93.斜陽の帝国、泥船の少将
3月になったので、第四章後編開始します
嘘です投下準備が出来たのがたまたま3月1日だっただけです
長い廊下、複数の足音が反響する。
人数は、二人。
どちらも皺一つ無い白の軍服を身に付けており、胸元の勲章が、双方共に相応の階級に座する軍属の者だと物語っていた。
一人は男で、もう一人は眼鏡を掛けた女性だ。
「――レイヴン少将閣下。此度の招聘は一体、何用なのでしょうか? 数週間前に発生した、電子機器の大規模誤動作の件でしょうか?」
「内容までは知らんが、予想は付くさ」
レイヴンと呼ばれた男が、女性の質問に答える。
「軍人が呼ばれている時点で、荒事なのは決まっている。ならば、どうせロクでも無い任務が割り振られるのが道理だ。テレジア大尉も、気を引き締めておけ」
ノックの後、レイヴンとテレジアの両名が、両開きの扉を押し開けて室内に踏み入った。
コの字型のテーブルがあり、その両脇には両名同様の軍服に身を包んだ、軍人の姿。
そして、上座に座する者。
「レイヴン・マックハイヤー少将、テレジア・バルヒェット大尉、良く来てくれた」
ガッチリとした体格に、ビシリと皺一つ無く張り付いたかのように、見事に着こなされている装飾の施されたスーツ姿。
切れ長の双眸に鳶色の瞳、金の糸かと思わせるような柔らかな頭髪は、首に掛かるか掛からないかという長さで綺麗に切り揃えられていた。
その者を見るや否や、二人は最敬礼の姿勢を取った。
それも当然だ。
グランエクバークは帝政であり、代々エクバーク家が国の中枢に座して来た。
たかが軍人風情が、目の前の男に対して不敬な態度を取れば、即刻打ち首にされても文句は言えないのだから。
アレハンドロ・グラン・エクバーク、第三皇子。
現皇帝である、ダレル・ハインリッヒ・グラン・エクバークの直系の子であり、正真正銘、皇族の血筋。
グランエクバークという国の象徴の息子ともなれば、国内外問わず、大抵の者であらば頭を垂れて当然の人物が、そこに居たのだ。
「余計な挨拶は抜きにしよう。空いてる席に腰掛けたまえ」
レイヴンとテレジアが席に付いたのを確認した後、これで全員集まったのか、アレハンドロは主目的となる案件を口に出した。
「――今回集まって貰ったのは他でもない。ドリュアーヌス島に関しての事だ。今まで情報を伏せていたから、初耳の者も多いだろうが、これから話す事は、他言無用で頼む」
二週間前。
シャール家が所有するドリュアーヌス島との通信が完全に途絶した。
原因は不明であり、こちらから通信を送るも返答は無し。
偵察の為に航空機を向かわせるが、島に接近するや否や、唐突にドリュアーヌス島周辺に巨大な嵐が発生。
航空機だけでなく船も同様であり、接近する事すら不可能。
雷雲と降雨により視認も不可能であり、内部の様子を確認する事も出来ない。
嵐が止むのを待ってから、改めて接近を試みても、接近した途端に再び天候が荒れ始める。
こんな狙い澄ましたかのように、毎度毎度局地的な嵐が発生するなど、到底自然現象では有り得ない。
必然、何者かによる魔法の行使だと断定された。
シャール家が何か島内で魔法の実験か何かでもしているのかとも考えられたが、その考えはアレハンドロにシャール家の長兄であるオーベルハイム・シャールが泣き付いた事で否定された。
オーベルハイムからの報告によれば、彼自身もドリュアーヌス島に近付く事が出来ず、またオーベルハイムの父であり、一族の当主であるヴィンセント・シャールとも連絡が取れないという。
ドリュアーヌス島で、何か異変が起きている。
それだけは間違いなく分かるのだが、偵察が出来ない為に何が起きているのかまでは把握出来ない状況だったのだ。
それが、三日前までの状況。
三日前、この状況に劇的な変化が発生した。
ドリュアーヌス島にて拘束されていた兵達が、船に乗って帰還したのだ。
数は七名であり、ドリュアーヌス島の異変を誰よりも早く察知していたアレハンドロとオーベルハイムは、この七名と直々に顔を合わせた。
一体あの島で何が起きているのか、それを問うた所。
「――メイド服の悪魔が、無数に現れて、皆、皆殺された!」
全員が全員、錯乱したとしか思えない返答をした。
気が狂ったかと考えてもおかしくないが、それ以外に関しては冷静に、現在の島の内情を答えてくれた。
