18.償い
まどろみから浮上するように、ゆっくりと意識を取り戻す。
耳に届くのは、やや遠い人々の喧騒。
時折、ガラリと何かが崩れたような乾いた音が響いている。
瞼を開く。少し薄暗い、橙色の光が木製の室内を照らし出していた。
痛みは……感じない。痺れたようになっていた足の感覚も、戻っている。
頭は……重い。身体を起こす。
「ピッ!」
……またお前か、リッピ。
俺の頭上が好きなのか?
身体を起こしたのに併せ、リッピが宙を舞う。
どうやら、寝床に寝かせられていたようだ。
「もう夜だけど……おはよう、主人」
手にしていた本をパタリと閉じると、ダンタリオンは微笑を浮かべ、真っ直ぐにこちらを見据えた。
その隣にあったサイドボードに着地し、リッピは身体を下ろした。
「問題無いとは思うけど、何処か身体に異常を感じたりしてはいないよね?」
ダンタリオンに訊ねられ、俺は足元を覆い隠していた布団を取り去る。
足は、繋がっている。
消えたように見えた足も、元通りになっている。
「大丈夫、みたいだ」
「……やっぱり、主人は戦いが終わると最初の状態に戻るのね。何らかの復元力が働いてるのかも……」
顎に手を沿え、何か考えを纏めるように小さく何かを呟き始めるダンタリオン。
何故、何で、どうして、そんな考えばかりが頭を揺さぶり、思考がまとまらない。
――だけど、これだけは。何よりも最初に聞かなければならない。
「……夢じゃ、無いんだな」
搾り出すように、呟く。
見た事の無いような黒い化け物も、目の前で起こるファンタジーな現象も――目の前にあった「死」も。
その全てが、夢ではない本物。
俺の視線と声に気付いたのか、ダンタリオンは考えに耽るのを中断し、落としていた視線を向け直す。
ダンタリオンは目を細めた。
「……リッピからの話を鑑みても、主人が妙に物分りが良過ぎると思ったけど……そう……これを、夢だと思って思考放棄してたのね」
ダンタリオンが、ズバリと俺の考えを見抜く。
そう、夢だと思っていた。
だって、何もかも有り得ないし、おかしいじゃないか。
「ここは、地球じゃない。主人の、いえ、私達が知らない別の世界、エイルファート。主人から見れば、何も無い所から煙所か炎が現れるような物理法則を無視した現象も、この世界という法則に従っただけの現象に過ぎない。だけど、異なる世界だったとしても、今主人の目の前にあるのは紛れも無い現実」
ダンタリオンは、俺の疑問に対し一切濁さずに答えてくれた。
今、目の前に広がっているのは紛れも無い現実で。
ここは海外ではなく、それ所か地球ですらなく。
異なる世界――エイルファートという異世界だと。
「……エルミアは、どうなったんだ……?」
あの掌から伝わってきた、肌を焼くような熱さが、脳裏を過ぎる。
ここは現実で、けっしてまどろみの中なんかではなくて。
目の前にあった「死」も、当然――
そんな考えに意識を囚われていると、ふと手に熱が伝わる。
そこへ視線を向けると、俺の手と重なるように白く柔らかい手が添えられていた。
何時の間にかダンタリオンは移動しており、俺の寝床に腰掛け、その細い指で俺の手を握っていたようだ。
「――――その質問に答える前に、主人……一つだけ、聞きたい事があるんです」
眠たそうな目付きではなく。
怜悧な眼差しで真っ直ぐにこちらを見詰めるダンタリオン。
俺の手を握るその手に、力がこもる。
「……主人。私は、主人から見てどう見える?」
どう見える……?
