21.余計な親切
時間は少し巻き戻る。
それは昴と邪神の欠片の戦いが終わり、意識を失った昴をダンタリオンが介抱していた時の事。
まさか街中でフェンリルを出す訳にもいかず、そしてリッピでは力不足。
意識を失った昴をこんな場所に寝かせておく訳にもいかず、昴を運び入れる為の宿、そして宿泊する為の資金を探す事にしたダンタリオン。
邪神の欠片の攻撃に巻き込まれたであろう、胴体を引き千切られた遺体の懐から、若干の金銭をくすねたダンタリオン。
それを用いて最低グレードから一つか二つ上程度の、やや寂れた格安宿へと昴を運び込んだ。
「窃盗は私の領分じゃないんだけど……」
溜め息と共に一人ごちるダンタリオン。
決して善良とは言えない素行をしてはいるが、ダンタリオンは他人の物を盗んで平気で居るような性格の人物ではない。
死体から追い剥ぎをするというのは、余り気分の良い物ではなかった。
だが、意識の戻らない昴を野晒しにするのは有り得ないし、今後の事を考えると再び王城に戻るというのも選択肢に入れたくは無かったので、緊急避難的にダンタリオンはこの手段を取ったのだ。
昴はこの世界に放り出されてから、この世界のお金を手にした事が無い。無一文なのだ。
金が無い者に対して世界は何時だって厳しい。
「何で主人と繋がりが回復してる連中の中に、悪党系列の奴等が居ないのよ。居たら押し付けるのに」
未だ意識の戻らない、昴を寝床へと横たえた後、ポツリと愚痴るダンタリオン。
その口調には苛立ちが混ざり、行き場の無い焦燥感が滲み出る。
昴の意識は戻らないが、ダンタリオンはこれが原因で死ぬとは考えていなかった。
外傷は無く、そして昴が死ぬ時が自分達カードが真の意味で死ぬ時だと理解しているからこそ、自分がこうしてこの場に出現していられる事が昴の生存を証明しているからだ。
そう、昴は生きている。
だがそれと、ダンタリオンが本当の意味で心配している事は別問題。
「――主人」
寝床へ歩み寄り、昴の側でしゃがみ込み床の上で膝立ちになる。
腰を落とし、昴と顔の高さを同じにした。
そっと、昴の髪を撫で上げるダンタリオン。
優しく、愛しい存在を見守るように目を細める。
「主人。私ね、主人と話したい事、伝えたい事、いっぱい、いっぱいあるんだよ? 付喪神として魂を宿した最初の日の事とか、主人と一緒に初めて日本という世界を見た時の事とか、私の事を馬鹿にした相手を、私の手で倒せるよう、戦ってくれたり……」
ゆっくりと、言葉の一つ一つを噛み締めるように。
目を覚まさない昴へと心情を吐露するダンタリオン。
「ありがとうの一言すら言えてないし、それに何より――主人の事が好きだって、まだ、何も、何も伝えられてない」
頬を伝う、涙。
一度零れ落ちたら最後、堤防が決壊したかのようにとめどなく溢れ出す。
「嫌だよ……やだよぉ……っ! せっかく、主人に逢えたのに……! このまま、このまま主人と、二度と逢えないなんて事になったら……私っ、わたし……っ!」
大粒の涙を流し、震えた声を上げ、悔恨の念に囚われるダンタリオン。
私のせいだと。私が止めなかったからと。ダンタリオンは自らを責め立てる。
既に、昴の中でエルミアという人物の存在は無視できない大きさになっていた。
だから、見殺しにするという選択肢を取る事が出来なかった。
それは昴の中に「後悔」を生みかねない。
後悔とは毒だ。強い後悔は人を死に至らしめかねない。
そんなものを、今の昴が受け止められるとはダンタリオンには到底思えなかった。
