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30.カードの願い

 俺にも感じられる、微細な振動。

 それを他の傭兵達が感じ取れない訳が無く、足を止め、周囲への警戒心を一気に高める。

 徐々に大きくなり、車体の揺れではなく、地震とはまるで異なる、揺れるというより突き上げるような衝撃。


 そしてソレ(・・)は、地中を食い破り現れた。


 巨大なミミズと言うべきか、蛇と言うべきか。

 太陽の光すら吸い込まれているのではないかと錯覚する程の、混じり気の無い純黒で塗り潰された体表。

 時折、痙攣したかのようにビクンと脈打つ体躯は、天を覆い隠す程に巨大。

 ありったけの砂粒を巻き上げ、その砂塵によって晴れ渡る空は塗り潰され、曇天の如き薄暗さに加え、車両を守る護衛達の視界を一気に奪っていく。

 すぐにそれの姿も見えなくなってしまうが、僅かに目に飛び込んだその恐怖の象徴は、大衆を恐慌の渦に陥れるのに充分な破壊力を有していた。


 それは、先日フィルヘイムの首都を襲った災厄――邪神の欠片。

 それが同時に、三体。

 この場に存在する百数名の命に対し、無慈悲に突きつけられた死の刃。


「俺は、どっちでもいいんだ」


 その異形を前にして、ただ一人萎縮せず動き出す昴。

 昴は、車両から飛び降り、邪神の欠片が居るであろう方向へ一歩進み、ぼんやりとした焦点の定まらぬ目を砂埃の向こう側へ向ける。


「戦っても、戦わなくても。戦った結果、俺が死ぬ事になろうとも。エトランゼという戦いの中で死ぬのなら、俺は……満足だ」


 昴の手を取り、ダンタリオンは昴の身体を自分へと向き直させる。

 彼女の中で、既に決まっている結論を昴へと伝える。


「――私は、主人(マスター)を守る。今の私が最もしたい事は、ただそれだけ。それ以外の全てが二の次」


 これは、ダンタリオンだけでなく。

 今、昴の元に居る全てのカード達の総意。

 実体化している状態のカード達の肉体が、例え塵一つ残さず消え去ったとしても、魂という最も大切なモノが昴の持つカードに宿っている都合上、それは仮初の死であり再び実体化も可能。

