29.その"異世界"を見てみたい
赤銅色が広がる、荒涼たる熱砂の大地。
何も無い、道すら存在しない空間を横断していく、馬車の隊列。
編成は5両。砂上を行くという都合上、車輪が砂に飲まれぬように接地面積を大きく増やした、特殊な車両が用いられている。
その馬車を、何やらデカいトカゲのような生物が牽引していた。
見た事が無いし、この世界特有の生物なのだろう。というか、間違ってもアレが馬には見えない。つまりこれは馬車じゃないな。
「レッサーリザードを見るのは初めてか?」
気さくな笑みを浮かべて小突いてくる男。
ダンタリオンによって記憶を歪められた男の名は、レイモンドと言うらしい。
日焼けした浅黒い肌に、キッチリと刈り込まれた黒髪。
切れ長の目元に青い瞳、西洋系の顔立ち。人の好さを感じさせる笑顔が眩しい、好青年だ。
見た目とその性格も相俟って、女性にはモテるだろうという事は想像に容易い。
女性であるダンタリオンはまるで反応を示してはいないが。ずっと俺だけを見ている。ちょっと怖い。
剣士らしく、腰には刃渡り1メートル前後位の剣を鞘に収めてぶら下げており、剣の腕前はそれなりにあると自称していた。
年齢は俺より年下らしい。過ごしてきた環境が違う為、体格は雲泥の差だが。
リザード……トカゲか。じゃあ馬車じゃなくて蜥蜴車とでも言うべきか。
「そうですね、初めて見ます」
「飼い慣らされたレッサーリザードは貴重だからな、無理も無い。俺も二、三度見ただけだしな。魔物みたいな見た目だが、人を襲う事はまず無いから安心して良いぞ」
どんな生物なのかを詳しく説明するレイモンド。
リザードの名の通りトカゲなのだが、暑さには強いらしく、こうして砂漠横断の旅にも耐えるそうだ。
水もあまり飲まないそうなので、水が貴重な砂漠横断の旅では重要な移動の足となるとの事。
「しかし、国直々の依頼とは珍しい事もあるもんだ。まあ、その分報酬もたんまり入るから俺達にとっちゃ有り難いけどな」
レイモンドによると、この依頼は聖騎士国からの正式な依頼であり、積荷を隣国であるリレイベルまで運ぶ際、その護衛として腕の良い人物を三十名程募集していたとの事だ。
護衛区間はこの砂漠の横断を終えるまで。水や食料は無駄遣いさえしないなら国が支給してくれるらしい。
「三十人はかなりの人数ですね」
「そうだな。それに護衛の騎士まで居るし、全員併せたら百人越えの大所帯だ。こんな厳重な警備を付けて、一体何を運んでるのやら……」
レイモンドは、隊列の一番中央に位置する馬車……じゃなくて蜥蜴車へ視線を向ける。
その中央が一番警備が厚く、その馬車……じゃなくて蜥蜴車を守るように聖騎士国の騎士が固めており、ギルドで募集を掛けられた人員は外周部分に配置されていた。
尚、俺達は休憩時間であり、最後尾の蜥蜴車に乗って憩いの時間を過ごしていた。
もう少しすれば交代となり、俺とダンタリオンも歩く事になるだろう。
周囲を警戒しながら進んでいるようなのでそこまで移動速度は速くないので、俺の移動速度でも普通に間に合う程度だ。
まあ、俺は戦えないのでいざ戦闘になったらカード達任せになるのだが。
「にしても、本当にそんな格好で大丈夫なのか?」
念を押すようにして、心配そうに俺を見やるレイモンド。
砂漠という過酷な環境だが、俺は普段通りの格好である。
普通はこんな状態では熱中症不可避だ。
「大丈夫です。ダンタリオンが手を尽くしてくれているみたいですので」
何でも、ダンタリオンが俺に対し、冷却魔法なるものを使用しているらしい。
俺の周囲を包むようにして冷たい空気が展開されており、日中の砂漠だというのにまるでクーラーの効いた室内に居るような快適さを感じる。
汗をかく事も無く、原始的な環境にあるまじき心地よさだ。
