166.カードとしての在り方
子供の頃の俺は、自由とは程遠い暮らしだった。
父も母もいわゆる高学歴ってヤツで、小さい頃から英才教育ってな具合に習い事と勉強の毎日だった。
当たり前に出来る筈の友達付き合いもロクに出来ず、テストの成績が悪ければ物置に閉じ込められたり食事を抜かれたり、散々な目に合わされた。
世の中で不幸自慢してる連中の悲劇と比べりゃ温い内容なんだろうが、それでも、俺が歪むには十分だった。
中学に入ってから、徐々に塾をサボるようになった。
開いた時間で、素行が良いとは言えないが、気の合うダチと夜の街に繰り出すようにもなった。
塾をサボれば当然親にも連絡が行く訳で、父親に殴られる事もあったが、この頃になると身体が成長した事もあり、親相手に殴り返せるようになった。
もうただ殴られて怯えるだけの子供じゃねえんだと、親の暴力をテメェの暴力で跳ね除けた。
親を拳で黙らせられるようになると次第に親は何も言わなくなって来て、その内俺は家にもあまり帰らなくなっていく。
やがて学校もサボり続け、退学になったとダチ経由で聞いたが、その頃にはもうそんな事はどうでも良かった。
たまにダチと同じバイトしたり、今までの時間を取り戻すかのように、ダチと一緒に居る時間がただ心地よかった。
上から目線の態度でナメた口を利いた酔っ払いのリーマンをボコって金を毟り取ってやった。
その金で買った自販機の酒を飲んで良い気分になっている最中、ポリ公のお縄を喰らった。
警察に捕まった初めての日だった。
未成年の初犯とやらですぐに出て来れたが、そのせいで俺は調子付くようになっていく。
仲間が増えてくるにつれ気も大きくなっていき、盗んだバイクで走り回りながら、気に入らない族と抗争を繰り広げる毎日。
ナマイキフカした野郎を何人も病院送りにしてやった。
どうやら俺は喧嘩が強かったようで、族を潰して残党を吸収併合する内に、何時しか"連合総長"と呼ばれるようになっていた。
その内警察に徹底マークされるようになり、犯した犯罪数知れず、留置場にぶち込まれたのも一回二回では済まない。
それでも俺は、止まらなかった。
ただただ、喧嘩に明け暮れる毎日。
この毎日こそが、俺にとっての"自由"なんだと、信じてやまなかった。
こんなモノ、鳥籠の自由でしか無いというのに。
――ここまでが、俺に与えられた記憶。
両親だと? 付喪神に親なんて居る訳無ぇだろうが。
もし居るとしたならば、その切っ掛けを与えてくれたダチ公以外に有り得ない。
だからこれは、存在しない記憶、俺を形作る為の設定。
こんなモノに振り回されて、俺という在り方を歪めるなんざ馬鹿々々しい。
だけどな。
俺の過去が、例え何もかも嘘っぱちの設定だったとしても。
今、この時この瞬間。
俺の胸にある感情だけは、与えられたモノでも設定でも何でも無ぇ!
「気に入らねぇ……!」
自由など存在しない、鳥籠の毎日。
ただ外を見てみたい、そんな願いすら叶わない。
虚構ではあるが、己の過去を見せ付けられているようで。
それが神経を逆撫でしやがる、トサカに来た。
気に入らないモノは、全部ぶっ壊す!
それが俺の存在意義!
そしてダチ公も、それを善しとした。
このヒトならざるカードの身に宿った魂を、肯定してくれた。
だから。
シアリーズ、お前のその気に入らねぇ鳥籠、完膚無きまで叩き壊してやる!
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市民権なんざありゃしない、ゴミの掃き溜め。
薄汚い下民たる娼婦の子供として生を受けた、それがこの俺、シャックス様だ。
誰の種なのかも分りゃしねえ、唯一分かるのは母親だけ。
その母親も、鬱陶しそうに少し腐った余り物の食事を出される位しか、親と呼べるような事はしなかった。
やらされる事と言えば、母親のお仕事で出た、何者かの体液の染み付いたシーツの洗濯位だ。
教育と呼べるような代物は何も受けられず、仕事の時は居ない者として外に放り出される毎日。
そして、そんな日々もあっさりと終わりを迎える。
何時も通り、昼になってから母親の家に戻ると、そこに母親の姿は無かった。
だが特に気にする事も無く、家に残っていた残飯を漁って飢えをしのいだ。
夜になっても、母親は帰って来なかった。
数日後、母親は見付かった。
首を斬り落とされた状態で、下水に浮かんでいるのを誰かが発見したらしい。
母親が仕事の最中、見知らぬ男の上で腰を振っていた、見たくもない母親の裸体の特徴を知っていたから、頭部が無くても誰だか分かった。
市民権が無い、人権が無い。
そんな輩の調査がまともに行われる訳も無く、ロクに犯人捜しもされず、捜査は打ち切られ、事件は迷宮入り。
それ自体は、別に悲しくも何とも無かった。
親らしい事なんざ、ロクにして貰えなかった。
だから、俺にとっては親が死んだのではなく、顔を知っている人が死んだ、ただそれだけでしか無かったのだ。
だけどこれで、俺に食事を用意してくれる奴が居なくなってしまった。
飯が無ければ、飢えるしかない。
家に残っていた食事も、金も、ロクにありゃしない。
困窮するまでは、あっという間だった。
勉強なんかしてないから、学も無い、子供だから体力も無い、学も体力も無ければ、仕事なんか出来る訳も無ぇ。
物乞いから盗人まで転落するのに、大して時間は掛からなかった。
店先から食糧を盗んで、飢えを凌ぐ日々。
だけどそれも長くは続かず、一度やらかしたヘマで取っ捕まって、奴隷落ちだ。
奴隷とは言うが、母親が生きていた頃とそこまで変わりはしなかった。
死なない程度に食事は出て来る、代わりに今までとは比べ物にならないような労働と、体罰が追加されただけだ。
奴隷となって、たまに主人に引き連れられて街中を往来する人々を見て思う。
何で俺は、こんな目に遭っているんだろう?
