11.更なる危難、錯綜する情報
「――勝った、のか……?」
その場で棒立ちのまま、放心するエルミア姫。
戦いが終わった事で、その手に収まっていた槍も粒子となって宙へと消えていく。
「……出られた。主人、お疲れ様」
槍が消えるのとほぼ同時に、短く呟くダンタリオン。
昴の横に、リッピが今までやっていたように唐突に現れる。
その口調には、何処か驚いたような感情が僅かに感じ取れた。
「ああ、やっぱり普通に現れるんだな。リッピみたいに敵にやられたはずなのに」
邪神の欠片との戦いの際、リッピもダンタリオンも一度倒され破壊されている。
しかし、戦闘が終わればまるで何も無かったかのように、何食わぬ顔で昴の前に現れる。
「うん。リッピから話は大体聞いた。主人は、私達を気にせず、主人の思った通りに戦ってくれれば良い。私達は、主人が死なない限り不死身って言っても良い状態みたいだからね」
「……リッピから? リッピが何言ってるか分かるのか?」
「私達カードは、カード同士が精神的に繋がってる状態なの。言葉ではなくて、魂同士で会話しているから、言葉じゃなくて考えた事で通じ合っているの」
ピーピー鳴いてるようにしか聞こえなかった昴に、ダンタリオンはそう説明する。
しかし、それは現実世界に馴染んだ昴には理解し難い内容であり、夢だからそういうものかとそれ以上の思考を放棄した。
「あっ……! す、スバル殿! あの槍が! 槍が消えてしまった!」
放心状態から戻り、我に返ったエルミア姫。
先程まで自分が使っていた槍が目の前で消えてしまった事に気付き、急に慌て始める。
自らの手で使った事で、自分が使っていた槍は恐ろしい程の力を秘めた、それこそ勇者達が使うような歴史に名を残す業物だという事を知ってしまった。
そんな素晴らしい代物が、自分の目の前で消えてしまったのだ。
もしかして、自分が原因で壊れてしまったのかもしれない。
そう考えてしまうのも無理は無く、それが原因で慌てているのだろう。
しかしそんな慌てるエルミア姫に対し、原因が分かっているダンタリオンは淡々と答える。
「そりゃ消えるよ。主人の戦いが終わったし、それに……」
そこで口篭り、明後日の方向に視線を向けるダンタリオン。
「主人、これで終わりじゃない。反応が近くにある」
「反応?」
「さっきの奴。邪神の欠片とか言ってたアレ、もう一体この街に居る」
そのダンタリオンの言葉は、再びエルミア姫に緊張感を取り戻させるのに充分な破壊力を有していた。
「邪神の欠片が、まだここに居るのか……!?」
「それで、どうするの主人?」
エルミア姫は、ダンタリオンの言葉に驚きを隠せなかった。
そんな彼女の反応を特に気にする事無く、ダンタリオンが昴に対し問う。
その意味が瞬時には理解出来ず、昴は戸惑う。
「アレと、主人は戦うの? そうなら時間的余裕はあんまり無いよ」
アレ――邪神の欠片をダンタリオンは指しているのだろう。
理解した事で、その問いに対し昴は即断する。
「そうだな、行くよ」
「分かった」
その昴の答えを聞き、ダンタリオンは行動を始める。
手にしていた本が宙でひとりでに動き出し、ダンタリオンの後ろ、太腿の辺りでピタリと停止する。
その本にダンタリオンは腰掛け、その後、昴に対してその白くて細い両腕を伸ばす。
「……何だ?」
「移動する。抱っこするから捕まって」
「……抱っこ、されるのか。俺が」
ダンタリオンの姿勢的に、通称お姫様抱っこと呼ばれる体勢で担ぎ上げられる事になる。
ダンタリオンの外見は、十代の少女のような見た目をしている。
彼女はエルフと呼ばれる種族なので、外見と年齢が人間の常識と一致しているかは分からないが、ダンタリオンの美貌は一旦置いておくとして、それでも外見が少女なのは間違いない。
十代の少女にお姫様抱っこされる、三十台の男。
その姿を想像した昴は、流石に難色を示した。
「移動するにはその方が早い。大丈夫、主人の考えてる一般女性みたいに非力じゃないから落としたりしない」
