1.舞い降りし異邦人
頭が重い。それに変に熱っぽい。
獣のような臭いが鼻を突き、ゆっくりと瞼を開ける。
――ここは、何処だ?
カードが所狭しと保管され、足の踏み場すら無くなりつつある自分の部屋ではない。
身体を起こす。
妙に小ざっぱりとした、木造の壁や床。
そして同じ室内に――何故か、胸部や脚部に鉄製の防具のような物を身に付けた人物がいた。ファッションにしては重そうだ。
風貌からして女性、年齢は恐らく十代後半から二十代前半位か? 少なくとも俺より年下なのは間違い無さそうだ。
机に身体を向け、机上の紙面に何やら筆を走らせている。
「ピピッ!?」
「――良かった。身体は大丈夫ですか? 痛い所があったりはしませんか?」
頭の重さと熱が抜けていく。
こちらに気付いたのか、筆を走らせていた手を止め、女性が話し掛けて来る。
栗色の髪を後ろで纏め上げ、澄んだ琥珀のような瞳。
凛とした鋭さを感じさせる目元とは対照的な、まだ微かに幼さの残る丸みを帯びた顔立ち。
西洋系の雰囲気がある、そして主観意見だが、とても美人だと思った。
「……えっと」
「ピー! ピーピッピピピピィ!」
そして、何故か俺の周囲をかなりデカい鳥が飛び回っている。
部屋のサイズが小さいせいか、この鳥が飛び回る事で余計に狭苦しさを感じる。
返答に困っていると、目の前の女性は続ける。
「貴方は森の中で気を失っていたんですよ。そこの鳥が貴方を助けるよう求めて来たんです」
「鳥……?」
まるで外国人のような風貌だが、喋っている言葉はどう聞いても日本語にしか聞こえなかった。
日本語が通じる相手のようで少し安堵する。
「ピピィ!」
「……」
目の前の女性が言及した、その鳥に意識を向ける。
俺の足元に着地した鳥は、鋭利な爪やクチバシ、見開いたまん丸な目なんかを見るに、特徴が猛禽類と酷似している。
しかしながら、飛んでる姿を見て思ったのだが、翼が妙に小さい。
飛んでいない状態で、大人である俺の頭と同じかそれ以上の大きさがあるのに、翼の大きさが身体と同じ程度の大きさしかない。
何故それで飛べると思わなくもないが、それ以上に気を引くのはその色だった。
猛禽類は黒とか茶色とか、そんな色合いをしてるのが多かった気がするのだが、この目の前の鳥は赤を基調に緑や黄色や青……その他色々、極彩色で彩られていた。
まるで全身の羽根が孔雀の羽根で出来ているかのような色合いだ。
しかし、猛禽類のような特徴を持っているが、どうやらこちらに敵対心を抱いている様子は無い。
恐る恐る近付けた俺の手を見ると、その鳥は俺の手に対し近付き、まるで頬擦りでもするような仕草を見せる。
感触はまぁ、普通に鳥の羽根っぽい感じだった。あんまり鳥の羽根なんて触った事無いけど。
敵対心は無い、というより好意的であるとすら感じた。
「差し支えなければ、どうしてあんな場所で倒れていたのかを教えて頂けないだろうか?」
「どうしてって、言われても……」
カードショップから出て、それから……
それから、どうしたんだっけ?
