33.喪失と絶望のエピローグ
――既に日が傾き、空が夕日で朱に染まる。
本来ならば野営の準備を始めてしかるべきなのだが、構わず早馬を走らせる。
このフィルヘイムという国には、グランエクバークのような便利な移動手段は存在していない。
道もかの国のように高度な整備も成されていないので、仮にあったとしても走れる区間は少ないだろうが。
その火急の一報が届いたのは、グランエクバークでの会談を終え、船旅を経て、故郷であるフィルヘイムの地を踏み締めた丁度その時であった。
「――殿下! 首都に、邪神の欠片が現れました!」
血相を変え、一人の男が脇目もくれずに要件だけを告げた。
本来ならば無礼と取られても仕方ないような所業だが、それだけ事態が切迫している事を物語っていた。
簡潔に聞き取りと事実確認を行い、私は従者すら置き去りにして馬を走らせた。
足並みを揃えている場合ではない。私一人だけでも、何としても首都に戻らねば。
もう少しだ。
あと少し、この丘を越えれば――
生まれ故郷たる、首都キャメロットの姿が――目に飛び込む。
活気のある人々の姿が、聖剣を祭った中央広場が、美しい街並みが――崩れ去っていた。
邪神の欠片によって、無差別に、容赦無く、無残に、街が、引き裂かれていた。
馬の足を止めず、首都に向けて猛進する!
少しずつ、無残な姿に変貌した首都が近付いてくる。
「門を開けよ!!」
肺活量目一杯に搾り出した声。
その声は衛兵の耳朶を叩き、規律正しい動きで迅速に開門作業が行われた。
門が開き切る前に、その隙間を縫うようにして市街地へ飛び込む。
凄惨。
それ以外の言葉が見付からなかった。
歴史を感じさせる街並みは戦渦に巻き込まれた廃墟と化し、未だ治療の追いついていない怪我人が無造作に道の端で寝かせられていた。
今にも倒壊しそうな建物から離れるよう兵が指示を出し、瓦礫に挟まれた要救助者を何人もの屈強な兵が集まり救助を行う。
道を塞いでいた倒壊した家屋を破壊し、無理矢理抉じ開けたであろう緊急用の道を、馬で走り抜ける。
不幸中の幸いというべきか、王城には被害らしい被害は発生しておらず、ここを発つ前の姿がそのまま残っていた。
疲弊した馬を兵に任せ、私は逸る気持ちを抑え切れず、勝手知ったる我が家を走り抜ける。
「父上! エルミア! エルフィリア! 何処だ!?」
街中の様子と、城の兵達の発言から察するに、どうやらこの首都に現れた邪神の欠片は既に討伐されたらしい。
その事実を確認出来た事で一旦胸を撫で下ろすが、そうなると次に心配なのは家族の安否であった。
仮にもフィルヘイム王家に連なる者、ましてや現状、事実上の国王代理として動いている身からすれば、今一番案じなければならないのはこの地に暮らす民の事だろう。
しかし薄情というべきか、所詮は人の子というべきか。脅威が去った後、いの一番に脳裏を過ぎったのは家族の姿。
「――ジークフリート、陛下。御無事で何よりです」
声のした方向に視線を向ければ、そこには良く見知った顔。
フォルガーナ財務大臣がそこには居た。
「フォルガーナか、無事だったようだな」
「私めのような者に勿体無きお言葉です、陛下」
「父上――陛下は御無事か? それにエルミアは、エルフィリアは無事なのか?」
矢継ぎ早な私の質問に対し、フォルガーナは真顔で一つ呼吸を置き。
「――こちらです」
手招きし、私に背を向けて先へと進んでいくフォルガーナ。
その後に私は続く。
「……陛下がお戻りになられるまで、緘口令を布いておきました。この事実はまだ、市中には流れておりません」
「緘口令だと?」
「流石に、陛下がお戻りになられていない状況でこの事実が広まれば、国家の屋台骨が揺るぎかねませんでしたので、独断で行わせて頂きました」
フォルガーナの口から飛び出す言葉の節々から、不穏な気配を感じ取る。
脅威が去った事で少し弛緩していた緊張の糸が、再び張り詰める。
「それに、フォルガーナ。先程から、何故私を陛下と呼ぶ――?」
「――先代国王、ジークフリート陛下の御父上は、逝去なされました」
――は?
