがあった。
残念ながら所詮は書庫なので、食料や入浴設備は無いのだが、野宿と比べれば天地の差だ。
今現在、マナ事情と手持ちのカードの中で一番俺が暮らし易い環境を作り出せるカードがこれだったので、ここを宿泊施設として利用している。
ダンタリオンからすれば、少し複雑かもしれないが。
ここは、ダンタリオンが暮らしていたエルフの集落に存在していた蔵書庫なのだ。
自然と共に生きるエルフという設定からか、建材は土や丸太なんかだけであり、現代社会に慣れた俺からすればかなり簡素な建物だ。
ネズミや虫なんかが少しでも入り辛いように、建物は高い位置に建てられている。
外見的には、櫓の一番上が居住部分になっているような感じだ。
異国から流れ着いた、様々な書物、知識を収め、蓄える書庫。
子供の頃、知識欲旺盛好奇心旺盛なダンタリオンはここに居座り、様々な本を読み漁った。
その時読んだ本が原因で、ダンタリオンは悲劇に巻き込まれる――という設定が、フレーバーテキスト上において存在している。
俺がその設定を知った時は、禁書指定すんならさっさと焼き払っておけばダンタリオンが殺されずに済んだだろうが、と思ったものだが。
伝本の蔵書庫の発動を終了する。
コストは軽いが効果も軽い、そんなカード。
ゲームで使用する分には効果も考える必要があるが、ただ寝泊りするだけならデメリットさえ無ければ効果は度外視して良いからな。
このカードの発動コストは、1だ。
現在、邪神の欠片捜索という名目でガラハッドとジャンヌが外へと出ている。
二人が出現する為に要する合計マナ数は4。
何でも以前の報告によると、小さな村に一時滞在しているとの事だ。
村である以上、そこには人目がある。
勝手に姿を消したら不自然極まりない為、この4マナに関しては無いものとして扱い、二人に自由行動させる事にした。
その為、今現在俺が自由に運用出来るマナ数は7から4引いた3となる。
居住地として伝本の蔵書庫を発動したら2、こうなるともう出られるユニットが絞られる。
ダンタリオン以上は全員出現不可だ。
尚、俺の知らない間にカード達は俺から離れてかなりの距離を行動出来るようになっていた。
ダンタリオンによる仮定と計算によると、現在カード達は俺を中心として6400m、つまり6.4kmまでが実体化状態での活動限界範囲らしい。
1マナで100m、2マナで200m、3マナで400m……といった具合に、邪神の欠片を倒した際にマナ数が増えると行動範囲が倍に増えるようだ。
それ以上俺との距離が増えると、肉体を維持出来ず消滅するらしい。
どうやら俺の知らない内にカード達が勝手に実験していた模様。
ただ、召喚出来る範囲は非常に狭い。
現在は俺を中心に、7mの範囲でしか召喚・発動をする事は出来ないようだ。
こちらは、俺のマナ数×1mという基準らしい。
6.4kmまでは動けるが、出発地点は俺を中心として7mの範囲でしか選択肢が無い。
仮にこの距離が10mや20mまで増えたとしても、カード達の実力から考えれば俺の感覚で10センチが20センチに増えた、程度でしかないだろう。
そんなもん、一歩余計に歩けば余裕で届く範囲じゃないか。
この数字が増える意味はほぼ無いと見て良い。
カード達のリスポーンポイントは俺の側でなければいけない、という考え方で良さそうだ。
カード達はその魂が宿るカードと俺自身が無事である限り不死身だが、復活地点は必ず俺の側。
……俺、移動可能なセーブポイントか何かなのかな?
「――散歩するなら一緒に行く」
蔵書庫を撤収した事で、マナプールが3に戻り、ダンタリオンが現れた。
ここ最近の朝の日課は、周囲の散歩である。
ずっと引き篭もっていると不健康なので、適度に歩いて身体を動かす事にしようと自発的に始めたのだ。
その際、インペリアルガードかダンタリオンが付き合ってくれている。
インペリアルガードが付き合っている日は、余剰マナがある為か一緒にリッピが好き勝手に飛び回っている。
湖の周りを、三周分歩く。
小さな湖とはいえ、俺の足で歩くには中々の距離がある。
大体三周すると、良い感じの疲労が来るので、毎日それ位で切り上げている。
「散歩が終わったら、どうするの?」
「またデッキ案でも考えるよ」
「カードが増えないのに、考える事ってあるの?」
「逆にカードが少ないから考える事があるんだよ。カードプールが充実してないから、普段は使わないようなカードを活用しないといけないからな」
手首に固定しているデッキケースに視線を落とす。
便利なデッキケースだが、難点もある。
手元に戻って来ているカードであらば、思い浮かべるだけで即座に出てくる。
だが逆に言えば、思い浮かべなければそのカードは出て来ない。
なので万にも及ぶカードを片っ端から思い浮かべている。
戻って来ている可能性があるカードだけなので、全種類という訳ではないのだが、それでも膨大な量だ。
――左腕に、ふくよかな感触が伝わる。
目を向ければ、左腕にまるで恋人のようにダンタリオンが抱き付いていた。
さも当然のように、何も言う事無く。
幸せそうな微笑を浮かべながら。
俺にとってダンタリオンとは恋人、なのだろうか?
良く分からない。
何しろ俺は今の今まで女性とは縁が無かったから、女性との付き合い方がサッパリ分からない。
……聖子さんは、女性として扱うのは違うだろうし。
彼女は義妹でカード仲間だと思ってるし、実際そうなのだろう。
「――平和で、静かですね。主人」
「そうだな」
「このままずっと、ここで暮らすのも良いかもしれないですね。私と主人の、愛の巣で」
「あんなダンタリオンに因縁アリアリの場所でか?」
「私は気にしませんよ? 所詮、そういう"設定"だってだけですから」
カード達は、フレーバーテキストに基づいてその記憶、その姿を形成するという。
だがそれは、所詮は与えられた記憶だとカード達は断言する。
重要なのは、こうして自我を得た後であり、どう考えどう行動するかが重要だと。
過去ではなく未来だと、一貫した考えのようだ。
時折、聞いた事が無いような鳥の鳴き声を聞きながら、日課の散歩を終える。
ダンタリオンが姿を消し、伝本の蔵書庫を再発動する。
直後、インペリアルガードが現れ、自らの効果で増殖し、蔵書庫内を凄まじい速度で掃除していく。
以前、ダンタリオンのお陰で気付けたのだが、蔵書庫からインク瓶を持ち出して発動を終え、再発動する。
すると手中にはインク瓶は残されたままであるにも関わらず、同一のインク瓶が蔵書庫にも存在する状態となり、インク瓶が増えてしまう。
逆に中に私物を置いたまま発動を終了すると、中にあった私物が消えてしまうので要注意だが。
これはつまりどういう事かといえば、要は"元に戻る"のである。
カードの初期状態へと。
つまり、最初から部屋が汚れていれば、再発動する都度、部屋が汚れた状態に戻ってしまうという事でもある。
それをインペリアルガードは気に入らなかったらしく、こうして再発動する都度、大掃除を行っている。
一度、初期状態の室内を見てみたが、気にする程の事も無いように思えたが。
インペリアルガードが気にするのであらば、好きに掃除させる事にしようという結論で落ち着いた。
1マナ余計に使って増殖したインペリアルガードが、慌ただしく動き回っている。
これが終わったら、再びデッキ案を考えるとしよう。