唐突に降って湧いたかのように現れた襲撃者の手により、自分達以外の島の警備戦力は全滅。
シャール家の当主であるヴィンセント・シャールも、直接死体を確認した訳ではないが、襲撃者が既に殺害したと明言していた。
先日までは自分達も島で拘束されていたのだが、理由は不明だが何故か全員が釈放された――との事。
だが、彼等の言葉によってドリュアーヌス島の実情を知る事が出来た。
謎の襲撃者により、シャール家の私有地であるドリュアーヌス島は不法占拠状態にある。
当主であるヴィンセント・シャールは既に死亡しており、シャール家が島内に保有していた警備兵も全滅――という訳だ。
「――よって、これより我々は、ドリュアーヌス島を不法占拠している襲撃犯を討ち、グランエクバーク国内の治安を回復する為に行動する。その為に、貴公等の力を借りたい」
アレハンドロから受けた説明を耳にした、各将校達からはどよめきが起こる。
「……レイヴン少将。アレハンドロ皇子の話が本当なのであらば、何故このような……言い方は悪いかもしれませんが、歯抜けの面々が招聘されたのでしょうか?」
テレジアが、自らの胸中に抱いた疑問をレイヴンに問う。
何しろ、この話が本当なのであらば――グランエクバークは、侵略されているのだ。
国土を不法に占拠され、接近すれば魔法によって起こされたであろう嵐で追い払われる。
これが侵略でなければ、一体なんだと言うのか。
自らの国土への侵略、それはグランエクバークという国にとって大問題である。
となれば、グランエクバークの総力を挙げて事態の打開に勤めねばならない。
だというのに、だ。
テレジアの言う通り、ここに集められた軍人達は"歯抜け"なのだ。
確かに、錚々たる面々がこの場には集められており、軍人としての実力者も多数居る。
だが、軍閥としては勢力のナンバー3や4は居るのに、ナンバー1や2の代表が居なかったり、国家にとっての非常事態だというのに、何故か軍の総力が結集していないのだ。
テレジアが歯抜けと言うのも、無理は無い話であった。
「そうか……そうだったな、テレジア大尉は叩き上げだから、この辺りの世情には疎いのも無理はないか」
テレジアには分からないが、レイヴンにはこの辺りの事情は概ね把握出来ていた。
「私も含めてだが。ここに集められた連中には、共通点があるという事だ」
「共通点?」
「テレジア大尉も軍に身を置いている以上、軍の内部には軍閥という派閥がいくつか存在しているのを理解しているとは思うが――これは、軍閥の更に一つ上の問題だな」
テレジアは、レイヴンの言う通り、叩き上げである。
元々は一兵士として、若くして戦場に立ち、その手腕で数々の武功を挙げた結果、二十代後半にして大尉という地位にまで上り詰めた。
一方、レイヴンは――平民であるテレジアと違い、貴族の家に生まれ落ちた。
「恐らく、これは第三皇子の野望の一環と見るべきだな」
だから、レイヴンには理解出来ていた。
自分を含め、ここに居る軍閥は皆、シャール家に属している連中である。
そしてそのシャール家と繋がりが深いのが、今目の前に居るアレハンドロ第三皇子という訳だ。
アレハンドロ第三皇子は、上に第二皇子と第一皇子がおり、今の所、帝位継承権は出生順通りになっている。
なので、アレハンドロの帝位継承権は三番目、という事だ。
第二皇子はともかく、第一皇子は心身共に健康そのもので、一時期軍隊に身を置いていた為、体格も立派なものである。
性格や頭脳も良い部類であり、順当に行けば次期皇帝はこの第一皇子が就くものと評されている。
第三皇子は、帝位を諦めていないのだ。
そしてこれは、国の危機ではなく、自らが武功を立てる好機と見たのだ。
だからこの情報を即座に周知せず、一旦自らの手中で留めた。
そして利用する算段が付いたので、こうして同族達だけを集めた――という訳だ。
これで武功を挙げ、第一皇子を次期皇帝の座から蹴り落とす為に。
「――結局、翌朝出立という強行軍になりましたね」
「仕方ないさ、予定が合わないから明日にしてくれなんて言い訳は軍人には通用しない。部下達に報告は済んでいるか?」
「既にメールを一斉送信済みです」
「本当は酒でも飲みたい所だが――」
「今から飲んでは作戦に支障が出ます」
「分かってるさ、流石に今日は控えるよ」
会議を終え、英気を養う為に下町の酒場へと繰り出したレイヴンとテレジア。