パキリと音を立てて、潰れてしまいそうな昴の心に、後悔などという余りにも重た過ぎる代物を乗せては……それが、トドメになるかもしれない。
ダンタリオンは、どうすれば良いのか分からなかった。
退くは地獄、されど前に進むは物理的な危険。更に言えば時間すら無かった。
だから図書館で、ダンタリオンは昴に対し選択させたのだ。
自分で選んだのなら、最悪の事態になっても少しは心の衝撃を減らせるかもしれないと考えて。
だが結果は、目の前の通りだ。
エルミアは死んだ。よりにもよって、昴の目の前という最悪の状況で。
エトランゼというカードの力は大きく、昴を物理的に害する事は難しい。
しかし昴の心はボロボロであり、心理的なダメージは致命傷となり得る。
今、昴が目覚めずに眠ったままなのは。物理的ダメージではなく精神的ダメージの方が圧倒的に大きいからだ。
「今度は、今度こそは絶対守るから……お願い……目を覚ましてよ……主人……っ」
濁流の如く流れる涙を塞き止める事もせず。
昴の手を両手で握り、ただひたすら祈るようにして願うダンタリオン。
願う以上の事は、出来ない。
ダンタリオンは、回復系の魔法を使えたりはしない。
ダンタリオンだけでなく、昴の下に居るユニットの中に、回復を行えるようなユニットは一体も存在していない。
現状はこれ以上、ダンタリオンに出来る事は無い。
涙を手で拭い、心を静める。
これ以上ここに居た所で、ダンタリオンに出来る事は無い。
「……リッピ。話し合ってる間は主人をお願いね」
「ピッ!」
先程の邪神の欠片との戦いを終えた後、ダンタリオンが出ている状態でも出現出来るようになったリッピ。
リッピは昴の頭上を陣取り、首肯した。
「……あの余計な真似をしてくれた女を締めに行かないと」
そう言い残し、ダンタリオンはカード達の集う精神世界へと舞い戻る。
その語気には、隠しきれぬ怒りの感情が溢れていた。
―――――――――――――――――――――――
胸部を貫いた、凄まじい衝撃。
それが何なのかは、薄々感付いてはいた。
薄れ逝く意識の中、徐々に視界がぼやけて行く。
暗雲が急速に立ち込めるかのように、目の前に闇が広がってくる。
――ああ、私は……死ぬのか。
未練はあるが、悔いは無い。
勇者に手を差し伸べ、そしてこの命が尽きるのであらば、私の死は無駄では無いだろう。
例え私が居なくとも、兄上が健在であらばフィルヘイムは問題無い。
まだ独身だというのが少し気掛かりだが、兄上ならばきっと素晴らしい伴侶を見付ける事だろう。
エルフィリアは……まだ子供で、私か兄上が側に居ないと心配だな。
それでも、兄上が居てくれればきっと大丈夫だろう。
だけどエルフィリアは、私が死んだとなれば泣き喚いてしまうかもしれないな。
あの年で家族の死と向き合うのは、幼心に大きな負担となるだろう。
そんな重荷をエルフィリアに背負わせてしまうのは……心が痛む。
もう一度、エルフィリアに元気な顔を見せてやりたいが……それも、出来なさそうだ。
死の足音が間近に近付いてくる。
数が多い。死神というのは随分と群れて来るのだな。
「――気分はどう? エルミア姫。ああ、でももうお姫様は名乗れそうに無いね」
……何処かで聞いたような、女性の声が耳に届く。
というか……あれ?
突然、痛みが消えた。
ぼやけていた意識や視界が急激に鮮明になる。
しかし、目の前は闇が映るばかり。
横たえていた身体を起こすと、足元には石畳があり、周囲には建造物が崩れ落ちた後のような廃墟があるが、風化してしまっているのか瓦礫の類は何処にも無い。
何だ此処は? 夜なのか? それより、邪神の欠片はどうなったのだ?