 だがしかし、昴が死ねばカード達はその姿を実体化させる事は出来なくなり、以前と同じ、死んだも同然の状態と成り果てる。

 故に、昴の死はカード達にとっての真の意味での死と同意義。

 昴の死を回避する為に、カード達は自分達の身を捧げるのに躊躇いは無く。それが最もカード達にとって、真の意味での死を遠ざけ免れる最善の行動。


主人(マスター)が死ぬ可能性に、付き合う義理は無い」


 だがそれ以上に。

 カード達にとって昴という存在は、例え自分の魂を失ったとしても守りたい、敬愛の念を一身に向けられる存在であった。


 自ら(カード)の事を自分以上に理解し、その判断力と技術によっていくつもの勝利と可能性をカード達にもたらした。

 カードを決して傷付ける事無く、大切に扱い、その愛情をカード達に注ぎ続けた。

 カードの価値が消え失せても尚、昴はカード達を見捨てなかった。売り払う事も捨てる事もせず、カード達と向き合い続けた。

 傷付き心の火も消え果てそうな時、カード達は昴をただ見続ける事しか出来なかった。崖を転げ落ちる昴に対し、何も出来ず。ただその姿を見る事しか出来なかった。


 何の因果か、この世界でカード達は実体化出来るようになった。

 そして、昴の持つカード達の気持ちは一つで固まった。


 ――今まで(マスター)から受けた恩を、今こそ返す時だと。


 付喪神として意思を持てるようになったのは、昴の深い愛情の念があってこそ。

 自分達は貰うばかりで、まだ昴に対して何も、何も返せていない。

 何も返せないまま、昴の命が潰えるなど。絶対にあってはならない事だ。


「囮ならいくらでもいる。こいつ等に邪神の欠片の意識が向いている間に、主人(マスター)を連れて遁走する」


 だから、ダンタリオンの昴を第一という行動方針は全てのカード達にとって納得できるものであった。


「――お前等。今すぐこの場から逃げるんだ」


 抑揚の無い、レイモンドの声。

 昴とダンタリオンの二人を心配して、二人の居る場所まで駆け寄っていたのだ。


「アレは……アレは、ヤバい。俺達に勝てる相手じゃ、無い」


 レイモンドの顔色は青褪めるという地点を通り過ぎ、土気色まで変わってしまっている。

 呼吸も荒く、体中の汗腺から暑さとは別物の汗が流れ落ちる。


「俺が、時間を稼ぐ……稼げるとは思えないけど、それでも、お前等二人は逃げるんだ……早くしろ!」


 レイモンドは、昴とダンタリオンの力を知らない。

 当然だ。ダンタリオンによって心を操作されているが、その操作は必要最小限。

 戦っている姿を実際に見た事が無いのだから、知る由も無い。


「……レイモンドさんは、ここに残るんですか?」

「砂埃のせいで、一体今何人生き残ってるのか、逃げ出したのか、何も分からない。皆が一斉に逃げ出したら、足止めする奴が居なくなるだろ」


 レイモンドは既に剣を抜いて構えているが、全身から発せられる恐怖のシグナルのせいで構えは機能しておらず、足も震え上がっている。

 とても、戦える状態ではない。


「お前等を――俺の大切な友人を、仲間を。死なせたく無いんだ……だから……だから、行け!!」


 振り絞るような、必死の声色。

 レイモンドは、ここで自分の命を捨てる覚悟をしていた。

 一分、十秒、その程度すら無理かもしれない。

 それでも、一秒、二秒。それだけ時間を稼げれば、逃げられる可能性はコンマ程度でも上がるかもしれない。

 大切な友人である二人を逃がす為に。レイモンドはその命を捨石にする気なのだ。


「――分かった。逃げましょう、主人(マスター)


 踵を返し、死の砂塵舞う戦場から離れるべく。

 昴の手を引き、ダンタリオンはその足を進め――


「……主人(マスター)?」


 昴がその場から歩みだそうとしない事に気付き、訝しむダンタリオン。

 昴は微動だにせず、震え上がるレイモンドの背中を真っ直ぐに見詰めている。


「――これは、違う」


 そう一言呟き――昴は、ダンタリオンへと向き直る。


「……正義も悪も、どちらも納得の出来る信念を掲げてる。だから俺は好きだし、応援したいとも思う」


 昴にも、好む人間と嫌う人間というのは存在する。

 人が人を好きになったり、嫌いになったりするのは何処の人間にもある当然の考えであり、昴にもその考えは存在している。

 そして昴が好きなのは、懸命に頑張っていたり、決して折れない信念を掲げている人物。

 だからこそ昴はエルミアに惹かれ、彼女に協力したいとも思い――そしてその輝きが目の前で失われた事で、強いショックを受けた。


「俺達の都合で利用しておいて、脅威が現れたら見捨ててサヨナラ……コレは、駄目だ」


 昴の嫌う人間。

 それは、自分を想う人を容易く切り捨て、逃げ出すような存在。

 自分に対する想いを利用し踏み躙り、我関せずを貫く……


「これは『クズ』の所業だ。それだけは、なっちゃ駄目だと思うんだ」


 ――昴は、それを嫌う。


 正義も悪も、そこには確かに信念が存在する。

 しかしそれに信念は無く、ただただ醜い私欲が蠢くのみ。

 それになる事を、昴は嫌った。


「ダンタリオン。お前は、正義でも悪でもない、ただの外道なのか?」


 昴は僅かに目を細め、ダンタリオンに真剣な声色でそれを問う。


「……私は嘘吐きだけど、それでも屑女ではないつもりだよ」


 ダンタリオンは、平然と嘘を吐く。

 自分の欲の為に、誰かをからかう為に。


 だがそれでも、ダンタリオンは誰かを傷付ける嘘を吐いたりはしない。

 無論、昴を守る為という御題目が付けば話が変わるが、好き好んで誰かの思いを踏みにじったりはしない。

 その嘘が不意に誰かを傷付けたのであらば、必ず謝罪する。


「レイモンドさんは、ダンタリオンが心を操作した事で俺達の事を仲間だと思ってる。仲間を逃がす為に、捨て身で時間を稼ごうとするようなお人好しを放って行ったら、後味が悪過ぎるだろ」


 今、恐怖を噛み殺して必死に昴とダンタリオンを逃がす為に立ち向かおうとしている、レイモンドを見捨てるのは昴には出来なかった。

 ダンタリオンの力でレイモンドを利用したのは昴も同じであり、彼を見捨てる事は昴自身がクズ野郎になるのと同意義であった。

 昴は、それをしたくなかった。

 それを、したくないと"思える"心があった。


「俺達なら、それが出来る。正面から邪神の欠片を迎え撃ち、打倒し、全員が生き残れるその道を歩む事が出来る」


 だが、それを成すという事は。


主人(マスター)は、面倒事って嫌いじゃなかった?」


 昴は、基本的に怠け者である。

 面倒な事はなるべくしたくないし、片付けねばならない面倒事はまとめて一気に片付ける傾向がある。


「邪神の欠片というのは、この世界にとって災害も同然。それを止められるのは勇者や英雄と呼ばれる者のみ。間違いなく目立ちます。ましてや今回は周囲の人目の数が段違いです、目立てば厄介事も必ず付随しますが……それでもなさるお積りですか?」


