141.離反
ベルクライムを突如襲った脅威は、昴の理不尽によって粉砕された。
襲来から討伐完了まで、10分弱という電撃戦の如き決着。
だが、その数分という時間はドラゴンにとって、人々の営みを蹂躙するには十分過ぎた。
歴史ある巨大な橋は崩落し、街も崩壊。
積み荷を収めた倉庫群の大半がドラゴンのブレスによって焼失し、確認出来ただけで三桁もの死者が出ており、金銭的にも人的資源的にも深刻なダメージを追った。
機動力を有する巨大生物という存在の恐ろしさが、明確に数字として現れた結果である。
未だ、混乱の渦中にあるベルクライム。
圧壊した瓦礫に埋もれた人々の救助や、負傷者の手当てで慌ただしく人々が動いている。
そんなベルクライムの人達を放っておけないと、一部のカード達が協力している模様。
ただ、昴が手伝ってやれと言った訳では無いので、カード達の自由意思で動きたいと思った者だけが救助に参加している。
ブエルは怪我人を一瞬で治療出来、実際気まぐれで力を振るっているようだが、男だけ――特にイケメンは最優先で――治して女は無視している。
例え街の人に乞われても馬耳東風。
そのせいで感謝と同時にヘイトも買っているようだが、無償で動いている以上責任も無いので知った事ではないとスルーしているようだ。
金を貰っているならば仕事なので責任も生じるが、無償は仕事ではないので無責任でも文句を言うなよ、というのがブエルの考えの模様。
マナ数が増えた事により、カード達が自由に動く為のハードルが下がった事、そして昴自身がカード達には自由であって欲しいという方針の為、各々が好き放題に動いている。
そしてまた、自由に動くカードがここにも一枚――
―――――――――――――――――――――――
「なぁにあれぇ……"堕落"させた覚えの無いドラゴンが暴れ回ってるんだけどぉ??」
小高い丘の上、双眼鏡を用い、渦中の彼方からベルクライムを観察する一人の女。
野山で行動するには余りにも場違いな夜会のドレスを身に纏った、持ち前のスタイルと美貌を隠しもせず、武器として使う気満々の出で立ち。
彼女が腰掛けている存在――ライオン程はあろう大きさをした、全身を黒い鱗で覆われたトカゲのような生物は、一目見るだけで相対してはならない存在だという威容を放つ。
それを手懐け、腰掛け椅子同然の扱いをしている時点で、この女も只者ではないのだろう。
それもその筈。
この女こそ、"魔王"に与し、世界に仇なす大罪人。
邪神の欠片を従える"適合者"の一人――"堕落"のエスメラルダであった。
「って言うかぁ、そもそもアレは何処から現れたのよ……さっきまで影も形も無かったじゃなあい?」
降って湧いたならぬ、次元を突き破って現れたとしか言いようが無い、部外者の無双により、エスメラルダの仕込んだ細工は、ガラスを地面に叩き付けるよりも容易く崩壊した。
実際、次元から飛び出しているので、あながち間違いでも無かった。
ベルクライムのドラゴン襲撃事件。
それを引き起こした張本人は、誰であろうこのエスメラルダである。
事前に守りが薄いポイントをピックアップし、そこをドラゴンに襲撃させる。
この世界において、最上位と呼べる程の怪物であるドラゴンだが、それでも無敵ではない。
怪物を葬る化け物や、ドラゴンですら撃ち落とすグランエクバークの軍事力の前では、いくら生物界の頂点であるドラゴンであっても、脅威になり得る。
だからこそ、そういった化け物が近くに居ない事を確認した上で、このベルクライム襲撃を決行したのだ。
フィルヘイムを守護する化け物の一人、勇者の聖剣に選ばれし王、ジークフリートはベルクライムへすぐに駆け付けられる場所に居ない。