酒場ではあるが、翌朝任に付く為、酒は無しである。
この店は食事も普通に美味しいので、酒飲みでなくとも足しげく通う者も多い名店である。
「しかしまあ、随分とキナ臭い事だな」
「他国からの侵略……にしては、どうしてドリュアーヌス島を狙ったのかが謎ですね。あの島は仮に攻め落とした所で、入り江を封鎖してしまえば容易く補給の無い籠城戦に追い込める形ですから、橋頭堡にするには、余りにも不適当。一時的に奪ったとしても、維持が出来ない地形なのは他国も承知のはずです」
「――テレジア大尉、今回の騒動の下手人は一体誰だと思う?」
口の中の肉をジンジャーエールで流し込みつつ、レイヴンはテレジアに対して問う。
「ドリュアーヌス島は我が国が誇る大貴族の一家、シャール家の保有する地です。当然、相当な数の警備兵が詰めていたはずです。それが壊滅となると……そんな事が出来る者や組織を挙げた方が早いと思います」
「成程、それには私も同意見だ」
このグランエクバークという国は、世界最大の軍事国家だ。
戦いこそが生業であり、そのような国の戦闘力が弱い訳が無い。
この国の戦力を相手にして、まともに勝負出来る人物や組織というのは、テレジアの述べた通り、非常に少ない。
「動機を無視して、単純に出来るかどうかという点で言えば――フィルヘイム王家の長男にして最高戦力である、ジークフリート王子……いえ、今ではジークフリート王と呼ぶべきですね。彼ならば、可能でしょう」
「まあ確かに、彼の王であらば不可能ではないだろうな」
ジークフリート・フォン・フィルヘイム。
前王が病に臥してからは、政治や軍事の最前線に立ち続け、国政を担って来た傑物。
このグランエクバークにも何度か外交で訪れており、先のフィルヘイムで発生した邪神の欠片騒動の後、前王が崩御し、即位した現在は王子ではなく王となっている。
また、フィルヘイムが保有する先代勇者の遺物である"聖剣"とやらにも選ばれた者であり、聖剣を振るわせた日には生きる兵器とすら呼べるかもしれない。
一国の王である者を兵器と呼ぶなど失礼にも程があるが……戦艦を一刀で切り伏せるような人物を、人間とは呼ばないだろう。
「それ以外なら、リィンライズのワン・ユーシェンでしょうか? ですが、彼の場合だとロクに通信も出来ずに壊滅するとは思えないのですが……後は実力の程が不鮮明ですが、噂が本当ならば、ナーリンクレイのフェルナンド・ガルシアならばあるいは、でしょうか?」
「まあ、そんな所だろうな。我が国の軍を相手取って、一夜――かどうかは分からんが、少なくともロクに通信を残す暇も無く壊滅させられる程の戦力となれば、もうその辺りしか無いだろう」
後は単純に、この世界の人類にとっての共通の脅威である、邪神の欠片だ。
しかし、邪神の欠片というのは知性の無い獣のようなモノだ。
そのような存在が、兵を生かしたまま拘束し、挙句解放するなんて事は、力量は置いておいてそのような行動をする事は有り得ない為、今回は除外されている。
「――まあ、噂話を含めるのであらば、先程挙げた連中よりは余程納得出来る人物が一人居るがな」
一通り食事を終え、ジンジャーエールで一口喉を潤した後、レイヴンは続ける。
「テレジア大尉は、フィルヘイムに勇者が現れたという話は耳にしたか?」
「いえ、初耳ですが……まさか、勇者がやったと言うのですか!?」
驚きの余り、目を丸くするテレジア。
「先程の面々よりは余程納得が行くとは思うがね。国のしがらみにも囚われず、単純に勇者の何か逆鱗に触れるような事が起きた――と、考えればな」
「ですが、もしそうならば我々はこれから、勇者に対し弓を引くという事になりますが」
「仕方あるまい。勇者だろうが誰だろうが、我が国に対し最初に攻撃を加えたのはその下手人である事だけは確かなんだ。我々軍人は、国民を脅威から守る為に存在している。そして今、謎の勢力が我が国の国土であるドリュアーヌス島を不法占拠している。もし相手が仮に勇者だったとしても、敵対行動をしている以上、我々は国民の権利と安全を守る為に戦う責務があるのだからな」
それが、軍人の責務。
戦う力を持たない民の為に、外国の横暴を退ける責務を背負った者。
そこに私情が挟まる余地は無い。
彼等は粛々と、政の事情に合わせて行動するのみだ。