 インペリアルガードも昴の下に現れ、それを成した際に発生するデメリットを提示する。

 邪神の欠片を衆目の中で倒せば、折角ダンタリオンが目立たぬよう静かに行動してきたのが全て水の泡と化す。 

 勇者だ英雄だと称えられてしまえば、もう引き返せない。


「面倒なのが嫌なのは確かにそうだ。だけどそれ以上に、エトランゼが出来ない、お前達の在りのままを見れない方が……嫌だな」


 昴は、己のせいでカード達の在り方を歪める事を何より嫌がった。

 最後に残った己の証明、己の思い出、それを自らの手で壊し歪める事を、昴は選ばなかった。選びたくなかった。

 昴自身は、別に己が目立つのはどうでも良いと考えていた。

 無論、それによって付随するデメリットもあるが、カード達の在り方を歪める事と比べれば瑣末な問題であった。


 昴にとって、最も優先されるモノ。

 それは己の命ではなく、エトランゼという世界であった。

 カード達と共にあるのが第一、そしてそれ以外の全てが二の次だ。


 ――己の命でさえ、二の次。


 それを望んだ。それが無い事を嘆いた。

 今、この場所には昴の望んだエトランゼという戦場が、存在しているのだ。

 ここでなら、戦える。嘆き悲しむ要素など何処にも無かった。


「……お前達には、敵を打ち倒す事が(それが)出来る力がある。だから、頼む。力を貸してくれ。俺と一緒に――戦ってくれ」


 だがそれも、カード達の力があってこそ。

 昴自体には何の力も無く、昴一人でこの世界に放り出されていたなら、その命は容易く吹き消されていただろう。

 今ここでこうして生きていられるのも、カード達の力のお陰であり、自分はカードに守られている側。

 だから、昴は命令ではなくお願いする。

 自分に、力を貸してくれと。


 昴の、何処までも暗く淀んだ、沈み切った瞳の中に――何か、僅かに輝くモノが垣間見えた気が、した。

 長い間、ずっと昴の側で戦い続けたダンタリオンとインペリアルガードにも、その仄かに煌く輝きを感じ取る事が出来た。

 インペリアルガードは目を伏せて僅かに頬を緩め。ダンタリオンは、薄っすらと目元に涙を浮かべた。

 その涙は、昴を戦いの渦中へ送り出すという心苦しさではない。


 ――"あの頃"の昴の魂は、まだ変わらずにそこにあった。

 今すぐにでも消えそうな程に、余りにも小さく弱い、種火同然でも。

 確かにその炎は、昴の中に残り続けていたのだ。

 まだ、尽きていなかった。ゼロでは無かった。

 それが分かった事による、嬉し涙であった。

 涙を、指で拭い。毅然とした表情を取るダンタリオン。


「――そうですね。後味が悪いのは、嫌ですよね。ハッピーエンドへの道があるというのなら、そこに辿り着きたいと考えるのが当然ですよね」

「ハッピーエンド、か。そうだな。バッドエンドはもう、うんざりする程経験したよ。ハッピーエンドが、一番良いよな」


 エトランゼというカードゲームの世界観。

 そこには余りにも多くの死が溢れており、大切な人々との死別は数え切れない程に存在する。

 暗い物語。溢れかえった、ありふれたバッドエンド。

 そして昴自身も、時に抗えぬ不運で、時に誤った選択肢で、数多くのバッドエンドを味わってきた。

 故に、ハッピーエンドを望むその声にも、重さが宿る。


「――私達の力は、主人(マスター)あってこそ。主人(マスター)が行きたいと願う道こそ、私達カードの本願。この力、主人(マスター)の為に存分に」


 ダンタリオンとインペリアルガードは、互いに見合い、小さく頷く。

 迫る危機、降り掛かる火の粉であらば。

 それは目に見える脅威であり、カード()を以って排除する事は可能だ。

 ましてや、後ろには昴という最高の"異邦人(マスター)"が存在している。

 ならば進もう。思った通りの道を。

 立ち塞がる障害を全て排し、昴の命は決して奪わせはしない。

 ダンタリオンの怜悧(れいり)で真っ直ぐな眼差しが、昴へと向けられる。

 どうするべきか、それが定まった。


「何をしている! 早く、早く逃げろ……!」


 レイモンドの悲痛な叫びが耳朶を叩いた。

 されども。するべき事を決めた昴に対し、その懇願の声はもう届かない。



 制止の声など既に聞こえない。

 昴は、幽鬼の如く死地へと赴く。

 それしか残っていないから。それを信じているから。


 昴は、その名をこの世界へ刻む。



「――交戦(エンゲージ)



 異邦人(Etranger)の真の戦場は、ここから始まる。




だったら異世界で満足するしかないじゃないか……

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