ダンタリオンがフィルヘイムの図書館でこの世界の魔法に関する知識を吸収していたらしく、その中にこんな便利な魔法があったとの事。
「へー、便利なもんだな。俺にも使ってくれたりしないか?」
「残念、この魔法は二人用なので貴方の分は無いよ」
「こいつは手厳しいな。まあそういう事なら仕方ないか」
半目で冷たく突き放すダンタリオンだが、苦言を呈すでもなく爽やかな笑みを浮かべて諦めるレイモンド。
熱中症にならぬよう、レイモンドは手持ちのボトルから一口水を口に含み、飲み込んだ。
一応俺もダンタリオンの分も含め、水を携帯してはいるがまだ一口も口にしていない。
ダンタリオンの魔法によって常に涼しいので汗もかかず、水分を消耗していないからだ。
「何を運んでるのか……気になるな……でもバレないように行ける手段が無い……透明になれるような魔法でもあれば良かったのに……」
中央の蜥蜴車をジッと注視しながら、ボソリと呟くダンタリオン。
ガラスケースにへばり付いて、中にあるモノを物欲しそうに眺めているような目付きである。
「気になるのか?」
「気になる。知りたい事が分からないと、何ていうか、奥歯に物が挟まったような感じで凄く不快」
耐えられない程ではないが、微妙にイライラするような感じらしい。
知識欲が旺盛で、本の虫で、その知識欲が抑え切れずに禁書庫へ忍び込み、そこで悪魔との契約が記された本を皮切りに、無数の禁書を読み漁り、それが原因でエルフの里を追われ――だったか。
知識欲が祟って命を落とす。典型的な好奇心は猫を殺す、である。
フレーバーテキスト上で設定された、ダンタリオンの生い立ちとその末路だ。知りたい事が分からないとイライラするのは、この設定から来ているのだろう。
「駄目だぞダンタリオン。この状況で強行に走ったら言い訳が何も出来ないぞ」
目立たないように行動しようと考えたのはダンタリオンなのに、それを自分で破っていたら世話が無いからな。
「分かってる。流石にTPOは弁える。だから人目がある外で主人を襲ったりしない」
妖しい光を宿した目を細め、下唇を蛇の如くチロリと舐めるダンタリオン。
完全に捕食者側の目付きだ。そして食われるのは俺である。
人目が無かったら襲ってるのか。
というか人目が無かったとしても野外は気が進まないんだが。
「魔物の襲撃がどれ位来るかと思ったが、平和なもんだな。平和過ぎて何かの前触れなんじゃないかって位だ」
「そんなに平和なのですか?」
「ああ、不気味な位にな。これだけ進んでれば、サンドスコーピオンやデザートウルフ位は出て来てもおかしく無いんだけどな」
レイモンド曰く、砂漠横断は過去に何度か敢行したらしいが、大体横断中に五、六回位は魔物の襲撃があるらしい。
この人数と質であらば、仮にデザートウルフが百体という有り得ない規模で突っ込んできたとしても、問題無く対処出来るので襲撃自体を恐れている訳ではないのだが、一切襲撃が無いのも不可解だとの事だ。
異様な静けさに包まれた砂漠。
「――主人」
隣に腰掛けたダンタリオンに袖を引っ張られ、何事かと顔を横へ向ける。
「今回は時間の猶予があるみたいだから、ゆっくり考えられる内に聞いておきたいのだけれど。主人は次に邪神の欠片と出遭ってしまったら、どう行動するの?」
随分と唐突な質問だな。
というか、時間の猶予?
「――来てるのか?」
「私がギリギリ感知出来るか出来ないか位の距離。最低でも10キロ以上は離れてるから、こっちに来るかは不明。それに来たとしても、接敵までは時間がある」
どうするのか。ダンタリオンの目が問い掛けてくる。
――あの邪神の欠片が、すぐ側にいる。
多くの人を殺め、エルミアの命を奪った存在が、この近くに。
車軸が回る乾いた音だけが耳朶を叩く。嫌な静けさがこの場を支配する。
「……逃げても良いんだよ、主人」
逃げる?
