14.交戦《エンゲージ》
吐息が当たる程に近く、密着した状態。
ふわりとした浮遊感を感じ、お姫様抱っこ状態で担ぎ上げられた昴は、ダンタリオンと共に空を高速で飛んでいた。
「――言った側から出てきたね」
ダンタリオンの言葉で、地上へと意識を向ける。
以前エルミア姫から説明され、そして今まで俺の前に現れた時と同様、その全身を黒で塗り潰したような体色を持つ――邪神の欠片が現れた。
ヘビのような、ミミズのような……細長い身体をした形状。
しかし、その大きさは今までの比ではない。
首都という巨大な都市を、ただ横たわっただけで何もかも壊滅させてしまいそうな程の巨体。
あんなモノが暴れればどうなるか――わざわざ思慮せずとも子供でも分かってしまう。
「倒すんでしょう? あのデカブツを」
「そうだな」
建物の影に隠れ、ギリギリまで邪神の欠片に捕捉されぬよう低空飛行で近付き、ダンタリオンは意を決して一気に急上昇を行う。
俺を抱えたまま、意識を目の前に集中させたかと思うと、バチバチと音を立てる青い球体が突如表れ、そこから放たれた雷が邪神の欠片へと伸びて突き刺さった。
「――ん。多少は効いてる」
「行けるのか?」
俺の問いに対し、ダンタリオンは目を細める。
その目線の先にある、邪神の欠片を注視しているようだ。
「……再生するか。私の攻撃力ならダメージは入るし、高度を保って飛んでれば直接的な攻撃は届かない。黒い光線みたいなあの飛び道具も所詮直線的にしか飛ばない、射線に身体を置かなければ回避は容易。このまま倒すのは可能」
自らの戦力と相手の手札を考慮し、ダンタリオンはそう断じた。
だが、その後にだけどと二の句を告げる。
「アレを倒せるか否かなら可能。でも、主人の勝利になるかといったら否」
「……どういう事だ?」
言葉を濁すダンタリオンに説明を求める。
「主人の力に頼らずに力を行使すると、この世界の法則に引っ張られるみたい。私の力だと、倒すのに時間が掛かる。傷付けば、邪神の欠片も死に物狂いで抵抗すると思う。その間、邪神の欠片とかいうあのデカブツが好き放題暴れて地表を壊し続ける。それを止める手段は私には無い」
――ダンタリオンが何を言いたいか、察する。
「邪神の欠片を倒したけど、街は全て壊れた。それが主人の勝利なの?」
街が全損するような被害が出て、人命には特に問題は無かった――そんな馬鹿な事態は有り得ない。
そんな事になれば、間違いなく多数の死者が出る。
それは、あんなにもこの国を、この国の人々を愛しているエルミア姫にとっては、余りにも辛い出来事だろう。
エルミア姫には、食事といい住まいといい、世話になった。
それに――前を向いて歩こうと頑張っている人の顔が曇るのは、見たくない。
一宿一飯の恩、って言葉もあるしな。
「悪戯に被害を拡大させずに、即座にアレを葬る。今ここで、それが可能なだけの戦力を持っているのは主人だけ。主人じゃないと不可能」
ダンタリオンは高度を下げ、俺を地上へと降ろした。
「――大体理解した。結局、俺がする事は何も変わらないって事だな」
すべき事を理解し、俺の傍らに居たダンタリオンが姿を消す。
俺の意に沿ったように、デッキから響く擦過音。
デッキから飛び出したカードを引き抜き、俺はその言葉を口にした。
「――交戦」
倒すべき相手を見定め、俺は再びEtrangerという戦いの場にその身を置いた。
―――――――――――――――――――――――
初期手札に目を落とし、即座にやるべきは戦いの道筋の確認。
しかし最初に配られた初期手札を見て、7枚の初期手札を――デッキへ戻す。
再びデッキから擦過音が響き、新たに7枚のカードがデッキから飛び出した。
それを確認すると、最初の手札と内容は変わっている。それと、少しだけ手札の内容が良くなった。
最初の手札が所謂、カードゲーム用語で言う重たい手札だったので、その手札で戦う事を拒否させて貰った。
それと、手札の総入れ替えのお陰でデッキの内容もかなり確認出来た。
明らかにユニットの数が増えており、一体今まで何処に隠れてたとばかりに以前は見なかったカードの数々。
マリガンは一度きりなので、その後にファーストユニットとなるカードがデッキの上から飛び出し、フィールドへと姿を現した。
ブリティッシュメイドの装いの女性が俺の目の前へと召喚される。
「――背を向けた状態で失礼します、御主人様」
初期ユニットは、幻影家政婦 インペリアルガードのようだ。
まあ、良くは無い。これ単体だと戦闘能力に難があるからな。しかし悪い訳でも無い。
5枚の盾が展開され、準備が整う。
「俺のターン、ドロー」
敵の戦闘能力を測る為、ダンタリオンに教わった通りに意識を邪神の欠片へと向ける。
名称:邪神の欠片
分類:ユニット
プレイコスト:???