愛らしいとか、美人だとか……そんな言葉が浮かんだが、ダンタリオンが聞きたい事はそういう事ではないのだろう。
質問の意図を図りかねていると、ダンタリオンは言葉を続ける。
「私、ダンタリオンという魂は、主人の持つカードに宿っている。そして、私は主人の持つマナを利用させて貰う事で、この地で肉体を得て、こうして主人と言葉を交わす事が出来ている。逆に言えば、主人がいなければ私はただのカードでしかない。主人からマナを分けて貰わねばこうして姿を現す事も出来ず、ただの紙切れでしかない」
握っていた俺の手を持ち上げ、ダンタリオンはふわりと俺の手を両手で包み込む。
「私は、主人の価値観では生きていると言えますか?」
俺が居なければ、生きていけない。
ロマンチックな例えなんかではなく、物理的に生きていけないのだ。
俺が居なければこうして動く事も喋る事も出来ないと、ダンタリオンは言う。
生命維持装置――昴という存在に繋がれた状態でなければ、満足に動く事も喋る事すら出来ない。
そんな状態を、生きていると言えるのか?
決まってる。
この手に伝わる温もりが、死人な訳が無い。
「――どんな形だろうと、こうして自分の意思で見て聞いて、話してるなら、それは生きてるだろ」
俺は力強く断言した。
死者は決して動かないし、喋る事は出来ないのだから。
己が己の意思で生の道を歩んでいる限り、それは確かに生きている。
俺の言葉を聞き、ダンタリオンはその頬を僅かに染め、口元が綻んだ。
「……そっか。主人は私を生きているって思ってくれてるんだね。ありがとう、主人……主人なら、きっとそう言ってくれると信じてた」
ダンタリオンは、まるで心から安堵したかのように目を一度伏せ……改めて視線を向ける。
そして、俺の知りたい答えをダンタリオンは告げた。
「なら大丈夫。そのエルミアって女は生きてるよ」
「……えっ?」
失意に苛まれながらも、これが現実だと言うならば。
逃げてはならないと、その答えだけは聞かねばならないと、覚悟をしていた。
だが、ダンタリオンから告げられた言葉は想定外の答えであった。
あんな、身体の中心――心臓を抉り取られるように撃ち抜かれて……生きてる?
意味が理解出来ず、口を開けたまま絶句していると、ダンタリオンは説明を始めた。
「私達の戦いに巻き込まれたみたい。フィールド上に存在するエルミアって女が死んだ、つまり破壊されたの」
そう、エルミアは……確かにあの時――死んだはず。
あの身体から流れ落ちる生の証から伝わる熱は、間違いなく本物の死だった。
「破壊されたなら墓地へ行く。そして戦いは終わったから、墓地はちゃんとデッキとして一まとめにして片付けるよね?」
思考が纏まらない。
ダンタリオンが言っている意味が、理解出来ない。
ダンタリオンは、俺の腕にあるデッキケースへ手を伸ばし、そこに手を添える。
視線をデッキケースへと落とす。ダンタリオンは、何か一枚のカードをそこから引き抜いた。
「つまり、こういう事」
ダンタリオンは、そのカードを提示する。
栗色の髪を後ろで纏めた女性。
槍を構え、僅かに幼さの余韻を残した顔立ちの女性は、勇猛な表情を浮かべつつ敵に向けて吠えているような――そんなワンシーンを切り取ったかのようなイラスト。
エルミアは、カードになっていた。
―――――――――――――――――――――――
「――私の身体だ……」
呆然とした表情で、信じられないとばかりに自分の身体をペタペタと確認するように触るエルミア。
その姿も、言動も、さっき確かに死んだはずのエルミアそのものであり、これが偽者や幻覚だとはとても思えなかった。
「本当に、エルミア、なんだよな?」
「あ、ああ……そうだ」
俺の手にある、エルミアのカードへ視線を落とす。
「だけどあの時、俺の目の前にエルミアの死体は確かにあった……あれが、幻だったとは思えない……」
「確かに、戦いが終わった後も御主人様の仰る通り、このエルミアという人物の遺体はそのまま存在していました」
糸目なのか、それとも目を閉じてるのかイマイチ良く分からない、インペリアルガードが俺の疑問に答えを投げ掛けた。