そこと今を繋ぐ記憶がスッポリと抜け落ちてしまっている。
それ以外に特に忘れているような事は無いみたいだが。
身体も痛い所は無いし、怪我をしている訳でも無さそうだ。
「――そういえば、俺の持ち物は……?」
「貴方の周りには、特に何も見当たりませんでしたが……何か、大事なモノを持っていたのですか?」
――何も、無い。
気を失っている間に、盗られたのか、何処かに落としたのか。
「…………いえ、何も無いならそれで良いです」
だがもう、それでも良いのかもしれない。
最早アレは、世間的には無価値の紙切れ同然の代物に成り果てたのだ。
売った所で、二束三文にすらなりやしない。
それでも売るという選択肢に踏み切れず、ズルズルと買い漁り続けた。
大切な思い出があったが故に、捨て切れなかった。
運命とやらが、俺に切っ掛けをくれたのかもしれないな。
もう、未練に囚われる必要も無いのだ――と。
「ピイッ!! ピピピッピピピピィ!!」
何やら足元に居た鳥が凄い剣幕で俺の腕を突いて来る。
冬服だから布の厚みはあるのだが、それでもかなり痛い。
「そうですか……なら良いのですが。宜しければ、安全な場所まで送りましょうか?」
「あ、いえ。大丈夫です、一人で帰れます。大丈夫ですからお気になさらず」
反射的に女性の提案を拒否してしまう。
現状、自分に何が起きたのか、ここが何処なのかも理解していないのだが。
でも、別に良いか。子供じゃあるまいし、一人で帰れるだろう。
「……分かりました。では申し訳無いが、これで失礼させて頂く。それから、何があったかは分かりませんが、早めにこの地を離れた方が良い。ここに居ても、危険なだけです」
……危険って、何が?
そう言い残し、女性は部屋から退出する。
しばらくボーッと虚空を眺めていると、何やら外から物音や馬の嘶きが聞こえてくる。
そして遠ざかって行く馬の足音らしき物音。
恐らく会話の流れからして、女性がここを離れていく音なのだろう。
何で馬のような足音がするんだろう。田舎か何かか?
俺の住んでた場所は割りと繁華街寄りの場所だったはずなんだが。
「ピイッ! ピピッ!」
鳥の鳴き声に気付き、視線を窓際に向ける。
さっきまでは開いてなかった窓が開いている。
俺や女性は窓には触っていないから、この鳥が開けたのか。随分器用な鳥だな。
そして鳥の足元には――
「……それ、俺のデッキケース、だよな?」
「ピイッ!」
目の前の鳥が、まるでこっちの話す言葉を理解しているような素振りで首肯する。
デッキケースに手を伸ばすと、鳥はケースから離れる。
「……いや、これ俺のケースじゃないな」
手に持ったから分かるが、このデッキケースはかなり重い。
とても紙であるカードが入っているような重さとは思えない。
中に鉛でも入ってると言った方がまだ理解出来る重さだ。
それに、俺はこんな見た目のデッキケースは持っていないしな。
しかし、目の前の鳥は首を横に振ってそれを否定してくる。
「もしかして、お前俺の言葉理解して行動してるのか?」
「ピイッ!」
その言葉に対し力強く首肯で同意する鳥。
人語を解する鳥とか、聞いた事が無いが。
ここまでの受け答えを見るにどう考えてもこの鳥と意思疎通が可能であるという事実は動かなかった。
「というかお前、誰だ? 俺はお前みたいな鳥なんか知ら――」
――いや、待て。
まさかと思うが。
この極彩色の猛禽類みたいな鳥……
「お前、霊鳥 リッピ……か?」
「! ピイッ! ピピィピィ!!」
その問いに力強く頷く鳥。
鳥の正体。
それはカードゲーム、Etrangerにおけるユニットの一体……霊鳥 リッピであった。
―――――――――――――――――――――――
カードの実体化。
アニメやゲームじゃあるまいし。そんな事、現実である訳が無いだろう。
だからこれは、夢なのだ。
対戦相手も居らず、孤独ゆえに生み出された幻想。
きっと、そういう事なのだろう。
でも、それも良いかもしれない。
夢だとしても、こうして俺の愛するカード達――俺の最後の心の拠り所と、一緒に居られるのなら。
「――で、俺は一体どうすれば良いんだ?」
「ピッ! ピィピッピピッピ!」
しかし、目の前の鳥――リッピは明確な答えを示す事は無い。