文明:黒
種族:獣/悪魔
性別:不明
パワー:2000
1:【速攻】【条件】1ターンに1度
【効果】フィールドのユニット1体を選択し、破壊する。
その効果を確認し――思考が僅かの間だが止まる。
別にパワー自体は大した事無い、さっきの邪神の欠片の半分だ、パワーだけで見るならコイツは大した事無い。
しかしユニットの強さというのはパワーだけで決まる訳ではない。
同時に持ち合わせているカードの効果によっては、それこそパワーが0だったとしても凶悪なカード足り得るのだ。
――この邪神の欠片は、そのタイプだ。
ちょっと待て。
速攻? 速攻分類だと?
それは――不味い。
止まっていたはずの時間に、黒い閃光が割り込む。
その光はインペリアルガードへ真っ直ぐに伸び――その姿を光の中へ溶解させていった。
光が止んだ時、その場に居たはずのインペリアルガードは欠片も残さず消滅した。
カード効果にはいくつか分類がある。
起動と書かれているのは、自分のターンに任意で発動させる事が可能な分類。
強制と書かれているのは、必ず処理を行わなければならない分類。
永続と書かれているのは、そのカードがフィールドに存在する限り、常にその効果が働き続ける分類。
そして、速攻。
この分類は、自分相手ターンを問わない。
強制や永続もターンを無視して効力を及ぼすが、常に発動し続けているか、発動するタイミングが自分で分かる代物。
対し、速攻は相手が任意のタイミングでその効果を適用してくるという厄介な効果だ。
効果分類の中でも最強クラスの強さを誇り、相手ターンでも自分のターンのように動いてくるので、妨害能力も非常に高い。
コイツは、俺のターンでも好きなタイミングでユニット1体を葬り去ってくる。
効果破壊であるが故に、戦闘を中断させる効力を持つダンタリオンでも無力。
1ターンに1度だけという条件こそあるが、コイツは俺と相手のターンにノーコストでユニットを破壊してくる。
抵抗する術が無ければ、どれだけ強力なユニットを出しても、濡れ紙を突くが如く容易く破壊されてしまう。
「……俺は、手札からマナゾーンにカードを1枚置く。これでターンエンドだ」
時が動き出し、邪神の欠片から再び黒い光が放たれる。
その攻撃を盾で防ぎ、1枚のカードが盾ゾーンから手札へと移動する。
再び時が止まり、灰色の世界が広がる。
「俺のターン、ドロー……俺は、手札からマナゾーンにカードを1枚置く。マナゾーンのカードを疲弊させ、虹マナ1と無色マナ1を得る。これでターンエンドだ」
更に、邪神の欠片からの追撃。
迸る闇の奔流を再び盾で防ぎ、身を守る鎧が1枚、また1枚と剥がされる。
手札にユニットは存在するし、展開する事も出来る。
だが、手の内に居るユニットは目の前の邪神の欠片に対する回答にはならない。
速攻――その効果分類のせいで、手が出せない。
何故なら、ユニットを召喚した所で、そのユニットが例えパワーで上回っていても、その攻撃は邪神の欠片には届かないからだ。
召喚し、攻撃に転じようとバトルに入る直前――その効果でこちらのユニットを葬ってくる。
自分の場にユニットが存在しなければ、バトルステップに入った所で何の意味も無い。
召喚した所で、マナと手札を失うだけ無駄になる。
突破手段の一つとしては――あの効果が1ターンに1度だけという条件があるという点。
言ってしまえば、1ターンに2体ユニットを召喚してしまえば、どちらか一方の攻撃は通る。
あの効果で1体は破壊されるが、1ターンに1度という条件のせいでこの効果を使ったターンはそれ以上効果破壊は使用出来ないので、もう1体のユニットで戦闘破壊してしまえば良いのだ。
しかしこの場合、相手のパワーが2000と微妙に高いのが鬱陶しい。
相討ちでも構わないのだから、あの邪神の欠片を討つには最低でもパワー2000以上のユニットを1ターンで2体並べる必要がある。
しかしパワー2000なら割と小粒の部類とはいえ、2体同時展開ともなればユニットにもよるがそれなりにマナを使う。
