34.穏やかな村の日常
三ヵ国を股に掛けて存在を主張する、世界最大の湖であるグランアチーブ湖。
そこから流れる河川の側に、ネーブルという村が存在している。
人口は40名程で、人間の種族だけで構成された小さな村だ。
基本的には木造の平屋ばかりで、一つだけ石造りの立派な教会が目立つ。
この教会だけ背が高く、上に付けられた釣鐘が目を引いた。
良く晴れた、木漏れ日の心地良い季節。
木々の合間を縫って、村の外れで小気味良い音が等間隔で鳴り響く。
カコーン、カコーン、カコーン。
鉈を振り下ろし、薪を一つ、また一つと両断していく。
薄っすらと額に滲んだ汗。
首に掛けたタオルでその汗を拭い、男は一息吐く。
軽く毛先を削いだ、短く柔らかな金髪。
澄んだ水面の如く綺麗な青を湛えた瞳に、鼻筋の通った男らしい顔立ち。
しかしそれは厳ついという意味ではなく、顔だけ見れば寧ろ優男、美形と呼ばれる程の色気を放っている。
背は高く、衣服の上からでも分かる程に鍛え上げられ、絞られた肉体。
男であらばこうありたいものだと、羨望の眼差しを向けられても不思議ではない。
「――うわっ、凄い。もうこんなに終わったんですか?」
背後からの声に気付き、男はその声の持ち主に対し向き直る。
長い髪を三つ編みで束ねた、純朴そうな女性。
絶世の美女だとはとても言えないが、村一番のべっぴんさん、とでも言われるタイプの人物だ。
服装も特に着飾らない質素なものであり、これまた村娘という表現が良く合う。
「いやいや、これ位大した事ありませんよ。他に何か手伝える事があれば、言って下さい」
男はこれ位何でも無いとばかりに、爽やかな笑顔を浮かべて答える。
「大した事ありますよ。薪割りなんて重労働をやって頂けているだけで十分助かってます」
「食事を頂いている身ですから、日課の手伝い位であらばむしろやって当然ですよ。タダ飯を食っているようでは騎士の名折れですからね」
自らを騎士だと自称するその男は、再び足元に積み上げられた薪に手を伸ばす。
良く見れば、男のすぐ近くには脱ぎ捨てられた鎧と、その側に横たわった剣の姿があった。
鎧を着ていては薪割りの作業の邪魔になるので、一時的に脱いでいるのだろう。
その鎧も質の良いモノで、装備と体格からして、この騎士の男は相当な腕利きであろう事は傍目からも容易に想像出来た。
再び、乾いた小気味良い音が響く。
足元の薪を割り、積み上げ、割り、積み上げ……
やがて、騎士の男の足元に詰み上がっていた薪は、完全にその姿を消した。
「よし、終わったか」
「お疲れ様です。あっ、そうだった。そういえばお昼ご飯が出来たので呼びに来た所だったんだ」
騎士の男が休み無くとんとん拍子で薪を割り続けていたので、思わず惚けて見続けていた女性が、ふと我に返り要件を口にした。
「そうだったんですか。丁度薪割りも片付きましたし、御馳走になります」
騎士の男は地面に降ろしていた自らの鎧と剣を身に付ける。
そんな所作を身ながら、女性がポツリと呟く。
「この辺りではあまり魔物も見掛けませんし、村の中でまで鎧を着ていなくても良いんじゃないでしょうか?」
女性が暮らすこの村は、簡易的ではあるが村の外周を取り囲むように木の柵が設けられている。
この一帯に生息する魔物では、そう簡単には破る事が出来ない程度には強度があり、また魔物もそれを学習している為、村の近くにまでは寄って来ない。
非力な村人でも安心して暮らせる環境が整っており、村の中は平和そのものである。
「着ていた方が、むしろ落ち着くんです。それに、いざという時に咄嗟に動けないと大事ですからね……済みません、お待たせしたみたいですね。それじゃあ、行きましょうか」
騎士の男の一声に頷き、歩みだす女性の後ろにゆっくりと騎士の男が続く。
二人が居た村の外れから、村の中央に近付くにつれ、甲高い子供の声が耳に届く。
「こら! 食事の時間なんだから早く家に戻れ!」
「わー! カミナリババーが出たぞー!」
「誰がババアだ!? お姉さんと呼びなさい!」
一人の女性が、散開しつつ逃げ回る子供を追い回している。
翡翠色の瞳に、紐で一房に括って後ろに流したセミロングのキメ細やかな金髪。
白銀色の磨き抜かれた鎧甲冑に身を包み、腰には鞘に収められた一振りの剣。
一目で騎士だと分かる風貌であり、実際に彼女は自称、騎士である。
騎士の女性が子供の襟首を掴んで次々に確保していく。
暴れる子供を意に介さず、小脇に抱える。
子供といえど、複数人抱えれば相応に重くなる。
ましてや暴れていれば尚更だ。
にも関わらず、あっさりと抱えている辺り、彼女の膂力は相当なものなのだろう。