「何処を見ている。貴様の後ろだ」
聞いた事が無い、強い苛立ちを感じさせる女性の声。
その声が後ろから聞こえた事に気付き、そちらへ振り向いた。
「……ふむ。我々と同類になった、と見て構わないのでしょうか?」
「いいえ。由来が付喪神の私達と、元々は肉体のあるこの世界の人々じゃ別物過ぎるわ。地縛霊とか残留思念とかの方が近いね」
「だが、魂という存在だけが浮いている、という意味では同じなのではないか?」
「依り代になるカードが無い。だけど、こうして存在している所を考慮すると……もしかして、カードが生成された?」
死神の足音だと思っていたのは、全然違う別物であった。
漆黒のドレスと鎧を融合させたような、見慣れない妙齢の女性。
だが、他は見覚えがある。
図書館で出会った、魔導書を所持した魔法使いの女性に、使用人のような姿をした女性。
そして、私と昴が乗った馬車を運んでくれた巨大な狼。
「議論は後にしろ」
妙齢の女性の鶴の一声で、彼女達の視線が一斉に私へと向けられる。
「さて、自己紹介でもした方が良いか? 私の名はアルトリウス、後ろのデカい狼がフェンリル、そしてメイド姿をしたのがインペリアルガード、そこの本を持ってる色ボケがダンタリオンだ」
「誰が色ボケよ」
アルトリウスと名乗った女性が、周囲に居る人物を紹介する。
だが、その口調には何故か怒気を感じる。
「私は、エルミアと言う名だ」
「知ってる。エルミア・フォン・フィルヘイムでしょ。わざわざ名乗らなくて良いよ」
ダンタリオンという女性が、私の発言に被せてきた。
アルトリウスと同様に、その口調に不快感というか、苛立ちのような物が滲み出ていた。
「……何か聞きたい事はありますか?」
使用人姿をした女性、インペリアルガードと名乗った人物は目を伏せたままそう述べる。
こちらはアルトリウスやダンタリオンと違い、比較的その口調は穏やかであった。
「ここは、一体何処なのだ?」
暑さも寒さも感じず、周囲は一面闇に染まり。
良く見れば、私の居る場所と向こうでは景色が違う。
私の居る場所は廃墟のような場所なのに、ある場所を境にして何処かの屋敷だったり巨大な図書館だったり帝国領のような雪景色だったり、その風景が余りにもちぐはぐなのだ。
「ここは、正式な名称は不明なのですが。私達は精神世界と呼称しております」
「精神世界?」
「魂のみがこの空間に存在し、種族も言語も飛び越えて、思った内容だけで相手と会話をする事が出来る空間。時間の流れも特殊で、外界と比べて極端に遅くも早くもなる……そして、この空間から出る事は出来ません。現在だと『基本的には』という前句が付きますが」
……今気付いたのだが、インペリアルガードは先程から口を動かしていない。
だというのに、その言葉は耳に届く……というより、頭の中に直接響いているような気がする。
「……どうして、私はこんな場所に居るんだ? 邪神の欠片は? フィルヘイムはどうなったのだ?」
「邪神の欠片であらば、御主人様が討伐しました。戦場となった街でしたら、2割は完全崩壊、残り2割は一部損壊、といった具合でしょうか。少なくとも、復興が不可能なレベルでは無いのでそこは安心して構いません」
邪神の欠片は倒され、街の被害もそこまでではない。
その知らせを聞けた事で、私は胸を撫で下ろした。
「それから、貴女がここに居る理由ですが……どうやら、御主人様の戦いに巻き込まれた状態で、肉体が死を迎えたからこんな状態になったようですね」
「――死?」
「私達の価値観では違いますが、少なくとも貴女の価値観では『死んだ』と言っても問題無いと思われます」
……死んだ?
私が?
「だ、だが……私はここにこうしてちゃんと存在している。死んではいないはずだ」
「ですが、貴女の肉体が朽ちたのは間違いありません。これは私とダンタリオンがこの目で確認していますし、その遺体が王城に収容されるのも確認しています。死体という現物がそこに存在しますし、身元が特定出来ない程に死体が損壊しているならともかく、胸部を抉り取られただけで顔自体は綺麗でしたから身元の特定なんてする必要すら無いでしょう。何しろ、ここでは貴女は有名人なのですから。少なくとも、公的には既にエルミア・フォン・フィルヘイム王女殿下が逝去した事はフィルヘイムの国中に知れ渡っている頃です」
自分の掌に、視線を落とす。
見える、聞こえる、考えられる。
だが、暑さや寒さを感じず、自分の首筋に手を当てた時、そこに本来あるべき筈の脈動を何も感じない。
胸元に手を置けば、動いてなければならないはずの心音が伝わってこない。
それは余りにも不可解で、有り得ない状況で。
周りの景色も併せて、少なくともここが普通の場所ではないという事は信じざるを得なかった。
「だから言ったでしょ。もうお姫様は名乗れそうに無いね、って」
半目のダンタリオンが横から割って入る。
エルミア姫、という存在は既に死亡した。
だから、もうここに居る私は姫ではなく、それ所か兵士ですらなく。ただのエルミアでしかない。
ダンタリオンの言葉の意味を理解する。
「……少し落ち着いて下さい。言葉に棘が有り過ぎですよ」
インペリアルガードが、アルトリウスとダンタリオンの二人に目を配らせつつ、溜め息交じりの口調で諌める。
「お前は何も感じないのか? 善意でコーティングした悪意を躊躇いも無くぶつけてきたこの女に!」
「何も感じない訳ではありません。ですが、普段冷静な御二方がこの有様では私が冷静になるしかないじゃないですか。少しは頭を冷やして下さい」
インペリアルガードが態度を改めるよう苦言を呈すが、それが二人には届かず。
アルトリウスとダンタリオンは真っ直ぐに、射殺さんばかりの視線を突き刺してくる。
「その、何故私に対しそこまで敵意ある視線を向けてくるんだ……?」
私が、何か怒らせるような事でもしたのだろうか?