今はまだ、2マナしか無い。結局、今はまだ動けない。
リプレイとばかりに、邪神の欠片から再び黒い光が放たれる。
再度盾で防く。これで、残り2枚。
「――俺のターン」
舌打ちしたくなるような引きだ。
打開策となるカードが、来ない。
「手札からマナゾーンにカードを1枚置く。マナゾーンのカードを疲弊させ、虹マナ1と無色マナ1を得る。ターンエンド」
これで虹マナ2の無色マナ2、計4マナ。
それなりにカードを使用出来るようにはなったが、カードをプレイ出来るのと目の前の邪神の欠片を倒せるかというのは別問題だ。
ユニットを2体並べられないのであらば、あの効果を掻い潜れるような耐性を持つユニットを出すというのも一つの手だが――そんなユニットは今、手元に存在しない。
黒い光が降り注ぎ、俺の盾を更に削り取る。
これで、残り1枚。
盾が全て割れた所で、ゲームオーバーになるという訳ではない。
自分のライフが0になりさえしなければ、敗北ではないのだから。
しかし、盾が0になるとデメリットも発生する。
人にもよるが、盾は1枚になったら温存するのが基本的な動きである。
「俺のターン、ドロー」
やや追い詰められてきたが、引いたカードを見て少し逡巡する。
そして、折角だから使う事にする。
「手札からマナゾーンにカードを1枚置く。マナゾーンのカードを疲弊させ、虹マナ2と無色マナ1を得る――無色マナ1を使用し、手札から呪文カード、開墾を発動」
計7マナになった内の1マナを削り、俺は手札から呪文を1枚使用する。
これ自体は、別に現状を打開するカードではない。
しかしこれには別の意図があって使ったのだ。
「俺はデッキから、カテゴリ:建造物または土地の呪文を1枚手札に加える」
名称:開墾
分類:呪文
プレイコスト:○
文明:無
マナシンボル:無
1:【起動】【効果】自分のデッキからカテゴリ:建造物または土地の呪文を手札に加える
そう、このカードはいわゆるサーチカードと呼ばれる呪文だ。
サーチカードとは、デッキを確認してその中から条件を満たすカードを手札に持って来る効果を有した物の事を指す。
盾を確認する場合もサーチカードと指す事があるが――大抵はデッキである。
探して引き込むからサーチカードと呼ばれている。
そして当然ながら、サーチする為にはデッキを確認する必要がある。
「……」
顔を顰める。
デッキの内容が、頭の中に流れて来た。
デッキの内容は確認出来た、出来たのだが……
何だこの紙束は。そう悪態を吐きたくなるデッキ内容であった。
別にカード達が悪いのではない、デッキのバランスや構成が駄目駄目なのだ。
この内容に命を預けろと言うのか。
しかし悪態を吐いた所で状況は変わらない。このデッキで何とかするしか無いだろう。
デッキ内容不明で戦っていた今までとは違い、デッキ内容は把握出来た。これなら今後の引きを想定しながら動く事も出来る。
「――俺はデッキから永続呪文、世界樹の繁栄を手札に加える。これでターンエンドだ」
それに、サーチしたカードはかなり有用な部類のカードだ。
デッキ内容を確認した事で、紙束と思わず言いたくなるような内容の中にも、単体の持つカードパワーが高いカードも一部存在する事も確認出来た。
世界樹の繁栄を使用するか考えたが、マナを温存する事にした。
デッキ内を確認したお陰で分かったが、これ自体は強力なカードなんだがこのカードを生かせるカードがデッキ内に余り存在していなかった。だからこのデッキを紙束と判断したのだが。
……現在、6マナ。
取り敢えず、手札に居るユニットの内1体は出せる。
だがそれだけだ。それではあの邪神の欠片の効果は掻い潜れない。
他にもユニットは居るのだが、まるで示し合わせたかのようにパワーが1000止まりのユニットだけしか存在しない。
もう1枚、あの邪神の欠片のパワー2000に届くユニットを引き当てるしかないだろう。