「……そうだよな。分かった」
そこじゃないのだが。と思いつつも、観念してダンタリオンの腕の中に納まる昴。
そもそも、カードの設定的にダンタリオンは一般的に魔法使いと呼ばれる部類の人物なのだ。
そういう人物に対し筋力的にどうとか追求するのはナンセンスだし、問題になるのは単に見た目だけだ。
力が弱くて自分を落っことす、なんて考えは昴の中には無かった。
花より実を取る考えが強い昴は、ダンタリオンの考えが合理的だと理解した。
白く、柔らかい腕が昴を包み込む。
ダンタリオンの顔が、彼女の吐息が昴の顔に掛かる程に近付く。
澄んだ青い瞳に、整った容姿。
彼女に魅了されたエトランゼプレイヤーは数多く、昴もまたその一人であった。
そんな彼女がこんなにも間近で、昴と身体を密着させ、昴の事を抱き上げている。
「じゃあ、飛ぶね」
最初はゆっくりと浮かび上がり、その後は徐々に加速度が増し、地上が遠ざかって行く。
その時昴の頭に浮かんだのは、落ちたらどうしようという恐怖感ではなく、ダンタリオンって本に乗って空を飛ぶのか、という今まで知らなかった新たな発見であった。
破壊された家屋の隙間から、空を飛んで明後日の方向へ向かって行く昴とダンタリオン。
置き去りにされたエルミア姫は、そんな二人を黙って見送るのであった。
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「一時はどうなるか、気が気ではなかったが……どうやら今の所、主にも問題は無さそうだ」
「我等だけでも、主君をお守りする覚悟であったが……やはり、言葉が直接通じないというのは辛いものがあるな」
力強い、年季を感じさせつつも若々しい活力を感じさせる、二人の男の声が聞こえる。
それは何も無い、闇の中で交わされている会話。
その声の方向を見ると、そんな闇の中にまるで切り取られたかのように不自然に浮かぶ景色があった。
ひとつは、鬱蒼と木々が生い茂る熱帯雨林という表現がピッタリな、森の中の風景。
そしてもうひとつ、一面の銀世界が広がり、景色だけで身も心も震え上がりそうな程に寒々しい、暗雲の立ち込めた吹雪の平原。
その銀世界で吹き荒れる吹雪は、当然ながら雪が宙に舞い上がっているのだが、何故かその雪は地面に落ちる事は無い。
宙に舞っている雪の一粒一粒が、まるで写真で撮った一枚絵のようにピタリと静止しているのだ。
まるで、時間がそこで止まっているかのような、不可思議な光景であった。
更に付け加えるのであらば、この熱帯雨林と銀世界。
完全に相反するはずのこの光景は、まるで二つの写真を綺麗に定規で切り取り、その切り口をピタリと繋ぎ合わせたかのように隣接していた。
「今後の御二方の言葉を御主人様へ伝達する際は、私めやダンタリオンに御任せ下さい」
更にその光景に、もうひとつの景色が繋ぎ合わされる。
シャンデリアの煌びやかな光で照らされた、大理石造りの白い柱や、見事な出来栄えの油絵が展示された壁面。
磨き上げられた石床の上には赤いカーペットが敷かれており、その光景は貴族王族の住まう館や城といった印象を抱かせる。
そんな空間から届く、若い女性の声。
風貌から推測するに、年齢は恐らく20代程度。
長く艶やかな髪は後ろで束ね、慎ましいメイド姿の女性――インペリアルガードと呼ばれた人物がそこに存在していた。
「助かる。我等の言葉は、直接だと主君には理解されないようでな。人の身でない事をここまで歯痒く感じるとは思わなんだぞ」
その言葉は、銀世界の風景――そこに足を曲げ、どっしりとその巨体を横たえた、青い体毛の巨大な狼――昴からフェンリルと呼ばれていた存在から放たれる。
「どうして急にお前達との繋がりが回復したのか、そして未だ繋がりが途絶えたままの連中との違いが何なのか……分からない事ばかりだな」
呟き、思考に耽るのは熱帯雨林の光景に存在する、極彩色の羽を持つ翼鳥――リッピであった。
