16.磨り減る未練、最後の寄る辺
忌引きの期間を終え、職場へと復帰したものの、職務に身が入らず。
平時の俺であらばしないような余りにもお粗末なミスを繰り返す。
職場の同僚達も、俺を腫れ物に触るような態度で遠巻きにする。
無論、それはイジメだとかそういうのではなく、どう接すれば良いのか分からない逡巡から来る物なのだろうという事は理解出来た。
「――昴。まだ辛いようなら、無理せず休んでて構わないんだぞ?」
そんな同僚達とは違い、一歩踏み込んで来てくれた上司。
俺の事を気遣ってくれる上司の言葉が、胸に痛かった。
「……いえ、これ以上長く休むのも迷惑ですし……退職、させて下さい……」
ロクに休めない激務で溜まった貯金に加え、一家全滅という余りにも重い事故で支払われた保険金と併せると、既に俺の口座には慎ましく暮らせば一生を過ごせるだけの貯金が積み上げられていた。
生活費の心配が無いという状況があるが故に、これ以上職場に迷惑を掛けたくないという気持ちが勝ってしまう。
「……そうか。本心で辞めたいというのであらば止める権限は無いからな……残念だよ」
本当に、残念だという表情を浮かべる上司に対し、申し訳なさもあった。
でも、こんな状態では働けないと自分でも分かっていた。
こうして俺は、差し伸べられた手を離してしまった。
職場の同僚も、仕事を離れればただの他人。
腫れ物に触るような扱いを受けていた俺に、わざわざ退職してからも連絡を寄越すような人も居る訳が無く。
退職の後、俺は呆然と一人自室に引き篭もり、パソコンのモニターへと目を落としていた。
「――――は?」
それは丁度、俺が喪に服している期間での発表だったらしく。
俺には今まで一切、その情報が耳に飛んで来なかった。
久し振りに立ち上げたパソコンでネットの海を潜り、情報を漁る。
Etrangerの公式ホームページでの公表。
販売利益の低下、赤字化により、カード販売の無期限停止。
カードの生産工場も稼動を停止し、カードデザインをしていたチームも解散。
新しいカードがこれ以上出る事は無い。
それは事実上の、サービス停止であった。
だが、それでもカードはオンラインゲームのようなデータとは違い、紙という媒体を利用しているが故に手元には残る。
だからプレイをする事は出来るのだ。
しばらくかけていなかった電話を使い、友人達に電話するが――
一緒にやろうという答えは、何処からも帰って来なかった。
サービスが終了したカードを、何時までも遊び続けるような物好きはそう多くは無く、俺の友人関係にその物好きは一人も存在していなかった。
娯楽はEtrangerだけではないのだ。
娯楽の多様化した今の時代、一つの娯楽にこだわり続ける意味は無く、サービスが終了したのなら他の娯楽へと行けば良いだけ。
元々疎遠になりつつあった友人達も、共通の趣味が無くなれば、その距離はどんどん離れていった。
だが、俺はこのEtrangerを捨てられない。
捨てる訳にはいかない。
これは、俺に残された数少ない思い出なのだ。
子供の頃から弟と共にプレイし、弟の妻である聖子さんとの出会いの切欠になり。
友人と一緒に笑ったり嘆いたりした、とても温かい記憶。
共に過ごした時間も相俟って、文字通りの意味で"半生"と呼べる程の巨大な存在であった。
そんなモノを、捨てられる訳が無かった。
家族親類は居ない。皆、居なくなってしまった。
半生を費やした趣味も終わり、仲間は皆去って行った。
仕事に打ち込んで忘れる事も出来ず。
ただただ、無為に時間を過ごした。
一年が、二年が過ぎた。
年月が経つにつれ、心の奥で燻っていた激情は鎮火し、その勢いは費えていった。
当時はあれ程苦しんでいたというのに、我ながら実に薄情だと思った。
時折、思い出したかのように墓参りには行くが、既に胸の内に込み上げるような物は感じない。
何も――何も、感じない。
嬉しいとも、悲しいとも、楽しいとも、突き上げるような怒りも、何も感じない。
唯一あるのは、弟や友人と積み上げたEtrangerというカードゲームに対する執着のみ。
だがそれさえも、共にプレイする仲間が居なくなった事で、磨り減っていく。
不意に痛みが、身体を貫いていく。
ああ、そうだった――そういえば――邪神の欠片、だったか?