再び、時が動き出す。
黒い殺意の光は何度も俺へと降り注いだが、それは俺へ届く事は無かった。
そんな状況に焦れたのか、突如地面を割って現れた黒い体躯が、俺の身体を横薙ぎにしてきた。
その強烈な一打は身体を震え上がらせるに足る迫力を有しており、当たれば一撃で絶命してしまうのではないかと思わせた。
そんな一撃に対し、生物の本能的な部分から発せられる信号に従い盾を構えようとし――それを理性で捻じ伏せる。
「その攻撃は、ライフで受ける」
相手の攻撃に対し、それを盾で受け止めるかそれとも自分への直接攻撃にするのか――その選択肢はプレイヤーに存在する。
盾を全て失うと発生するデメリット、それは超過ダメージが直撃するという事だ。
超過ダメージとは、相手ユニットのパワーがこちらのユニットのパワーを超過、つまり超えている分だけ自分のライフを削られるダメージの事だ。
例えば、相手のユニットのパワーが6000で、こちらのユニットのパワーが1000だった場合、バトルした際にその差分、5000のダメージが自分のライフから削られる。
しかし盾が1枚でも残っていると、そのバトルの際の余波を防ぐという設定なのか、超過ダメージが自分のライフを削る事は無い。
だから盾で防いでいる内は、相手のユニットのパワーがそれこそ10万だろうが100万だろうが、ユニットが戦闘破壊されてしまう事以外に大した意味は無い。
だが、盾を全損した場合は話が別だ。
超過ダメージが直撃するようになれば、相手のパワーの高さが自分へと降り注ぐようになる。
超過ダメージが10000を超えれば、ライフを事前に回復でもしていなければ、即ジ・エンドである。
だから、俺は盾を1枚だけ残すようにする。
相手のユニットのパワーはたったの2000、だから4回までは直撃しても素で耐えられる。
最後の盾を使うなら、自分のライフが尽きる直前……5回目の攻撃で良い。
そう考えて、理性的に盾を残す判断を下し――視界が吹き飛ぶ!
ミシリという嫌な音が身体へ伝わり、衝撃が身体を襲う!
肺から全ての空気が無理矢理押し出され、呼吸が物理的に止められた。
重力が横へ働いたかのように身体が吹き飛ばされ、まるでトラックにはねられたかのように宙を舞い、開けた地面を転がって行く。
反射的に咳き込む。身体に痛みが走る。
だが、痛みは確かにあるのだが、耐えられない程という訳ではなかった。
明らかにあんな巨体に吹き飛ばされたら、命なんて無いはずなのだが、それでも生きている。
痺れたかのように左足の感覚が無いが、それでも立てる。
立ち上がり、そして痺れた左足に目を落とし――目を見開く。
左足、大腿部から脛の辺りまでの一部が、まるでそこだけ空間を削り取ったかのように消失していたのだ。
足があったはずの場所には、砕けた石床の一部が見えてしまっている。
失ったライフの分だけ、自分の身体が消滅した――という事か。
初めてライフを失った事で、頭の中で末路が理解出来た。
ライフが0になるという事は、この足の一部消失がそのまま全身へと広がり――跡形も無く消滅する、という訳か。
唸りたくなるような痛みはあるが、それでも死ぬという恐怖は感じなかった。
それはきっと――死ぬのも悪くないと、普段から考えているからなのかもしれない。
「……ッ、俺の、ターン……ドロー……」
大丈夫、身体は問題なく動く。
足も一部が消えているが、感覚が無いだけで立つ事も問題無い。
普段感じた事も無いような強い痛みがあるだけだ。
それは別に、俺がEtrangerを投げ出す理由にはならない。
「手札から、マナゾーンにカードを1枚置く……ッ、マナゾーンのカードを、疲弊させ、虹マナ3と、無色マナ1、緑マナ1を得る……これで、ターンエンド……」
これで、虹マナ7の無色マナ3の緑マナ1、計11マナ。
これだけマナがあれば、もうマナ不足で動けないなんて事は有り得ない。
パワー2000を越えるユニットをもう1枚、それに除去呪文でも良い。