街に居る、綺麗な服を着て、身綺麗にして、旨そうな食事を食っているあいつ等と俺、一体何が違うんだ?
どうして俺には、あれ等が無いんだ。
どうして俺は、何も持っていないんだ。
欲しい。
飯が欲しい。
金が欲しい。
力が欲しい。
友人が欲しい。
女が欲しい。
この世のありとあらゆる全てが欲しくて、羨ましかった。
俺を買った主人の体罰に耐え兼ねて、俺は主人を刺し殺した。
体格差があったが、上手い事急所に刺さってくれたようで、割とすぐに絶命してくれた。
初めて人を殺したが、何の感慨も無く、ただただ無だった。
自分でも驚く程に冷静に、自らを縛る枷を外し、盗めるだけの金貨を盗み、逃げ出した。
今まで見た事も無いような大金を手にしたが、それは俺の感覚が安いだけで、この程度の金では一月も持たないだろう。
それに、今の俺はもう奴隷落ちした盗人ではない。
主人を殺して逃げ出した、主人殺しの強盗殺人犯だ。
これを許せば司法の面子も丸潰れだ、だから、絶対に見逃しはしない。
本気の捜索、指名手配。
捕まれば、問答無用の打ち首。
だからもう、俺は表の世界で生きる事は出来なかった。
似たような境遇の奴等を集めて、警備の甘い商隊を襲うようになった。
成功すれば大量の金や食糧、服や武器、時には女も手に入るようになった。
命からがら逃げ延びたり、同胞が軍に捕まって処刑されたり、逃げ回って別の国で襲撃をするようにしたり。
数を減らしたり増やしたりしながら、俺の盗賊団は勢力を増し、気付いたらその盗賊団の長となっていき。
何時しか俺は、天下に仇なす恐怖の存在として、世界中にその名を轟かせていた。
美味い飯もたらふく食えるようになった。
目も眩むような金銀財宝だって、手に入れた。
護衛の兵を殺しまくったりして経験を積んだせいか、腕っぷしも強くなった。
俺を慕う手下も増えて、そいつ等と馬鹿騒ぎするようにもなった。
泣き叫ぶ女を力尽くで捻じ伏せ、美女だって何人も抱いて来た。
子供の頃、欲しかった全ては、もう手に入れた。
何もかも手に入れた筈なのに、俺は、空っぽのままだった。
空っぽのまま、ただ惰性で日々を過ごし。
そして、俺の日々はあっさりと終わりを迎える。
いよいよもって本気になった国が、他国と合同で、俺等を潰しに来やがった。
俺等は盗賊であり、軍人ではない。
本気で殺しに来た軍相手に勝ち目など有る訳も無く、あっさりと盗賊団は潰され、退路も念入りに潰され、敗走。
俺だけは渦中から逃げ出せたが、執拗に続く追撃に耐え兼ね、とうとう捕縛される。
処刑台へと引っ立てられ、衆人環視の中で、その首を刎ねられた。
こうして俺の人生は、終わりを告げた。
死を迎える直前、この身は悪魔に魅入られる事となる。
この世全てのモノを手に入れる。
特に、俺が欲しいと思ったモノは、絶対にだ。
別段、美人でもない、口喧しい女。
あんなのより美人な女なんか、何人も抱いた筈なのに。
――あの女が、バーバラが、気になって仕方ない。
アイツが、欲しくてたまらない。
俺に無い何かを、俺が、本当に欲しかったモノを……アイツは、持っている気がするんだ。
それを殺す? 殺すだと?
殺すってんなら、お前等はコイツを要らねぇって判断したんだろ?
かつての俺のように、社会に不要だからと、斬り捨てるんだ。
だったら、俺が奪っても良いよなぁ!?
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「お前達の在りのままを見れない方が……嫌だな」
どうしようもねえ、悪党。
そんな俺達に、在りのままで良いのだと。
その心に従って、生きていいのだと。
マスターは、言ってくれたんだ。
存在価値が消え失せても、決して見捨てなかった。
俺達が俺達である事を、肯定してくれた。
人ですらない、紛い物の命だというのに、対等な人として扱ってくれた。
だから、俺達はマスターを裏切らない。
カードとしての在り方、その信条を曲げたら、在りのままでは無くなってしまう。
それは、マスターに対する裏切りだ。
「「だから、俺は――!!」」
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龍とシャックスの、視界が変わる。
否、視界だけではない。
この二人が居た場所が、入れ替わっていた。
あまりにも不可解な現象。
――昴からの、援護射撃。
二人はすぐに理解した。
『――何がどうしてこうなった、とかはどうでも良いさ。こっちもこっちで、ドン詰まりだった所だ。ヨォ、シャックス。通信で聞いてたぜェ? 随分苦戦してたみてえじゃねえか? たかがこの程度の人数相手によォ?』
『そういうテメェはどうなんだよ』
『お手上げだよ、ブン殴るだけじゃどうにもならねぇってのはよ』
『――なあ、龍、頼んで良いか?』
『分かった、任せろ。代わりに――』
『任せろ、こっちは何とかしてやるよ。略奪王 シャックスの名に賭けてな――!』
二つ返事、即座に行動に移る龍とシャックス。
自分では、最早どうにも出来ない。
カードという個の力には、出来る事に限りがある。
ならば、自分に出来ない事は他に頼る。
龍とシャックスならば。
今の二人には、互いに互いの理を、提示出来る。