「……見てないでお前も手伝え」
「生憎、年端も行かぬ少年少女の拉致に手を貸す腕は持ち合わせていないのでな」
騎士の男は冗談交じりに言ってのける。
女騎士が半目で睨んだ。
無論、この女騎士は別に未成年者略取を企んでいる訳では無い。
「ああ、ヘンリエッタさん。食事の時間なのに逃げ出そうとする連中を捕縛したのですが、如何しましょうか?」
「そうですね。それじゃあ我が家まで連行して頂けますか?」
騎士の男と一緒に居た村娘――ヘンリエッタと呼ばれた女性は、クスリと笑みを浮かべつつそう答える。
「今ちゃんと食べないと後で腹を空かせても食事は出ないぞ? 今食べなきゃどうせ夕方まで持たないんだからちゃんと食卓に着け」
「お前、何時からそいつ等の母親になったんだ?」
男の騎士が叩いた軽口に対し、細めた目で無言の抗議をする女騎士。
ひっ捕らえた少年少女の襟首を掴み、各々の自宅へと訪問し扉の奥へと放り込んでいった。
子供とはいえ、一度に何人も確保して小脇に抱え、平然と歩むその様は正に豪傑。
細身からは想像も出来ない程に力強く、その所作からただ者では無い事が感じ取れる。
「よし、片付いた。私は少しそこの男に用があるので、ヘンリエッタさんは先に家に戻ってて下さい。話が済んだら私達も家に戻ります」
「そうですか。スープが冷めない内にお願いしますね」
そう二人に言い残し、ヘンリエッタは自宅の扉の奥へと消えていった。
それを確認し、男の騎士は口を開く。
「――平和な、良い村だな」
「そうだな。邪神の欠片の気配とやらも何も無い。噂話すら無いからな」
「となると、近々この村ともお別れという事になるな」
「行商人から方位磁針を購入出来たら、その時が出立の時だな」
「ハッキリ言って無駄な買い物なんだが……そういう設定である以上、購入しないと不自然だからな」
「私達の目的は、邪神の欠片の捜索だからな。存在が確認出来ないなら、これ以上ここに留まっても時間の無駄だ」
「それまでは、適当に時間を潰しているが……時々、このままこの村に定住しても良いんじゃないか、って気持ちになるよ」
「それは否定しないが……私達にとって一番はやはり団長の側だよ」
「……さて、それじゃあそろそろヘンリエッタさんの家に戻ろう。スープが冷めたら不味くなるしな。行くぞ、ジャンヌ」
「ああ、それからガラハッド。食事が終わったら魔物討伐に付き合え」
「またか。それは別に構わんが、お前はこの辺りの魔物を殲滅でもする気なのか?」
「昨日も一昨日も、大して歯ごたえが無かったからな。腕が鈍らないよう定期的に剣を振るわねば、いざという時に団長を守れないからな!」
やたら好戦的な口調の女騎士――ジャンヌに対し、若干呆れたように溜め息を吐く男の騎士――ガラハッド。
二人は足並みを揃え、スープの冷めない内にヘンリエッタの暮らす小さな木造家屋へと足を踏み入れるのであった。
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「私達、フィルヘイム出身の騎士なのですが。魔物の奇襲に遭った際にどうも方位磁針を何処かに落としてしまったみたいなんです」
「多少の路銀はあるので、もし宜しければ譲って頂けないでしょうか?」
夜間、ネーブル村を訪れたガラハッドとジャンヌは、申し訳無さそうにヘンリエッタに対しそう告げた。
フィルヘイムを発ち、道中魔物と戦いながら武者修行中の騎士。
しかし魔物の襲撃に遭い、手荷物を落としてしまった。
地図も方位磁針も無しにこのまま旅を続けるのも危険なので、この村でそれが購入出来れば――
それが、この二人が今現在演じている設定だ。
なるべく自然に、ボロが出辛いようダンタリオンと擦り合わせながら決めた内容。
もし方位磁針を譲って貰えるなら、軽く雑談を交えて情報を収集しながらすぐに村を発つ予定だった。
しかしながら、ヘンリエッタの話では今、この村にそんなモノは無いそうだ。
そもそも旅をしない、この村で生まれこの村に骨を埋める暮らしを続けている以上、村の外に出る用事も無いのでそんな代物を持っている意味も無いのだ。
だが、時折行商人がこのネーブル村を訪れるそうなので、その時にならば購入出来るだろうと、ヘンリエッタは二人に告げた。
その行商人が村を訪れるまで、しばし時間を潰そう。
そう考えたガラハッドとジャンヌは、束の間ではあるがこのネーブル村に足を止める事にしたのであった。
そして、今に至る。
周辺の魔物討伐や、家事の手伝いを行いつつ、ゆったりとした時の流れに二人は身を任せる。
時折、昴の存在すら薄れるほどの長閑さに、心を安らげながら。




