121.無人船
それはよく晴れた、穏やかな日であった。
時刻は昼の3時を回り、各々が思い思いに余暇を過ごし、時に日々の作業で動き回っていた。
自室で昼寝をしてみたり、新設された魚群探知機のレクチャーを受けたり、昴がしれっと始めたカードゲームをしてみたり。
自活の為に必要な仕事内容も、カード達が少しずつヘンリエッタ達に教え込んでいくが、そもそもメガフロート内での作業内容は相当数が自動化されている為、覚えるべき内容はほぼほぼ自らが生きる為の食糧確保方面に特化していた。
広大な面積の建造物だが、掃除は自動化されており、海上ではあるが水やエネルギーが実質無尽蔵となれば、そうなるのも当然だろう。
「……よしよし、良い感じに受信してるぞ。大丈夫だとは思うけど、これだけは確認して置きたかったですからねえ」
今日も一日、昴達への貢献と、自らの趣味を満たす機械弄りと創作活動を続けるカードの一人――マティアス。
尚、実際に役に立っているので誰も文句は言わないが、マティアスが作る物は8割方趣味の物ばかりである。
その為、ほぼずっと働き詰めのように見えるが、特に苦に感じたりはしていない模様。
操舵室内で何やら新たなシステムを構築しているようで、チラリと気分転換に向けた視線の先に、何かを発見するマティアス。
所持していた多機能携帯端末を操作し、その何かをカメラに付随していた望遠機能を用いて拡大。
海風を受けて、大海原を進む帆船の姿を確認する。
基本的にこのメガフロートは、他国の領海、及び他の船舶、嵐等の悪天候回避しつつ、延々と公海を航海し続けている。
電波という手段で姿を確認した上で回避する都合、今回のように船と鉢合わせする事は良くある事である。
その都度、相手方の進路から外れるように航路を調整する必要があるのだが、そんな事はわざわざ手動でやる必要は無い。
自動化されたメガフロートはプログラムに応じて航路を変更し、相手の邪魔にならないよう勝手に回避してくれるのだ。
だが今は、タイミングが悪かった。
新たなシステム構築を行うにあたり、邪魔だったり不具合を起こす為、既存のプログラムの一部をシャットダウンしていたのだ。
その中には、船舶自動回避システムも含まれていた。
しかしだからといって、衝突する訳でもない。
風向きを確認し、無言でメガフロートの進行方向を手動修正するマティアス。
帆船は風に従って進むもので、風に逆らって進んだりはしない。
風向きを確認してしまえば、回避も容易である。
その後は再び、趣味もとい仕事に戻るマティアス。
モニターに向き合い続け、疲弊した目を休めるべく、窓の向こう側に視線を向け――
「……何でこっちに向かって来るんですか」
そこにあったのは、メガフロートが向かう先に合わせるかのように、向かって来る帆船。
グランエクバークが保有する艦船の類ならば、電波通信も有効なのだろうが、あれはどう見ても木造の帆船だ。
この世界の技術力格差を考慮すれば、グランエクバーク以外とは近代的な通信は不可能と見て良い。
即座にフラッシュライトによる光信号で合図を送るも、反応無し。
このメガフロートは、航空機の離着陸すら可能な、空母と同等かそれ以上という、船としては最上級の巨体である。
搭載してある動力は、その巨体を振り回すのに足るだけの規格外で反則的な代物だが、それでもこれだけ巨体の進路を変更するとなれば、向きを変えるのにも多少時間が掛かる。
当然、その速度は鈍重にならざるを得ず、小型船相手では機敏さにおいて大敗している。
こっちが避けたのに、あっちが合わせて来たら、もうこちらとしては避けようが無いのだ。
「だ、誰か、行って来てくれませんか……?」
なので、マティアスにはこれ以上どうしようもない。
普段であらば発生しなかった、偶然に偶然が重なった結果生じたアクシデント。
機械を弄らせたらカード達の中でもトップクラスだが、彼自身はロクな力を持たない一般人同然である。
