15.死別
『よー、兄貴~。そっちの調子はどうだ~?』
「どうもなにも、繁盛期なんだからクソ忙しいに決まってんだろ」
『こっちは羽田に着いたとこ~。って訳で、聖子とお袋達と一緒にこれから悠々自適な空の旅へ~、ってヤツだな。兄貴も来りゃ良かったのに~』
「だから無理だって言ってんだろ」
『そこはほら~、有給とか使ってさぁ~』
「お前みたいにそれが認められるような会社に就職出来れば良かったんだけどな」
『っと、そろそろ搭乗便が来るみたいだから行くわ。頑張ってねぇ~社畜さん』
「喧嘩売ってんのかテメェ……!」
『うんうん、実は売ってる。つー訳で、帰ったら久々にエトランゼやらない?』
「面白ぇ、返り討ちにしてやるから覚悟しとけよ!」
――その約束は、果たされない。
それが、俺と弟の最期の会話だった。
その日は、今でも覚えている。
決して消えない、心の奥底の記憶。
大切だったモノが、一瞬で壊れ去った出来事。
それは雨が降りしきる、夏の夕暮れだった。
親元を離れ、一人暮らしをしていた俺は、その日、実家を訪れていた。
俺は一人、両親の実家にある仏間に座り込んでいた。
何かを考えていたという訳ではない。寧ろ、何も考えられなかった。
何も考えられず、俺はただ――目の前にある骨壷に呆然と視線を落としていた。
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その知らせは、職場で働いている最中。
上司が受けた電話を引き継いだ時に飛び込んできた。
悪質な嘘だと、それ以上の考えを放棄したくなる内容。
だが、職場にあったテレビで報じられたニュースの内容が、その嘘が真実なのだと物語っていた。
居ても立ってもいられず、俺は新幹線の距離を移動し、その場へと向かった。
駆け付けた俺は、現場を取り仕切っていた自衛隊の一人に抑えられ、そこから先へ進む事は出来なかった。
その後、案内された場所は近隣の学校の体育館であった。
中には大量のビニールシートが敷いてあり、俺はその場に案内された。
「――胸ポケットに入っていた身分証明書のお陰で、柏木 光廣さんだと特定出来ましたが――」
それを見た時、場所も弁えず、反射的に胃の内容物を嘔吐してしまう。
赤黒く、焦げた――嫌だ、違う! そんな訳無い!
こんな……これが、俺の父親である訳が無い!!
他に、何を言っていたのか、何を見たのか、俺は何も覚えていない。
脳の処理限界を超えたのか、それ以上のショックを避ける為に、心の防衛機構が働いたのか――
余りにも凄惨で、死の溢れたその場所の記憶は、そこで途切れていた。
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次にあった記憶は、墓石の前に立っていた時の記憶だ。
その墓石に刻まれた文字は、俺の家系のモノではない。
「聖子さんにとっての家族は、弟の春樹だけです。その弟が居ない墓なんかに入れても、聖子さんは喜びません。だったら、せめて血の繋がった家族の墓に入れてやるべきです」
聖子さん――嫁入りし、弟と入籍した彼女の両親に向けて、俺はそう言った。
同じ趣味から知り合い、俺や弟と話している内に意気投合、弟と結婚するに至ったという、何処にでもあるような馴れ初め。
だが、そんな幸せがこんなにも早く潰えてしまうなんて、考えてもみなかった。
――義妹という以上に、同じ趣味を持つ友人として。聖子さんは俺にとっても大切な人だった。
だから、ちゃんと弔うべきだ。
何時か弟が見付かった時を考えて俺の家系の墓に、なんて考えない。
もし見付かったのなら、その時は義妹の墓に入れれば良いだけなのだから。
弟の遺体は、見付からなかった。
他にも行方不明の遺体はいくつもあり、見付からなかったのは弟の遺体だけではない。
あれだけの規模の事故なのだ。
寧ろ、両親と義妹は遺体が見付かっただけ幸運だと思うべきだ。
最早原型を留めない程に損傷して、弟のように見付からない状況になっても不思議ではないのだから。
もしかしたらまだ何処かで生きているかも――などと考えるのは、最早希望的観測を通り過ぎて願望でしかない。
生きている訳が無い、そんな事、それこそ魔法でも無い限り、有り得はしないのだから。
乗員7名、乗客137名、合計搭乗者数142名――生存者、無し。
全日航123便墜落事故と呼称されるようになった、日本史においても最悪の飛行機墜落事故。
両親と共に家族旅行に向けて、空港を経った矢先の大事故……それに、俺の家族は巻き込まれたのだ。
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世界から、彩りが消えたように思えた。
酷く世界が静かに感じられ、普段は煩わしく感じる道を行き交う車両の音すら、聞こえない。
既に両親の祖父母は他界しており、この事故で俺は両親と兄弟をいっぺんに失った。
ただの一度の不運が、俺の血縁全てを根こそぎ奪い尽くし、俺は天涯孤独の身となってしまった。
喪失感が、身体を支配する。
幸いにも、両親や弟は保険を掛けていたお陰で、遺された俺の口座には多額の保険金が入金され――
「こんな……ッッ! こんな金が!! 一体何だってんだ!!」
手にした通帳を床へと叩き付け、目の仇の如く踏み付ける!
何度も、何度も何度も何度も何度も何度も! 執拗に!
「返せよ……! 返せよぉ……ッッ!」
何で、どうして俺がこんな目に遭わなければならないんだ。
俺が一体何をしたって言うんだ。
この世に神なんてモノが存在するなら、それは酷く残虐な存在なのだろうと恨まずにはいられない。
「父さんを、母さんを、春樹を……返せよ……ッ!!」
嗚咽が漏れる。
その場で蹲り、頭を掻き毟りながら咽び泣く。
どれだけ嘆いても、死者は蘇らない。
もう二度と、両親や弟の笑顔が俺へ向けられる事は無い。
自分で自分の感情をコントロール出来ず、怒りを向けるべき相手も存在せず。
俺はただ胸の内から溢れ続ける悲哀の感情に押し潰されながら、身体の水分を押し潰して搾り出すかのように、涙腺からただただ大粒の涙をこぼし続けるしかなかった。