他国が救援に来る心配も無く、ジークフリートが駆け付けるまでという時間制限付きだが、その時間があればドラゴンはベルクライムを蹂躙し尽くせる筈であった。
だが、それが出来なかった。
一応、ある程度街にダメージを与える事が出来たので最低限の仕事は果たしたが、逆に言えばドラゴンという強力な手札を用いて置きながら、最低限の仕事しか出来なかったとも言える。
自身の得ている情報の中に無い、余りにも突飛な現象。
もし既知の存在以外で、このドラゴン達を止める事が出来るような存在が居るとすれば――それは、勇者の存在以外有り得ない。
このドラゴンの集団は、エスメラルダにとっては捨て石であった。
強力な駒でありながらも、失っても自分がダメージを追う事も無い、最高の捨て駒。
これを囮にして、自分達にとっての真の脅威――勇者を、炙り出す。
炙り出すという言葉の通り、エスメラルダ達は勇者の所在を把握していなかった。
何しろ今回現れた勇者は、歴代勇者と比較してもトップレベルの根無し草。
神出鬼没、そして拠点が陸地に無く、常時海上を徘徊し続けている為、場所すら特定出来ないし、市民の目に留まる事もほぼ無い。
人智を超えた力を持つ"適合者"であっても、ここまで徹底して人と関わらない隠居生活のような事をされては、発見は困難極まりない。
だから、その勇者の姿、所在、その力を確認する為、ドラゴンを利用した。
見付けられれば、その力を確認出来れば、それでよし。
もし駄目ならば、街を破壊し尽くして次のポイントへと向かうだけである。
エスメラルダ達にとってみれば、これは近くに勇者が居ればラッキーの当てずっぽうの作戦であった。
もし駄目でも、重要な拠点や市街地の破壊は出来ているので、無駄にはならない。
どっちに転んでも問題無い、二重の策であった。
なので、一発目で勇者が網に掛かったというのは、ただの偶然である。
――今、この街に勇者が居る。
そしてその戦いの一部始終を、観察出来た。
正に値千金の情報だ。
「どうした女、何か探し物か?」
人気の無い筈の場所で聞こえた、男の声。
その声の方向へ目を向けるエスメラルダ。
「コイツをくれてやるから、とっとと帰るが良い――地獄の釜の底へとな!」
何も無い空中で、肩に猫を背負った美丈夫――バエルは、そう吐き捨てた。
溢れ出るおぞましい程の魔力で羽織ったファーコートはバタバタとはためき、手にした杖に埋め込まれた水晶からは、強い輝きが放たれる。
天を指し示すかのように掲げられた片腕の先には、青黒く輝く巨大な球体。
その腕を振り下ろす。
ちょっとした宮殿を丸ごと飲み込む程に巨大な魔力球は狙い真っ直ぐ、エスメラルダの元へ飛来する!
瞬時にソレが危険な代物だという事を察し、反射的に回避を試みるエスメラルダ。
トカゲの見た目をした生物――邪神の欠片がトカゲとは思えない程に見事な跳躍を見せるが、そのただ一度の跳躍で回避し切れる程、小さな攻撃では無かった。
面で押し潰す、ただ一人に向けるには余りにも過剰な攻撃範囲。
回避出来ない事を悟ったエスメラルダは、自らが腰掛けていた邪神の欠片を乗り捨て、踏み台にして飛び退く事で辛うじて攻撃を避ける!
邪神の欠片を、青黒い球体が飲み込んでいく。
その場の地面諸共、空間を削り取ったかのような痕跡だけを残し、球体は霧散していった。
「――ッ! 何をするのですか!? 私に危害を加える事は、我が国に対する敵対行為と――」
「囀るな雑種。どれだけ上手に演技をした所で、その面の皮の下から腐臭が溢れ出ているぞ?」
エスメラルダの言葉を物理的に遮る、巨大な火球、天より注ぐ雷の槍、岩すら両断する風の刃。
同じ攻撃手段は一つも使わないとでも言わんばかりの多彩な攻撃が、容赦無くエスメラルダに向けて降り注ぐ!
