157.籠の鳥
「お前の結婚の日取りが本決まりになった、挙式は二週間後に行う」
自宅に連れ戻されて早々、それは淡々と告げられた。
父と子の会話の筈なのに。
結婚する、という人生に置いて一大事の筈なのに。
業務連絡と大差無い簡潔な報告として、それは告げられた。
「返事は」
「は、はい……」
情も無い、拒否権など有る筈もない。
貴族として生まれた以上、父に言われた事はしなければならない。
物心付いた時からずっと、そう教えられて生きて来た。
同い年の子供と遊ぶ事が、出来ない。
街の子供達は皆、わらわの顔を知っている。
わらわが近付くと、子供の親達がわらわから子供達を遠ざける。
バルフリート家の御令嬢に迷惑を掛けてはいけないから、と。
バルフリートという家の名前が、ただ普通に遊ぶという事を、許さない。
同い年の子供と遊ぶ事が出来ないならば。
街の外に出てみたい。
わらわの知らない景色を、見てみたい。
けれどわらわには、それが許されていない。
街の外に出ようとすれば、大人達がそれを阻む。
家の中に居れば、礼儀作法の勉強に、有力貴族との顔繋ぎ、結婚相手探し。
休む暇も無い、息が詰まる日々。
こうやって家から抜け出して、街中を見て回れているのも、わらわのわがままを目こぼしして貰えているだけだ。
父上が本気になったら、家から一切出さないようにする事が出来る位、わらわでも分かる。
バルフリートという家に生まれた、ただそれだけで。
友達と遊ぶ、街の外に出る、他の人々が当然の如くやっているそれが、出来ない。
いっそこの家から逃げ出してしまえばと、何度も考えた。
でも、それが出来っこない事はわらわでもすぐに分かった。
非力な少女のこの身では、簡単な荷運びの仕事すら出来ない。
読み書きや簡単な計算位は出来るが、そもそも父上の名を知っているこの国の人間が、逃げ出したわらわを雇ってくれる事は無いだろう。
逃げるなら国外まで行かねばならない。
その為の路銀は? 国外まで逃げたとして住む家は? 働く仕事場は?
逃げ出した後に立ちはだかるであろう、困難の数々が頭を過ぎる。
自分一人の力では、過酷なこの世界を生きていけない事が分かってしまっているから、その一歩を踏み出せない。
自分がしたい事が、何一つとして出来ない。
自由が無い人生に、一体何の意味があるのだろうか。
「良し決めた。シアリーズ、テメェは俺が外へ連れていく。例え力尽くでもだ」
……そんな言葉を吐いた、あの男――龍の顔が、頭の中でぼんやりと浮かんだまま、離れない。
口は悪いし、素行も良いタイプではないし、悪い奴では……いや悪党の部類に入るのかもしれないが、それでも、外道なんかではない事だけは、一緒に居た今までの期間で分かっているつもりだ。
それに、近くで監視していたであろうニーナも、龍が人攫いだとかわらわに危害を加えるような輩では無いと判断したからこそ、一緒に居るのを見逃してくれていたのだろう。
いっそ本当に、龍がわらわの事を連れ去ってくれれば良かったのかもしれない。
わらわ一人では無理でも、二人でなら――と、ここまで考えて、ふと思い留まる。
これはもしかして、世に言う"恋心"という物なのだろうか?
いや、違う気がする。
本で読んだような、その人の事を考えると胸が苦しくなるとか、その人の顔が頭から離れないとか、そんな事になってはいない。
……ちょっと、心苦しい気持ちは、無くは無い。
わらわと関わったせいで、龍が怪我をしたのだ。
あんな回りくどい麻痺毒なんてモノを使っていた以上、ニーナが殺さないよう手加減をしてくれたのは本当だろうから、命に別状は無いとは思うが、それでも怪我をした原因はわらわにもある。
出来るならば、家の問題に巻き込んで悪かったと謝りに行きたい所だけれども、もうその機会は来ないのだろう。
結婚、つまり嫁ぐという事で、それはこの家から出て他所の家――他国へと向かう事。
父から、婚姻相手の名は聞いている。
この国所か、この世界全体で見ても大半の人間は知っているであろう、勿論わらわも知っているビッグネーム。
ジークフリート・フォン・フィルヘイム。
フィルヘイム王家直系の王族にして、現フィルヘイム国王。
とんでもない嫁ぎ先だ。
良くもまあ、こんな有力貴族所ではない、正真正銘の王族相手に縁談を漕ぎ付けた物だと、我が父ながら恐ろしい。
だけど、王族に嫁ぐという事は、それ即ちわらわもまた王族に組み込まれるという事。
フィルヘイムの王族ともなれば、自由に出歩くなど最早絶望的。
この家に居る時と同じ――否、尚悪い。
より強固な、鳥籠の中に押し込められる。
そんな鳥籠の中に、自由など有る訳が無い。
自室の窓から、外を見る。
何も変わり映えしない、何時もの街並み。
どうしてわらわには、自由が許されないのだろうか。
悪い事など、何もしていないのに。
自由に外で遊んでみたい、この街の外を見てみたい、たったそれだけの願いが、あんなにも近いのに、こんなにも遠い。