「分からないのか? 旦那様を殺そうとしておいて、随分な態度だな」
「マスター?」
「……貴様が、勇者と呼んでいた者の事だ」
勇者――スバル……
「スバル……スバルは無事なのか!?」
そうだ、邪神の欠片と戦っていたスバルは、あの時酷い状態で――
「無事じゃないわよ!」
敵愾心を剥き出しにした、親の仇を見るようなダンタリオンの目が私を貫く。
感情の波を隠しもしないその絶叫に、思わずたじろぐ。
「主人を追い詰めておきながら、よくも抜け抜けと……!」
状況が分からない。意味が理解出来ない。
ダンタリオンもアルトリウスも明らかに、私に対して敵意を向けている。
何故だ。向けられる理由が無い。
「こんな事になるなら……っ! 無理矢理にでも連れ去ってしまえばよかった……!」
嗚咽を漏らし、顔を覆うようにして泣き崩れ。
自らを責めるように、言葉にならぬ悔恨を吐き出し続けるダンタリオン。
「……分からないと言うなら、教えてやる。貴様が旦那様に対し、どれだけ非道な真似をしたのかを。……どうせ、もうお前にとって他人事では無いからな」
アルトリウスが指を打ち鳴らす。
すると、闇に包まれた空間にぼんやりと光の渦が浮かび、そこから何処かの景色が見える。
部屋のようだ。そこには寝床があり、布団を掛けられて寝息を立てているスバルの姿。
その頭上には彼がリッピと呼んでいた極彩色の鳥が居座っている。
「良かった……無事だったんだな」
私が見た時には、スバルの両足が無くなっており、立ち上がる事も出来ないように見えた。
だが今は顔色も普通で、少なくとも命に別状は無さそうに思える。
「何が無事だ……ッ! 結論から言えば、旦那様は今、予断を許さぬ非常に危うい状態なんだ。貴様のせいでな!」
だが、アルトリウスの口から出たのは私が抱いた感想とは真逆の物であった。
「危うい……? 病気でも無さそうだし、何処も問題無さそうに見えるが」
「――お前は、生きる意味というのを考えた事があるか?」
「生きる、意味……?」
目を細め、アルトリウスが行き成り哲学的な話題を口し、質問の意図を読み取れず疑問符を浮かべる。
「人は、生きる意味――言い換えれば、未練だ。それがあるからこそ、例え躓いても立ち上がり、再び前に進もうと生にしがみつく。死の足音が迫ろうとも、石に噛り付いてでも生き延びようとする。お前は、この世界で生きる一人の人間だった。死ぬ間際、脳裏を過ぎった後悔や未練、そういったモノが少なからずあったはずだと思うが?」
未練。それが、生きる意味だと。
ついさっき、脳裏を過ぎった――エルフィリアの不安な表情が浮かび上がる。
小さな妹を残して逝くという事実に、チクリと感じる物はあった。
それは未練であり、それが私の生きる意味なのだろう。
「――今の旦那様には、そういった未練が余りにも無さ過ぎるんだ」
アルトリウスが、重い口を開く。
「旦那様は、かつて事故で両親も弟も義妹も、親族の全てを失った。そして、共通の趣味を持つ仲間、友人といった人々も、次々に旦那様の元を去り、いなくなった。そのショックから立ち直れず、勤めていた職も辞めたせいで仕事仲間すらいなくなり……旦那様は、世界から完全に孤立してしまった。確かに肉体的な意味での命に別状はない。だがな、精神的な意味では『死んでいない』というだけなんだ」
家族と死別し、友人も居なくなり。
知り合いと呼べる者さえ、周りから去っていく。
「そんな状態で、旦那様は『死ぬのも悪くない』とすら考えるようになっているんだ。死んで家族と同じ場所に逝けるのなら、悪くは無いかもしれないと――辛うじて自殺する程にまで沈んではいないが、消極的な自殺であらば選択肢として選びかねない。今の旦那様は、次に転んだらもう絶対に立ち上がらない。余りにもあっさりと、潔く死を選ぶだろう」
未練が、何も無い。
それはつまり、生きる意味が何も無いという事だ。
そんな事が、有り得るのだろうか?
誰だって、少なくとも命在る者ならば。死にたくないという未練位はあるものなのでは?