「依頼失敗、依頼放棄による相応のペナルティ位はあるだろうけれど。それでも挽回不可能な程じゃないし、それに今は、あの時と状況が違う」
ダンタリオンは、戦わずに逃げても良いのだと諭してくる。
前に戦った時は、エルミアの為という御題目が付随していた。
だが今は、わざわざ邪神の欠片と戦う理由が存在しない。
この世界では、邪神の欠片は生きとし生ける者全てにとっての大敵。
そして余りにも強大で、死を振り撒く存在であり、人々にとって畏怖の象徴でもある。
逃げても、きっと仕方ないと考えてくれるはずだ。
何故なら、人は自分の命がとても大切だと考えているから。
無謀な戦いから逃げても、そこまで責めたりしないはずだ、と。
俺ならば倒せるかもしれないが、命を危険に晒してまでそれをしなければならない理由も、強要されるいわれも無いのだから。
「主人は、別に見ず知らずの人間を何でもかんでも助けるようなお人好しじゃない。それは私達も良く知ってる。だから、負けたら主人が死んでしまう戦いにわざわざ身を投じる必要なんて無い」
遠くで救急車が走っているのを見ても、別に心を痛めたりしない。
以前駅で誰かが倒れているのを見ても、周りに既に人だかりが出来ており、自分がわざわざ何かする事も無いだろうとそのままその場から立ち去った。
学校でクラスメイトが顔色を悪くしていても、保健係のクラスメイトが付き添っているのだから問題無いと無視を決め込んだ。
彼等彼女等は俺にとっては他人であり、その結末が最悪の結果となったとしても、俺には特に関係無い。
積極的に関わる英雄志望の人や、感謝されたい偽善者なんかも居るのだろうが、俺は別段そういう訳でもない。
無意味な事に、手も心も割いたりなどしない。
「――主人」
ダンタリオンの手が、俺の手の甲にそっと添えられる。
温かく、柔らかい白い指が、赤子の手を優しく包むように握り締め。
「主人は以前、こう言いました。『自分は何がしたいのか分からない』と。今はどうですか? 邪神の欠片と戦いたいと、そう思いますか?」
――あの時は、エルミアが死んでしまうというのが、何よりも恐ろしかった。
自分の心に入り込み、存在していたそれが、また消えてしまう事が。
それが一番恐ろしくて、自分の命が潰えてしまうという事に関しては、さしたる恐怖は無かった。
だから、いざ戦うという事になったとしても、それに怯えて竦むという事は無いだろう。
俺の周りに、俺を慕ってくれるカード達が居るから。
戦いの舞台がエトランゼというカードゲームである限り、それをするのに恐れは無い。
だが、戦う事に恐れが無い事と、戦う理由、意思は全くの別問題だ。
戦いたい、とは思わない。さりとて戦いたくない、とも思わない。
言うなれば、無関心。
俺は、邪神の欠片という存在に興味が湧いていないのだ。
「私は……私達は。主人に"幸せ"な生き方をして欲しい。今まで、散々苦しんだんですから。これからは、主人がわがままに生きたって良いじゃないですか」
――幸せ。
幸せって、何だ?
家族を失い、友を失い、恋人も無く、俺の周りに人は居ない。
生きる意味も、見付からない。何をしたいのかも、分からない。
「何なら、私が主人を養っても良いですよ? この世界の仕組みは大体理解出来ましたし、私が目立つ事を厭わなければ、大金を稼ぐのは然程苦労しなさそうですからね。専業主夫って奴ですね、私としてはそれでも良いっていうか、そのまま夫婦になっちゃいますか?」
悪戯な笑みを浮かべるダンタリオン。
この世界に来てから、彼女はカードイラストを見て俺が抱いていた印象とは随分と違う事に気付いた。
もしかしたら、他のカード達にも俺の知らない、こういう一面があるのかもしれない。
――見てみたいな。
それが幸せか、と言われたらどうなのかは分からない。
それでも、見てみたい事は、見付かった気がする。
俺は、それを見てみたい。
興味は、湧いた。
「ダンタリオン」
「婚姻届と判子ならすぐにでも用意します」
そうじゃない。
「今の俺が、何がしたいのか。それが分かった気がするんだ」
俺に残っているものなんて、エトランゼというカードゲームの存在だけだ。
半生を費やした趣味は、最早自分という存在を形作る要素そのものであり、それ無くして俺足り得ない。
切っても切れぬ、魂レベルで癒着した生き甲斐そのもの。
「俺は、お前達カードが活き活きと、自分という在り方を生きる姿を見てみたい。俺の知らない一面を見てみたい。わがままだと思うけど、それが今の俺の"したい事"だと思うんだ」
こんなにもカード達が、俺の目の前で息衝き、活き活きと動いている。
それはとても眩しくて、温かくて、大切だと思えるもの。
その輝きには決して曇らず、そのままの光を保っていて欲しい。
俺に唯一残ったそれを、もっと深く知りたい。
俺の知らない、その"異世界"を見てみたい。
「――それが、主人のしたい事?」
ダンタリオンの目を真っ直ぐに見て、頷く。
少なくとも、今は、そうだと感じている。
「私達が、私達らしくあれ――か。分かった。それが主人のしたい事なら、私達は全力でそれに協力するよ」
そう言って、微笑を浮かべ――直後、ダンタリオンが眉を顰める。
視線が向けられたのは、特に何も見当たらない熱砂の大地。
「……こっちに来る、か」
不愉快だという感情を隠しもせず、吐き捨てた。
「来るのか、邪神の欠片って奴が」
「来るよ。それも――この感じ、一体だけじゃない」
人々に死を振り撒く暴威。
それも単体ではなく、複数。
現れれば容易く命を屠る、生きる死神とも言うべき存在。
それが、すぐそこまで迫っている。
「――どうするの、主人。戦うの? 逃げるの?」
「他人任せみたいで悪いんだけどさ、それをどうするかも、お前達が決めてくれ。お前達は、あの邪神の欠片と、戦いたいと思ってるのか?」
カード達が決めた行き先であらば、その結末がどんなモノになったとしても、受け入れられるから。
地震とは違う、少しずつ接近する地鳴りを感じながら、今後の行く末をカード達に託すのであった。