これだけマナがあれば天罰の火を手打ちだって出来る。
あの邪神の欠片を倒せる手段、何でも良い、デッキ内にある何十枚ものカードの内の、1枚が引ければそれで――
時が、動き出す。
先程の攻撃が直撃し、俺が痛みに耐えているのを感じ取り、効果有りと判断したのか、再び横薙ぎの攻撃が放たれる。
一部の家屋を巻き込み、倒壊させながら放たれたその攻撃を。
「それも、ライフで受ける……ッ」
再び身体を貫く衝撃。
広間を転がり続け、その中央にあった建物へと俺は身体を打ち付け、壁が押し潰されたクッキーの如く砕けた。
普通、こんな衝撃で生身の人間が叩きつけられたら死んで当然なはずだが、俺は生きている。
痛みも先程と同じ位であり、耐えられない程ではない。
何らかの痛みを和らげる要素が働いているとしか思えなかった。ただ、痛みはゼロではないのだが。
そして、直撃の代償としてライフが削り取られ、今の俺のライフは6000。
今度は、右足が削り取られたかのように消滅した。
両足を失ったのだが、立つ事は出来ている。物理法則を無視しているにも程があるが、夢にそんな事を問い質しても空しいだけだろう。
これで、俺のターン。
まだ俺のライフは尽きてないし、盾だって1枚残ってる。
デッキに手を伸ばす。
「――――!」
声が、聞こえた気がした。
その方向へ視線を向ける。
まだ微かに幼さの残る丸みを帯びた顔立ちに、強い焦燥の色が浮かんでいる。
重い鎧を着込んでいるとは思えぬ程の速度で、駆け寄ってきている。
「スバル!!」
声は絶叫に近いモノであった。
何か大切なモノが傷付けられそうになっており、それを守る騎士の如く。
彼女――エルミア姫が俺の所までやってきたのだ。
「エルミア、姫……」
俺の消えた両足を見て、目を見開くエルミア姫。
整ったその顔を、酷く強張らせる。
「すぐに、すぐに医者を――」
混乱した頭を振り、今すべき事を成そうとエルミア姫が俺の身体へと手を伸ばす。
……何か、何か忘れている気がする。
「俺の、ターン……」
条件反射に突き動かされ、俺はデッキへと手を伸ばす。
皮膚が粟立つような感覚。寒気が止まらない。
何だ、何を忘れている……?
身体が、横へと押し出される。
邪神の欠片の攻撃ではない。
引き伸ばされた感覚の中、視線を横へと向ける。
押し出すように両腕を伸ばした、エルミア姫の姿。
体勢を立て直し、エルミア姫はその視線を天へと向ける。
その先には――黒い光を迸らせる、邪神の欠片の姿。
――手札から装備呪文、浄滅の神槍を姫騎士 エルミアに装備
ふと、脳裏を過ぎる。
それは、先程戦った邪神の欠片の記憶。
エルミア姫と力を併せ、敵を打ち破った戦い。
何で、今になってこんな記憶が――
「――あ……ッ」
デッキに伸ばした手を、反射的にエルミア姫へと伸ばす!
忘れていた"何か"に、気付いてしまったから。
図書館での戦いの時、エルミア姫は何故か俺の場に存在するカードとしてカウントされていた。
手が、届かない。間に合わない。
それはつまり、エルミア姫が俺の場のユニットとしてカウントされているという事実。
収束された光が、放たれる。
その光は真っ直ぐに伸び――俺ではない、俺の横の空間を走り抜けて――
エルミア姫の胸を、撃ち貫いた。
「……エル、ミア……」
糸の切れたマリオネットのように、その場に崩れ落ちるエルミア。
その胸部にはポッカリと虚空が広がり、夥しい量の朱が零れる。
身体の中心――心臓の位置が、削り取られたように消滅していた。
頭が、働かない。思考が、黒いヘドロで塗り潰される。
手を伸ばし、添えた掌に、火傷かと誤認する程の強い熱が伝わる。
地面に付いた手が、ピチャリと音を立て、その音が酷く鼓膜に響いた。
――――夢じゃ、無い。
その掌から伝わる、生の熱さは。
そこに居たエルミアが、確かにここで生きて「いた」事の証左。
衝撃。
視界が横へ吹き飛び、まるでテレビの電源が落とされたかのように、視界が黒で覆い尽くされた。