「責任も後悔も義務も熱意も、情も欲すら残っていない。今の旦那様に唯一残っている未練が、私達だ。だがそれすらも今、熱意の火が消えかけている。空に浮かんだ凧の、唯一繋がっている糸が劣化してボロボロの状態。何時プツリと切れてもおかしくない」
――私は、死ぬ間際。そして死んだという今でも考えている。
自国の民の平和、血の繋がった家族である兄や妹、それらに笑顔で居て欲しい。
私が死んでも、それでも私の国には兄が居る。
兄になら託せる。兄になら国の未来を任せられると、自分に言い聞かせて、間近に迫る死に対し納得しようとした。
だが、もし私の国が無くなったら?
血縁の全てが死に絶え、民も居なくなってしまったとしたら。
それでも私は、困難を前に立ち向かえるだろうか?
守りたいモノ、戦う理由が全て消え失せた状態で、それでも私は前を見据えて進む事は出来るだろうか?
死んだはずなのに生きているというこの現状が、何故か急激に危ういモノのように思えてくる。
死んだ身の上で危ういも何も無いかもしれないが、今立っている足場は今すぐにでも砕けるかもしれない薄氷、そういう代物かもしれないという危機感を感じる。
「だからあの時。お前が旦那様を庇って死んだ時は。本当に余計な事をしてくれたと思ったよ。そんな旦那様の脚を絡め取ろうとしたのだからな。友が去り、知人も居なくなり、大切な肉親家族全てを失った旦那様の前に現れ、仲良くなった上で目の前で死に、大切な人を失い傷付いた旦那様の傷口を抉るようにして、もう一度同じ痛みを味わわせた。既にボロボロの旦那様に追い討ちを掛けた。外道以外の何者でもない!」
「わ、私は、そんなつもりは――スバルがそんなにも酷い状態だなんて――」
「知らなかった許してくれ、などという言い訳が通じるとでも思っているのか!!」
かつて無い程の憤怒に満ちたアルトリウスの声に、意図せず身が縮こまる。
「それなりに旦那様の隣で過ごして置きながら、本当に何も違和感を感じなかったのか! 何かがおかしい、普通じゃないと思わなかったのか!」
違和感――
アルトリウスに言われ、過去を思い返し……そこで初めて、気付く。
違和感は、確かにあったのだ。それも、初めて会った時からずっと。
邪神の欠片に私の仲間を殺され、私が涙していた時も。
揺れる馬車の中で、彼の質問に答えていた時も。
王城での歓迎会で、エルフィリアや貴族達と当たり障りの無い会話をしていた時も。
自発的に行動し、図書館で調べ物をしている最中でさえ、何処か他人事のような対応で。
至って自然に、目の前の相手と受け答えをしているというのに。
――スバルの目は、何時だって暗く淀んだ……まるで、世界全てに絶望し切ったように沈み切っていた。
「お前なんぞが身を挺さずとも、旦那様が物理的に死ぬような事は無かった。ましてや、あのような雑魚ならば尚の事だ」
邪神の欠片という、あれ程の脅威を雑魚と切り捨てるアルトリウス。
何を馬鹿なと口を開き掛けて、目の前に居るアルトリウスの気迫で、その発言が決して傲慢や驕りから来た物ではないという事に気付き、言葉を飲み込む。
「貴様のご立派な英雄願望という自尊心を満たし、勇者とやらを守る為に散ったという自己犠牲精神を満足させる為に、私の旦那様の心が死に掛けたのだ。これ以上無い程に殺意が湧いたぞ」
そのアルトリウスの発言に対し、他の者達は沈黙で返す。
明言していないだけであり、無言の肯定をしているのは疑いようがなかった。
「私は……そんな、スバルを追い詰めるつもりなんて……」
だけど、私は知らずにスバルを傷付けてしまっていたのか?
家族を失い、友人を失ったスバルに、それを再び思い出させるように目の前で死ぬ事で……
だが、だけど。私のした事は間違っていない。間違ってないはずなのに……
スバルを放っておくのが正解だった? そんな馬鹿な、それは有り得ないはずだ。
困惑、混乱、視界がモヤに包まれたように、前が見えない。
守る為に騎士になり、そして勇者であるスバルを守ろうとしていたのに……知らずの内に、私自身がスバルの背中をナイフで突き刺し抉っていた……のか……?
答えが見付からず、頭を抱える。
結局その答えは見付からず。
ダンタリオンに呼び出されてスバルの前に現れるまで、私はこの暗い闇の中で何が正解だったのかを悩み続けた。




