138.生物の頂点
平和とは、戦争と戦争の間の空白時間である。
フィルヘイムにとっての仮想敵国は海を隔てた向こう側であり、ベルクライムは長年、争いとは無縁であり続けた。
願わくば、この空白時間が何百何千年と続いて欲しい。
それが民衆にとっての願いであった。
しかし平穏は、実に容易く崩れ去った。
始めに気付いたのは、一体誰だったのか。
ある者が、その場所を指さした。
指した先は、ただただ水平線が広がるだけの大海原。
空も晴れ渡っており、当分雨とも嵐とも無縁そうだ。
そんな青空に、一つ、また一つ、黒い影。
雨雲か、それにしては小さい。
その影は、少しずつ大きさを、数を増していく。
そしてそれは、矢の如く飛来した。
時代を感じさせる大橋が、その衝撃に耐えられず、崩壊していく。
大陸同士を繋ぐ巨大な橋を破壊しながら、その威容が陽の下に晒される。
獅子を思わせる太い牙。
猛禽類の如く鋭く、強靭な爪。
その全身は硬い鋼のような鱗に覆われており、広げた蝙蝠のような被膜の翼は、街並みに暗い影を落とした。
ありとあらゆる生物の強い要素を混ぜ合わせ、そのまま巨大化させたような、生物界の頂点と呼ぶに相応しき存在。
この世界で人々は、それを――"ドラゴン"と呼んだ。
空を飛ぶ戦艦が落下してきたような物だ。
石造りの橋は、そんな大砲を撃ち込まれるような想定をした耐久力を有してはいない。
音を立てて崩れる橋、海へ落下していく瓦礫、そして、人々。
更には、それが二つ、三つ、四つ。
橋に、そして街中に、次々に飛び込んで来た。
轟咆。
ドラゴンがただ一度、大きく吠えた。
壊れた街並みを包む土煙が、駆け抜けた突風で吹き消されていく。
街の人々が、空を見上げる。
土煙が晴れた事で、鮮明なその姿を目の当たりにする。
そして、後悔した。
そこにあったのは、更なる絶望だったからだ。
雄々しき翼を広げ、まるで巨大な山脈の如き巨躯が、悠然と空を駆ける。
まるでこの空は自分の物だと言わんばかりの有り様であり、そしてそれに異を唱えられる者など居ない。
一体、誰があの存在に歯向かえると言うのか。
灼熱を宿したかのような竜鱗が身を包み、一振りで橋を粉微塵にしてしまいそうな両腕。
その腕には岩すら容易く引き裂いてしまうような、鋭利な爪。
振り抜けば山すら吹き飛ばせるような尻尾。
生命の頂点、破壊を具現化したような存在。
それが、鋭い牙をギラつかせ、その口元からは抑え切れないとばかりに、強烈な熱気と火の粉が溢れる。
だが、絶望はそれで終わらない。
大海を割り、それは現れた。
さながら間欠泉の如く、巨大な瀑布が巻き起こる!
海水のヴェールの奥で、赤い双眸が輝いた。
この街全てを囲んで包める程の巨躯を持ち、その全身を包む青き竜鱗が陽光に照らされ輝く。
鎌首をもたげる。
街を見下ろし、開いた口腔から、深い深い青色が迸る。
青色は閃光となり、空を走った。
轟音と共に放たれた、そのドラゴンブレスは、遥か遠くに在る山脈に深い傷を刻み込んだ。
それ等の姿を見て――人々は、足を止めた。
逃げ惑っていた者も、皆、空を見上げて沈黙した。
理解してしまった。
今日、この歴史ある街は、消えて無くなる。
そこに居る自分達も、誰一人、生き残る事は出来ない。
逃れられぬ死を目の前に突き付けられ――誰かが、笑った。
その笑いに釣られ、一人、また一人と、乾いた笑いが起こった。
頬には涙が伝い、恐怖で凍り付いた表情のまま、ただ笑う。
不可避の死を前にして、抗う術も、逃げる事も出来ず。
全てを諦め、ある者はその場に崩れ落ち、またある者は、茫然と立ち尽くすばかりだった。
大地が震えた。
最早これ以上など無いと思っていた人々に、更なる悪夢が現れた。
一体何匹来るのだこれは。
空に虹色の穴が開き、そこから飛び出す黒き竜、そして大地を揺るがすは、三つの頭を持つ竜であり――
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突如、海の向こうから音も無く飛来した超巨大生物。
こうしてこの世界で目の当たりにするのは初めてだが、ダンタリオンから伝え聞いていた範囲で知識はあった。
だから、空から現れた――ドラゴンという存在に関して、そこまでの驚きは無かった。
この世界で見るのは初めてでも、俺達が普段存在する精神世界で、ドラゴンなんて存在は飽きる程顔を合わせて来たような相手だ。
野良猫位の頻度で見掛けていれば、流石に驚きも何も無い。
団長の居た世界と違い、この世界において、人間というのは生物界の頂点ではない。
火を手に入れ、石を加工し、鉄の武器を手に入れ、果てには銃火器、核の力まで手に入れ、人は地球上の頂点に立った。
だが、ここは地球ではない。
この異世界には、例え人類が銃火器を有していたとしても届かない、絶望的な程に格の違いを見せ付ける、生物界の頂点が存在していた。
そんな、この世界における最強種が、我が物顔で。
人を、喰らっていた。
人が暮らす営みを、蹂躙していた。
それを見て、反射的にその場から飛び出していた。
俺だけではない、他の皆も同じであった。
「流石異世界、とんでもねぇのが居やがるな――って、俺達が言えた義理じゃねえけどな!」
「応戦しましょう」
「一発かましちゃおうよ隊長!」
「駄目だ……! ここからでは射角が確保出来ない!」
倒せない訳では無い。
それ所か、俺が一度砲撃出来れば、その射線上に居るモノは全て葬れる。
ましてや支援砲火の効果も込みで考えれば、ここに居る俺達五人、全員がそれを成せる。
例え相手が異世界のドラゴンだろうが、それだけは断言出来る、やってみせる。
だが――位置が悪い。
俺が砲撃すれば、間違いなく射線上の全てを吹き飛ばせる。
ドラゴンも、そしてその周囲にある建物も、人々も、全てだ。
人々を守る為に、ドラゴン諸共街並みも何もかも吹き飛ばしては、一体何の為に戦ったのか、意味が分からなくなる。
今は団長の法則の影響下ではない。
この位置では、撃てない。
射角が地上ではなく、空中に向かっている状態でなければ、不用意に撃てない!
だから、先ずは空を薙ぎ払う!
「エクスチャージブラスト!」
引き金を引いた。
砲門から解き放たれた大破壊が、空の脅威を消し去っていく。
余波による被害を抑える為に、威力をそれなりに絞って撃ったのだが、それでも周囲の建物のガラスが次々に破壊されて行った。
これ位は、許して欲しい。
これで、空に居る脅威だけは排除出来た。
だが、既に地上に降り立ってしまったものには手出し出来ない。
場所を、変えなければ。
俺達には、この街の人々を救わねばならない理由も、義務も、何も無い。
だが俺達は、軍人だ。
守る者も国も、何もかもが失われた、敗残兵。
それでも俺達を軍人たらしめるものが有るとすれば、それは、誰かを、何かを、守りたいという感情。
それを守る為に、武器を取る、武器を振るう。
それが、俺達伝説の魔法戦隊の存在理由。
俺達が俺達である事を証明する為に。
無辜の民を傷付ける存在が目の前に在ると言うならば、誰であろうと倒すまでだ!