「それに――世の配下にはアンドロマリウスという優秀な男が居てな。悪事や企み、謀略の類を感知する力があるのだよ。鼻を摘まんで足を運んでみれば、見た目だけを取り繕った下女がポツンと居るではないか。食い殺されても文句は言えんなぁ? 尤も、世はゲテモノ趣味では無いがなぁ!」
獰猛な笑みを浮かべるバエル。
肩に乗った猫がにゃおん、と小さく唸った。
「そうは思わんか? 邪神の欠片――否、"適合者"とやらよ」
「――あらそう。全部お見通しって訳ねぇ、本ッ当、勇者ってのは厄介だねぇ」
最早演技やブラフも必要無いと判断し、素の表情を見せるエスメラルダ。
「だけど、アタシの目の前にノコノコと顔を出したアンタが悪いんだよ――!」
エスメラルダは、その白く妖しい指先を、バエルにそっと向け――パチンと、指を打ち鳴らした。
―――――――――――――――――――――――
この街に足を踏み入れて早々、とんでもない騒ぎに巻き込まれたな。
こんな生物災害に巻き込まれたこの街は気の毒に思うが。
ただ、俺個人としては足を運んだ甲斐はあったのでは無いだろうか。
その甲斐とは、俺の手に戻って来たこのカード群の存在。
――ドラゴン。
それは、カードゲームにおいて無くてはならないと断言する程に重要なカテゴリ。
単純に、ドラゴンって存在が人気だからね。
大人にも子供にも人気で、その格好良いイラストともなれば、カード効果に関わらずイラストだけでそれなりの値段になる事もしばしば。
人気って事はそれだけ数があり、数があるって事は、それだけ――強カードが存在する。
このEtrangerにおいても例外ではなく、ドラゴンという種に属するカードは多数存在する。
イラストが映えるカードも、効果が強烈なカードも、ちょっと使い辛いカードも、多種多様。
まあ、その効果が強烈な奴はついさっき使った訳だが。
ああいう露骨な奴を除いても、ドラゴンには優秀なカードが沢山あるんだよな。
大抵のドラゴンはエースカードとして優秀な大型ばかりなんだが、その中でも特に欲しかったのが――共喰いウロボロス。
アルトリウスのデッキを組む上で、何度思い浮かべても出て来なかったそのカードが、今、俺の手中にある。
コイツもドラゴン族に指定されてたから、恐らく先程大量に現れたドラゴン族系統のカードと一緒に戻って来たのだろう。
アルトリウスとは特に何の関係も無いカードなんだが、まるでアルトリウスをサポートする為に作られたとしか言いようが無い程にシナジーした効果を有している。
これが入った所で、デッキの破壊力が上がる訳ではない。
ただ、デッキの安定感と回転力が一気に跳ね上がる。
デッキが安定する、っていうのはある意味では攻撃力以上に重要な項目だ。
出せば勝ちというカードがあったとしても、そのカードが山に眠ったまま、手札で腐ったままでは何の意味も無い。
強いカードをしっかりフィールドに出せて、そこで初めて力として振るう事が出来るのだから。
……何か、遠くでドッカンドッカン雷? 爆発? 音がするんですが。
カード達を点呼した所、どうもバエルが暴れているらしい。
何だよ、そこに一体何があるんだよ。
しばらくしたら音は止んだ。
カード達は時間と距離を無視して意思疎通する共通手段があるらしいが、実体化している最中には使用不可。
なのでこうして通信機器を俺が持ち歩いている訳だが……バエルは子機を持たずに行ってしまっていた。
いや、そこは持って行けよ。
七天竜が戻って来た。
ジャッジメントドラグレイスが、戻って来た。
ある意味ではアケディアに匹敵する位の、白文明クソゲー製造カードが、戻って来た。
こいつ等には、散々苦しめられたな。
春樹の使うコイツはマジで強くて強くて――
「主人! 防御して下さい!!」
「ん?」
「攻撃が来ます!!」
ダンタリオンの切羽詰まったような声で、意識をそちらに向ける。
空に浮かぶは、青黒く輝く巨大な球体。
天を覆い隠し、この街を丸ごと飲み込んでしまう程に巨大。
「バエルが裏切りました!!」
……んんー??