そんなモノと、戦っていたんだったか……?
何で、こんな事になってるのかなぁ……?
夢ではない。これは現実。
こんな、訳の分からない現実に放り出されて、得体の知れない化け物に――殺される。
でも、それで良いのかもしれない。
家族も恋人も友も、趣味も生き甲斐も、何も無い。無くなってしまった。
死んではいないが、今の俺はただ生きているだけであった。
死にたくないと、頑張って生きなければならない理由も、何も無い。
殺されるというのなら、抗う必要も無いか。
黄泉路の果てで、家族とまた会えるのであらば。
「死ぬのも、悪くない」
心地良さすら感じる、死のまどろみに身を委ね――
「……マスター!!」
声が、聞こえた。
聞いた事が無い女性の声。
だけど、何故だろう。
初めて聞く声なはずなのに。
か細く、悲哀に満ちた声色。
悲しみに震えた声。
何故か、とても良く知っている。そんな懐かしさを覚えた。
―――――――――――――――――――――――
私は、ずっとそれを見続けた。
黙っていた訳ではない。だけど声を掛けようにも、私の声はマスターに届かない。
マスターには私の声を聞く術が無く。喉が擦り切れそうな程の大声も決して響かない。
何も出来ず、何も届かず、ただそれを黙って見続けるしか出来なかった。
「……マスター!!」
どれだけ思っていても、マスターに届ける術は無く、欠片も伝わらず。
思いだけというのが、どれ程無力かというのを、マスター同様に闇の底で歯噛みし痛感していた。
「こんな終わり方、私は認めない……!」
――私の意識が、回復する。
あの雪の中、途絶えた意識。目覚めたその時、マスターは既に戦渦の中。
理由など、分からない。
それでも、何故だとかそんな事を考えている暇があるのなら、私はこの闇の底で叫び続ける!
「お願いです! マスター! それでももう一度、もう一度だけ――!」
もしかしたら、今まで駄目だったとしても、今ならマスターにこの声が届くかもしれない!
今まで通じなかったのだからと、諦めていたら伝わる物も伝わらなくなる!
「もう一度だけ、立ち上がって下さい……! これが、最後でも構わないから……ッ」
頬を伝う涙を拭う。
幾度と無く味わった己の無力さ。私は傷付いていくマスターを、ただ見続ける事しか出来なかった。
だけどここは、マスターの居た世界とは違う世界。
何もかもが違い、法則すら変わり果てた異世界の地。
もしかしたら、奇跡があるかもしれない。
「今度は、私がマスターを守りますから……貴方がくれたこの光で、今度は私が貴方を照らします! だから……!」
―――――――――――――――――――――――
息が、出来ない。
胃の内容物が逆流してしまいそうな、腹部に殴られたかのような痛みが走る。
さっきまでとは違う、意識すら吹き飛ぶ程の痛み。
視界が揺らぐ。遠くが見えない。
でも、近くだけは辛うじて見えた。
手元のデッキケースから、一枚のカードが飛び出していた。
朦朧とした意識の中、最早考えて行動する必要も無く、反射的にそのカードを引き抜く。
ぼんやりとしか、見えない。
だけど、見間違う訳が無い。
そのおぼろげなシルエットだけで、俺はそのカードを鮮明に脳内に浮かべられる。
名前も、その効果も。一字一句、そらで言える程に使い続けた。
俺が最も愛用した――
「英雄女王 アルトリウス、召喚――」
英雄女王アルトリウスなんだから。