どうやらリッピは俺の言葉を理解しているらしいが、残念ながら俺はリッピの答えを理解出来ない。
どう聞いても、リッピの声は野鳥の嘶きにしか聞こえない。
だが、声が分からずとも動作であらば視認出来る。
リッピは首を縦横に振って、俺の問いに対し肯定、または否定してくる。
だから、リッピは「はい」か「いいえ」で答えられる内容であらば俺に対し回答してくれる。
どうすれば良いか、なんてのはそれでは答えられない。だからリッピは明確な回答を示さないのだろう。
ここは何処だ……これは駄目だな、二択じゃ答えられない。
「俺の持ち物は何処にある? もし持って来れるなら持って来て欲しい。それか、ある場所に案内してくれ」
これは二択で答えられる内容では無いのだが、行動で示せる。
さっきから俺の事を突いたり、周囲を飛んだりしているのだ。
それに加え、俺の言葉を理解しているのなら、案内位は出来るだろう。
だが、結果は失敗に終わる。
リッピは先程持ってきた妙に重いカードケースを、まるで指し示すかのように翼で叩く。
そして俺の胸の辺りを軽く頭突きしてくる。
きっと言葉が通じないなりに、俺に対し意図を示そうとしているのだろうが、それを察せる程俺の頭は良くないようだ。
カードケースなのだが、やはり俺の持ち物ではないと思う。
俺の記憶にこんな重たいカードケース買った記憶が無いしな。
ケースの裏側にはベルトを通せるような穴が開いているが、カードを収納する為の開閉場所は見当たらない。
小さな細長い穴――丁度カードが入りそうな穴が開いているが、それだけだ。こんな穴では入れる事は出来ても出す事は出来なさそうだ。
これはカードケースなのか? これは俺の持ち物なのか?
その二つの問いに対し首肯するリッピ。
全く記憶に無いが、やっぱりこれは俺の持ち物らしい。
そしてこの随分重たい代物は、やはりカードケースだとの事。
「……取り敢えず、起きるか」
この部屋で何時までも寝転がっていても何も変わらない。
というか、この部屋はさっきの女性の部屋なのか?
鍵とか持ってないけど、戸締りはどうすれば良いんだ?
リッピにも聞いてみたが、明確な答えは返って来ない。
この部屋があの女性のモノなのかどうかは、はいかいいえで答えられそうなものなのだが。
もしかしたらリッピも知らないのかもしれない。
「はいかいいえで答えられる内容なのに回答しないのは、その答えがリッピにも分からないからって事で良いのか?」
「ピィ!」
頷くリッピ。やっぱりそうなのか。
だがどうしたものか。外に出たけど、流石に鍵を掛けないままこの家から離れるのは不味いよなぁ。
泥棒とか入ってきそうだし、戸締りが確認出来ないと離れるに離れられない。
そんな事を考えている最中であった。
地面から伝わる、短く大きな揺れ。
木々がざわめき、何らかの鳥の羽ばたきらしき音が大量に耳に届く。
森の奥から、何らかの喧騒が聞こえる。
「ピピッ! ピィ! ピッピピ!」
リッピがクチバシで俺の服を引っ張り、森の中へ引き込もうとする。
「何だ? こっちに行けって事か?」
その先は、道無き森。
原生林のように歩き辛いという程ではないが、人の往来が無いのは明白であった。
「まあ、良いか。リッピがこっちに行けって言うなら行くか」
どうせ、俺には当ては無い。何も無い。
カード達を信じ、カード達に任せて行動するさ。
濡れ落ち葉や、朽ち掛けの枝を踏みしめつつ、俺はリッピの案内に従い奥へと進んでいく。
奥に進むにつれ、徐々に喧騒の音が大きくなっていくが、ある時を境にその喧騒は静まり始める。
やっとの思いで木々の間を抜け、開けた場所に出る。
――そこに広がっていたのは、凄惨な光景。
ピクリとも動かない人影。一目で死んでいると分かる、馬だったであろう物体。
荷車のような面影の残る破損した物体、そしてそこにへばり付く赤黒い体液。
開けた土地に蠢く、どす黒く、まるでイソギンチャクのように、頭部から触手を無数に生やした、見た事が無い巨大な動く物体。
そしてそれと対峙する、一人の人物。
肩で息をし、体力の限界が近いであろう事が一目で分かった。
それは、先程俺を介抱してくれていた少女であった。