「そもそもの話、ここは一体何処なのだ。主が居たはずの日本とは似ても似つかんぞ」
「ダンタリオンからの情報によると、この世界はエイルファートと呼ばれており、そこに存在するフィルヘイムという国の領土内だとの事です」
「主君が日本に居た頃に、我等がテレビやインターネットとやらから拾い上げた情報の中には何処にも存在しないはずの地名ばかりだな」
「地球ではない――ふむ、御主人様が以前読んでいた、『異世界物』と呼ばれる物語の作品と状況が似ているように思えます」
「ここは地球ではないと?」
「少なくとも、その可能性は高そうだと考えます。御主人様が居た地球では有り得ぬ筈の、魔法という現象。そして、ダンタリオンによればこの世界の地図の地形的に、地球の要素が何処にも感じられなかったという情報を加味すると、ここは地球ではないと考えた方がまだ状況に納得が行きます」
インペリアルガード、リッピ、フェンリル、そして今はこの場に居ないダンタリオン。
彼等彼女等は全て、昴の所有していたカード達であり、昴の手の内に納まって以降、昴の側でその動向を見聞きしていた。
その記憶はこの世界でも残っており、昴と共に移動中、またはテレビやパソコンを通じて流れてくる情報。
これ等に加え、この世界で昴が見聞きした情報、そしてダンタリオンがあの図書館から得た情報を総括。
これ等を元にインペリアルガードは、自らの推察を纏める。
しかし、その口はピクリとも動いていない。
この空間では、自分という存在が考えている事を直に相手へと伝える事が出来る空間。
それ故に、言葉を語る際に口を動かす必要は無いのだ。
「異世界転移、という奴か」
「創作上の物語の中だけの話だと考えていましたが、よもや御主人様がそれに巻き込まれるとは……想定外の出来事ですね」
「異世界ともなれば、地球の常識は何も通じないと考えて良いだろう。日本の常識が海外では非常識だという例もある、地球の中ですらそうなのだ。星が違うとなればどんな常識や危険があるかまるで想像が付かない。本当に主君は大丈夫なのか?」
「不安ではあるが、現状はダンタリオンが主の側に居る。どうやらこの世界では、我等がカードとして与えられた力をそのままに振るう事が出来るようだ。ダンタリオンの能力であらば、ある程度は信頼して良いだろう」
「現状、繋がりが回復している中で最も力があるのは彼女ですからね。ダンタリオンに全てを委ねる他無いでしょう」
「しかし、何故だ! こうして主君との繋がりが回復したのに、どうして今は主君の側に出て行く事が出来ないのだ!」
フェンリルが吠える。
この世界に辿り着いて早々、フェンリルはその姿をこの世界で構築する事に成功していた。
実際、言葉が通じないなりに昴と対話を試み、昴を首都まで運ぶ事もしていた。
だから、昴の側に姿を現す事が出来ない現状にフェンリルはイラついていた。
「……何らかの制約があるのかも知れぬな」
「この世界における、ルール……でしょうか? 水が高きから低きへ、木から落ちる林檎の如く。私め等が理解出来ていない、何らかの法則があるのかも知れませんね」
「だがそういう意味で、ダンタリオンと早期に繋がりが回復出来たのは不幸中の幸いだな。数あるカードの中でも、こと知識という意味に限って言えば、奴程信頼出来るカードも無かろう」
「……そうだな」
「現状、私め等が姿を現す事が出来ない以上。御主人様の御世話も護衛も、全て彼女に任せる他ありませんね」
闇の中で、リッピとフェンリルとインペリアルガードの情報交換が進んで行く。
何故日本に居たはずの昴が、唐突にこんな異世界へと放り出されたのか。
現状、昴を取り囲む状況が時間に追われる状況であり、ゆっくりと出来る時間が確保出来ていない事。
それ故に昴自身と直接会話をする時間も少なく、この世界の情報も断片的。
情報が圧倒的に不足しているが、それでも彼等彼女等なりに推察を進めるのであった。