エルミアがこうして実体化している状況だと、ダンタリオンが出て来れない為、ダンタリオンの説明を一時的にインペリアルガードが代行しているとの事だ。
「エルミアという身体と魂が分離し、魂だけが御主人様の持つカードという形でこの世界に留まった……ダンタリオンはそう推理したそうです」
「……元には、戻せないのか?」
「……ダンタリオン曰く、それは死者を蘇らせたり、この世界から元の世界に戻る事以上に難しいとの事です」
その方法が分からない、それ所か本当にそんな手段が存在するのかすら不明瞭。
だがしかし、この状況でも断言出来る事はある。
「この良く分からない能力に、エルミアを巻き込んでしまったんだな」
俺は、エルミアへ向けて深々と頭を下げる。
「す、スバル!? そんな、頭を上げてくれ!」
うろたえたような、驚愕の色を感じるエルミアの声が頭上から飛ぶ。
だが、どう取り繕おうとも、状況的に俺がエルミアを巻き込んだという事実は変わらない訳で。
その非は、俺にある。
「……彼女は、自分の意思で御主人様の居る戦場へ飛び込んで来ました。既に二度もその脅威を味わっておきながら、死ぬ可能性が無いと判断した、などという甘えた考えはしていないはずですし、する事は許されません。結果、命を落とした所で御主人様が謝罪する必要は無いと判断しますが? エルミアという器が破壊され、魂だけの存在となったのも、このエルミアという人物の自己責任というものです」
確かにそうかもしれないが。
だけど、それでもエルミアは「人として」死ぬ結末を迎えるはずだったんだ。
こんな、死んだはずなのに生き長らえている状況は、この世界の自然だとはとても思えない。
ましてや、その自分の命が自分ではなく、他人である俺の手にある状況なら尚更だ。
「それに、御主人様は自分の力がどういう影響を与えるのかをまだ把握していませんでした」
「知らなかったんだ許してくれ、なんて言い訳が通じるのは子供までだろ」
俺は、子供じゃない。
社会に生きる大人であり、責任から逃れる事は許されないのだ。決して。
知らない出来ないと、目を閉じ耳を塞ぐのが許されるのは子供までだ。
頭を上げ、エルミアの目を見て口を開く。
「許してくれだとか、責任を取るなんて、言葉に出すと酷く軽く聞こえるけど。出来る範囲で償いはする」
どうしてこんな状態になっているのかは理解出来ていないが、自分が当事者だという事は理解した。
ならば責任は、取らなければならない。
「――少し、考えさせてくれ」
何故か、気まずそうに俺から視線を外し、逡巡した後、エルミアはそう言い残してその姿を消した。
消えたエルミアの代わりに、ダンタリオンが同じ場所に現れる。
「これで主人も、エルミアが生きてる事は理解したよね?」
寝床へ腰を下ろし、大きく息を吐いた。
そうだ。エルミアは生きている。
そしてここで、俺はさっき何故ダンタリオンがあんな質問をしたのかという意図を理解した。
ダンタリオン達、カードの状態が生きているのか、それとも死んでいるのか。
それはそっくりそのまま、エルミアの生死という俺の求めた回答と繋がっていたのだ。
エルミアは、ダンタリオンと同じようにカードになってしまった。
だから、ダンタリオンの状態に対する答えがそのままエルミアに対する回答となる、という訳か。
「だけど、私とエルミアが同時に出るのは不可能みたいだから、主人に対する説明の為に一時的にまた私が出張らせて貰うね」
「同時に出るのが不可能?」
さっきもそうだったが、同時に出られないとは一体どういう事だ?
「それも含めて、主人に全部説明するし、主人の質問に対する答えも、知ってる限りは全部答える。邪神の欠片っていう脅威も取り除けたみたいだし、落ち着いた時間が取れるようになったからね」
身体を起こし、寝床に腰掛けていた俺の隣、密着するような距離で腰掛けるダンタリオン。
「時間はある。だから、主人が気になった事は全部話して」
気になった事、分からない事……か。
いくらでもあるが、それに全部ダンタリオンは答えるという。
なら、優先順位の高い物から聞いていこう。