自分ではどうにもならないので、大人しく他のカード達の力に頼るのであった。
―――――――――――――――――――――――
数十分後。
メガフロートに横付けされる形で係留された木造船。
それを最上層から見下ろす形で、昴とカード達は集まっていた。
「……船だな」
「帆船だな」
「調べましたけど、正確には機帆船ですね。見た目が木造で帆があったから、完全に油断してましたよ。だから風向きに逆らって進んでたんですね」
「きはんせん? って何だ?」
「機械動力を搭載した帆船、だから機帆船です」
「ああ成程。機帆船のきの部分は機械の機なのか」
昴の疑問に答えるマティアス。
「ちなみに、中には誰も居ませんでしたよ」
「誰も居ない……?」
首を傾げる昴。
今回起きたのは、事件と呼ぶには余りにも大袈裟な、些細な出来事ではあるが、平和なこの場所で珍しく起きた事件だ。
なので興味本位で昴も首を突っ込んだ訳だが、その時にこの機帆船の姿も確認している。
見た時点で帆も張ってあり、更にはエンジンも掛かりっ放しだった。
「何処かの港から流れて来たとかじゃないのか? 止めるのに使っていたロープが切れたとか」
「係留のロープが外れたとか切れた、ってだけならまだ分かるが……係留する時に帆は張らない」
「確かにそうだな」
一緒に居たアルトリウスの疑問に対し、首を傾げたまま答える昴と、同意するエルミア。
帆船の帆とは、いわばエンジンのようなものだ。
係留してるのに帆が張られているというのは、駐車してるのにエンジン掛けっ放しという事と同じである。
すぐ出発するからエンジンを掛けているという状況ならばまだ分かるが、それはそれでじゃあ何で誰も乗っていないという事になる。
明らかに不自然だ。
「……魔物に襲われて、搭乗員が全滅した……か?」
――ここは、地球ではない。
魔物という、人を襲う生物が跋扈する世界。
もし魔物に襲われ、その死体も喰われてしまったと仮定するのであらば、この状態の辻褄も合う。
「いや、この船の何処にも戦闘を行ったような痕跡は無かったぞ」
エルミアが昴の疑問に答える。
この船に乗り込んで操作する際、マティアスやダンタリオンと一緒にエルミアも同行していた。
最初はダンタリオンだけが向かい、搭乗員と話を付けるのが目的だったが、中に誰も居ないという事実が発覚し、船を操作する為にエルミアとマティアスも一緒に行った、という経緯である。
その時にエルミアが船内を確認しているが、戦闘があったならばあるであろう、破壊痕や血痕の類は見られなかった。
多少、床に瓶が転がっていたり、椅子が倒れていたりはしたが、船は波で揺れる物なのだから、それだけで戦闘があったと見るのは無理があるだろう。
「つまり、この船は魔物に襲われた訳でもないのに、海上で乗組員が全員消え失せた、と」
何じゃそりゃと、昴は口を衝いた。
謎過ぎる状態でやって来たこの無人船は、昴の興味を引くには十分過ぎた。
「この船はどうするのだ?」
「誰も乗ってないなら、有難く頂きましょうか」
「良いですねぇ!」
「えっ?」
船の処遇を訊ねた所、想定外の答えが飛び出した事で会話が停止するエルミア。
そんなエルミアにフォローを入れるべく、昴が口を開く。
「頂くって、既にメガフロートがあるのにこんな船奪ってどうすんだよ」
「それもそうですね」
「……よく考えたら、あんまり使い道無いですねぇ」
昴はこんな船と言うが、グランエクバークという例外を除けば、この世界では中々な代物である。
だがそれでも、今昴達が搭乗しているメガフロートと比較してしまうと、こんな船、という評価になってしまうのは無理は無い。
「元の所有者……が、この状態で無事かは知らんが、返してやろうぜ。俺達は使い道無いし、放流して幽霊船になったら邪魔だろ」
「中の書類を漁れば、登録証明の書類もありそうですね」
「あ、な、なら……ぼ、僕は帰りますね……」
自分がやる事は無いと察し、スイッチが切れてしまったマティアスは、そそくさと姿を晦ますのであった。