「元々、病床に臥せていた身。その上でこの騒動。私め等も国王を避難させるべく行動したのですが、避難の際に身体を無理に動かしたせいで症状が悪化し――2日程前に、息を引き取られました」
「父上、が……死んだ……?」
思考が追い付かず、思わず歩みが止まる。
足を止めた私に対し、フォルガーナはゆっくりと向き直る。
「ですので、王位継承権に習い。ジークフリート国王陛下、という訳です。能力的にも実績でも、万人が認めるでしょう」
陛下――父が、死んだ。
よりにもよって、こんな最悪なタイミングで。
邪神の欠片によって首都機能が何もかも破壊されたという状況での、崩御。
死に水を取る事も出来ず、父の死に目に立ち会う事すら出来なかった。
「そうか……父上は、死んだのか」
ショックではあった。
だが、覚悟していなかった訳では無かった。
日に日に弱っていく父の姿を見て、死期が近い事は否応無しに理解していた。
一年か、一月か、それとも一週間か。
それがたまたま、最悪なタイミングで訪れてしまったというだけだ。
「それと、陛下にはもう一つ報告しなければならない事が……」
視線を私から外し、言い辛そうに口篭るフォルガーナ。
フォルガーナのこのような態度は初めて目の当たりにした為、思わず面食らう。
「何だ、一体どうした? 何があったのだ?」
「――エルミア王女殿下が、邪神の欠片との戦いに巻き込まれ……戦死なされました」
思考が、停止する。
「私めには、これ以上出来る事はありません。何を話せば良いのかも……ジークフリート陛下、早く、行ってあげて下さい」
フォルガーナは少し先に進んだ部屋の扉を、開けた。
その部屋に向けて、何も考えられず、乱暴に扉を開き、押し入る。
「――エル、ミア」
そこにあったのは、二つの亡骸。
父上と――妹、エルミアの姿。
どちらも死に化粧が施されている為か、安らかな表情を浮かべているが――エルミアの胸部には、おぞましい穴がぽっかりと開いていた。
それは一目で分かる致命傷であり、エルミアが死に至った原因だと容易に理解出来た。
「――そうだ、エルフィリア。エルフィリアは何処――」
安否の確認の取れていない、末妹を探そうとして視線を僅かに横に逸らし――すぐにその姿は見付かった。
エルミアのすぐ側、椅子に腰掛けたまま微動だにしないエルフィリアの姿。
「エルフィリア……ッ!?」
呼び掛けに、応じない。
その視線は私ではなく、エルミアの亡骸に真っ直ぐに伸びていた。
そして、その小さな口元から零れ落ちる、うわ言のような――ともすれば、呪詛にも似た言葉。
「何で、どうして、戻ってくるって、戻ってくるって言ったのじゃ。姉者、姉者は、戻ってくるって、わらわが、わらわが良い子じゃなかったから、わらわが弱いから、姉者が――」
「エルフィリア!!」
エルフィリアのぼんやりとした眼差しに、僅かに光が戻る。
「兄、者……?」
「エルフィリア、今戻ったぞ」
エルフィリアの側で屈み、腰を下ろす。
目線を、エルフィリアの高さに合わせる。
「兄者……父上が、姉者が……」
「……分かってる。怖かっただろう、苦しかっただろう。大丈夫だ、もう……私は、何処にも行かない」
エルフィリアの、小さな体躯を優しく抱き締める。
力を込めれば容易く折れてしまいそうな、まだまだ幼い年頃。
今、この目の前にある現実は。そんなエルフィリアに対しては余りにも残酷過ぎた。
邪神の欠片の襲撃。
父とエルミアの死。
私でさえ混乱する程の衝撃なのだ。エルフィリアからすれば、折れてしまってもおかしく無い程の出来事。
この年頃の子に、受け入れろだとか、何時か人は死ぬんだとか。
そんな諭すような言葉を連ねた所で、決して届かない。
自分自身、この現実を噛み締める為にも。
エルフィリアが落ち着くまで、私はエルフィリアの身体をそっと優しく、抱き留め続けるのであった。
―――――――――――――――――――――――
「大丈夫だ、ちゃんと戻ってくる。だから、エルフィリアは良い子で待ってるんだぞ」
――それが、最期の言葉だった。
とても強くて、大きくて、私の大好きな姉。
次に再会した姉の顔は、酷く真っ白で。
時に優しく、時に厳しく叱ってくれたその口も、ピクリとも動かなかった。
父が死に、姉が死に。
邪神の欠片によってもたらされた被害に追われ、兄は寝る間も惜しんで働き続けた。
父が死んだ事で名実共に兄がこの国の王となり、忙殺されるのは仕方の無い事であった。
兄と顔を合わせられる時間も、極端に減ってしまった。
侍従と話す事はあるが、それでも彼女達は"家族"ではない。
とてもとても大きな城の中で、私は一人ぼっちになってしまった。
孤独感が、私を押し潰してしまいそうだった。
どうして、私がこんな目に遭うのだろう。
何で、姉は私を置いて逝ってしまったのだろう。
もう一度、姉と会いたい。
あの大きな手で、私の頭を撫でて欲しい。その腕で、私を抱き締めて欲しい。
私が突然押しかけてきても、優しく笑って許してくれた。あの笑顔をもう一度見たい。
だけど、それはもう叶わない願いで。姉の笑顔を思い浮かべる都度、一層孤独感が大きく膨れ上がって。
「――どうして」
どうして――姉が死なねばならなかったのだ。
勇者は、どうして姉を助けてくれなかったのだ。
邪神の欠片を倒した、紛れも無い勇者が、この場所に居たはずなのに。
どうして、その助ける範囲に、姉を含めてくれなかったのだ。
どうして、姉を見殺しにしたのだ。
どうして。
どうして。
どうして――
「――誰?」
絨毯越しの、篭ったような足音。
足音のした方へ、顔を向ける。
背後の扉と比較して分かる、長身の男。
細身であり、まるで闇に溶け込むかのような、異常に黒い外套で全身を包み込んでいた。
腰まで伸びた黒髪に、まるで血の色を髣髴させる朱の瞳。
整った顔立ちの男だが、彼を見て綺麗だとか美しいだとか、そんな感想を抱く者は皆無であろう。
――恐怖、嘆き、嫉妬、殺意、憤怒。
ありとあらゆる負の激情が、無理矢理人の形を成したかのような、異形。
ただそこに存在するだけで、魂まで凍り付くような冷気が支配する。
身体の震えが止まらず、呼吸まで凍り付いたようだ。
アレから逃げなければ。
死の具現とでも例えたくなる、彼の存在。
それはまるで、幾度と無く勇者と刃を交えた――
「闇の祝福」
目の前の男が音も無く伸ばしたその手から、黒い靄のようなモノが私に向けて勢い良く伸び、それが私の身体を絡め取る。
意識が、感情が、記憶が。泥のようにへばり付く黒が、何もかも塗り潰していき――
そこで、私の意識は途切れた。




