170.結婚式
七家の一角、バルフリート家とフィルヘイム王家の婚姻。
双方の国にとっても利がある結婚であり、その結婚式がこのリレイベルの首都、ツェントゥルムで執り行われるという事で、都中がお祭り騒ぎとなっていた。
結婚式会場に向かう道中、民衆へのお披露目会という意味でのパレードも行われるとの事で、国の未来を担う新たな王族の門出を一目見ようと、リレイベル及びフィルヘイム両国から、民衆が殺到していた。
そしてそんな人々に飲食物から結婚記念アクセサリーまで、売れるモノならば何でも売ってやろうとばかりに、商魂のたくましさを見せ付ける商人達。
商売によって成り立つこのリレイベルというお国柄、こんな一大イベントを前に商人が大人しくしている訳が無かったのであった。
パレードの会場を固める警備は万全であり、新郎新婦共に危害が及ぶ可能性は万が一にも有り得ない厳重さである。
更に言うならば――新郎に至っては、そもそも害する事自体が不可能。
ジークフリート・フォン・フィルヘイム、現フィルヘイム家当主にしてフィルヘイムを統べる王。
六大国家の元首にして、"フィルヘイム最強"の王。
フィルヘイムが誇る"世界最強"を襲撃するなど、ただの自殺志願者である。
とはいえ、パレードに混乱が起きて予定が狂わされては、国のメンツに関わる問題である事には変わりない。
故に、警備に手抜かりは許されない。
例え華やかな空気だとしても、警備に当たる兵達は、戦地の最前線に立つ覚悟を持って任に当たるのであった。
パレード自体は、問題も発生せずつつがなく終了した。
お披露目は衆目の中で行われるが、実際の挙式自体は人払いされた教会で行われる。
警備に当たる兵も基本的には教会の外に配置されており、挙式に参加する人数はごく僅かである。
「――汝、ジークフリート・フォン・フィルヘイムは、この女、シアリーズ・バルフリートを妻とし、病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻に寄り添う事を、天に在らせられし偉大なる女神、ノエルの下に誓いますか?」
「誓います」
婚儀の為に用意された、金の刺繡が施された純白のタキシードに身を包んだ新郎、ジークフリートは迷いなく答える。
腰には剣を携えているが、普段彼が実戦で用いている剣ではなく、刃を潰した儀礼用の剣となっている。
「汝、シアリーズ・バルフリートは、この男、ジークフリート・フォン・フィルヘイムを夫とし、病める時も健やかなる時も――おっと、失礼。少し目が……」
僅かに、目元を抑える動作をした司教。
「どうかされたか?」
「いえ、少々立ち眩みが……」
そこまで口にし、司教は一つ咳払いの後、口上を続ける。
「――共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫に寄り添う事を、天に在らせられし偉大なる女神、ノエルの下に誓いますか?」
司教は、その視線をシアリーズへと向ける。
口元に朱を塗り、腰をコルセットで締め上げて身に着けた純白のウェディングドレスは、シアリーズの上半身のシルエットを綺麗に映し出している。
足元を覆い隠して余りある裾の布地は、まるで白薔薇のようであり、先程のパレードの際も民衆が思わず見惚れる程に美麗であった。
だが、そんな華やかなドレスに身を包み、挙式の段階に至って尚――シアリーズの表情は浮かない。
最低限、民衆の前で仮初の笑顔を浮かべる程度には、貴族として気丈に振る舞ってみせたが、民衆の目が無くなったこの場では、その仮初の笑顔、仮面が剥がれてしまっていた。
――結局、龍がシアリーズの目の前に現れる事はなかった。
結婚が本決まりになってからは、いよいよシアリーズの自由が許される事は無くなり、完全に屋敷で軟禁同然の暮らしをする事になった。
会いに来る事等不可能、そして可能性があるとしたらパレードの時、民衆の中に紛れて顔を見せる位だと、シアリーズは考えていたが、群衆の中にも龍の姿は無かった。
――良し決めた。シアリーズ、テメェは俺が外へ連れていく。例え力尽くでもだ。
その約束が、果たされる事は無かった。
龍がこの教会に姿を現す事は無い。
「……」
「……シアリーズ」
司教の言葉に対し、沈黙したままのシアリーズ。
そんな彼女に対し、返事を促すジークフリート。
シアリーズが心ここにあらずな状態である事は、ジークフリートもまた理解していた。
だが、これは言ってしまえば政略結婚なのだ。
愛よりも、感情よりも、実利を取る結婚なのだ。
無論、ジークフリートは妻となるシアリーズを蔑ろにする気は無い。
政略結婚であろうとも、自らの妻となる女性に対し、その愛を注いでくれる事は間違いない。
だが、シアリーズにとってそんな事はどうでも良かった。
自由になりたい。
世界を見てみたい。
この籠の中から飛び出して――自由に世界を――
「シアリーズ」
剣呑な空気。
シアリーズの父、ガルディニア・バルフリートが目を細めながら、静かに、しかし重圧を感じさせる声色でシアリーズの名を呼んだ。
「は……」
小さく身じろぎし、肺から声を絞り出すかのように。
返事をしようとして――
「イイイイイヤッハアアアアアアァァァ!!!」
静寂に包まれた、荘厳な教会内に似つかわしくない、奇声が轟く!
声のする方向を見れば――
見る者を魅了し、美術的な価値も高いであろう、見事なステンドグラスが――砕け散る!
筋骨隆々、上半身を露にした半裸の大男は、目論見通りとばかりに新婦、シアリーズのすぐ側に着地する!
それは、幾度となく戦場に立ち続けた、戦士としての反射だったのだろう。
ジークフリートは鞘から儀礼用の剣を抜き、飛び込んで来た賊に対し、その剣を振るう!
儀礼用だが、その刃は潰されていない。
故に目の前の賊を斬り捨てる分には問題無いと、振り抜いた剣が――無い。
直後、ジークフリートの眼前に迫る銀色の輝き。
首を振ってこれを反射的に回避する!
ジークフリートの背後で、乾いた音が響いた。
そこにあったのは、石壁に突き刺さった――ジークフリートが手にしていた筈の、儀礼剣。
「花嫁は貰ったァァ!!」
そう、口にした言葉を教会に置き去りにする勢いで、半裸の男――シャックスは、電光石火の勢いで砕け散ったステンドグラスの穴を通って、宙へと飛び出した!
不意打ちかつ一瞬、同席していた警備に対応する暇すら与えない。
「よぉー嬢ちゃん! 龍のヤツが世話になったみてえだなァ!」
不敵な笑みを浮かべ、白い歯を輝かせるシャックス。
「お前はこのシャックス様が盗ませて貰うぜェ! 一緒に世界の果てまで逃避行と洒落込もうじゃねえかァ!」
龍がこの教会に姿を現す事は無い。
己では成し得ない不可能を可能にする為に、その言葉を、意志を、シャックスへと託したから。
花嫁と略奪王の、逃避行が始まる。




